10月18日 広島県福山市にある。 別名・久松城 葦陽城
福山城は元和5年(1619)福山の地に徳川家康の母方縁者であった、水野勝成が入封し海陸路の要衝地である、芦田川のデルタ地帯に築いたのが福山城である。天守は5重6階地下1階の層塔型で北面の外壁が、防衛のため鉄板で覆われていた唯一の例であるが、そのほとんどが昭和20年(1945)の空襲で焼失、昭和41年(1966)天守や月見櫓など鉄筋コンクリートで再建された。
福山城公園から天守に向かう
阿部正弘の像
伏見櫓(重要文化財)三重の隅櫓、本瓦葺。伏見城松の丸にあったものを水野勝成の福山城築城にあたって将軍秀忠が移建させたものである。
筋金御門(重要文化財)入母屋造り、本瓦葺、脇戸付、櫓門、福山城本丸の正門で、伏見城から移建したものと言われている。
天守閣 博物館としての天守閣は耐震工事、リニューアル工事のため見学が出来ませんでした。
黄金水 本丸に現存する唯一の井戸
月見櫓 京都の伏見城内にあったものを移建したもので、本来は着見櫓のことである。
鏡櫓(文書館)明治6年廃城の際、取り壊されたが昭和48年復元された。