防災に関しては、暮らしの安全・安心に関わる事業だから縮小・廃止には向かわないだろうという、自然災害の正常性バイアスに似たムードがあります。
政治献金も業者から個人のネット献金へシフトしているようです。防災業界も、一般市民向け、個人でできる防災対策をうまくビジネスにしていくため、種をまき続ける必要があります。
政権交代選挙が終わり、ダム事業見直しの議論が喧々諤々のなか、『土木地質達人の知恵』という本が9月10日に発刊されました。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
土木地質の達人編集委員会
http://ssl.ohmsha.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=978-4-274-20765-5#shosai
土木構造物の施工や設計にとって必要な地質情報を真に理解するためには、地盤の良し悪しや強度といった情報の背後にある地質学の知見、地質技術者の経験や視点が必要である。
本書は、経験豊富な複数の地質技術者が、安全で経済的な土木構造物をつくるために欠かせない土木地質についての知識を提供する実務書である。調査現場のスケッチや図写真を適宜盛り込み、理解を助ける各種の工夫をしている。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
この本の編纂にあたった達人17名の方々のうち半分ぐらいの方と、議論を交わしたことがあります。そして、この本の内容に用いられた事例は、ほとんどがダム造成に関わる地質技術でした。
ダム地質は、堤体基礎の岩盤だけでなく貯水池の地すべり、緑化対策も含め生態系にも精通していることが求められるため、地質技術の集大成ともいえるものです。例えば、掘削して現れた除荷節理と弛み(ゆるみ)や断層と破砕帯の違い、CM級岩盤は全国共通か、といった話題はいかにもダム現場出身でとても勉強になります。
しかし、あとがきにこのような事が書かれていました。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
少し前から若手技術者との話題に、地質技術者をはじめとするコンサルタントの社会的な地位の低さが話題に上るようになった。日々の仕事を通じて住民の安全,社会資本の整備に貢献しているはずなのに、新聞やテレビでは「公共事業イコール悪」という論調で、世間の目が厳しいことは確かであろう。また、公共事業に携わるには、技術士という国家資格が不可欠だが、同じ「士」のつく職業、例えば弁護士、公認会計士などに比べ、目立たない地味な資格、職業なのだいう。私たちの仕事が縁の下の力持ち的な存在であるのは、わかりきったことだが、もう少し社会に認知されたいものである。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
違和感を持ったのは、『少し前から若手技術者との話題』であるということ。私はずっと前から社会的認知度の低さは感じておりました。それはなぜかというと、縁の下の力持ちはよいとして、その縁側の上に座っているのは誰かという視点が欠けていたように思うわけです。弁護士も公認会計士も一般市民社会に直接していますし、目立とうという努力をしています。地質業界の場合、この目立とう、一般市民に直接訴えようという発想がなかったのです。
政権交代によって143のダムを見直そうという機運があります。これまでとは正反対の『造らないための見直し』です。もうダムマーケットが拡大することはありません。
先月の地すべり学会で、「ブログ読んでますよ、刺激になりますね、面白いですね」というほめ言葉を見ず知らずの方から頂きました。私ごときのこんなブログひとつでもそういう効果があるのです。ダムに関わってこられた地質技術者の方は、自然環境を科学的に語るスペシャリストです。その技術力は、私は足元にも及びません。だからこそ”秘伝”にしないで、縁の下から出てきていただきたいと思うわけです。職人気質な方が多くて、自分の技術力を積極的にアピール、プライドが高いために抵抗を感じたりしていたのではないでしょうか?
月に一度ぐらい国立国会図書館で知恵の収集をすることにしています。マニュアル、カルテ仕事にどっぷり使ったままでは、脳みそは運動不足になるからです。今回は、こんな論文(砂防学会誌の技術ノート)を見つけました。
水山高久・和田 浩・吉田一雄(2009):下流に流路が準備できないゼロ次谷等の土石流対策-土石流フェンスの提案-,砂防学会誌,Vol62,№1. pp.74~76
・0次谷の出口のごく近くに家が立ち、土砂・水の量は多くはないが、家が全壊するような被害が出る。
・地形解析のためのルールである谷の定義を土石流危険渓流の抽出に持ち込んだのは適当ではなかったが、現在は0次谷からも抽出している。
・0次谷の防災対策は、現象的にも対策的にも急傾斜地対策と土石流対策との中間にあり、このような渓流に従来の概念で砂防堰堤を建設しようとすると、充分に断面が確保できない。
・このための対策は基準に基づく砂防堰堤ではなく、土石流フェンスとか土石流バリアとでも呼ぶ。
・対策費用は基礎コンクリートも含め3000万円程度か?
