ひびのあれこれ・・・写真家の快適生活研究

各種媒体で活動する写真家の毎日。高円寺で『カフェ分福』をオープンするまでの奮闘記、イベント情報などをお伝えします。

釜炒り茶特集 第三回

2021年08月15日 | イベント
小ロット・ハイクオリティーのニッチなお茶作り 
岩永製茶園 門内智子さん




約束の日、不慣れな土地の運転で右往左往していた私を見つけ、遠くから大きく両手を振って迎えてくださった智子さん。時はまさしく一番茶製造の繁忙期。共同工場はフル稼働で、取材には最も不適切なタイミング。しかも今年は霜害と早い梅雨の到来で製茶出来る時間は非常に限られている。時間との戦い、その言葉通り、ご挨拶も出来ないまま工場をご案内いただく。ほどなく紅茶の乾燥が終わり、一刻の猶予もなく速やかに作業は進行、一段落してご自宅の作業場へご一緒させていただいた。




ご自宅のすぐ隣に岩永製茶園の自社工場はある。先程の薄暗い共同工場でうなり声を上げる大型機械と比べると、レトロでこじんまりした機器が明るい工場内に設えられ、お父様の遺品の道具類が天井から床から埋め尽くしている。ちょっとした博物館のような、ほっとする雰囲気だ。
「そろそろ整理しなくちゃいけないんだけど・・・」と言いながら、温かい眼差しで工場内を見渡す智子さんは、幼少期から工場で過ごす時間が好きだった。ここにはお父様との思い出が詰まっている。ラジオの事業で成功したお祖父様が土地を購入し、始めた農業。五ケ瀬川のほとり、なだらかな傾斜地に広がる土地は、きっと思い描いた通りの豊かで美しい農村の風景だっただろう。お茶作りは昭和30年代にお父様がスタート、新規参入で孤立感もあった。しかし、その逆境がお茶作りのバネとなり、釜炒り茶の製茶品評会で農林水産大臣賞を受賞される。
「父は言葉で説明するより、見て学べタイプ。ただ、『やるならちゃんとやれ』と言われました」
高校時代に故郷を離れた智子さん、まさか自分が家業を継ぐとは思っていなかった。しかし、お父様が亡くなり、美しい茶畑とこだわりの茶作りを続けることに。子供の頃から慣れ親しんだお茶作りとはいえ、女性一人で茶園を管理し、全ての作業をこなすことは並大抵ではない重労働だ。有機栽培の場合、化学肥料に比べて10倍の量の肥料を必要とする。20キロの肥料を背負って畑に播くのだが、疲労が続くと持ち上げた拍子に頭から被ってしまい、心が折れそうになることもしばしば。そんな智子さんが2015年に取り組み始めたのが紅茶作りだ。流通経路も原料もよく分からない海外製の紅茶に不安を抱き、安心して飲める紅茶を作りたい、そんな思いがきっかけだった。最初の2年間は商品化せず、釜炒り茶を購入したお客様に配っていたが、次第に「おいしいから販売すれば良いのでは」と周囲から言われるように。とはいえ、自分が作った紅茶の価値基準を持たなかった智子さん。ならば「客観的に専門家に評価してもらおう」と、2017年国産紅茶グランプリに出品したところ、いきなり金賞を受賞する。



「受賞がきっかけで自信を持つことが出来たと同時に、環境が大きく変化しました」
お父様が亡くなり、男社会の茶業界でお茶作りに取り組む智子さんに対して、茶園の管理からお茶の製造、販売までこなせるのだろうかと心配する声も聞かれた。しかし、受賞をきっかけに智子さんを支えてくれる仲間にも恵まれるようになった。結果、2020年のプレミアムティーコンテストでは最高峰の5つ星を受賞。少ないロットで品質にこだわった紅茶作りは智子さんと相性抜群だった。



お父様の味を継いで作り続けている釜炒り茶、そしてシングルオリジンで丁寧に作られる個性豊かな紅茶、さらに今後は白茶や萎凋香が際立つ半発酵茶にも取り組んでみたいと話す智子さんに、美しい茶畑の景色が見渡せるテラスで自作の白茶を淹れていただいた。カメラを向けると、お茶作りに向き合う工場での厳しい表情とは好対照の、はにかんだ笑顔が柔らかい印象だ。繊細さと芯の強さが共存する智子さんにしか作れない気品ある香り高いお茶は、唯一無二の味わいで人々を魅了してやまない。



