福乃丸おじさんの遠足

福乃丸が飽きるまでちょこっと城めぐり!

明石城

2019-05-17 06:30:09 | 城めぐり

5月9日 兵庫県明石市にある。別名「喜春城」

明石城は松本城主だった小笠原忠真が元和3年(1617)に明石の地に入った。翌年、西国諸大名に対する監視と備えとして、2代将軍徳川秀忠より築城の命が下る。元和元年(1615)の一国一城令により廃城となった付近の用材を用いて、元和5年(1619)から1年間で明石海峡を望む丘陵端に築城した。自然地形を巧みに利用した3重3段構えの堀と曲輪には、忠真の義父であり築城の指導にあったた姫路城主の本田忠政の手腕が発揮されている。連郭式の縄張の中心にある本丸には巨大な天守台が築かれたが天守は建てられなかったが4基の三重櫓が築かれ、今は2基が修復されながら現存している。

 

天守台

三重櫓

 

 

 

 


大阪城

2019-05-17 04:56:34 | 城めぐり

5月9日 大阪市にある。別名「錦城」「金城」

大阪城は、水運の便に恵まれた上町台地に豊臣秀吉が天下取りの拠点とすべく天正11年(1583)に築城を開始したことから始まる、天正13年(1585)には五重八階、黒漆塗りの下見板と金箔瓦、金飾り金具を付けた豪華な望楼型天守を完成させ、秀吉は天下人の権威を欲しいままに示した。しかし慶長20年(1615)の大阪夏の陣で、豊臣大阪城は天守もろとも炎上してしまった。その後、徳川秀忠は徳川への政権交代を天下に知らしめるために、豊臣大阪城の縄張りの上に盛り土をして、石垣を新たに積み直して城を築いた。そして秀吉の天守を上回る規模で白漆喰総塗籠の徳川大阪城天守を寛永3年(1626)に完成した。しかしこの天守も寛文5年(1665)に焼失してしまい、以後天守は存在しなかった。現在は3代目で天守は昭和6年(1931)に鉄骨鉄筋コンクリート造りの天守として誕生した。

巨城を実感させる広大な堀と壮大な石垣

桜門桝形の巨石

本丸天守

千貫櫓

大手門