goo blog サービス終了のお知らせ 

ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

仕事に求めるもの

2005年02月24日 | 就職・フリーター・ニート
今週はR&Dフォーラムで3泊4日の出張で横須賀に来ています。
立ち仕事でヘロヘロですが、展示会が終われば帰れるので、今日は7時30分からのNHKを見られました。

今日は、就職戦線に変化があるという
番組(クローズアップ現代)をやっていました。
番組の内容は
2月24日(木)放送予定
就職戦線・異変あり
~学生と企業の攻防~

業績の回復と団塊世代の大量退職を控え、大学生の就職戦線が久しぶりに活気づいている。4月の解禁(日本経団連の倫理憲章)を前に、すでに企業は優秀な学生を獲得しようとしのぎを削っている。コンサルタントの力を借りて何とか学生の心をつかもうという企業もある。
一方で近年問題となっているのが、就職したのに数年で辞めてしまう「早期離職者」の存在だ。厚生労働省の調べでは大卒者の36%が3年たつ前に辞めてしまう。会社を辞める理由として最も多いのが「仕事を通じて成長している実感が持てない」というものだ。そんな若手社員の「成長志向」に応え、結果的に優秀な学生の採用に結びつけようと、新しい取り組みを始める企業も現れた。
潮目が変わった今年の就職戦線を追う中で、企業と若年雇用者との新しい関係を検証する。
(NO.2042)

という内容でした。

見ていた思ったのは、いつも就職で思うことですが、
 まずは、コア人材は確かに奪い合いで熾烈な採用競争が繰り広げられるけど、逆に、コアというのは、少数であるからこそコアなのであり、ほとんどの人は、その獲得競争のターゲットにならないんだよなってことです。
 そして、そうした現実の下では
「自分を成長させられる仕事」「やりたい仕事」「かっこいい仕事」を求めても、それを手に入れられるのは、ほんの数%の優秀な人だということです。

 だから、もし、そうした仕事でしか人が幸せになれないなら、圧倒的多数の人は幸せになれないということになるでしょう。
 でも、もし、一日の仕事を終えて、赤提灯で飲むビールを楽しんだり、一生懸命や丁寧にしている仕事にささやかな誇りをもてるならそれは、小確幸(小さくて確かな幸せ)があるのではないかと思います。

 戦後民主主義で育って、インターネット就職時代や転職斡旋ビジネス全盛時代に煽られているわれわれは、成長欲求や自分を自己実現するための仕事ということにこだわりすぎていると思います。
 以前、営業支店にいたときに不平不満ばかりを感じていました。でも、休みをとってアジアに旅立って、路上で新聞を一生懸命売っている少年や、学校教育もたいして受けていないのに、小さな辞書で一生懸命外国語を勉強している人をみると、自分がそういう人たちほど誠実に一生懸命生きているかと反省します。不満をのべるあまり、自分がある恵まれていることを見ようとしてないことに気がつきました。

 万事、あまり多くを求めすぎず、足るを知るほうが人は穏やかで幸せな人生を送れるように思います。
そして思いがけない幸運に恵まれたときに、それを素直に感謝する。われわれ日本の神を信じるものは、それを神恩感謝と呼ぶのだと思います。

それはきっと仕事にもあてはまるのではないでしょうか?
ほとんどはつらく大変なものであっても、一生懸命やっていれば、思いがけない幸運や喜びに出会うこともあります。

向上心をもつことはすばらしいですが、マスメディアに乗って、あなたの欲望を刺激しようとする連中の言葉は話半分以下ぐらいで聞いておくのが良いではないでしょうか?
人の欲望をたきつけても、それを得られない人を不幸にしているのですから。
別に何も成し遂げなくても、無理に個性的でなくても、平凡でも、それでも人生はそれなりに楽しい。
そういうメッセージをおくる人は多くないように思います。(だって、人の欲望をたきつけないと、儲からないですからね。)

希望格差社会 1

2005年02月08日 | 就職・フリーター・ニート
最近更新をまったくしていませんでした。
見に来てくださった方々申し訳ございませんでした。

一応、ネタとしてはITのエンジニア育成とか、クルド人難民強制送還とか、書きたいことはたくさんあったのですが、今日は三週間ほど前に読んだ希望格差社会のレビューと感想です。

