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ふうてんの猫の猫耳東風的フリチベ生活

働きながら和製MBAと工学博士取得をしていた自称苦学生バックパッカーの日記。
今は学位もとって大阪で技術戦略考えてます

去年の派遣村を信じて募金した僕がバカでした

2010年01月11日 | 格差社会を考える
官製の年越し派遣村で、就業のための活動費として2万円を支給したら、3分の1が現金握り締めて行方不明になってしまったという事件があったのですが、
こんなことをしでかした黒幕は、反貧困な連中だったそうです。

以下、毎日と朝日の記事を読んでください。

毎日

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100107k0000e040032000c.html
市民団体「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会(ワンストップの会)」
6日には約600人の入所者に「2週間分のハローワークなどへの交通費や昼食代」として
2万円が支給された。都は当初「1日1000円」を支給する方針だったが、「細切れの支給は入所者に不便」という同会の意見を取り入れた。


朝日

http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY201001070240.html
昨冬の派遣村の実行委員らでつくる「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」は「現金を持ち慣れていない人が多いだけに、一括ではなく2~3日分ずつ渡すなどの配慮が必要だった」と指摘する。




両方の記事が本当だとすると、自分たちが全額一括支給しろと公務員につめよっておいて、大脱走したら行政のせいにしてしまうという、本当に人間のクズの連中が、反貧困とかいっているのだと思った。

私たちに配慮がなかった
とはいえないのかね。

そして、ホームレスの人たちは、様々な苦難を抱えていて、アル中になっている人も多いらしく、実際にホームレス支援している人たちは、現金を渡すとお酒にしてためにならないと考えているという話も散見されるなか、そういう炊き出しやホームレス支援の人たちの常識もない反貧困ネットワークっていうのは、ひょっとして、支援団体じゃなくて、共産党や社会党の残党の票田でしかないってこと?
反貧困ネットワークには、ホームレス支援団体も入っていたと思うのだが、いったいぜんたいどうなっているのかと。





http://rocketnews24.com/?p=22327

そして、ネット記事だと、派遣村の住民をつけていったら、血税からいただいたお金でそのままパチンコ屋に入っていって、出てきて指摘されると、「受け取ったお金をどう使おうと俺の勝手だろう、この先返そうが返すまいが!」と反論されたようです。



この件では、そもそも、政権交代は、派遣村によって中道右派政党(自民党政府)が十分な貧困救済をしていないという、幻想を作らせることに中道左派(民主党)や極左(日共一味)が成功したこともひとつの要因でしょう。

そして、実際に政権をとった民主党がやったことは、ホームレスを集めてパチンコ代や酒代を渡して行く不明にしたことと、残った人に仕事も提供できていないということです。

なにか政権交代して、去年よりいいことありましたか?

はっきりいって、2万円を持って逃亡した人たちはクズです。
しかし、そういう何かしら社会性に問題を抱えているからこそホームレスになっているのであって、社会性を身につけて、集団生活ができるようにしていかないと社会復帰できないわけです。
ブサヨがいう、「家がないから就職できない」なんていう人ばかりではないわけで、まったく信用に足らない人たちがいるということを、今回の事件は国民に広く示してくれました

社会的排除の解消というのは、そういう人たちがちゃんと社会に復帰できるように様々なケアやカウンセリングやボランティアの介入が必要なのであって、家や金を与えれば済むというブサヨ的な階級闘争的な話ではないのです。

そして、何よりも注意しなければいけないのは、200人が逃亡したとしても、残った人の方が多いということです。
逃げた200人は、懸命に這い上がろうとする仲間の評判すら落ちることも気にできないような人たちですが、懸命に這い上がろうとしている人たちへの支援を打ち切る理由とならないように、まじめに就職活動をしている人たちには継続的なサポートが続けられるようにと思います。

社会の公正さを守るには、勧善懲悪が必要ですからね。


そして、おそらく、今回逃亡した人たちは、2万円の返金要求などを思うと、次の支援には足を運びにくいだろうと思います。
今回2万円の一括要求を飲ませてご満悦の反貧困ネットワークの連中は、社会的なサポートへのアクセスを遠ざけた責任をどう考えているのかと思います。

結局、ホームレスへの信頼を失墜し、逃亡した人たちが社会保障へアクセスしにくい心情をつくり、彼らは何をしたかったのだろう?

公務員にえらそうに、権利を主張したかっただけ?
そして、そんな連中に僕はわざわざ去年募金をしに出向いたというわけですね。
まだまだ修行がたりないね、おいら。

小泉内閣で貧困率は低下している(by 民主党内閣の作った資料)

2009年11月08日 | 格差社会を考える
平成21年10月の資料です。

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/10/dl/h1020-3a-01.pdf

民主党が貧困率を政府から出すといっていたので資料が出てきたわけですが、
OECD基準の計算だと2000年から2003年を比較すると貧困率も子供の貧困率もともに下がっているんですよね。

いったい、どういう無知な学者や活動家が小泉改革で貧困が増えたといっていたのか、この政府統計を使って説明してもらいたいものである。

やっぱり、日本共産党は、ソビエトの核は共産主義を広げる正義の力だ 的ないい逃げですか、今回も。
民主党一派は、自分たちが出した政府統計をどのように説明するつもりなんだろう。
労働分配率が下がるから格差が広がるんだといい続けてきたサヨクたちは、今年が統計上最高の労働分配率になっていることについては、華麗にスルーだし、

あいつら、インテリとして、「知りながら害をなさない」というプロ意識は美意識は存在しないのか?
都合が悪いデータはすべて黙殺ですかね?


