コラム「風食明媚」は、かつてホームページに掲載していたものを加筆・修正したものです。
1980年代後半から1990年代前半にかけてのイタリア旅行での体験を元にした雑記集(全15話)です。
第2話 海外での話し方講座
第1話 トリュフの舞い散る皿
**************************************
首都ローマのスタツィオーネ・テェントラーレ(中央駅)はテルミニ駅だ。
イタリアの大都市の中央駅は大抵そうだと思うが、駅がいわゆる幹線上にはない。
幹線から引き込み線に枝分かれし、その先の行き止まりに駅がある。
ミラノ・チェントラーレ
フィレンツェ・サンタ・マリーア・ノヴェッラ
ヴェネチア・サンタルチア…
それらは皆そうだ。
ローマを通過する幹線上にはローマ・ティブルティーナという駅があり
テルミニ駅は、やはり引き込み線のように枝分かれした先にある。
つまり、ここで完全に行き止まりになっているのだ。
「始発駅」「終着駅」には特別の雰囲気がある。
東京駅や上野駅などもそういう駅ではあるが、すべての線路がそこで終わっているわけではない。
私のように地方から上京した者には、「始発駅」「終着駅」という感慨は強くあるのだが
完全にそこで行き止まりではないから、そういう想いも100%抱くことはできない。
テルミニ駅では「始発駅」「終着駅」という言葉が俄然リアリティを帯びてくる。
ここで列車を待っていたある日、昼食を買っておこうとホームをブラブラしていた。
屋台のような移動式売店を覗いたら、見覚えのある文字が目に止まった。
古代メソポタミアの楔形文字のような形だったが、それは明らかに漢字だった。
その文字は「駅弁」と読めた。
エキベン?
テルミニの「駅弁」を最初に見かけたのは1990年頃だったと思う。
「駅弁」と表示されたコーナーには、質素な紙袋がいくつか置いてあるだけだった。
食べ物と飲み物を適当に見繕って紙袋に詰めてあるらしい。
日本人旅行者が多いからなのか、漢字の珍しさに惹かれて書いてみただけなのかは分からない。
どこから「駅弁」という日本語を仕入れてきたのかと思いながら、包みを開けてみた。
イタリアを旅していて頭を悩ますことの一つが昼食である。
お腹は空いているが軽く済ませたい…こういう場合は選択肢が極端に狭くなる。
日本人は私も含めてそうしたい人が多いだろう。
蕎麦やうどんだけでいい…だからパスタ一皿だけでいい…と。
しかし、これが難題である。
一般のリストランテやトラットリアは最低限のコース料理を前提としている。
不可能ではないらしいのだが、パスタ一皿だけとは注文し難い。
少なくとも私はそう言い張る心臓は持っていない。
だから結局はバールでパン類を調達するしかない。
ウンブリア州スペッロ近郊
紙袋を開けて、思わず口元がほころんだ。
中身はほぼ予想の通りだったからだ。
焼いたチキン、パン、サラダ…などと、お手軽な食べ物がセットされている。
バールのメニューと大差ないが、列車の中だから贅沢は言えない。
最後に袋の奥からテトラパックが一つ出てきた。
牛乳?…と条件反射のように思うのは私だけだろうか。
そういえば最近テトラパックを見かけなくなった。
紙パック入りの牛乳は、大きいものも小さいものも四角いものばかりになった。
私の世代の学校給食の牛乳は、最初はアルミのお椀に注がれた脱脂粉乳だった。
「豚の餌」と揶揄されていたものだった。
元々は家畜飼料用として輸入されていたものだから、本当の話なのだ。
それが、瓶入り、テトラパック入りと変わっていった。
テトラパックは、だいぶ永いこと続いたように記憶する。
イタリアにもあるんだな…と
私は無意識の内に、パックの文字の中に”Latte(牛乳)”という単語を探していた。
しかし、どこにも見当たらなかった。
その代わり”Vino Rosso”と控えめに書いてあった。
ヴィーノ・ロッソ(赤ワイン)!
そうだった…。
この時私は、うかつにも今自分がどこにいるのかを忘れていた。
軽食とは言え、食事をしながら牛乳を飲むようなお国柄ではなかった。
なるほど!
妙に納得し、ちょっぴり感動した。
ワイン大国イタリアにはテトラパック入りのワインまであるのだ。
テトラパック=牛乳という日本人的発想に苦笑いをしながら一口すすってみた。
悪くない!
またもや驚かされた。
予想を遥かに超える美味しさだったからだ。
テトラパック入りのワインに誰が期待するだろうか。
このワインはおそらくタダ同然の値段のはずだ。
たかが駅弁に添えられたテトラパック入りのワインである。
名も知られることのないワインなのだろう。
ワインは生活とは切り離せないものだから、イタリア人はワインに神経を使う。
とは言え、駅弁のワインにまでは気を使えない…。
イタリア人とてそう考えるに違いない。
そんな発想しかできない私は、いかにも貧しく浅はかだった。
たかが駅弁のワイン…。
されどワインはワイン!
痩せても枯れてもワインと名乗る以上、多少味は落ちても、絶対に本物のワインでなくてはならぬ!
