
前回
木々の覆われたきぬかけの路を通って、降りるバス停は竜安寺前。
次なる目的地は石庭で有名な竜安寺。世界遺産でもある。
訪れるのは今回が初めてだ。
今まで4回京都に来ているのに竜安寺に訪れたことがないのには理由があった。
庭園や枯山水に興味が無かったからだ。
嵐電1日乗車券の優待券で拝観料も1割引き。
拝観料を支払って鏡容池を横目に見ながら目的の方丈を目指す。
それにしても緑の多い境内。
朝早くから樹木の手入れ作業が至る所で行われている。
方丈内に入って靴を履き替える。
スリッパは大人用と子供用が用意されており子供用はミッフィーが描かれていて可愛い。
竜安寺可愛いな^^
お寺で靴を脱いで入るという行為が何となく好き。
人の家にお邪魔するような、親近感にも似たような気持ちがしてドキドキする。
でもこういう感情って日本人独特のものなのだろうか、、
薄暗い方丈をスリッパでパタパタ歩いていくと、
ついにアレが姿を見せる。
「な・・なんなんだこれは・・・・・・・!!」
噂には聞いていた竜安寺石庭。
そんな庭との対峙が始まった・・・・
思ったより小さいが、
土塀に囲まれたモノクロの空間に配置された15の石・・
それ以外には何もない。
これが本に載っていた“極端にまで抽象化された世界”?
何もない庭、
しかし、何かある。
庭に興味のない私をも引きつける何かが・・・
縁側に腰を下ろして、その石の数を数えてみる。
「ひとつ、ふたつ・・・・
みっつ・・・・
一つ足りない・・・・」
そう、この庭の石をすべて同時には見れないというのだ。
はたして何故―?
そしてこの庭園は何を現している?
謎が謎を呼ぶ石庭。
“虎の子渡し”や“七五三配置”などとも呼ばれ、
従来から様々な憶測がなされるこの石庭。
もちろん私にその謎が解けるはずもない。
人の少ない朝の竜安寺。
縁側に座る者は私の他にあと2人ほど。
静けさがあたりを包んでいる―。
「まるで額の中の絵のようだ。」
と思った。
もっとじっくり見つめてみる。
それは全体の庭ではなく、その石がとても気に入った。
すると・・・
「この庭、角度美人だな。」
自分が気に入った場所から見た2つの石。
ゆっくりと流れる時間の中でその風景が生きてるように、動いているように見えるではないか。
「これが・・・枯山水か。」
静けさの中にこそ枯山水の良さはあるのかもしれない。
たとえそれが抽象的なものでも。
いや抽象的だからこそ根源的なものに気付かされるのかも・・・・
庭に興味がなかった私は謎に満ちた竜安寺の石庭で、少し庭が好きになった。
その謎を解かなくたって石庭と仲良くなれた気がする。