最近のニートやフリーター、そして晩婚化などの理由付けを分析していて、それには、普通に暮らしていけばよりよい未来が来るという希望の喪失と、夢という言い訳の下で問題を先送りして、不良債権化する若者や独身者について語っています。

分析自身には納得するのですが、結局のところ、現状では具体的出口がない問題を扱っているだけに最後のまとめは少々物足りないです。

また、希望格差を低学歴層などだけではなく、社会のあらゆる階層で起きているといっている点は、最近のメディアの扇動とは異なって、一定の評価ができる点です。
たとえば、最高の学歴である博士課程(後期)には、年間1万人の人が進学していますが、博士をとった人のポストは多く見積もっても年間3000人しかありません。
そうやってポスドクといわれる、職に就けない博士が毎年7000人量産されていき、その人たちには希望もなく、実際に40歳フリーター博士などが存在すると書いています。

また、この本の着眼点で、すごく納得できたのは、問題先送り戦略でした。
主に引用を用いたメモ
現代の日本は、「ゆとり教育」とか「受験競争悪者論」や「競争自身が良くない」という形で、苦労を否定し、友人や先生に気に入られるといった空しい苦労だけをさせる傾向が強まっていると筆者は考えている。そのために、子供は苦労に対する免疫をつけることなく成長してしまう傾向がある。また、親も子供を甘やかして育てている。
 そのような苦労の免疫のない若者が社会に出て少々の困難があったときに、苦労に耐えられなかったり、苦労を避けようとする傾向が出てくる。仕事に就いても、いやだと感じたり、自分の好きな仕事でないとという理由で、突然仕事をやめたりする。就職活動で「いやな思い」をしただけで、就職活動をやめてしまったりもする。
 そのように学校と親に甘やかされた世界と、現実の実社会のギャップが広がっており、そのギャップに耐えられない人は社会に出ることを先延ばしにする。
 理想の相手が見つかるまで結婚しないという人や、理想的な職につけるまでアルバイトをしていたほうがましだという意識が、フリーターや独身者を増加させている。
 しかし、彼らは理想的な結婚相手や仕事に向かって結びつく状況にはなく、その断絶に「夢」が入り込む。夢は現実を忘れるためにあり、その実現のために努力している人は少ない。
「理想的な結婚相手」「理想的な仕事」が見つかれば、現在の希望がない状況はチャラになる。だから、その日が来るまで、現状を放置して楽しいことをして待っているというのが彼らの戦略だ。だがそれはいつかは破綻する。


その結果として、「やりがいのあって、素晴らしい仕事」を求めるべきで、やりがいもたいしてなく、ただ、給料を貰う仕事につくことは、批判されるような傾向すらあります。
そうした扇動を行うインターネット就職屋やリクルート、転職斡旋業者などが人々を不安にしたあとに、その不安に付け込み夢を売る専門学校や資格取得スクール、留学斡旋屋などが跋扈するようになります。

でも、新卒で就職できない人が、留学したらもっと就職できなくなったりするわけですし、先日の日経にもあったように、ワーホリ帰りの人たちでは、行く前よりも正社員率も下がっていれば、月給も月に3万円も下がっていて、僕の半分以下しかもらっていません。

でも、そんなワーホリを素敵な経験として、夢を売る人たちは、人々に容赦なくマーケティングをかけてきますし、そうして、生涯年収が減る人たちが量産されていくわけです。

こうした夢を追う状況は日本独特のようで、他の先進諸国のように若者がいきなりホームレスになるような国ではもっともっと悲惨なようです。

親のすねをかじって、夢を妄想できているうちは幸せですが、きっとその人も、この国も将来は暗澹としたものだと思います。

書評 働くということ (是非、若い学生さんには読んで欲しい本です)

2005年01月25日 | 就職・フリーター・ニート
日経新聞に連載されていた「働くということ」のシリーズを加筆修正して本にした働くということという本を読みました。
これは新聞で連載時にスクラップにして集めていたほど好きな連載だったのですが、改めてまとめて読むと、本当に素晴らしい仕上がりだと思います。


