ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「再出発の町 少年と町の人たちの8か月」「輪るピングドラム」のあとで

2018-12-17 06:30:32 | ドキュメンタリー
BS1スペシャル「再出発の町 少年と町の人たちの8か月」

ほぼ想像通りの内容でした。と言うと申し訳ないですが、親からの虐待を受けていた子供が非行し少年院に入った後、更生しようと頑張るドキュメンタリーはどうしてもこういう形になってしまうんですよね。人々の愛情に触れたらたちまち良い子になってしまいました、というのでは嘘になってしまうし、少しも愛情に感謝しない、という形では空しいので少し可能性がある子供に焦点をあてて優しいご婦人との触れ合いで更生しようと誓うけど再犯してしまい更に再び更生を誓う、という脚本になってしまうのだと思うのです。それが制作者の願いでもあるわけで。


後半「輪るピングドラム」のネタバレもあります。ご注意を。



気になるのは主人公の子にピアスを勧めていただけでなく態度が悪いことで少年院に送り返された少年です。顔出しはないのですが、作業の説明をしていた人に反抗したということでした。その子は「自分には自分の考えがある。それを押さえつけられたくない。自分を曲げたくないんだ」ということを話していて、そういった「自分を曲げる」ことへの屈辱感をそれは屈辱じゃないんだよ、といった教え方が一番難しいんだなと思います。
「教える」なんて言う言葉を使えばまたそれが屈辱になるのだろうし。
その子はその子なりの人生から色々なことを学んで自分を作り上げてきたわけでそれをまた否定されるのは苦痛なのだと思うのです。
そういった考え方は生まれた時から少しずつ学んでいくこと、そして人生をかけて学んでいくことなので、まだ少年のうちにそういったしこりが取れてしまえばいいのだろうけど、年を取ればとるほど難しくなっていく。とは言っても人生において遅すぎる、ということはないのだとも思います。
なにかの拍子にぱらっと変わってしまえることもあるはずです。
でもそうした「なにかの拍子」が難しい。
それはなにかとんでもない人に出会ったとか、出来事にぶつかったとか、凄いエネルギーを与えられなくてはならない気がします。

でもそういう奇跡のような出会いが訪れるかどうかはまた判らない。

でもそういう出会いを一番待ち望んでいるのは本人ではないのかとも思うのです。

「自分をこんなにしたのは人のせいだと思ってるのではないか」という質問に「自分がこんなになったのは自分のせいであって、人のせいだとか思っていない」と優し気な話し方だった主人公がやや語気を荒げて答えていた。その話し方が切なく思えたのですよね。

昨日まで「輪るピングドラム」見ていて感じたことと重なるドキュメンタリーでした。
「お前が生まれたせいで」「お前なんか生まれなかったらよかった」と母親に言われ泣きながら「ごめんなさい、生まれてしまってごめんなさい」と謝ったという少年。
「選ばれなかった子供」という言葉を思い出す。
体に残る虐待の傷跡。そして見えない心の傷跡。
物語はピングドラムを割って少年に渡してくれたけど、現実にはピングドラムを分け与えてくれる人はいるんだろうか。
子供ブロイラーに送られ透明になってしまう子供たち。
「何者にもなれないお前たち」
「生存戦略しましょうか」と叫んでくれる少女は現れるんでしょうか?

北海道の田舎町。心優しい住民たち。透明になってしまいそうな子供たちを懸命に励まし続けてくれる。
少年たちも頑張って自分を取り戻そうとするけど、その姿のなんという危うさ。

可能性は僅かで心細いけど、あちこちに転がっている。
それをつかむのは本人でしかない。

勉強して大学に行って自分と同じような境遇の子供たちを助けたい。
製作者の願いの言葉だと思う。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