ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「10月はたそがれの国」レイ・ブラッドベリ

2018-09-13 05:23:27 | 小説


「ウは宇宙船のウ」「火星年代記」「何かが道をやってくる」「華氏四五一度」ブラッドベリで読んだ本は数あれど一番繰り返し読んだ一冊と言うと「10月はたそがれの国」でありますね。
その中でも特に印象深いのが「集会」という一編です。



以下、内容に触れますので、ご注意を。



万聖節の宵祭(イヴ)に魔物や魔法使いの集会がある、というお話です。
皆がその準備に追われている時、主人公のティモシーは一人手持無沙汰で怯えています。彼は魔物一族の中の変わり者です。闇が怖く空を飛ぶことも魔法を使うこともできず臆病で体も心も繊細過ぎるという悩みをもっている14歳の少年なのです。
それに比べ妹のシシーは自分の魂を自由に飛ばし人の体を操る力を持つ優れた魔法使いなのでした。

集会のために毒キノコや毒蜘蛛、トリカブトをたくさん用意するというエピソードや黒ミサを行い逆祈祷を捧げるという言葉が楽し気に語られるのが面白い。ネズミに姿を変えている女性、けむくじゃらのおじさん。皆はそれぞれティモシーに同情したり馬鹿にしたり憐れんだりする。そして素晴らしく背の高い翼のあるエナー叔父さんはそんなティモシーに飛ぶ喜びをしばし与えてくれた。

世界中から集まる魔物一族の集会が軽やかに描写されていく中で、魔物の異端児であるティモシーの悲しさは切ないものです。
エナー叔父はティモシーに語りかけます。
「腹を立てるんじゃないよ。みんなそれぞれの生き方がある。この世はわれわれにとって死んでいる。いちばん少ない生き方をするものがいちばん豊富に生きることになるんだ。価値が少ないなんて考えるんじゃないよ、ティモシー」

少し端折りましたのでぜひ本で確かめてください。

またこのお話は萩尾望都氏が短編集「ウは宇宙船のウ」でマンガ化されてます。シシーがティモシーを操る場面などはブラッドベリを凌ぐ素晴らしさがあります。

ブラッドベリのお話は幻想的で甘いセンチメンタリズムであふれていますが、やはりそれは人々の心に残り刺激するものなのでしょうか。
多くの人々の映画や小説などに影響を与えています。

昔、野田秀樹脚本演出、萩尾望都原作「半神」を見たのですが、「半神」が原作なのにブラッドベリ「霧笛」のセリフがいちばんのツボになっているのがおかしかったものです。
これは絶対萩尾望都著「ウは宇宙船のウ」に収録されている「霧笛」からの引用なのでしょうけど、それってブラッドベリですしー、と心でつぶやいてました。
どこかでちゃんと記載されてはいたのでしょう、かね?
とにかくそのくらいブラッドベリのイメージの凄さは人の心を鷲掴みにするのだと思うのです。

「10月はたそがれの国」収録中、「アンクル・エナー」も楽しいです。「集会」のエナー叔父さん?空飛ぶお父さんのお話です。
「びっくり箱」萩尾氏は主人公を女の子に変更してマンガ化されてます。確かに女の子の方が良いようにも思えます。それにしても凄い発想です。これから触発されたアメリカの映画もありました。

「つぎの番」ほんとうになんでしょう、この奇妙感は、とつくづく思います。やはりあそこに入れられたわけですね。皮肉だなあ、とつくづく。




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