CNET Japan Blogの梅田望夫・英語で読むITトレンドに本書の書評もありますが、ここでは、
そんな中、毎日欠かさず読んだ記事の一つが、2003年4月から04年9月まで断続的に続いた同紙一面連載「働くということ」だった。なぜ毎日読んだか。それは、採算度外視で取材に法外なコストをかけた、恐ろしく単価の高い記事であることが容易にうかがえたからだ。
とおっしゃっていますが、まったく同感です。

ひょっとしたら大学のケーススタディ用のショートケースぐらい作れそうなほどのヒアリングをしているんだろうなと思いながら、それが2,3ページに凝縮されています。

生マグロの一番美味しいトロだけを選び抜いたような密度濃い仕上がりになっています。

様々な人々の仕事と働くことが描かれています。

裁判長をやめた居酒屋店主
年配社員と若者の架け橋になる人
技術をどうやって後世に残すか挑戦する人
43歳のフリーター
島の唯一人のSE
背広姿のホームレス
94歳現役添乗員
アナリストから年収8割減の再生機構へ
タクシーの運転席で勉強し続けて司法試験合格

本当に様々な人々の生き様が描かれています。
この本は、何かわかりやすい答えを訴えてはいません。
「輝ける仕事をする就職」とか、
「キャリアアップの転職」とか、
「君の夢は何だ?!」
などというもう聞き飽きた軽薄なフレーズもでてきません。

人々が自分の人生を苦悩したり希望を持ったり、挑戦したり、絶望したり
そんな等身大の姿が描かれています。

僕は、読みながら
「フリーターがつまらない仕事しかしてないなんて嘘っぱちジャン?」と思い、
「仕事の満足感は金じゃないと思う人たちがちゃんといるんだ」と、まだこの国は大丈夫かもと思い、
そして、「答えは自分が苦労し、代償を払って見つけていくしかないんだ」
という当たり前の事実を再確認しました。

良書です。働くことの意味を考える時に、ぜひ読まれることをお勧めいたします。

今日は大学のベンチャービジネス論で起業家のところへヒアリングへ行ってきました。
フリールという会社です。

とても素敵な社長でした。
医師でありながら、日本の医療を患者がより良い医療を受けられるようにと起業をしたそうです。
もし起業以外で医療を変えられるなら企業をしなかったかもしれない。
とおっしゃっていました。
ちなみに、本業の医師ではしっかり稼がれていますが、社長業は無給だそうです。
この方からも働くということの意味を少し学んだ気がします。

今日もまた、素晴らしい社会起業家をまた見てしまいました。
僕もいつか、世の中の仕組みを変える起業家になれるのだろうか?精進せねば。
(ということで、これからこれから大学の授業の希望格差社会のレジュメを書きます。)

専門知識とコミュニケーションスキルの習得難度

2004年12月23日 | 就職・フリーター・ニート
birdさんのblogで自分のコメントにbirdさんが
「ところで、情報工学の基礎知識の習得と、コミュニケーション能力の習得ってどっちが、難しいですかね。」
と書かれていたので、ちょっと考察してみました。

情報工学など何かの専門性の基礎知識とコミュニケーション能力なら、僕はだんぜん後者の方が難しいと思います。

なにしろ、情報工学の基礎知識程度であれば、テキストを読んでも習得できますが、コミュニケーション能力って、生きてきた人生の重みが効いていたり、そもそも天性に近い才能があったりと、訓練方法が確立していないように思います。

また、コミュニケーション能力は
・定義があいまいで、かつ、
・測定困難で
・しかも社会人生活には必須のスキルなので、

就職活動中になんのとりえもない人が最後にすがるのが、
「俺はコミュニケーション能力が売りだ!!」
などと言えてしまうような、薄っぺらさもありますが、実際はかなり奥深いと思います。

住宅販売や宝石販売はかなり販売員の力量が問われる、ある意味でコミュニケーション能力だけで食っているような仕事ですが、売れる人と売れない人の差は10倍以上ありそうです。
で、下の人はやっぱり上位の人のように売れるようにはならないようですね。

口下手な人が何度か会ううちに信頼されていくということもありますし、サークルや飲み会を盛り上げたり、知り合いが多いというのとはかなり方向性が違う能力もコミュニケーション能力だと思います。
そして、実際に重要なのは、信頼され、相手を信頼し尊重できる、というパートナーシップを作り上げる能力であり、前記したサークル系の能力では決してないと思います。
なにしろ、話は楽しいけど、いい加減そうなやつ、なんてのに仕事を頼む馬鹿はいませんからね。