最近、29歳の働くきみへというコラムにアホが書き込みをしていて
http://www.j-cast.com/kaisha/2009/10/29052585.html?ly=cm&p=1

「ネオリベや財政再建原理主義者にとっては消費税ほど魅力的な税はないんだろうけどな。」

という、もう、自分で何を言っているのかわからなくなっているような人がいたので
「一部に無知な人がネオリベなどといっているようですが、ネオリベなら年金制は廃止を訴えるでしょうね。消費税による社会保障は社会民主主義の発想です。」

と書いておいたのですが、小泉内閣の弊害とか、新自由主義というのを持論を展開するのに、便利に使いすぎている人も世の中にはいます。

小泉内閣については、格差是正の論点からも失業者を派遣労働者にランクアップさせたというのが功の面。
これは、景気回復局面で有効に機能します。
一方で、非正規労働を増やしたのですから、失業保険などを厚くするべきでした
しかし、これは極悪労組(民主党支持基盤)などが、失業者が減って支出が減った低下した分を、労働者に還元しろ!! といって、雇用保険料を下げるなどの原資にしてしまって、失業保険を非正規雇用などへ広げるよりも、労組マンがウハウハするような要求をしたせいで、おかしな方向へいってしまいました。
本当は好景気の時にこそ、非正規労働者のための積み立てや制度改革をすべきだったのですが、そんなことを主張する連中は共産党にも自民党にもいなかったように思いますね。
派遣禁止という方法で、派遣労働者を失業者にしようという主張をする共産党がいたぐらいです。
今の世界不況で「派遣社員はあくまで一時的な雇用であり、長期を前提とするなら正社員にしろ、派遣を継続して雇うことは許さない!!」 と去年主張していた日本共産党の野望は達成されたように思います。
いわゆる、クーリングオフをして雇い続けてはいけない!! と国会でやっていたのは日本共産党一味で、その主張どおりになったわけです。

結論としては、
日本の社会保障費は数年で消費税1%分の増加をしているのですから、社会保障を維持するために消費税を上げようといっていた自民党は社会民主主義政党であって新自由主義政党なわけないと思うのですが。。。。

ただ疲労と絶望の瞳

2009年09月27日 | 格差社会を考える
さっき、人事面談用の資料を書き終えて、アイリッシュパブに飲みに行きました

お店は本当に広くて、ステージから、プールバーまであって、それでも外で立ち飲みしているほどの繁盛店。

ただ、ギネスの生だったのですが、あまりおいしくないのはなぜ?

ただ、一人で外国人というのは、別に居心地も良くないので、帰ってきたのですが、
途中でやはり物乞いのおばあさんがいたのですが、

ただ宙を見て、絶望と疲労しか感じない顔をみて、
通り過ぎたのですが、小銭を持って戻って、紙コップにお金を入れました。
キャリーの荷物を持っていたので、きっとホームレスだと思います。

僕は、人はあれほどの悲しみの顔をするのだ と本当に久しぶりに、自分の心が揺さぶられるような、悲哀の顔を見ました。

見ると、夜の11時半なのにまだ5円ぐらいしか入っていません。
ひょっとしたら人目を忍んで、もらったお金を隠しているのかもしれませんが、僕なら、ある程度大き目のコインを入れておくので(募金する額をあげさせるため)、本当にお金を誰も入れていないのだと思います。

小さなパンが買えるかどうかの小銭ですが、おばあさんは、やっぱり昨夜のおばあさん同様に、小さな幸福に喜んでくれたようで、僕の理解できない言葉で一生懸命に、にこやかに話しかけてきます。
ただ、英語でもドイツ語でもない言語で、理解できません。

アッサラームといったら通じがようにも、通じていないようにも。。。

ヨーロッパの社会保障制度などについて、学部程度の知識があれば、いかにヨーロッパという国々が、現在も、途上国の安い労働力を使い捨てにしているかを知っていると思いますが、あれほどの憐れみを漂わせているおばあさんに、誰も施しをしないことを見るに、(それは僕が何度か施しをこの国でして、みんな一様に少なく、数十円でありえないような喜びの顔をするのをみると確かだと思う)、異教徒や異国民への憐れみを持たない国民性が作り上げた社会制度なのだろうなぁと
ホテルに帰りながら思いました。

ブッダはおっしゃった

いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強豪なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ  
「スッタニパータ 蛇の章」


を思いながら歩いていました。

以前、僕がラオスにいたときに、カナダ人の女性のエンジニアと食事を一緒にしていたときに、物乞いの人が来て、僕が施しをしたのを見て、
「どうしてお金を渡すのか?」
と聞かれて
「僕はブッディストだから」
と答えたら納得していた、彼女同士で、同僚のイスラム教徒が多くの募金をしているとか、そんな話をしていました。

ひょっとしたら、キリスト教というのは、他者への救済に、自分が積極的にかかわることに乏しいのかもしれません。

いま、フランクフルト

2009年09月26日 | 格差社会を考える
フランクフルトにいます

結局、ANAのキャンセル待ちがオッケイにならなかったから、フランクフルトで二泊足止めです。
ビジネスクラスの往復で定価110万円でも、キャンセル待ちからの預かりという、満席ぶりで、キャンセル待ちがオッケイになるわけもなく・・・・・


今日は、ヨーロッパ産のスピーカーが個人輸入だと安いということなので、電気屋を見に行ったのですが、B&WのCM1は売っていなかった。

JBLはあったけど、いずれにしてもあまり種類もなかったし、僕が欲しいような価格のものよりも安いものしかなかった。

まぁ、欧州だと5万円ぐらいのスピーカーでも高級品の入り口扱いだとも聞いたことがあるから、そうだとするとその倍だと、ぷらっといって見つかるものではないのかもしれない。

まぁ、そんなわけで、明日は電気屋めぐり(違)


