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サブカルとサッカーの話題っぽい

【SS】C76寄贈『アマガミ』SS

2009-10-15 | 二次創作・『アマガミ』SS

Summer 犬 Life!


 夏で、夏休みだった。

 だけど僕は学校にきていた。
 答えは簡単。補習があったからだ。強制参加ではないけど、学校で行われる夏期補習には、成績の良し悪しに関わらず大抵の生徒が参加していた。
 だから僕も学校にきている。
 ただそれだけのこと。
 早いもので、僕らも今年は受験生。「夏が勝負!」なんて予備校のキャッチコピーに踊らされるわけではないけど、今は勉強するのが正しい受験生の在り方ってやつだと思う。
 でも。
「橘君」
 炎天下の屋上で正座をさせられている今の状況は、ちょっとおかしい。少なくとも受験生としての正しい在り方ではないだろうし、むしろ人としての在り方からズレている気がする。
 そして、どうして僕がこんなことになっているかといえば、その理由も簡単だった。補習が終わって間もなく、絢辻さんにここまで連れてこられたのだ。開口一番「座りなさい」と言われて迷わず正座を選んだ僕は間違っていない……はず。
「ねえ、橘君。さっき面白いことを言ってたわね。よかったらもう一度聞かせてくれない?」
 太陽に嫌ってほど熱せられたコンクリートで、足がじりじりと焼けていた。薄手の制服のズボンでは、到底カバーできそうにない。うう……このままじゃヤケドしちゃいそうだよ……。
「あの、絢辻さん? 足が……その……熱いんだけど……」
「あら、私の質問が聞こえなかったの?」
「き、聞こえてるけど……」
「けど?」
「うう……」
 ダメだ。とてもじゃないけど誤魔化せそうにない。そもそも、この人から言い逃れしようなんて考えが甘すぎたのだ。
 僕は、炎天下で腕組みをしたままこちらを見下ろす絢辻さんを見上げる。
「…………」
「……その角度じゃスカートの中は見えないわよ」
「た、たしかに今は見えないけど、たとえば絢辻さんが僕を蹴ろうとしたら見えるかもしれないじゃないか!」
「……あなたのそういうところに慣れはじめてる自分がたまに哀しくなるわ……」
「え? なんて言ったの?」
「まあ、その発言を追求してみるのも面白いけど」絢辻さんは軽く肩をすくめる。「誤魔化さないで質問に答えなさい。橘君はさっきなにをしていたの?」
 絢辻さんの顔には微笑が張りついていた。人に恐怖を与える笑み。先生に怒られるよりよっぽど怖い。喉なんてカラカラになっている。
 ここは正直に言うしかないか……。
「ぼ、僕は……えっと……さっき梅原と話をしていた、かな」
「ええ、そうだったわね。それで、その話ってどんな内容だったかしら?」
「う、梅原のやつが『夏場は女子が薄着だからいいよなー』って言い出して……」
「ダウト」絢辻さんのどんぐりまなこがつり上がった。「私の耳と記憶が確かなら、その台詞は最初に橘君が口にしたと思ったけど?」
 言いながら、絢辻さんが一度、どすん、と足を踏み鳴らす。びくっとする僕。これはようするに「次はないわよ」というサインである。
「ご、ごめん! 嘘をつくつもりはなかったんだけど、ちょっと暑いから意識がもうろうとしちゃって!」
「ふふ、言い訳してるときの橘君って本当にいい顔するわね」
 完全に見透かされていた。
 多少強引でも力尽くで話題を元に戻そう。
「た、たしかに、『夏場は女子が薄着でいいな』と言ったのは僕だったよ」
「なら私が薄着なのも嬉しいんだ?」
「当然だよ」
「そ、それは即答するのね」
 日射しのせいか絢辻さんの顔が赤らんでいる。
