ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「少女革命ウテナ」30・31・32・33

2018-12-06 07:25:41 | アニメ


なんか一気に見てしまった上にそのまま続けてしまいそうになっていたのでいったんここで休止して書くことにしました。
元々なにかを暗示する描写・隠された謎・意味ありげなチラ見せ・前ぶれを思わせる不思議な符号が頻繁に出てくる作品ではありますが、この4話はそういった演出で綴れ織られているが如くです。これをTV放送で生に見ていた少女たちはクエスチョンマークだらけの部屋に座って観ていたのではないかと思われます。

「暗示」という言葉の類語を辞書引きしたら「黙示録」という言葉が出てきました。そういうことですか。

30話「裸足の少女」
遠い思い出の王子様からのキスを「夢見る」少女だったウテナが暁生という存在する男に恋をしていく「現実」
自分の知らない大人の世界へと誘う魅力的な年上の男性に少女は心惹かれていく。王子様に憧れるあまり王子様になろうとしてきたウテナの変化。
ここでもまだアンシーの言動は謎です。
バレエ、赤い靴を履くと死ぬまで踊り続けなければならない運命だと暗示する。でも少女はまだ裸足である。少年のように自由に駆けていた健康な足が傷つき包帯を巻いて痛々しい。その足をそっと抱く暁生。すべてが暗示。

31話「彼女の悲劇」32話「踊る彼女たちの恋」
七実の冬芽への愛の物語でした。
この作品の中で七実という少女は最も少女らしい感情をストレートに表現する役割を果たしています。
お兄様は自分だけのもの、他の女たちは皆蠅のようなものでしかない。自分だけが本当のお兄様を知っている。その愛はプラトニックなものであるからこそ美しい。肉体を媒介とする他の女たちの愛は醜い。

七実の愛の形はウテナの王子様への愛とも重なるし、樹璃の枝織への愛とも重なる。若葉の西園寺への思いもそうでした。少女期の愛は危うい均衡の中で成立している。そこに現実の性が覆いかぶさってしまえばたちまち均衡は失われ脆い少女期の愛は破戒されてしまう。

少女期の愛への憧れは大人から見れば他愛もなく愚かしくも思える。それを手折り、乱暴に扱い、からかうのは大人の男たちにとっては愉快な遊びでしかない。
怯えて震える少女たちのか弱い抵抗は男たちの性的衝動をかき立てるのだ。

少女の成長を描く物語は同時に性の目覚めの物語になることと同意義であり得ます。
もし少女の成長物語ですという小説を投稿して、性に関することが一つも書かれていなければ出版社は売り出してはくれないでしょう。
読者はそこに興味を持つからです。
書き手が女性であれば、しかもまだ少女である時期に書いたものであればより読者は彼女の性に関する記述を期待して読むでしょう。
あどけない少女が性に対してどんな風に開花していくかを知りたいからです。それが衝撃的であればあるほど取り上げられ反響を呼びます。レイプ・虐待という方向性であるほど興味は増します。

半面、本当に少女の性の目覚めを真実追求して描いた作品はそれほどないのだとも思っています。
多くの興味は男性から性を強奪される少女の苦悩や苦痛を知りたいという欲求へと向いているからです。純粋な少女を踏みにじりたい欲望が働くのです。
そういった苦痛もまた真実のひとつではありますが、それだけではないはずです。
少女であるはずの女性でもそれを描き切るのは難しいのです。それは女性であれば尚更自分自身の心情が歪められ誤魔化され抑圧されているかに気づくことが難しいからです。
自分自身を完全に客観して描くことは不可能でしょう。
かといって男性が女性の心情を完全に読み取ることも不可能でしょう。
なので少女の成長物語という人々の興味を最も引く題材は完成することなく繰り返し語られるしかないのです。

そしてこの「少女革命ウテナ」は(まだ私は全部見てないのですが)その数少ない少女の成長物語を真実見つめた作品のひとつだと確信しています。途中までであっても。
一応長い年月の間に色々な小説とか映画とかマンガとか読んで観てきたつもりですが、ここまで少女の成長を見つめた作品というのは希少なものだと思います。
それを男性の監督が演出しているというのも驚きですが、先に書いたように女性ではなかなか逆に描き難いのでもあるのでしょう。

本作ではその少女の苦痛苦悩を最も背負うことになったのが七実であります。通常ならばそういう役どころを見ていると怒り心頭してしまうものですが、七実が裕福で気の強い美少女であることでなんとかその恐怖と憎悪を抑え込むことができます。この辛い配役に七実という気位の高い少女を割り当てた作者に感謝するしかないですが、それでも七実がかわいそうでなりません。
七実の卵、の辛苦。この2つのエピソードの辛苦。嘲笑う男たち。蠅になりたくない、と泣く七実。落ちてしまった七実を抑え込もうとした3人娘をぼこぼこにした彼女には拍手を送りたいです。七実様つおい。
そう強くなければ生きていけない。少女たちに何度言われた言葉でしょうか。そうでなければ死ぬしかないのです。


33話「夜を走る王子」
独特の演出でこれまでの物語を編み込み、しかもその中にとんでもない物語の発展を織り交ぜ、その行動や言葉の端々に怒涛の如く暗示・暗喩の畳み込み。

上に書いた少女の成長物語=性の目覚めを本作は逃げることなく描いています。媒体が子供向けメジャーアニメTV番組であるから表現としては暗喩だらけですが、真剣に見ればそれと知れる。
(まあこういう場面だけはすぐ知れちゃったりするのですが)
 
総集編とはとても思えない大人の演出であり物語であります。この一作だけで一本の映画として作れそうにも思えます。
ハイウェイを走る演出はデヴィッド・リンチ監督の映画を思い起こさせます。リンチのイメージが重なることでより演出が謎めいてもきます。

夜を走る、というタイトルの響きも不気味さを暗示します。「夜奔」という言葉を思い出してしまいました。台湾の映画なのですが、美しい作品です。

暗示の中で読み取るとウテナは「読者が最も興味を持つ少女の破瓜」を猛スピードの中で経験してしまいました。
欲望にまみれた読者は満足しえたでしょうか?
卵が割れたことと瓜が破れることは同義でしょうか?あれも暗喩でしたでしょうか?

物語はまだ始まったばかりです。


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