少し前の論文ですが、2001年の砂防学会誌に東大の太田先生が、表題のような特集記事を寄せていらっしゃいます。その冒頭を引用しますと、
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水田とともに、背景の”荒廃した”里山がかつて日本の原風景であったことを知る人は少ない。豪雨があれば”無数”の崩壊地が発生したことも、次第に過去のものになろうとしている。油断はできないが、先日の関東地方の豪雨は800ミリをゆうに超えていたのに、それほど多くの崩壊地が発生したとは聞いていない。
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なぜこんなことを今頃述べたかといいますと、明日から久しぶりに災害履歴のある、言いかえれば防災技術者にとっては興味深い流域に現地調査に行くからです。日本の渓流には、戦後間もないころ山が荒れていたころに斜面から落ちてきた巨石が、そのままそこにとどまってコケがむし安定していることは多いのですが、最近はそんな歴史を知ってか知らずか”ワンクリック”で防災計画が立てられてしまっています。
調査箇所がとても多いので、清冽な水と地質との関係や緑化と土砂流出との関係などのテーマをどれだけ楽しんで見れるかわかりませんが、久しぶりにわくわくしています。
http://kuro2.seesaa.net/article/122429574.html#comment
技術や研究というのは常に変化・進化し続けるものだと思うのですが、「オーサライズされていること」を金科玉条のごとく言い、教科書に書かれていることを変えるのを頑なに拒む人がけっこういる(太田さんのブログより)。
現代の日本はあまり自分の頭で因果関係を考えずに,「テレビが言った」とか「お役所が言った」ということだけで行動する人が多くなったように思う(武田先生のブログより)。
今日も「DEMで谷を自動抽出したら1次谷が抽出されなかった。土石流のポテンシャルは、、」と真顔で話をした人がいたので、このことを実感していたのでした。
大きく話が飛びますが、マイケル・ジャクソンがなくなりました。私など、どんぴしゃ世代のスーパースターですから時代を実感させられました。CD以前の昔は、A面とB面が存在するレコードでした。そのころは、A面なり、B面なりにテーマやストーリーにメリハリを持たせて曲の配置や間合いを考えた、そこにアーティストとしての醍醐味があったと聞いています。ところが、CDになってこれがなくなり、マイケル・ジャクソンは、それまで耳から聞いていろんな情景・情感を想像して楽しむというスタイルを、圧倒的なビジュアルで一掃してしまいました。
思えばこのあたりから、”情”のあとに続く言葉が”報”になり、”ひねりだすもの”,”考え出すもの”,"かもし出すもの”が少なくなり、”与えられる”ものが多くなってきました。
地盤は、砂を多く含む砂質土や砂地盤は砂の粒子同士のせんだん応力による摩擦によって安定を保っているのです。そこに強烈な地震動が加わったとき、間隙水圧が過剰になることによって地盤が液状になるのです。このたとえの場合、震源は宮崎、余震が大阪、横浜で発生したということなんでしょうか。
軟弱地盤の液状化対策として一般的な工法は、深層混合処理工法(セメントなどの安定材を軟弱土と攪拌・混合し固化体を作る工法)、サンドコンパクションパイル工法(地盤に締め固め砂杭を造り、砂杭の強度により安定性を増加させる)、バイブロフローテーション工法(ゆるい砂質土地盤に棒状の振動機を水を噴出させながら貫入し、振動と注水で地盤を締め固める。)、グラベルドレーン工法(地盤中に砕石の柱を造成し、地震時に発生する過剰間隙水圧の上昇を抑制する)などがあります。
でも、政治の動きを見ていると、地盤丸ごと変えてしまおうという勢いですね。
ところでCPDといえば委員会活動や本・論文に執筆に重点が置かれていますが、エンドユーザーからみるとちょっと距離感があるように思います。いまのところ、地質調査業は基本的に”公共事業の請負業”なので、ブログや個人・企業のHPと商売が結びついていません。実際は、エンドユーザー向けに専門家の立場から有益な情報発信をし続けることも、CPDとして評価されてもいいのではないかと思っています。学会誌だけでなく、他業界誌にもアドバイザー的な連載を始めていますが、こんなのも評価されるんでしょうか。
新住宅ジャーナル 宅地トラブル解決 虎の巻 http://www.kankyo-c.com/column_list.html
以前から今村遼平さんの著作は含蓄が多いのでよく読んでいます。昨年の5月に出版された『技術と倫理』という本(いまさらですが)を読み始めています。
技術と倫理
http://www.denkishoin.co.jp/cgi-bin/book/book.php?no=ISBN4-485-66532-1
その第3章で、次のような一節がありました。24Pです。
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「(略)専門職といえども、自分自身の経済的利害関係のために働くのではないか」と思われるのがしばしばですが、次の点で「そうではない」と声を大きくして言う事ができます。
(a) 公衆が専門職に期待している技術サービスの方向がなんであるかをよく説明し、私たちはどういう階層の人々に対しても、またどういう立場か(例えば裁判で訴える側と訴えられる側の立場の違いなど)を問わずに、公正に技術サービスを提供する責任をもっていること。
(b) 専門職は必要に応じて高い技術的対価を求めたとしても、それを正当化するだけの価値があること。
(c) 弁護士と同様に、専門職は公衆の利害関係にあわせて自己を公正に処するだけの自制心を持っていること(つまり、自分の経済的な利害関係に支配されて、公正さを失することはないということ)。