そして何よりも大事な、人から信頼される能力って、その人の心や哲学がものをいうので、習得が困難なのだと思います。
(それを超えられる人は詐欺師になれるのですが。)

だから、採用時には出自学科や簡単な資格取得などよりも人間性を重視するのだと思います。
頭の回転の速さや論理力、美的センスなどの感性や人生哲学や美意識、行動力や遂行する体力といった人としての基本性能は若いうちに結構固まってしまう気がしますが、専門スキルや知識などはあとからいくらでも習得も教育も可能なので、採用試験では前者の人としての性能を見るのだと思います。
たとえばですが、先日まで知的財産関連の研修を受けていましたが、採用後に理系が知的財産という法学的な領域の仕事についてもちゃんとやっていけているようで、これなどはオプションとしての知識と経験をつませれば、一定以上の人材ならちゃんとこなしていくという好例だと思います。
(弁理士使っても、駄目な人は話の要点を得なかったり、文章が不明瞭だったりと、やっぱりぜんぜん駄目なんですよね・・・・ 知識とは別の能力が差を生んでいるように思います。)

車のフレームは買ったら(採用したら)ずっと使わないといけないと、オプション類や装備は好きにあとから変更できるといった感じだと思います。

だから、若いうちは本を読むべきだし、旅に出るべきだし、恋をすべきだし、自らの生きるべき道を悩むべきなのだと思います。
そうすれば道は開けるでしょうし、専門学校などで単純に知識を詰め込んでも道は見えてこないだろうと思います。

うそと真実と記事と

2004年12月17日 | 就職・フリーター・ニート
インターネット就職というよくわからない時代になってしまって、Facd To Faceのコミュニケーションで自分の進路を考えていくということがぐっと減ったように見えます。

ところで、アエラの記事で
就職戦線「慶応圧勝」の理由 企業の慶応好き、早稲田いや
というのがあって、慶応はべたぼめで早稲田は採用担当で不人気という記事でした。
個人的には早稲田が就職ダメというのは同意なのですが、この記事でいっている慶応の三田会をはじめとした縦横のつながりの強さというのは、やはりすごいなと感じています。

インターネット時代でインターネットを研究している我々でも、やっぱりリアルな人同士の接触が大事なのであって、やっぱり慶応(SFC)略 スーパーファミコン(ウソ)のつながりは凄いと思います。

就職活動でも、MLに登録したり、掲示板で情報を集めたりして、就職活動だと思っている人と、OBやトモダチにどんどん連絡をとって、行動していく人では大きな差があると思います。

本当に重要な話は、活字やネットに流れてこないと思います。
自分の会社の採用ページを見てみても、研究所の採用はあまり違和感がなくても、事業サイドのページを見ると「ウソではないのだろうが、とても真実を表しているとは思えない」という感じでした。

たとえるなら、昼間混んでいる社員食堂の麺コーナーを
「行列のできるラーメン屋」
と書くような感じですかね。

たとえ、真実でもそれは同期社員の数%の人しか携わらないような、とても恵まれた例だったりするわけです。

情報過多といわれる時代ですが、表面をひっかいたような話を集めても、全体像は見えてきません。
就職活動中の方々はぜひとも、いろいろな人に会って話を聞いて欲しいと思いますし、そういう行動こそが社会に出る一歩目だと思います。

平等教育

2004年12月17日 | 就職・フリーター・ニート
ひさしぶりの更新になります。

ちょっとネタが古いのですが、 英皇太子、平等教育は「空想」 メモ暴露で教育相が批判の記事です。

チャールズ皇太子のメモで
「自分の能力を省みず、だれもがポップスター、判事、テレビリポーター、国家元首にさえなることができると思っている」と指摘。こうした発想は、現在の「学校での教育文化に起因する」と結論づけたという。

とのメモで物議をかもし出していたそうです。
非公式なメモがどの程度問題視されるかは別として、この発言はある意味での真実を示していると思います。

自らの能力といっても、私がいくら努力をしても、映画スターにはなれないと思いますし、陸上選手にもなれないでしょう。
たぶん、ポップスターも無理です。

誰もがどんなものにでもなれる可能性があることを僕は否定しません。
しかし、努力さえすれば何かになれるというのは、実は人を苦しめるのではないかと思います。

ミュージシャンになれないのは、希望の会社に入れないのは、昇進しないのは
みんな自分の努力が足りないからですか?

