ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

ほんとうは怖いーアニメ「若おかみは小学生」

2018-10-05 06:50:28 | アニメ


アニメ、とタイトルに振っているのはこの感想がアニメに対してであって原作の児童文学のほうへではないからです、というのが前振りです。

この作品、児童文学を連続放送のTVアニメにしたものですね。この時点では私としてはそれほど気にもしていなかったのですが、劇場版アニメ映画となって公開されていてしかもかなりの出来栄えらしくツイッターで何人もの方々が「大感動だった」「こんなに素晴らしいと思わなかった」とツイートされているので、どうしてもタイトルとアニメ絵が目に入ってきます。
勿論それはそれで構わないのですが自分的にはどうしても「若おかみは小学生」というタイトルが目に入るたびに疑問と反感を抱いてしまうのですね。

つまり、このタイトルからしたらどうしたって内容は「旅館の若女将を小学生の女の子が担っている」という物語であるわけですよね。
しかもアニメですから当然ポスター的なものが付随されてくるのですが、元気いっぱいで可愛い女の子が満面の笑顔で若女将を頑張ってる、という雰囲気であることが見て取れます。
私としてはますます疑問と反感が大きくなっていって耐えきれないまでになりました。
疑問というのは「小学生がどうして若女将、という重責のある仕事をしなければならないのか。それは法的に許されるのか」「そのようなある意味児童虐待と思える環境に置かれて何故主人公は明るく笑っているのか」「そのような虐待が主題となっているアニメを見て単純に感動した、ということがあり得るのか」ということです。
ここから自分が考え出したのは「子供のごっこ遊びに過ぎない?」「ある朝おばあさんが目が覚めたら小学生の体になっていた、という展開だった」(それなら明るく笑えるかも)「自分の想像したアニメとは全然違うものである」という色々です。


自分の環境が映画館で映画を見ることができないものなのですが、何もわからないまま想像だけで文句を言うのも気が引けます。とりあえずネット検索で情報をかき集めてみました。まずはそれからですね。
一応ざっくりとしたあらすじとネットですぐに見られるTV版アニメを見てみました。
あらすじ的には初め自分が想像したそのままのようですね。もしかしたら自分の勘違い?のほうではなく当たり前に「小学生の女の子が旅館の若女将をリアルに仕事にする」というものでした。ごっこ遊びでもなく、本当はおばあさんでもありませんでした。


これはもともと児童文学で人気が出たものということです。
本来ならそこに問題を投げかけてもいいのですが、私としては児童文学のほうは目にする機会があったわけでもなく、アニメ映画として目に触れたことでの疑問なので今回はアニメ映画作品に焦点を持っていきたいと思います。

アニメというのがファンタジーを描いたものであることは確かです。またファンタジーであるべき、という願いもあります。
ただ、このファンタジーという技法がどのような形でどのような効果を表現するのか、ここに作品の持つ意味、というのが生まれてくるのだと思います。

例えば小学生が魔女である、というファンタジーならそれは大きな作為となります。それはそれでなぜ彼女が魔女でなければならないのか、という点に物語の意義が出てきます。ここで「小学生女子が魔女だとか嘘つきだ」などという感想を持つのはアニメなどフィクションを見る読む資格がない、ということになるでしょう。作品として意義があればいいのです。

ところが本作の「若女将」という位置は現実的でありますし、見るものは魔女を見る時より現実的な視点で見つめることになるでしょう。実在する若女将は大変な重責のある仕事です。小学生でありながら若女将として修業していく、という形態は現実として考えればかなりのハードワークであります。
主人公は両親と死別して旅館を経営する祖母のもとへ身を寄せる、という設定のようです。TVアニメでは同じように母親を亡くした少年がいつまでもぐずぐずと悲しみ拗ねているのを叱り父親の優しさを受け止めて明るく対応すべきだということで彼女の明るさ、強さ、前向きさを表現しています。
さて、どうでしょうか。
これらはある意味でのファンタジーであります。
小学生でありながら旅館の若女将である、というファンタジー、両親を亡くした直後ながら明るく元気に前向きでいられるファンタジー、これらを「けなげ、可愛い、勇気もらえる」として受け止め賞賛するか、「児童虐待、本当は辛いはずだ、感情がないように思える」としてしまうか、分かれ道なのでありましょう。

これが自分自身が小学生の女の子、だった時期に見たものならば「凄い!私も若女将に!」くらいの感動をしたかもしれません。だけども、50歳を超えた女である私には主人公があまりにも痛々しく気の毒で見ていられません。
何故、彼女の周囲の人々は児童である彼女を救ってあげないのでしょうか。
現在の法律そして倫理観としては小学生は義務教育を受け後はお手伝いをするくらいでたっぷり遊ばせてあげたい、と思うのが当然です。
若女将に将来なるのはいい。けど、それまでは教育と遊びで充分に成長していくべきではないでしょうか。
日本というところはただでさえブラック企業がはびこって一生働き詰め遊びの少ない社会なのに、その上、小学生から働かせる、しかもそのことを本人が明るく笑いながら望んでいる、とするアニメを作り公開し、それを見た人が感動するなんて、なんという惨たらしい社会なのかと絶望してしまいます。

アニメ映画のタイトルを目にして、ポスターに描かれるヒロインの一見けなげで明るさ満載の笑顔を見るたびに、私の心は悲しさでいっぱいになるのです。そこから疑問と反感が生まれたのでした。


この文章を読んで「アニメ映画を見てもいないのに判らないよ」と言われる方もいるでしょう。
が、むしろ物語で感動してしまった方には作品の底にある(というより表面にあるのですが)児童を働かせ、本人もそのことに疑問を持たない異常性、が見えなくなってしまったのではないかとも思えるのです。
ファンタジーは魔法です。
ものごとをよく見えさせもし、見えなくもします。
小学生が若おかみをしている、っていうアニメならではのファンタジー=作為を「夢がある」と思うのか、「恐ろしい日本の実態を鏡に映している」と思うのか、そこが分かれ目です。

もう一つ。
若い女性が性差別、仕事上の不満を並べ立てる昨今(私は当然と思いますが)この作品の女子小学生のように文句も言わず明るい笑顔で前向きに仕事をする姿に「こうあるべき女性の姿」を見出している男性が賛辞しているのではないか、とも思っています。
原作が女性じゃないか、というのはそうだったからこその選択とも思えるのですよ。



かつて「じゃりン子チエ」というマンガ・アニメがあってそれは素晴らしい作品だったと思います。
チエちゃんはちゃんと「うちは世界一不幸な少女や」と自覚していました。そう思って当然です。それでも生きていくために仕方ない労働だったのです。
文句も言わずむしろ明るい笑顔の可愛い女の子、として描かれる「若おかみは小学生」信奉者にチエちゃんを見ろ、と言いたいです。

更に言うと、これが萌え絵で描かれたロリコン向けアニメなら逆になにも言わなかったでしょう。ポルノに文句を言ってもしょうがないからです。
いかにも健全な明るい絵柄・物語だからこそ児童文学からのアニメだったからこそ恐ろしく思えるのです。



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