テトラパックの中からイタリア人の叫びが聞こえてくるようだった。
ボトル詰めでこれより不味いものは日本にはたくさんある。
イタリアのワイン文化の底力が身にしみた経験だった。
文化は底辺からの支えがあって初めて成り立つことを改めて思い知らされた。
あの「駅弁」今もあるのだろうか。
-------------- Ichiro Futatsugi.■
1980年代後半から1990年代前半にかけてのイタリア旅行での体験を元にした雑記集(全15話)です。
第2話 海外での話し方講座
第1話 トリュフの舞い散る皿
**************************************
首都ローマのスタツィオーネ・テェントラーレ(中央駅)はテルミニ駅だ。
イタリアの大都市の中央駅は大抵そうだと思うが、駅がいわゆる幹線上にはない。
幹線から引き込み線に枝分かれし、その先の行き止まりに駅がある。
ミラノ・チェントラーレ
フィレンツェ・サンタ・マリーア・ノヴェッラ
ヴェネチア・サンタルチア…
それらは皆そうだ。
ローマを通過する幹線上にはローマ・ティブルティーナという駅があり
テルミニ駅は、やはり引き込み線のように枝分かれした先にある。
つまり、ここで完全に行き止まりになっているのだ。
「始発駅」「終着駅」には特別の雰囲気がある。
東京駅や上野駅などもそういう駅ではあるが、すべての線路がそこで終わっているわけではない。
私のように地方から上京した者には、「始発駅」「終着駅」という感慨は強くあるのだが
完全にそこで行き止まりではないから、そういう想いも100%抱くことはできない。
テルミニ駅では「始発駅」「終着駅」という言葉が俄然リアリティを帯びてくる。
ここで列車を待っていたある日、昼食を買っておこうとホームをブラブラしていた。
屋台のような移動式売店を覗いたら、見覚えのある文字が目に止まった。
古代メソポタミアの楔形文字のような形だったが、それは明らかに漢字だった。
その文字は「駅弁」と読めた。
エキベン?
テルミニの「駅弁」を最初に見かけたのは1990年頃だったと思う。
「駅弁」と表示されたコーナーには、質素な紙袋がいくつか置いてあるだけだった。
食べ物と飲み物を適当に見繕って紙袋に詰めてあるらしい。
日本人旅行者が多いからなのか、漢字の珍しさに惹かれて書いてみただけなのかは分からない。
どこから「駅弁」という日本語を仕入れてきたのかと思いながら、包みを開けてみた。
イタリアを旅していて頭を悩ますことの一つが昼食である。
お腹は空いているが軽く済ませたい…こういう場合は選択肢が極端に狭くなる。
日本人は私も含めてそうしたい人が多いだろう。
蕎麦やうどんだけでいい…だからパスタ一皿だけでいい…と。
しかし、これが難題である。
一般のリストランテやトラットリアは最低限のコース料理を前提としている。
不可能ではないらしいのだが、パスタ一皿だけとは注文し難い。
少なくとも私はそう言い張る心臓は持っていない。
だから結局はバールでパン類を調達するしかない。
ウンブリア州スペッロ近郊
紙袋を開けて、思わず口元がほころんだ。
中身はほぼ予想の通りだったからだ。
焼いたチキン、パン、サラダ…などと、お手軽な食べ物がセットされている。
バールのメニューと大差ないが、列車の中だから贅沢は言えない。
最後に袋の奥からテトラパックが一つ出てきた。
牛乳?…と条件反射のように思うのは私だけだろうか。
そういえば最近テトラパックを見かけなくなった。
紙パック入りの牛乳は、大きいものも小さいものも四角いものばかりになった。
私の世代の学校給食の牛乳は、最初はアルミのお椀に注がれた脱脂粉乳だった。
「豚の餌」と揶揄されていたものだった。
元々は家畜飼料用として輸入されていたものだから、本当の話なのだ。
それが、瓶入り、テトラパック入りと変わっていった。
テトラパックは、だいぶ永いこと続いたように記憶する。
イタリアにもあるんだな…と
私は無意識の内に、パックの文字の中に”Latte(牛乳)”という単語を探していた。
しかし、どこにも見当たらなかった。
その代わり”Vino Rosso”と控えめに書いてあった。
ヴィーノ・ロッソ(赤ワイン)!
そうだった…。
この時私は、うかつにも今自分がどこにいるのかを忘れていた。
軽食とは言え、食事をしながら牛乳を飲むようなお国柄ではなかった。
なるほど!
妙に納得し、ちょっぴり感動した。
ワイン大国イタリアにはテトラパック入りのワインまであるのだ。
テトラパック=牛乳という日本人的発想に苦笑いをしながら一口すすってみた。
悪くない!
またもや驚かされた。
予想を遥かに超える美味しさだったからだ。
テトラパック入りのワインに誰が期待するだろうか。
このワインはおそらくタダ同然の値段のはずだ。
たかが駅弁に添えられたテトラパック入りのワインである。
名も知られることのないワインなのだろう。
ワインは生活とは切り離せないものだから、イタリア人はワインに神経を使う。
とは言え、駅弁のワインにまでは気を使えない…。
イタリア人とてそう考えるに違いない。
そんな発想しかできない私は、いかにも貧しく浅はかだった。
たかが駅弁のワイン…。
されどワインはワイン!
痩せても枯れてもワインと名乗る以上、多少味は落ちても、絶対に本物のワインでなくてはならぬ!
テトラパックの中からイタリア人の叫びが聞こえてくるようだった。
ボトル詰めでこれより不味いものは日本にはたくさんある。
イタリアのワイン文化の底力が身にしみた経験だった。
文化は底辺からの支えがあって初めて成り立つことを改めて思い知らされた。
あの「駅弁」今もあるのだろうか。
-------------- Ichiro Futatsugi.■