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(b)と(c)については、弁護士なみの社会的認知がなければ難しいような気がします。このためには、(a)公衆が専門職に期待している技術サービスの方向がなんであるか、ですが、昨年手がけたあんしん宅地は、期待しすぎた面もあったので、もう少し時間がかかるような気がします。
http://www.zenchiren.or.jp/message/pdf/040412.pdf
テレビ東京系列の番組で「ソロモン流」という番組を見ていました。今日の放送はABCクッキングスタジオです。妻が時々通っている料理教室で、ABCというのは”イロハ”すなわち入門ということで、料理初心者の女性を中心に22万人もの会員がいるそうです。料理のテーマが月に一度程度あって、だれでも簡単に作れるレシピがweb上で公開されているのです。
この社長さんは、気軽な雰囲気作り、敷居が高いと思わせないことに努力をしているそうです。女性と子供が動けば巨大なマーケットが動くことを改めて実感させられます。プロの味を追及する料理教室は多々あれど、初心者向けは少なかったとのこと。
そのなかで、おばあちゃんの味、おふくろの味を若い世代に伝えたいという企画をしているというのです。いま防災や地盤技術者の分野でも技術伝承がさかんに言われるようになっていますが、料理の世界でもそういうことがあるようです。
印象的だったのが、おばあちゃんの『目分量』という概念です。塩何グラム、しょうゆ何mlと、数値が示されているレシピしか知らない女性たち、そして、経営者で今45歳の社長さんでさえ『新鮮な概念』」と驚いていたのです。おばあちゃん自身は、そんなの先代、先々代から目で覚えて、体が覚えているから測ったことなんかないわよという話。
私がよくやる空中写真判読や渓流の土砂調査なんかは、まさに目分量の世界です。礫に付着したコケの状況、植生の育ち方、細粒分・砂の抜け方なんかを総合的に判断して、今後豪雨があったら流下していきそうだ、あるいは、安定傾向にありそうだ、、などを判断するわけです。
私の上司は、地質調査でいちばん重要なことは”勘”だといいます。それは多くの”観(察)”に裏打ちされた経験知であり、それこそ露頭を見たときの目分量です。例えば、渓流の堆積物の植生が何センチ以上だから土砂は動く、動かない、クラックがあるから擁壁が危険、と項目別(まさにレシピ)にチェックするだけの仕事に何の疑問も持たずに終始すると、想定の範囲が狭くなり、いつか大事故が起こる、、と危惧を口にします。
私たち防災技術のサービスは、自然科学を基礎としているだけに、さすがに敷居はある程度高くなります。しかし、防災や自然科学に関する知識を持っていることで得した気分になったり、相談窓口をいかに気軽にできるか、マーケットの創出には、その辺の”感(性)”を磨くことも重要であると思います。
この間の地質調査技士の事前講習会で、最近は技術者としてのありよう(講習の言葉のママ)に関わる記述問題をよく出題していますという話がありました。また、事故防止のための安全管理のあり方もよく出ていると聞きました。
このうち安全管理に関しては、巻き込みや指の怪我、KY活動やTBM-KY活動などの具体的な事例を詳細に書かなければいけないので、あまり現場に出るタイプではない私にとっては、ちょっと手ごわいなあといった感じです。この辺は、経験の豊富な人に話を聞くしかありません。
例えば、昨年は顧客の信頼にこたえるために努めなければならない事項を3つあげてせよ施与という問題でしたし、一昨年は以下のようでした。
「技術者の責務」について,次の事項に分け,記述せよ
① 専門技術
② 安全衛生
③ 社会や公益
これは地質調査技士に限らず技術士試験にもでておかしくないような問題ですね。800字ですからコンパクトにまとめねばなりません。うーん。このブログ次回以降にづづく。。。。
あまり上品なタイトルではないし雑な文章も多い本なのですが、興味深い指摘もありました。いくつか紹介してみます。
理系バカと文系バカ
http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-70643-6
◇何でも平均値で判断してしまう - 文系バカ
統計には平均値と中央値がある。他人の情報を鵜呑みにして、その場の空気に流されやすい。
平均値はともかくとして、数字の裏を読めないのも文系に多い。役所なんかとくにそうですね。今のCO2やエコポイントも、実に怪しい数字ですね。
◇失敗の意味
文系社会で100回のうち99回失敗したら排除される。理系はその失敗を次の成功へのデータとして前向きに捉える。文系から見たら、成果を出すということは長くて数年の短期であるが、理系は目標を10年、20年後といった長期にすえている事が多い。
地震や豪雨時に土砂が動くことは、地形学・地質学を学ぶと、別に?って感じなのですが、文系の役所からみると失敗なのでしょうか。資産価値が下がるだの何十年も前から同じ答えで、対策をしても同じ工法で、なかなか新しい挑戦が見られません。
◇理系の世界に比喩はない
これは以外でした。私は、千木良先生の書籍や太田さんのブログ、B.W.ピプキン、DDトレド『シリーズ 環境と地質』によく目を通すので、比喩的表現は普通だと思っていました。
◇物理の履修者は6%
ええまじですか。地学は壊滅しているので、化学と生物で90%近いということでしょうか。エコの時代なんでしょうが、文系は暗記系の生物、理系も基礎理論が多く「成果」が出るのに時間がかかる物理はやらない、これは知求慣例化→マニュアル主義→想定外の頻発というスパイラルに陥ります。
話しはかわって、今年は補正予算が大量につきましたので、仕事増えるかなあという声が受講者のあちらこちらから聞こえてきました。地球温暖化の話までりましたが、ちょっと公共事業に擦り寄りすぎています。もう少し自立したマーケットを目指せないでしょうか。
これは、融雪を主体として滑る地すべり地帯にはよくあることですが、これだとあれだけ巨大な山がほとんど水平移動したことに対する説明がつかないと思います。やはり1G以上の鉛直方向の加速度で「浮き上がる」り、そこに過剰間隙水圧が発生、ドスンと岩体が落ちてきたと考えられ、その場所は軽石凝灰岩層が当てはまるのではないかと思うのですが。