5月9日 大阪市にある。別名「錦城」「金城」
大阪城は、水運の便に恵まれた上町台地に豊臣秀吉が天下取りの拠点とすべく天正11年(1583)に築城を開始したことから始まる、天正13年(1585)には五重八階、黒漆塗りの下見板と金箔瓦、金飾り金具を付けた豪華な望楼型天守を完成させ、秀吉は天下人の権威を欲しいままに示した。しかし慶長20年(1615)の大阪夏の陣で、豊臣大阪城は天守もろとも炎上してしまった。その後、徳川秀忠は徳川への政権交代を天下に知らしめるために、豊臣大阪城の縄張りの上に盛り土をして、石垣を新たに積み直して城を築いた。そして秀吉の天守を上回る規模で白漆喰総塗籠の徳川大阪城天守を寛永3年(1626)に完成した。しかしこの天守も寛文5年(1665)に焼失してしまい、以後天守は存在しなかった。現在は3代目で天守は昭和6年(1931)に鉄骨鉄筋コンクリート造りの天守として誕生した。
巨城を実感させる広大な堀と壮大な石垣
桜門桝形の巨石
本丸天守
千貫櫓
大手門
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