ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「少女革命ウテナ」いつか一緒に

2018-12-07 07:12:51 | アニメ


「少女革命ウテナ」見終わりましたあああ!
ちょっと感激でどうしようもないです。詳しく書く時間がないのですが、昂る気持ちを記したくて少しだけ書きます。

わかりみすぎる、という物語でありました。
少女期に見るよりも大人になればなるほど、このアニメ作品の意味が解るのではないのでしょうか。
 
それでもこの作品を少女期に見ることができた人は本当に幸福ですよ。
そして折々に見直すことでウテナの戦いの意味がアンシーの意味が深く判っていくのだと思います。

こんな難しい物語のラストをどう決着つけるのか、ほんとうに訝しく思ってました。今までだったら、といういつものフレーズがどうしてもつきます。
安易に描けるラストではないのです。

現実の事件に目を向けるととまさにウテナとアンシーの涙と戦いをまざまざと見せつけられます。革命はいつまでも終わりなく続けられるのでしょうか。いつかウテナとアンシーは一緒にお茶を飲めるのでしょうか。

東京医科学入試問題だとか、毎日の数えきれないほどの女性への性的虐待・暴行事件とかうんざりする世の中です。世の中にはアンシーが満ちていて、そのことも怒りを覚えます。自分自身に対しても。とてもウテナにはなれない。でもウテナでありたいです。

34話から最後までは中断することはできませんでした。なにか言葉を発することができなかったのです。
 
今の世界に存在する女性たちの多くはアンシーだと思います。特に女性たちの権限が極端にない国々では。アンシーがインド風のデザインになっているのはその表れだと思えますが、ここ日本もその中に入っているとしか思えません。
でもウテナのようになりたい。いや、そうでなければならない、と願う気持ちは多くの日本女性が持っているのではないでしょうか。
心を殺していつも微笑んでいるアンシーを見ていると悲しくもなるし怒りも覚えます。でもみんなアンシーなんです。
そして多くの日本男性がアンシーを求めていることに怒りもするし悲しくもなります。

ウテナのような女性は時々現れて世界と(日本社会)(そして女性が虐げられている国々)戦いますが、いなくなり忘れられます。時には笑われもします。なんだったんだ、あれはと。
何の力もない女が威勢よく現れて敗れいなくなった。女はそういうものだと。
アンシーたちも同じように笑い、ほんとうに女性ががんばたって何もなりはしないのにね、というのです。

ウテナの革命はどうなるのでしょう。
アンシーはどうなるのでしょう。

それは私たち全ての女性のことなのです。



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