現場を見ずに(いや、診ずに)タイトルだけみてバッサバッサとやっているように見えます。
いちばん気になるのは、この平成も22年目に突入し、平成生まれの大卒も出ようかというこの時代になって、初めてこういう試みがなされていることです。
民間では月一、あるいは週一で工程会議でもやっていると思うのですが、国もそのように出来ないことはないでしょう。あと増やすべきこと、目指すべきものをはっきりしてほしいですね。
今回の現場でよく目にするのは、全面にコケが付着した数mの巨礫が集積している光景です。となりの渡良瀬川流域には、似たような堆積地形があって、地質学的な研究論文も発表されています。
私が学生時代兵庫県の山中でみた麓屑面と呼ばれる堆積地形と似ていると思います。
古峰ヶ原高原では、最終間氷期以前に基盤岩である花崗閃緑岩の深層風化によって、コアストーンやトアが形成された。その後、約5万年~1.4万年の間に、周氷河性のマスムーブメントによって細粒の斜面堆積物が形成され、角礫やコアストーンの一部が斜面上を移動した。この斜面不安定期の末期以降に、緩速度のマスムーブメントによって斜面上の谷沿いを岩塊が移動し、さらにトアからの岩塊の供給やマトリックスの洗い出しの影響も受けながら、岩塊堆積地形が形成された。
瀬戸真之(2004);地理学評論
今日11月24日は、チャールズ・ダーウィンの「種の起源」が出版された日だそうです。1859年ですから、今日でちょうど150年の節目に当たります。
このような古典的名著を紹介したサイトがあることに気がつきました。金沢工業大学が作成した以下のサイトです。
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世界を変えた書物-「工学の曙文庫」-
http://www.kanazawa-it.ac.jp/dawn/main.html
チャールズ・ダーウィンの「種の起源」
http://www.kanazawa-it.ac.jp/dawn/185901.html
初め医者を志し、エディンバラ大学で医学を学んでいたダーウィンは、麻酔なしの(麻酔はまだ発明されていませんでした)外科手術を経験してから医学が嫌になり、ケンブリッジ大学へ転学して、牧師になる勉強をしていました。ところが、ケンブリッジで彼は博物学に興味を持ち始め、その学習をすすめた植物学教授ヘンズロウと親交を結びました。イギリス軍艦ビーグル号が、南米及び太平洋の調査航海に出る為、研究員として動物学者を探していた時、海軍省にダーウィンを推薦してくれたのは、このヘンズロウです。ダーウィンはビーグル号に、ヘンズロウが「馬鹿げた本だ、中味を信用するな」といいつつくれたライエルの「地質学原理」を一冊携えて乗り込み、5年間の航海に出発しました。これは、科学史上、生物学史上最も重要な航海野ひとつとなったのです。
航海中、ダーウィンはある地域から他の地域へ移動するに従って、地域変化に応じて動物相や植物相が変化していくのを魅せられたように観察しました。そうして、艦がガラパゴス群島にやって来た時、14種類ものアトリ科の鳥、フィンチの変種が夫々の変種毎に群島のあちこちの特定地域に繁殖しているのを見て、ショックを受けました。この少しずつ違う鳥の種の個々が、独立に創造、あるいは発生したとは考え難い、本土エクアドルの原種のフィンチから、この14の変種は展開したと考える方が妥当であると思ったのです。また、その際に思い合わせれたのがライエルの考えでした。つまり、地球上の険しい山々や海など多様な地理学的自然も、地質学的には何十億年という長いタイム・スパンに於いて、非常にゆっくりと変化して来た結果としてあるという思想です。それならば、同様に生物の種の多様も長い時間をかけて少しずつ変化を続けて来た結果なのではないか、とダーウィンは考えたのです。
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砂防堰堤や床固工は確かに土砂をとめて安全を確保してくれます。しかしそれは一時的なもので、地質の営みから考えると、止められるという発想よりは、土砂は動くものとして譲歩し調和しながら、被害が出ない程度に付き合っていくという発想が必要なのです。技術者や防災担当者が、そのような発想を転換するための航海に出る必要があります。
私たちが「手帳」に書いたのは、「発見」である。毎日の経験のなかで、なにかの意味で、これはおもしろいとおもった現象を記述するのである。あるいは、自分の着想を記録するのである。それも、心覚えのために、短い単語やフレーズを書いておくというのではなく、ちゃんとした文章で書くのである。そのような豆論文を、毎日、いろいろな現象をとらえて、つぎつぎと書いてゆくのである。たまってみると、それは、私の日常生活における知的活動の記録というようなものになっていた。私はこの手帳に、自分で「発見の手帳」という名をつけていた。
「発見の手帳」には、なにごとも、徹底的に文章にして、書いてしまうのである。小さな発見、かすかなひらめきをも、逃がさないで、きちんと文字にしてしまおうというやりかたである。「発見の手帳」をたゆまずつけつづけたことは、観察を正確にし、思考を精密にするうえに、非常によい訓練法であったと、私は思っている。
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現在はポメラという機械があり、デジタル版「発見の手帳」というべきでしょうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091126-00000005-rbb-sci
踏査をするときは、上の画像の野帳を持ち歩きます。雨でも大丈夫。最近「調査票」や「カルテ」などの書式ものが多くなったので影が薄くなったのですが、知的生産には野帳にメモすることがいちばん。
そういえば、スケッチの定義としては、今岡さんの以下の定義がいちばんです。
現場から読み取れる無数で多様な情報源から、経験と直観力によってノイズ(調査目的に対して無用なデータ)を削ぎ落とし、抽出したシグナルのみを、非専門の人々にも「見える化」する。その作業が現場の技術者の脳内で瞬時になされる。
それこそがスケッチです。
改めて、かっこいい定義です。
平家伝説の残る山里で、ささやかなささやかなクリスマスツリーを見かけました。ポツンといかにもさびしげです。クリスマスといえば、高校時代をバブル絶頂期にすごした私は、山下達郎の名曲『クリスマスイブ』を思い出すわけです。特に出だしの
雨は夜更けすぎに雪へと変わるだろう
この自然の繊細さ、微妙さを過不足なく、そして詩には必要な軽さも備えていて、、
最近は”ゲリラ豪雨”などどいった、味も素っ気も科学的根拠もな言葉が跋扈していますが、このころのロマンから20年になります。