仕方ないので、ホテルで明日から二日間お仕事です。
今日はコンサートに行ってきたけど、あんまり上手じゃなかった。


昨日はプラハのスメタナホールでスメタナ聞いてきた。

スメタナって有名なのは、「我が祖国」の「モルダウよぉ・・」ですが、モルダウ川はみたじょ。

もし、スメタナが現代日本にいたら、ブサヨたちに、このネトウヨスメタナ氏ねとか言われるのは必須だなぁとか思いながら、スメタナ聞いてた。

もひとつ、ブサヨのことを思ったのは、この街はこじきの人が多いです。
ようは、具体的に、コップを差し出して施されるのを待っている人たちです。
車椅子に乗った人、老婆、若者、いろんな人が、紙コップを両手でもったり、床に置いたりして座っています。

やはり、岩田正美氏がおっしゃるように、日本はヨーロッパの格差拡大の5年ぐらい後ろを追いかけていて、一見、手厚いように見えるのは、問題が深刻化しすぎたからだ というのが、正しいように思います。

自称格差是正論者は、すぐにヨーロッパはすばらしいのに、日本は駄目だ
とかいうけど、たぶん、彼らのいうヨーロッパは僕が今いるところとは別の惑星にあるのでしょう。

僕は子連れや、老婆の人に弱いので、手持ちの小銭をばっと入れたら、おばあさん、少し驚いた顔をして、すごく何度もお礼をいっていた。

これが、ブサヨのいうところの社会保障の充実した国 とかいうことかと思うと、本当にバカだから、サヨクになるんだよなぁと思う。

彼らは、いちど、本当にヨーロッパに来て、ホームレスの人や、乞食の人がいないのか、自分で確認すればいいと思います。

まぁ、さすがに、フランクフルトは楽しいこともあまりなさそうなので、悔いなく仕事ができます。

まずは、これから、洗濯して、バーでビール飲んで、お灸を乗せて、寝ます。

上場企業の労働分配率過去最高 と おバカの反貧困ネットワーク

2009年09月15日 | 格差社会を考える
http://bizplus.nikkei.co.jp/genre/top/index.cfm?i=2009090910563b1

上場企業の労働分配率、過去最高の55% 08年度

 上場企業の2008年度の労働分配率が55.1%と、過去25年間で最高になったことが日本経済新聞社の集計で分かった。業績悪化で企業の付加価値額が大幅に減少したことが主因で、今後は人員削減や賃金抑制が進む可能性がある。

 集計対象は新興市場と金融を除く全国上場企業で単独決算ベース。08年度の付加価値額は前年度比20.3%減と、統計がさかのぼれる1984年度以降で最大の減少幅となった。合理化で人件費・労務費も2.7%減ったが、それを上回るペースで付加価値額が減少し、労働分配率は10.0ポイント上昇した。


[9月10日/日本経済新聞 朝刊]


このように、不況時においても、日本の企業は正社員の雇用をしっかりと守ります
そのため、このような未曾有の不景気では、労働分配率が上昇することになります。
不景気に労働分配率が世界でもトップクラスの上昇を見せるのは、バブル経済破綻後も同様で、よくあれで倒産しないものだと、海外からはいわれていました

私は、そうした正規雇用を守るという日本的経営というものを積極的に支持したいと思います

一方で、自称格差是正論者の方々は、企業の労働分配率が低下しているといって、企業を攻撃していましたが、その論拠は完全の崩壊したといえるでしょう。

たとえば、反貧困ネットワークは
http://www.labornetjp.org/news/2009/0831seimei
 「経済成長さえすれば、人々の暮らしは楽になる」――この約束は、90年代からの「雇用なき景気回復」、低下し続ける労働分配率、高騰し続ける社会保険料等々によって、事実として果たされなかった。もはや、経済成長率と暮らしの安心度数は独立した変数である。もう誰も、経済成長が十分条件であるかのような幻想には騙されない。」


と主張していますが、逆に、彼らには、 
「25年間で最高の労働分配率になった今年は、幻想が晴れたのか?」
と聞き返したい

確かに、好景気のときに、もっと分配をする余地がある企業もあったのだとは思う。
しかし、今年、さらに労働分配率をあげさせるような余地が存在するのか?
はたして、最低賃金をあげる、解雇要件を厳しくする というような余地があるのか?

労働分配率に関して言えば、人件費が固定費である想定をすれば、好景気の時には利益が大きくなる一方で人件費は固定(実際にはボーナスが多めに支給される程度はある)なので、分配率が下がる。
逆に不景気の際には、利益が下がっているけど人件費は一定なので、分配率が上がる。
これは当たり前の話なのです。
また、サヨクの人たちは、
「労働分配率が低いのに、株主配当が高すぎる」
とわめいていましたが、今年は株主配当がゼロ(赤字企業は配当しない)上に、労働分配率が過去最高ということですから、きっと、反貧困ネットワークは「労働者の勝利!!」といって祝杯をあげているのでしょう。  

というとそんなことはないはずです。
労働問題を、株主配当と戦わせているなんてのは、彼らの19世紀の妄想家にして、人類史上最大の殺人犯マルクスの妄言をただなぞって、企業による搾取なんてものをいまだに信じている稀少人類なのでしょう。

僕は、昔の反貧困ネットワークはもう少し賢かった気がする。
湯浅氏はこんな古臭くて、しかも、労働分配率が上がっていることが自明のタイミングでこんな駄文を出すような人ではないと思っていた。

もちろん、もやいにしても、青年ユニオンにしてもミクロな観点で、生活保護が必要な人やホームレスの支援や、労働問題の駆け込み寺という機能は重要なのだけど、そういう善意あるミクロな活動をしているからといって、マクロな視点が論理的で知的であるこということの証左にはならないってことの証明だなぁと思いました。

まぁ、チベット支援にしたって、チベット支援をしている人のマクロな視点が正しいとはいえないわけで、まぁ、善意がある人が正しいロジックでものを考えるわけではないというのは、同じことでしょうね。

それで、労働分配率が過去最高の今年においても、労働者が大変であるという今日現在では、
企業が今の水準で労働者の雇用を維持してくれることを期待する一方で、
これ以上の錘を背負わせようとする、いっけん労働者よりに見える主張は、雇用を破壊するだけではないでしょうか?