概要はこんな感じです。
別に基準書にあることだけが防災ではありません。このようなことは、技術者は薄々考えていたと思いますが、今になって表に出てきました。
このブログのカテゴリーのひとつである、「雑感」がついに三桁の100に達します。と大仰に言うことでもないのですが、少なからずブログを書くときは”考えている”ので、現代の古典とも言うべき、小林秀雄『考えるヒント』を読んでいます。
----------------------------------------------------------------------------------
現代の合理主義的風潮の乗じて、物を考えている人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考えることだと思い違いしているように思えるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。(中略)。物を考えるとは、物を掴んだら話さぬということだ。画家が、モデルを掴んだら得心の行くまで離さぬというのと同じことだ。
文藝春秋昭和34年10月号「良心」
----------------------------------------------------------------------------------
”当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。”
これはまさに、土砂新法基礎調査のYRゾーンの設定法と同じようなことです。ひとつの定式いよって範囲を決めてしまえば、調査者による見解の相違もなくワンクリックで設定できるため、人が現場を歩き回るよりは”能率的”な調査ができるであろうという発想からでてきたものです。その発想自体は”考えた”結果ですが、その後(地形発達史的背景とか土地利用の履歴など)なにも考える必要がないのです。”つもり”という言葉を”積もり”と漢字で表現されていましたが、このごろ”見積もり”意外にあま使われません。”考える”ということが、その程度になってしまったのでしょうか。
”物を考えるとは、物を掴んだら話さぬということだ。画家が、モデルを掴んだら得心の行くまで離さぬというのと同じことだ。”
私の周りにはひとつの露頭をみて何時間も議論を戦わせる人がいます。私だって空中写真をみてその議論に参加することがあります。そのときは、その場所の地形・地質の成り立ちについて、場合によっては何億年分のモデルと対峙しているわけです。もちろん得心の行くまでです。実際これほどたのしいことはないのですが、最近ではこのような行動は”オタク”と評されることが多いように思います。生産とは”即物的”なことだけではなく、その裏の知的生産を”見える化”しなければ、アピールできない時代でもあるでしょう。
神奈川県ではCO2削減のための対策として、全国初の「炭素税」の導入を検討しているんだそうです。この不景気に新税もなにもあったもんじゃないだろうと思ったら、県民の半数しか反対していないのだとか。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryivsep0909557/
二酸化炭素(CO2)排出量を削減させる地球温暖化対策として、県が全国初の導入を検討する「炭素税」について、県民の5割弱、県内の各種産業団体の6割弱が反対していることが、今夏実施した県のアンケートで分かった。全国一律で導入しなければCO2の削減効果が期待できないとの指摘に加え、景気回復が進まない中での家計の負担増を懸念する声も根強い。県は、民主党政権で国の温暖化対策がどう変わるかを注視しながら、慎重に検討を進めるという。
県地方税制等研究会が3月、化石燃料の使用量抑制や、環境に配慮した事業に充てる財源として、県独自で炭素税を導入するよう答申。石油などで製造されるガソリンや電気・ガス料金に、新税を上乗せするほか、重油などを使う工場や大規模ビルなどの事業者には申告納付を義務づけることを提案した。1世帯当たり年1000~2200円の負担で、年160億~340億円の税収増をもたらすとされる。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
あえて何ももうしますまい。上の画像をみてみんなで考えましょう。
図3は、ドームふじ氷床コアから得た過去34万年にわたる気温と大気中の二酸化炭素(CO2)濃度の変動,海底コア研究から知られている過去の海水面の変動とを比較したものです。なお海水面は大陸上にある氷の量で決まり,最も海面が下がった時期には,南極氷床2個分に匹敵する膨大な量の氷が,アメリカ大陸やヨーロッパを中心とした陸地を覆っていた計算になります。気温と海水面変動とが調和的に変動していることから,南極内陸の気候がグローバルな気候と調和的に変動していたことが分かります。
このグラフから,過去34万年の間には,温暖かつ海水面が現在と同じくらいの「間氷期」が現在を含めて4回あり(黄色で塗られた部分),それ以外の時期の大部分は寒冷な「氷期」だったことが分かります。CO2濃度は南極の気温と密接に関係していて,間氷期に高く氷期に低いことから,気候変動によって温室効果気体の循環が大きく変化していたことが分かります。さらに,氷期から間氷期に向かって気温が急上昇するとき,CO2濃度も同期して上昇しています。これは,氷期-間氷期の移行初期の温暖化がCO2濃度を上昇させ,その温室効果によってさらに温暖化が進み,それがCO2濃度をさらに上昇させるといった,気候とCO2の間の正のフィードバック,あるいはCO2による気候変動の増幅作用が,過去に働いていたことを示唆しています。
出典 東北大学大学院理学研究科大気海洋変動観測研究センター」のホームページ
民主党政権がついに指導しました。この情勢を受け、私たちの業界も公共事業はどうなるのかといった話題を中心に、戦々恐々とした話題が続いています。やれ、CO2の25%削減は無理があるだ、ダムや道路の凍結で地方が疲弊するだ、民主党じゃあ不安だ、いや自民でもいかがなものか、様々mな声が聞こえてきます。
私たち防災に関わる分野では、主に国土交通省と農水省起源の公共事業を主体に行ってきました。地域住民の生命や財産を守るための(砂防や道路防災点検)公共事業は必要で、ムダではないというコンセンサスがあるから大丈夫だろうというのが楽観論、いやいや一律に減らされるだろうし、地域分権が進めば県外の業者はまず新規参入できないし予算もパイも少なかろうというのが悲観論でしょうか。
私たち建設コンサルタントの最大の弱点は、自力でマーケットを創出してこなかったことです。”建設”コンサルタントという言葉jはあっても、”防災”や”環境保全”コンサルタントは存在しない。自民党であろうと民主党であろうと、政治家に必要とされる産業ではなくて、地域住民に必要とされる産業でありたい。
公共事業であれば1物件あたり、1000万円単位の受注額ですが、個人の依頼だと最大20万円、いまのところ年に数件ですからひとりの年収を確保するには全然至っていません。民主党は、かなり極論的な公約を掲げていますが、その現実性をどうこういうより、いままでの考え方を変えろというメッセージと捉えるのがよいかと思います。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
私の好きな詩人(なくなりましが)茨木のり子さんがいます。以下の2編の詩の内容、みんなで感じ取る時代が来たのではないでしょうか。
倚りかからず 茨木のり子
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
自分の感受性くらい 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