福乃丸おじさんの遠足

福乃丸が飽きるまでちょこっと城めぐり!

上田城

2018-11-25 07:38:06 | 城めぐり

11月20日 長野県上田市にある。別名「尼ヶ淵城」「伊勢崎城」「松尾城」「真田城」

上田城は、天正11年(1583)真田昌幸が千曲川の分流の尼が淵の河岸段丘上に築いた城である。城は天正13年(1585)徳川家康に攻められた。しかし家康は城を落とすことができず、上田城の堅城ぶりと真田武士の気概を天下に示すこととなった。さらに慶長5年(1600)関ケ原に向かう徳川秀忠軍を真田氏は上田城で迎え撃ち、結果的に秀忠軍を関ケ原の戦いに遅れさせている。関ケ原の戦い後、城は破却されたが、元和8年(1622)仙石忠政が埋められた堀を掘り起こすなどして復興し、本丸、二の丸が改修されたが、忠政の死によって未完に終わり、以後城の形が大きく変わることはなかった。

去年は大河ドラマ「真田丸」の影響で大にぎわいの上田市と上田城、ようやく静かになった上田城に行ってみた。実は3回目で3年ぶり、秋は初めてで楽しみ!

 

 

 

 

 明治初期ごろの上田城

現在


碓氷峠めがね橋

2018-11-23 09:36:38 | 観光

11月20日 群馬県安中市にある。碓氷第三橋梁は通称「めがね橋」煉瓦アーチ橋で径間数4、長さ91m、高さ31m我が国最大の煉瓦作りアーチ橋、明治25年に完成しアプト式鉄道を支えてきた、昭和38年に新線開通に伴い廃線となり、平成5年に国の重要文化財にされ平成13年に遊歩道「アポトの道」として橋の上を歩く事が出来る。

 

 

 


宇都宮城と二荒山神社

2018-11-19 17:26:54 | 城めぐり

11月17日 栃木県宇都宮市にある。別名「亀ヶ岡城」

平安時代に藤原宗円(ふじわらのそうえん)が二荒山の南に居館を構えたのが初めである。近世、江戸時代に改修され輪郭、悌郭形式を合わせた土塁造りの平城である。

宇都宮城は本多正純失脚の原因となった「宇都宮釣天井事件」の舞台として有名であるが、「釣天井」はなかったとの話もある。明治初頭の戊辰戦争の際に焼失し残ってはいないが、本丸の一部の土塁が現存し、本丸の土塁、堀が外観復元、建物(清明櫓、富士見櫓、土塀)が木造で復元され、宇都宮城址公園として一般公開されている。

 

 

 

清明館(資料館)

 宇都宮城祉公園の近くにある二荒山神社に行ってみた。

 


長篠城と東名高速道路からの富士山

2018-11-14 09:04:34 | 城めぐり

11月1日 愛知県新城市にある。

長篠城は永正5年(1508)に土豪菅沼元成が宇連川と寒狭川の合流点の断崖上に築城した。ここは2つの川が堀となり、断崖が城壁となる天然の要害の地となっている。菅沼氏は武田氏の支配下に入ったが、のちに徳川家康が城を奪い大改築した。天正3年(1575)家康の家臣奥平貞昌が城主の時、武田勝頼軍が城を包囲し落城寸前まで攻めたが、織田・徳川連合軍が駆けつけて城を死守した。長篠城祉は建物は残っていないが、内堀と土塁の一部がわずかに残っている。

 

 長篠城祉史跡保存館の展示物

 

 

 

家路に向かう東名高速道路からの富士山が綺麗だったので車の中から撮影しました。

 


岡崎城

2018-11-12 15:08:15 | 城めぐり

11月1日 愛知県岡崎市にある。別名「竜城」

岡崎城は康正元年(1455)ころ土豪の西郷頼嗣が創築し、家康の祖父・松平清康が享禄4年(1531)に改築を行う。その城で天文11年(1542)松平竹千代(徳川家康)が生まれた。幼くして今川氏の人質となっていた家康だが、桶狭間の戦い後は岡崎城に戻り、ここを拠点に三河を統一した。家康が豊臣秀吉によって関東に移されると、田中吉政が入り総構の堀を築いた。関ケ原の戦い後は徳川氏の聖地として重視され、譜代大名・親藩が城主となった。元和3年(1617)には三重三階、付櫓と井戸櫓を付属した天守が築かれた。明治時代に天守は取り壊されたが、昭和34年(1959)に再建された。

 

城の中の展示物

城の周りを散策

 岡崎城二の丸能楽堂

日本料理の八千代

三方ヶ原の戦いで命からがら逃げてきた時の絵と石像

散策してると石造がけっこう多い!

からくり時計塔

時間が来ると家康様が能を舞います。

 

 

三河武士のやかた家康館の展示物