現実に、この労働分配率の高さは雇用の過剰からきているわけですから、今年に新規に雇用される人は少ないだろうと思われます。
そうした中でさらに、人を雇いにくくしようとする民主党のマニフェストは、ワーキングプアーを、ノーワークプアー(無職)にするだけではないでしょうか?

その人たちの生活を生活保護で見ようという覚悟が世論として形成されているとも思えません。

もはや企業をたたけばよいというような、19世紀のイデオロギッシュな主張ではなくて、国民同士の助け合いが必要なのではないかと思います。


いま、お風呂で、「フリーター漂流」を読み直していたのですが、あとがきで
「フリーターを減らす試みは国や自治体の手によって進められている。しかし、「若者をどう働かせるか」に力点が置かれている限り、大きな効果は期待できない。むしろ大切なのは私たち「大人」の覚悟だ。経済大国として享受している豊かさを取り崩してまで、若者たちを育てる場所を社会のなかにつくらなければ、根本的な問題の解決にはつながらない。」(p.203-204)
と書いています。これを僕は強く支持します。

おそらく、民主党は支持母体の連合や在日などの既得権益者に寄り添っていますし、
日本共産党などは、教師や公務員に寄り添い、かつ、ホームレス支援を前衛政党がルンペンプロレタリアートの救済などできるか と幹部がいっているわけですから、論外ですし、
2006年に出版された「フリーター漂流」で言っている、大人の覚悟を見せていたのは、麻生内閣だと私は思います。

ですが、それもいまや手遅れ。

本当に派遣切りは犯罪の理由になっているのか?

2009年08月19日 | 格差社会を考える
派遣契約打ち切られひったくり
http://mainichi.jp/select/jiken/archive/news/2009/08/18/20090818dde041040032000c.html

女性から手提げ袋をひったくったとして、警視庁捜査3課は18日、住所不定、無職、池畠一徳容疑者(52)を窃盗容疑で逮捕したと発表した。「派遣契約を打ち切られ、100件ぐらいやった。食うためには仕方なかった」と供述しているという。同課は、今年3月以降、東京都内や神奈川県内で約120件(被害総額約700万円)のひったくりを繰り返したとみて追及する。

 逮捕容疑は、今月5日午前11時35分ごろ、神奈川県相模原市上鶴間本町2の路上を歩いていた近くの無職女性(58)に後方から原付きバイクで近づき、現金約5万9000円入りの手提げ袋をひったくったとしている。

 同課によると、池畠容疑者は95年から神奈川県や千葉県の製缶工場で派遣社員として勤務していたが、不況の影響で今年2月に契約を打ち切られたと話しているという。【古関俊樹】


派遣を更新してもらえなかった人が、「食うために仕方なかった」として引ったくりを続けていたわけですね。

今月が8月でしょ?
ってことは、3月から5ヶ月間で約700万円の現金収入が必要だったということですね。
ずいぶんと、豪遊しないといけない「食うためにはしかたなかった」ですね。

ところで、ふとこの記事で思い出したのですが、秋葉原で自動車派遣の人による大量殺人事件がありました。

あのときに、派遣切りにあうような人が増えれば同様の犯罪が増える
っていっていました

僕はあれは個人的な資質の問題で、派遣社員は犯罪予備軍であるかのような主張は、彼ら自身の名誉を汚しているし、そもそも人は雇用が不安定であるということで人を大量に殺したりはしないだろう。
そうだとしたら、いまごろマルクス主義国家なんぞに人は残ってないぞ
と説明していたわけです。

そしたら、例によって、サヨクに罵倒されたりしましたが、
世界恐慌になってから、、あっちこっちで、人が大量殺人されているという事実は知らないのですが、やっぱりサヨク脳の妄想だったということでファイナルアンサーですよね。

派遣だったから大変
といえば許されると思ったら大間違いだし、そしたら、人口の数割は犯罪予備軍かと。
なんか、きっとそうやって偉そうに派遣だと犯罪するぞ と派遣社員の名誉を汚しながら、格差是正論を展開する人は、教員だったり、公務員だったりするんだろうなぁと妄想してみる今日この頃。

別に派遣で雇用が不安定だから大量殺人するぞぉぉぉ 
とか脅かさないで、

人が誠心誠意働いても来月の家計が成立するかわからないような社会が、私たちの望むものなのか?

って言えばいいんだと思う。バカがレトリックを使うから秋葉原事件が再発しないで恥をかく。

僕が感じる生きにくさについて考える

2009年08月16日 | 格差社会を考える
生きにくい世の中について考える。

僕自身は時々
「あぁ、死にたいなぁ」
とか
「あぁ、人生やり直したい」
と口に出るので、僕自身がやっぱり生きにくいのだと思う。

自分の人生の選択でも、大きくは、大学院に残って理論物理学に進まなかったことをたまに悔いることがあるし、
そもそも高校の時に、妥協して工学部に行ったのであって、医師になろうと高校2年生のころは思っていたりしました。
当時、激しい頭痛と嘔吐に悩まされて、すごく病弱だった僕に、「人の病気を治す前に自分の病気を治せ」 と恩師にいわれてそのとおりだなぁと思って、ハードな医学部にしなかった。
京都大学に行きたかったけど僕の学力で受かるかはかなり怪しかったし、やっぱり体が弱くてバイトをしながら下宿できるような体調ではなかったので、実家から10分で行ける大学にした。