僕は何かを成すには、努力は必要だけど、それは一部でしかないと思います。
運も人の助けも、才能も必要でしょう。

「夢を追いかけるのは自由だけど、夢をかなえられる人は多くないよ。
でも、夢がかなわなくてもあなたの人生はそんなにつまらないものでもないと思う」
そういうバランス感覚が必要ではないかと思います。

おおよそ、社会の厳しさを知らない教員が語る夢への実現ほど空虚なものはないと思います。
現実の社会で一角の人材になることの困難さを知っていれば、努力さえすれば夢はかなう
なんてあまいことはいわないでしょう。

そして、アメリカ黒人に「アメリカ人は誰でも大統領になれる可能性があるんだよ。」
というのが残酷な台詞であるように、建前で甘いことをいう人々を僕は信じません。

夢を持って今日も明日も努力するということと、努力すれば夢はかなう
ということはすごく大きな開きがあるということを、何かを成し遂げた人々は知っていると思います。

民主党亡国論 フリーター亡国論として

2004年10月07日 | 就職・フリーター・ニート
いろいろなことを単純な二項対立にするのは良くないと思うのだけど、
フリーター問題の一翼は、高齢者の雇用問題のように思います。

企業としてはすでに長期間勤めてきた高齢者を解雇するわけにもいかず、
また、レイオフすると大企業では労働組合や民主党が黙っていません。

フリーター亡国論の中で言っているように、フリーターを大量に生むような社会に未来は無い。
と私も思います。

大企業では労働組合なども強く、そこを出身母体にする民主党議員などもいます。
そういう解雇をしないで済む程度に利益が出ている企業にいる社員は強く権利を守られ、
これから企業に入りたいような若者にはその機会がない。
というのはやはり世代間の既得権益の差であると言わざるえないでしょう。

賃金に見合う努力も才能も足りない人の雇用を維持するために、若者を採用するのを抑制することが正しいとはとても思えません。
やはり高齢者も若年者も同じ労働市場で競う方が公正な社会だと思います。
また若者に訓練の機会がないことは、この国の将来を非常に危うくします。
もちろん採用するに値するレベルまでに達さなかった本人や教育機関の責任もあるわけですが、
レベルに達しない人でも組合が守ってくれるような大人と比べると、不憫に思います。

連合・民主党的な公正さというのは高齢者を解雇しない社会であり、能力のある若者が能力のない中高年と置き換わることを許さない社会であり、亡国の一翼を担っているよなって思います。

自民党なんかも亡国ですし、あまり未来に確定した希望を持てない世の中です。

なぜ就職やフリーター問題に興味が?

2004年10月04日 | 就職・フリーター・ニート
最近、書籍やニュースでも就職活動やフリーター、ニートの問題が話題になっています。
僕も含めて、大人が感じていることは
「このままではこの国はヤバイのではないだろうか?」
ということだと思います。

若い人が、自分を鍛えて成長していく、こういう当たり前のサイクルがまわらなくなったら、
日本という国の経済や社会基盤だけではなくて、モラルや価値観、道徳も失われていくでしょう。
もちろん、国際競争力も低下していくでしょうから、今のようにアルバイトのような賃金が高くない人をしている人でも海外旅行ができる、などということはない未来が10年先には来ているかもしれません。
(円が弱くなっていくでしょうから)

そして、やはり若者というのは世情を如実に反映する人々なので、今の社会の変動の深層構造は何なのだろう?と問いを発したときに、若い人たちの就職やニートを選択するという人生の選択の仕方の変化が、深層構造を映し出す鏡の役割をしているように思います。

そんな感じで、このカテゴリーも書いていく予定です。
コメントなどいただけると凄く嬉しいです。

絶対内定 就職に理想や夢は必要か?

