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アンデルセンの童話は、誰もが知っている有名なものがいくつもありますが、「ナイチンゲール」もかなり有名なものではないでしょうか。少なくとも生きている本物と機械で作られた偽物を比較する、というお話の元祖、ではないかもしれませんが、その一つではあるでしょう。
私も多くの人がそうであるように幼い頃に子供向けに簡略化された「ナイチンゲール」を読んだのが最初でした。
「中国の皇帝は大変豪奢な暮らしをしているのですが、その中でもナイチンゲール(夜泣き鶯)の美しい声をとても愛でていました。
ところがある日、贈り物が届けられました。それはナイチンゲールそっくりに宝石で飾られた機械仕掛けの鳥だったのです。本物のナイチンゲールは疲れると歌えませんが、機械仕掛けのナイチンゲールはねじを巻けばいつまでも歌うことができます。
本物はそれを見ていなくなってしまいました。
数年後皇帝は死の床についてしまいました。ナイチンゲールの歌声を聞きたくてもねじを巻かないと歌えません。そこへ本物のナイチンゲールが戻ってきて皇帝のそばで美しい鳴き声を聞かせました。
皇帝は喜びで死の床から起き上がったのです。
という内容です。
本物には愛情があるよ、といっていいですかね。
ところで後にこのお話の詳しいバージョン(多分原作そのままの訳・子供向けでないやつ)を読んで驚いたことがあります。
この「機械仕掛けのナイチンゲール」が「日本の皇帝」から贈られたもの、というお話だったからです。
たぶんこのお話が書かれたのは1850年くらいだと思われるので、日本は鎖国をやめ海外との交流も多くなっていたと思いますが、「機械仕掛けのナイチンゲール」を贈る国が日本だとは。
アンデルセンは日本を「本物そっくりに歌うおもちゃ」を作る国として認識していたのか、中国の隣だから日本にしちゃえ、程度だったのか。
それにしても絶大な権力と富を持つ中国に機械仕掛けを贈ってご機嫌取りをする日本、って、意味ありげな構図だわ、と思ったものでした。
やはり凄い作家って、ほんとうに凄い洞察力もしくは直観力があるのでしょう。
しかしどういうわけか日本の子供向け改訳では日本の皇帝から贈られた、という部分がなくなってることが多いような気がします。自国の名前が出てくるのに、不思議ですね。
やはりご機嫌取りをしてる、的描写が嫌だったのですかね(笑)別にそう書いてはいないと思うのですが。
ところでところで、
この記事を書くためにアンデルセンの検索などしていましたら、アンデルセン氏は両性愛者だった、という記述がありました。
ふむう。
アンデルセンの物語はちょっと異常なほどの悲しさがあります。
私は今までそれを特に考えていなかったのですが(実はアンデルセンにそれほど興味がなかったので)そう知るとすべての物語の謎が解けていきます。
人魚姫、の物語は実は「女になった男」の話だったのですね。女になるためにペニスを切って激しい痛みに耐えていたのですね。
それでも本物の女性に王子様を取られてしまい、自らは死ぬしかなかった。
ディズニーはこの物語をハッピーエンドにした、とのことですが、当然ですね。
今はそんなことで死ぬ必要はありません。
男のまま、好きだと言って結ばれて良いのです。
「マッチ売りの少女」もかなわぬ夢を見て死ぬしかないかな両性愛の男の物語であり、「すずの兵隊」もどこかが欠けている悲しい男の物語、なのですね。
「醜いアヒルの子」も同じように解釈出来てしまいます。
「雪の女王」では山賊の娘がゲルダに恋心を抱いているように思えていましたが、その通りだったのですね。
むろん、その当時ですら、すべての同性愛者・両性愛者がアンデルセンと同じ感情をもっていたとは限りませんが、やはりその切なさが共感できるところはあったのではないでしょうか。
でもそれは物語の中だけに留めてしまいましょう。
私はディズニー映画の前向きに話を変えていく精神に共感します。
それにしても、です。様々な歴史的記述で「どうしてこういう?」という疑問を感じるときはやはりなにかの理由があるのですね。
どうして隠されたのか、ということにも目を向けねばなりませんね。
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