そんな僕はやっぱり病弱で、4年生のときにいよいよ入院するほど具合が悪くなって、大学院試験も願書を出さず。
それで、卒業できるのに卒業しないという学科の半世紀近い歴史で初めての学生として教授会の審議になったりした。
当時、養生している最中に親は外国(東南アジア)旅行にでも行けといったのですが、病み上がりで英語もできない小市民のおいらは無意味に時間をすごしてしまいました。

いま思うと、本当に無駄なことをしたなぁと激しく後悔しています
僕のバックパッカーデビューは社会人になってからという遅咲きなので、これが最大の後悔ですね。


修士を出て就職の時には、教授に残るように言われたし、クラスメイトたちも含めて当然大学に残るものだと思っていて驚かれたが、高学歴ワーキングプアーになりたくなかったので、進学をするのをやめた。(ただし、結果論として世界的な権威で日本物理学界の巨頭である、恩師のもとで博士をとって助手のポストにつけなかった人は一人もいない。先生は非常に温厚で腰が低いけど、学問に厳しい方なので、自分のゼミでは雇わない。)

働くとなって、シンクタンクやコンサルティング会社という、頭を使って稼ぐ会社というのに憧れたが、まだ病弱さが残っていたので、日本的企業にした。
ただ就職は氷河期まっさかりだったけど、あっさり決まった。(二週間ぐらい)
母親は、あぁ、これで学者などにはならずに、平凡な人生を送るんだなぁと少し悲しくて涙ぐんだと、数年たってから聞かされた。

ということで、僕の場合大学受験にしろ、就職にしろ、とにかく、目の前にあった選択のうち、よりリスクの低いほうを選んで、低きに低きに流れ続けてきて今にいたるわけです。

そして、今もドラクエ9したりしてのんべんくらりと生きているので、なんか、もっと別の人生があったんじゃないかと、自分の平凡さに本当に嫌気が差すことが多々ある。

結婚についても、今は結婚したいなぁと思うわけですが、結婚するべきタイミングにしなかったなぁという思いはあったりします。
もちろん最有力候補だった在日韓国人の恋人と結婚していたら、今の人生は少し違っていたような気もしますね。

そしてうぶだったおいらは、据え膳を食いそびれたことがいったい何度あったかと思うと、非モテ街道まっしぐらの今になっておもうと、あぁ、バカバカバカわしの馬鹿 と思うわけで、結果として、

しょっちゅう
「あぁ、人生やりなおしたいなぁ」
と口に出して思うわけです。


たぶん、成功者として、テレビ俳優をやっていても歌手をやっていても、自分は舞台俳優の道があったのではないかとか、アイドルじゃなくて大御所といわれるような方向を目指す道もあったのではないかとか
きっと、成功した人は成功した人なりに、そうでない人はそうでない人なりに、自分の人生についていろいろと悩むのだろうなぁと思います。
それこそ、クスリに逃げたくなるぐらいに悩むのかもしれない

ということで、生きにくいというのは、選択の可能性の海でおぼれているということと、機会損失の連続をしていることによるのではないかと思います。

ここからは学術的な色を混ぜつつの話ですが、「勝者の代償」でB.ライシュが展開した論議は基本的に、勝者がすべてを取る というルールのニューエコノミーのルールの中での機会損失によって、人々が労働に駆り立てられる ということでした。
すなわち、トップのエコノミストが受け取る給与と三位のエコノミストが受け取る給与の差が非常に大きく、それ以外の人たちのエコノミストが受け取る給与がさらに低いように、ひとつ、ふたつと順位を上げることで得られる利得がすごく大きいため、それをしない機会の損失が大きいため、常に上位を目指す競争をし続けることになる。

これはたとえばアップルのiPodのデザイナーになることと、三位以下のメーカのデザイナーになることでの給与の違いでもあるでしょうし、平凡な農家と、商品力でアピールできた有機農法の農家の違いでもあるでしょう。

スポーツ選手でいえば、同僚が帰ったあとで、さらに練習をする ということも同義かもしれません。

ようは、成功する機会があるときに、それを放棄することによる潜在的経済的損失を気にしなければいけないということです。
これはキャリアがある女性が結婚、出産、育児をするときに社会学で援用される議論で、結婚、出産をしなければ得られたであろう、職位や給与という「機会」を損失するので独身者が増えるという議論です。
そして、その機会損失に見合う男性と結婚しなければいけなくなるということで、高収入同士で結婚せざるえなくなる。


たとえば大企業で働いていても、ベンチャー企業を起こしてキャピタルゲインでウハウハする機会というのは、存在しているわけで、それをしないということを馬鹿にした時代もあったわけです。(僕はITバブルの頃、起業しないなんて臆病だと馬鹿にされた)

自動車産業での非正規についても、自称格差是正論者はむちゃくちゃいっていましたが、世界経済が破綻してできた話は
「一生懸命やっていた先輩たちが正社員になっていくのをみて、次は自分だと思い、実際にそう聞かされていたのに、あれはなかったことにしてくれ」といわれた
というような話であって、自動車製造現場でも、一生懸命に頑張って声をかけてもらって正社員になっていく、という機会があったわけです。

このように、日本ではどのような階層(not 階級)の人にもすべからく何かしらの機会と選択があり、その中では常に自分は正しい選択をしたのか?と自問し続けなければならない。
そして明日は正しい選択をするのか? 正しい選択ができるのか? と悩まなければならない。

国民年金は払ったほうが良いのか、貯金して運用した方がいいのか?
きっと高度成長期の人は悩まなかったことを、各自が悩まないといけない。

未婚でいいのか、結婚した方がいいのか と悩まなければならない。


かつて多くの中間層が同じ人生を歩んでいて、あまり悩まずにレールを進めた人たちは感じなかった選択をし続けなければならない、その結果に責任を持つことを求められる社会が生きにくさと呼ばれるものではないかと思います。


