ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

ETV特集「宮沢賢治 銀河への旅~慟哭(どうこく)の愛と祈り~」

2019-02-11 07:28:48 | ドキュメンタリー


宮沢賢治と友人・保阪嘉内に焦点を当てたドキュメンタリーです。

保坂嘉内との友情であり恋情でもあるような宮沢賢治の思いは「宮沢賢治の青春―“ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって (角川文庫)」菅原 千恵子著で読んではいたのですが、ドキュメンタリー映像となって観ることができるとは思いもよらない幸せでした。

ドキュメンタリー内容も過度な演出ではない、でも賢治への尊敬と思い入れが感じられるようでとても素晴らしいものでありました。

「友情」という言葉とその意味が今よりも深く激しいものだった時代の二人の関係です。宮沢賢治と保阪嘉内の関係はそういう深い友情だったのだとしてもそれはそれでもいいのだと思います。
このドキュメンタリーを見ていても賢治自身保阪嘉内の精神性に強く惹かれたのであろうと感じられます。
「トルストイのように自分の財産をすべて人々に分け与え百姓をしたいのだ」という若き保阪嘉内の心の美しさを見た宮沢賢治はどんなに感激したのでしょうか。


その思いはそのまま賢治の小説「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラに重ね合わされます。
自己犠牲を厭わず身を投げたカムパネルラとどこまでも一緒に歩いていこうねと願ったジョバンニ。若き頃、岩手山で共に星空を見上げた賢治と嘉内の時間はそのまま賢治の心に写し取られたのでしょう。


その後、嘉内は彼が書いた文章が不敬罪だとして学校から退学を命じられてしまいます。その後、賢治は嘉内に手紙を70通以上書いています。
が、時は経ち、嘉内と賢治は別々の道を歩むことになってしまいます。
しかし嘉内は亡くなった時、賢治の手紙をまとめ傍に置いていたそうです。

だけども嘉内は言葉通り百姓をし、子供にも恵まれ後進の指導に熱心だったということがなにか肯けるようにも思えます。彼は賢治が思った通りに美しい人だったのでしょう。

賢治は37歳の若さで亡くなりますが、嘉内も41歳で病死されています。

wikを見て目が留まった記述があります。
「1992年に発見された小惑星14447は、hosakakanaiと命名された(発見者は渡辺和郎と円舘金)。これは嘉内が残したハレー彗星のスケッチが天文学上の貴重な資料と認められたことに由来する」


賢治の嘉内への思いは賢治が恋愛について考えた最良のものだったのです。

賢治が嘉内と再会するエピソードは狂おしい気がします。
切り離されてしまった親友に再び会うことができたこの機会を最後に二人は会うこともなくなり文通も途絶えてしまうのです。

カムパネルラが散ってしまったのはこの時だったのですね。

それでも賢治は自身も百姓になることを試みます。
でも賢治の体はその労働に耐えきれませんでした。

賢治は思いを小説に写し取りました。
ジョバンニとカムパネルラに。
チュンセ童子とポウセ童子に。

ドキュメンタリーの最後
「春と修羅」の朗読と共に映像が胸に迫ります。

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