2004年10月03日 | 就職・フリーター・ニート
就職活動をする上で、
「夢を実現するんだ。」「自分探し」「理想の自分」などなど、オンリーワンであることを
勧める論調が多いように思います。

しかし、僕はそうした論調こそがニートやフリーター就職できない学生を増やしているように思います。
実際に理想的な仕事を見つけて、さらにそれを自分の仕事にできる人はそんなに多くありません。
たぶん全体の1割もいないでしょう。

にもかかわらず、みんながそうあるべきだと声高に叫んだら、多くの人は自らが凡人であるという現実の重さに絶えられないでしょうし、そんなの無理!!ってそうそうに退散してしまう人もいるでしょう。

学生の人にはふと社会をみて考えてほしい。
働いている人たちは夢や理想のために働いているのか?と。
たぶん、そんな人は少数ですよね。

自分の仕事にささやかな誇りを感じたり、日々の中に喜びや感動もあるかもしれない。
でも、それはやっぱり夢や理想ではなくて、ささやかな幸せと呼ばれるものです

職場の先輩が「世の中って技術的と政治的と、芸術的な三要素でできていて、自分たちの仕事は技術と政治的だけど、芸術的要素が少なくてこれでいいのかなぁ・・」って悩んでいました。
理想が高すぎるんですよね。
僕「ラオスに行きましょう。メコン眺めていれば解決しますよ」
先輩「そんなことはどうでも良くなるの?」
僕「いえ、人の人生はもっとシンプルでも十分に幸せで美しいということを思い出します。
僕たちの社会はあまりに複雑だけど、本来もっと単純な社会の中に人の幸福は満ちているんだってわかるから、そんな難しいこと考えなくてもよくなります。」

と話をしてました。
できる仕事を一生懸命する。それで儲かったら、「うれしい、今日は1ドルも儲かった」
っていうラオスには厳しさもたくさんありますが、やはり美しい世界だと思います。
(ラオスを旅した旅行者は、口をそろえてラオスは素晴らしいといいます。)

日本には「足るを知る」という美徳があります。
僕も
「人生って、旨い飯と酒、いい芸術とそれらを一緒に楽しむ仲間や家族がいれば十分に幸せだ」
って昔から思っています。
そういうささやかだけど、十分に幸せって人生には別に夢や理想はあってもなくてもいいものなんですよね。
なんでみんなそんなに人生を複雑にしたいんだろう?と思います。

powered by FOMA & Lets note

インターネット時代の就職活動考察1

2004年09月27日 | 就職・フリーター・ニート
blogを読んでいると、もう三年生の人が就職のための交流会に出たりしているらしい。
僕なんて、年が明けるまでは何もしなかったのと比べるとやっぱり早いなって思います。

人生について今のうちから、ゆっくり考える時間があることは良いことだ と思います。

しかし、インターネット就職の前とあとでは随分と就職活動も変わったように思います。
そしてそれは悪い方に変わっているなって思います。

手で書いたエントリーシートの頃は送れる枚数もたかがしれているし、手書きですから、熟慮せざるえないのに、インターネットでポン♪では、カットアンドペーストの表面的な体裁にこだわったものになりがちになりがちです。
読む側からすると、薄いし、面白くない、そして何も伝わってこない。

インターネット就職は何よりも人間関係においてダメな気がします。
ライトなんですよね。

インターネット時代の就職活動を見ていたときに思ったのは、
自己分析やら、交流会やら、エントリーやら、
手段であるはずのことが目的化しちゃう人が結構います。
(もちろんそこにすらたどり着けない人もたくさんいます)

インターネット時代になると、いろんなことがスマートにできちゃうからついついスマートにしてしまいがちだけど、自分の頃は
「先輩、○○なんかいくんすか?」というような話を身近な友人たちとしていたのに、最近は交流会などで、スマートに名刺交換から入るような人と、表面を引っかくような話をして、就職準備をしているように錯覚してしまうこともあるように思います。
そういう情報交換の場は大事かもしれないけど、やっぱり自分のことをよく知っていて、
「お前なんかじゃそんな仕事できねぇよ。」
「うるせぇ。俺は絶対にやってみせる!!」
というような古い時代のドラマのような仲間や親友という人と
ひざをつきあわせる話の中で、
自分を良く知っている人の前で、自分の夢を語ったり、友人し叱られたり激励されたりして、自分の人生観や就職観が熟されていくんじゃないかなって思います。

最近はそういう、泥臭い人間臭さが減っていったなって思います。

そうした結果の一つが、大人になれないで就職活動をしてしまったために内定率低下、という世界じゃないかなって思います。