あぁ、生きにくいです。

湯浅氏の貧困を椅子取りゲームに例えるレトリックに反論する

2009年07月29日 | 格差社会を考える
湯浅氏は立派な活動家だと思う。
しかし、ことに貧困を訴える話ではよくレトリックを使う
たとえば、社会保障費は毎年、防衛費の数分の一という規模で増えているのに、2000億円削減している とかいうペテンを使う

そういうレトリックは活動家には心地よいのかもしれないけど、社会の抱えている問題を、ありのままに見ようとする人たちには弊害だと思う。

たとえば、湯浅氏の貧困を椅子取りゲームに例えるレトリック


以下引用


音楽が止まった瞬間、十人が八つのいすに座ろうとする。しかし、結果として必ず二人は座れない。このとき人々が何に注目するかだという。

 「座れなかった二人に注目するか、それともいすの数に注目するか」

 二人に注目すれば、座れなかった原因はいろいろと思い当たる。音楽をちゃんと聴いていなかった、太りすぎていて動きがにぶかった、朝食を食べてこなかった、などである。

 「本人の問題を探そうとすれば必ずなにか出てくる。完璧な人はいないわけで、だから自己責任論というものは必ずしも間違いとは言えない。無駄遣いをしたことや怠けたことはだれにもあるはず」

 たとえいすの数が一つになってもこの考え方は通用しうる。座れなかった九人にはなにか問題があったのだろう、努力が足りなかったのだろうと。

 しかし、本人に自己責任を問い続けるとどういうことになるか。「本人はうまくいかなかったのは自分のせいだと思っているから、自己責任だよといわれるとそれ以上なにも言えなくなり黙ってしまう。なぜうまくいかなかったのかの問いと答えを、本人の中に閉じ込めることになる。一種のいじめだ」」


この例えはレトリックであり、事実とは違うウソであると思う。

少なくとも、関東大卒フリーターに関して言えば、この椅子取りゲームは
「○○イベント、先着1000名。 朝7時より整理券配布」というようなルールが示されている運によらない公正な椅子取りゲームである
ようは、そうした座席の争奪戦が、ちゃんと早朝に起きて並ぶという努力をすれば、自動的に勝てるような椅子取りゲームであるように、
大卒同士で競う就職活動というのは、大卒として相応の能力とコミュニケーション能力を高めれば勝利できるという意味で、先着準のために努力して朝起きるということにすぎない

ただ、そこには、学生中や卒業後にバックパッカーで世界を放浪してみたり、ニートをしてみたり、フリーターをしてみたり といった、
「整理券の配布って朝7時からっしょ? 10時ぐらいまでにいけば整理券もらえるかなって思ったっすけど、なんか世の中あまくないみたっすね。」
ってな感じで、たまたま他人より努力しなかった人が、椅子からあふれているだけで、私たちは社会で、いわゆる椅子取りゲームのような運に頼るようなゲームをしているわけではない。

また、さらにこの椅子取りゲームのたとえでいえば、立っている人は、椅子が汚いとか、小さいといって座らなかったら、ゲームに参加していなかった、リュウガクセイ という人たちや ケンシュウセイ という人たちが、 その椅子に座るようになった。
実社会では、飲食店で働く人たちや、農業で働く人たちですね。

世の中にはつまらない椅子に座るくらいなら、立ってホームレスをする という選択を主体的なり、妄想的なりで選んだ人たちがいるわけです。

大卒に関していえば、決して、どんな椅子であっても座ろうと必死に頑張った人たちによるゲームではないわけです。

ここで注意したいのは、そういう大卒フリーターたちの自己責任があることを当然として認めたとして、彼らの人生がいつも解雇とホームレス化におびえるようなものであっていいということではありません。
他の人たちがしてきたような相応の教育訓練を全寮制で1年間ぐらい一日12時間ぐらいは詰め込んで、椅子取りゲームのルール(労働市場)のなかで、ちゃんとゲームを楽しめるようなスキルを身につけるように社会がサポートするべきだと思いますが、7時から整理券配布だというのに、前日楽しく飲んでいたら、寝過ごしたので10時過ぎに到着したけど、席がないなんていう格差ゆるさなーーーい!! とかいう社会を実現したいわけではありません。

中卒の方々や高校中退という方々は、明らかに体格が異なる人たちと、激しいロックで椅子取りゲームをさせられているようなものなので、ゲームが楽しめるようにするために、相応のサポートを社会がするべきだと思いますが、椅子の選り好みをするような大卒フリーターに対しては、朝早くから並べるような人になる という訓練を施すことでよいと思うわけです。

湯浅氏は椅子取りゲームのたとえを、ランダムに立っている人が決まっているような誤解を与えるようなレトリックを使っているが、日本の貧困研究の学者たちがいっているように、貧困に陥る人たちは、特定の条件を持った社会階層にすごく偏っているわけですから、大卒程度であれば椅子に座れるのはランダムではなくて、個人の椅子に対する努力と執着と我慢次第である、というのは認めるべきだろうと思います。

その上で、椅子に座れなかった人が、椅子にすわれるような能力なり人間性なり辛抱(ニートよりはまず働こうとか)を身につけるには何をすればいいか議論するべきで、椅子(相応の給与が得られる仕事)につける人はランダムで決まるというような、椅子取りゲームに例えていたら、実際にとるべき政策は、立っている人にカネをあげよう というクレクレ団にしかならなくて、能力開発の機会を提供しようとする社会民主主義的な発想とは異なってくるのだと思います