釜炒り茶特集 第二回

2021年08月15日 | イベント
地域に根ざした未来志向のお茶作り
宮崎茶房 宮崎亮さん




遥かに山々の眺望を見渡す扇状の茶畑、ここが五ヶ瀬で一番好きな場所と胸を張る宮崎さん。冷涼な風が颯爽と吹き抜ける茶畑では、多くのスタッフが梅雨の貴重な晴れ間の茶摘みに勤しむ。急斜面では大型の機械は使えないので、可搬の摘採機か手摘みで行われる作業。結果、一度で摘める茶葉は限られる。時間との戦いだ。
今年は霜の被害が五ヶ瀬を悩ませた。加えて、3週間も早く梅雨入りした。最も高値で取引される一番茶が霜の被害を受けてしまうと、経営的には大打撃だ。しかし、主軸の釜炒り茶、番茶に加えて、多くの品種と200種類ものお茶を生み出している宮崎さんにとって、被害はごく一部、見事なリスクヘッジだ。
4代目宮崎さん率いる宮崎茶房は昭和初期創業。家業から身を引き公務員になるつもりで進学、宮崎大学農学部で花の開花実験に夢中になっていたところ、「お茶も花が咲くよね・・・」と、家業を継ぐことに。学生時代の経験が花やハーブを使った新しい商品開発にも繋がっている。昭和58年に無農薬、有機栽培のお茶作りに転換、五ヶ瀬では最初期の平成13年に有機JAS認証を取得している。当時は「無農薬のお茶は美味しくない」という評価が一般的だったが、時代のニーズ、そして500メートルから800メートルという標高の高さが幸いし、地域全体が有機・無農薬栽培へと舵を切った。甘味・旨味偏重傾向のお茶と違い、すっきりと香ばしい「釜香」と呼ばれる香りに加え、爽快な味わいが特徴の釜炒り茶の産地だったからこそ可能だった軽やかなシフトチェンジ。結果的に、無農薬のお茶作りが商品価値を高め、海外市場へ道が開かれた。





摘まれた茶葉は畑のすぐ側の工場に運ばれる。宮崎さんの工場は大きく分けて2ライン、主力の釜炒り茶専用ラインと紅茶や烏龍茶等、発酵系のお茶を扱うラインだ。『うるるん滞在記』で見た台湾茶特集がきっかけでスタートした烏龍茶作り。ビギナーズラックでハイレベルの美味しいお茶が出来たのだが、以降思ったようなクオリティーに至らず、試行錯誤の連続。その思い通りにならない悔しさを糧に苦心を重ねた結果、商品化へと繋がり、人気商品へと成長。全体の生産量に占める烏龍茶の割合も年々上昇している。今ではどちらの生産ラインも若手が主力を担っている。




工場を切り盛りする若手。真摯な姿勢がお茶のクオリティーを守っている。

発酵系のラインは勤続10年目の横山陽子さんが中心となって作業にあたる。
「お花畑みたい」というあるスタッフの言葉通り、工場は爽やかな香りで満ちている。釜炒り茶のラインと比べ、見た目、香り、手触り等々、経験値プラスより感覚的なセンスが要求される。作業中は真剣な表情で茶葉の状態の精査に余念のないスタッフ。張詰めた空気にお茶作りへの情熱が窺える。
作業の合間を縫って、ひとときの休息時間。出来立てのお茶を試飲しながら、これから作りたいお茶、イベントの企画など、話題に事欠かない。お茶で繋がる世界はどんどん広がって、汲めども尽きぬ泉のように湧き上がる。自由な発想でチャレンジ出来る環境がスタッフのモチベーションを高めている。ユニークな試みとして、宮崎さんは得意の占いでスタッフの個性や能力を見極め、それぞれが最大限能力を発揮できる職場作りを推進している。その成果がハイクオリティーなお茶作りに反映されている。



美しい茶畑と山並みを見渡せるカフェ、さらに、地域で使われなくなった工場を釜入り茶の博物館にしようという企画も進行中。自社の運営にとどまらない宮崎さんの活動は、就労スタッフの移住推進ための環境整備、若手茶農家が切磋琢磨する烏龍茶研究会への参画、さらには高齢者向けの仕事の開拓と、地域社会へ大きく貢献している。
「これからの時代は競争ではなく共闘。各々が個性とこだわりのあるお茶作りを推進し、足りない部分は補いあって、個と全体が成長していくことで地域そのものが活性化する。そういった社会の一翼を担っていきたいです」
未来の茶業、そして地域社会の在り方を見据えた宮崎さんのお茶作りにこれからも注目したい。


宮崎茶房で生み出されるお茶はなんと年間200種!圧巻のバイタリティーだ

宮崎茶房
〒882-1202 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町桑野内4966
0982-82-0211
http://www.miyazaki-sabou.com/