僕は湯浅氏の活動には敬意を払いますが、問題を歪めるレトリックの使い方はとても賛同できません。
彼は頭脳が明晰だから、そういう大衆が理解しやすく扇動しやすい論法を使うのでしょうが、そういうやり方は同意しかねるなぁと思います。

ホームレス恩人を虐殺

2009年07月17日 | 格差社会を考える
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20090624ddlk11040240000c.html

蕨の強盗殺人:恩人殺害に無期懲役--地裁判決 /埼玉


 昨年12月、蕨市内のマンションで知人の大友光さん(当時64歳)を殺害し現金約2000円などを奪ったとして、強盗殺人罪に問われた住所不定、無職、木内邦治被告(67)に対し、さいたま地裁は23日、求刑通り無期懲役を言い渡した。伝田喜久裁判長は「金品目的で恩人を殺害するという動機に酌量の余地はない」と指摘した。

 判決によると、木内被告は、ホームレス仲間に貸した2000円が返済されないことについて、別のホームレスの男性から「そのホームレスの親族には資産がある。弁護士に頼めば3000万円取り立てられる」とうそをつかれて信じ込み、07年10月ごろから、大友さん宅から盗むなどした金を弁護士費用として男性に渡していた。

 昨年12月15日、男性から「数日以内に4万円用意しないと金を取り立てられなくなる」と言われたが、大友さんから借りた6000円しか工面できなかったため、大友さんを殺害して金を奪うことを決意。翌夜、大友さんの頭を鉄パイプで何度も殴り殺害し、小銭入れから現金2000円などを奪った。

 伝田裁判長は、「被告を家に宿泊させ、洗濯機を使わせ、金を貸したりした被害者への恩を仇(あだ)で返した」と述べた。【飼手勇介】


 ◇判決文朗読中に「ふざけんなよ」--木内被告、立ち上がり悪態

 「もういいよ。ぐだぐだ言ってんじゃねえ。ふざけんなよ」。椅子に座って判決文が朗読されるのを聞いていた木内被告は、突然立ち上がって叫びだした。伝田裁判長が注意しても、「うるせえ。何様だ」と言い返し、勝手に弁護人席の前にある長椅子に移動して足と腕を組んで座り込んだ。

 言い渡し後、伝田裁判長が「被告はわかりましたか」と問うと、木内被告は「知るかそんなこと」と吐き捨てた。傍聴席からすすり泣く声が聞こえた。



ホームレス支援していた人から金を借りたりして、最後は2000円を得るためにホームレスの人が支援者を殴り殺したという事件です
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/090623/stm0906231319009-n1.htm
によると、


判決によると、木内被告は20年12月16日午後6時50分ごろ、蕨市塚越の大友さん宅マンションで、大友さんの頭を鉄パイプで数回殴り殺害、現金約2000円などを奪ったとされる


このホームレスの人が用いた殺人方法は鉄パイプで殴り殺す という、原始的であまりお金も頭もいらない方法ですが、明確な殺意が必要な方法です。(物的証拠が残りやすいですし、頭がい骨が砕ける感触というのは、夢に出るそうですから、あまりお勧めしないですね。)

この事件が、えぐいのは

ホームレスA  恩人を殴り殺した殺人者、ホームレスBの家族から数千万円ぶんどってやろうと弁護士を雇おうとした

ホームレスB ホームレスAから2000円借りたのに返さない小悪党

ホームレスC  ホームレスAをだまして弁護士費用として長期にわたって金を受け取っていた悪党

という、それぞれが悪人のホームレス三人が、相互に相手を食ってやろうとしたあげくに、ホームレスAが金欲しさに、泊めてくれたり、洗濯機を貸してくれたり、お金を貸してくれていた恩人を、鉄パイプで殴り殺した という、なんか、すごく滅入る事件です。

この事件で思うのは、湯浅氏たちのような自称格差是正論じゃたちは、ホームレスは家がないから仕事がないのだというけど、そもそも、本人に問題があって、人がかかわりたくないと思うような人だから、仕事につけずにホームレス化するのだ
という人たちが相当数いる中での氷山の一角でしょう。

同じ境遇の同僚から金を巻き上げようとするような人を正社員にする会社があったらぜひ見てみたいものです。たとえ、生活保護で家を与えても、こういう素行の人を正社員として雇う企業はないと思う。

もう一つは、この撲殺された恩人は、お仕事は内装業をなさっていたそうですが、反貧困ネットワークのメンバーだったり、共産党員だったりするプロ的な人だったのか、そうでなかったのかなぁということです。

もし、そうした政治団体のメンバーでなく善意でやっていた上で、お亡くなりになったとすると、我が物顔でホームレス問題を語っている活動家たちは、何か感じるものはないのかなぁと そういうことを思いました。

反貧困ネットワークや日本共産党のような自称格差是正論じゃたちが展開するような、
「競争社会の実社会で生きていきにくい優しい人たちがホームレスになるのよ♪」
なんていうのがペテンだということが良くわかる事件だったと思います

また、派遣村には僕も募金にはいきました。
その派遣村の後日談としての朝日新聞の記事ですが

http://www.asahi.com/job/news/TKY200905130342.html


派遣村から共同生活3カ月…食費持って同居人消えた

「年越し派遣村」を出た3人の共同生活は、3カ月足らずで終わった。こつぜんと姿を消した同居人。共に職探しをして、食卓を囲んだ毎日は、あっけない終わりだった。残された2人に、落胆とも怒りとも言えない思いが残った。

 大さん(32)、ヒロさん(35)、西村さん(41)が共同生活を始めたのは、派遣村を出てすぐの今年1月17日。村で知り合い、「3人でやっていこう」と話し合った。

 生活保護を受け、東京都板橋区のアパートに隣同士、1人1部屋ずつ借りて始まった新生活。一番年上の西村さんの部屋に皆が集まり、パソコンを使って一緒に仕事を探し、夕食をともにした。

 「一緒にいると食費も助かるし、仕事探しも相談できる」と励まし合った。

 西村さんが食事作りの担当。ドアに掃除、ごみ出し、食器洗いの当番表を張った。

 4月3日、西村さんが突然姿を消した。時間になっても待ち合わせ場所に現れない。3時間後、大さんの携帯電話に「あと20分で着くから」というメールが届いたが、西村さんは現れなかった。

 大さんもヒロさんも「何かあったんじゃないか」と事故を心配した。何度も留守番電話に伝言を残し、メールも送ったが、返事はなかった。

 心配が疑念に変わっていったのは、数日してからだ。

 西村さんがいなくなったのは2人が食費として計4万円を渡した日。別の派遣村の仲間に「15日から長野の農家に仕事に行く」と話していたことも知った。しかし、一緒に長野に行くはずだった人にも連絡はなかったという。

 「何でも相談し合ってきたのに、裏切られた気分だよ」。ヒロさんは憮然(ぶぜん)とした。

 4月17日、大家さんが西村さんの部屋の鍵を開けると、家電も洋服も残されたままになっていた。部屋を明け渡し、家賃の保証会社の人に「食費2万円分のかわりに家電を引き取らせて頂きます」と一筆書くよう言われ、2人は荷物をすべて引き取った。

 大さんの部屋は西村さんの隣。夕方、壁がコンコンと鳴ると、夕食の合図だった。

 「村で知り合って、本当に信頼していた。こんな形で3人の生活が終わるとはね」

 2人の生活費はそれぞれ約7万円。2万円がなくなったことは大きいが、警察に被害届は出さないつもりだ。ヒロさんはもうすぐ、配管工の職業訓練を受け始める。


本当に、自称格差是正論じゃたちがいうように、生活保護を与えれば解決する問題ではないと思うし、血税から生活保護をもらいながら、仲間のホームレスが受け取った金を奪って逃げるような外道が、どうしたら厚生して普通の社会人になれるのか?ということをちゃんと国民に説得しないと、これ以上の生活保護支給のための負担増は、勘弁してくれって思います。

生活保護支給額を下げて、現物支給にして、素行が悪い人は厚生するプログラムを義務化して、就労支援かボランティアを必須にする
ぐらいのことをして欲しいと思います。

僕は、ホームレス化する人は、相応に自己責任があると思っているので、そうした過ちを二度と繰り返さない という自立支援がセットでないと、単に血税を永遠に払わせ続けられるだけの制度になってしまうと思うし、そうなりつつあると思います。

もちろん、多くのホームレスの人たちは犯罪もおかさずに生活しているわけですが、一方ではホームレス仲間の家族から多額の現金を手に入れようとしてその軍資金のために恩人を殴り殺す人や、仲間の金を持ち逃げする人も確実にいるということを前提にした社会保障の自立支援の制度設計でないなら、これ以上の社会保障アップはごめんです。

欧州の多くの国の自立支援を見習って、社会保障改革では、本人にも問題はあるしなまけさせないし、社会性を身につけさせる、ということを制度に織り込んで欲しいものです。

でも、やはり立脚点は 生きとし生けるものは幸せであれ ですね。

共同生活をしてお金を奪われてしまっても警察にも行かず、これから職業訓練を受けて頑張ろうとしている二人の人生が開けるような社会にしたいですね。


消費される格差問題

2009年04月24日 | 格差社会を考える
ちょっと前は、格差社会とか、ワーキングプアーとかがブームだったわけですが、
Googleニュースで「ワーキングプア」を調べると、数十件しかなくて、しかも、半分ぐらいは赤旗や例バーネットなどの共産系メディアの記事です
貧困で調べると、最近の「パキスタンの貧困対策がテロを減らすのに効果的だ」という記事ばかりですね。

働く貧困層の“ジャンヌ・ダルク”とか名乗っていた雨宮氏も最近はあまり注目を浴びていないようですし、蟹工船も下火です。
googleニュースで調べると
期待しすぎ!?赤旗記者ら、映画「蟹工船」に空回り
松田龍平「(原作は)読んでないですね」
http://www.zakzak.co.jp/movie/news/090421_2.html

って感じで、ちょっとバカ旗はイタイ子になっている。


十分に想定されていたことですが、ブームとしての格差社会とかワープアっていうのは、なりを潜めてしまっていて、非正規雇用や派遣に関するネタも徐々に減っています

僕たちのチベット支援もニュースになることは少なくなりましたし、徐々に進行している悲劇というのは、ニュースになりにくいものです

赤旗にしても雨宮たちにしても、貧困をブームとしてあおって、もう、消費しつくされてしまった って感じなのでしょうね。


雨宮なんかは「生きさせろ」とか威勢の良い罵声を上げていたわけですが、実際に派遣村に生きるか死ぬかで来たような人たちは、「生きさせろ」とか言わずに、派遣村を支えたボランティアや募金アドの支援者に感謝していたわけです。
それで、彼らが生きさせろ系になったのなら、雨宮たちのような、プロレタリアゴッコも成り立ったのでしょうが、本当に困っていて死にそうな人たちと合流できなかった、^「生きさせろ」系の愉快で楽しいデモな連中の立ち居地がなくなるのは当然かナァと

そして、今までのマスメディアの報道にしても、
「僕たちが普通に生活している日本でも、こんなに貧しい人たちがいるのですよ。テレビの前のみんなは幸せで良かったですね」
という報道だったわけで、テレビの前のみんなも、身につまされる思いで見るようになったら、そんな暗い話題は放送しなくなるんじゃないかと思います。


ブームは過ぎた。あとは、ただ数字としての失業率とかがニュースになるようになるんだろうなぁ