 でもうちの夏服ってブラウスの上にベストを着るから少し物足りないんだよな。夏の風物詩が見られないなんて酷い話だ。特に絢辻さんはガードが堅いから、私服でも透けるような服は着てこないし。
 うーん、どうにかして絢辻さんに薄手の服を着てもらえないだろうか。
「……橘君、頬が緩んでるけど、なにか変なこと考えてない?」
「ちょ、ちょっと夏休みの予定を考えてたんだ」
「ふうん。――それで話の続きだけど」
「ま、まだ続けるの?」
「当たり前でしょ。まだ余裕あるみたいだし、むしろここからが本題よ。女子の薄着に異常なまでに執着する橘君は、そのあとなんて言ってたかしら?」
「そ、その……『夏休みの補習は水着で受けることにすればいいのに』って……」
「よくできました。ちゃんと覚えてるのね」
 ああ……改めて考えてみると僕はなにを言ってたんだろうな……。
 自分に向き合うのがこんなに辛いことだなんて今まで思いもしなかったよ……。
「……ねえ、橘君。私がどうしてあなたにそんな格好させてるのかわかってる?」
「それは……」神妙に答える。「僕が梅原と馬鹿な話をしていたから、だよね?」
 微妙な表情を浮かべる絢辻さん。当たらずとも遠からず、といった感じだろうか。
「……最初に断っておくと、私は橘君のそういう趣味を否定するつもりはないのよ」
「ええっ、それじゃあ絢辻さんは水着で補習を受けてくれるの!?」
「そんなわけないでしょう、がっ!」
 左の二の腕にローキックが入る。本気で蹴られたわけではないので、それほど痛くはない。ちなみにスカートの中は見えなかった。
「頭の中で考えるのは構わないから、口に出すのはやめなさい!」
「うう……そんなこと言われても」
「返事は?」
 ドスの効いた声で絢辻さんが言う。真夏の太陽にじりじりと炙られているのに冷や汗が出た。
「ど、努力するよ」
「反省してる?」
「は、はい」
 僕の返事に満足したのか、絢辻さんは頷きながら腕組みを解く。
「――じゃあ、私が戻ってくるまでそのままでいること」
「……ええっ!? 絢辻さん、僕を置いてどこにいくの!?」
「ここはすごく暑いから校舎の中で涼んでくるわ」
「そ、そんな……」
 そのすごく暑い場所に僕を放置していくなんて、放置プレイにしてもやりすぎだ。
 しかし絢辻さんは颯爽と踵を返すと、げんなりする僕にはお構いなしでペントハウスの中に戻っていってしまう。ぽつんと取り残された僕は一人、ゆっくり閉まっていく金属製のドアを眺めていた。
「暑い……」
 しかも熱い。口に出すと、ますます耐え難くなってくる。そういえば今日は風も吹いていない。じめじめしていないのがせめてもの救いだけど、最近は雨が降っていないので空気が少し埃っぽい。
 そのときちょうど、グラウンドから運動部の威勢のいいかけ声が聞こえてきた。三年生が補習をやっていようと下級生たちはお構いなしだ。ずっと帰宅部の僕にはわからないけど、ああやって皆で一緒に目標に向かうのは少し羨ましい。
「うう……」
 どうやら僕は、自覚している以上に参っているらしい。これまでは部活をしてる連中を羨ましいなんて考えたこともなかったのに、孤独は人から気力を奪っていくものなんだな……。
 セミの鳴き声も聞こえてくる。未練がましくペントハウスを見つめると、計ったようなタイミングでドアが甲高い悲鳴をあげた。きっと絢辻さんだ。無意識のうちに背筋がピンと伸びる。思ったより早く戻ってきてくれたみたいだ。
 ……って、ちょっと待てよ。やってきたのが絢辻さんならいいけど、もし他の人だったら今の僕を見てどんなふうに思うだろう。客観的に見て、誰もいない屋上で正座をしているやつは相当危ない気がする。
 ま、まずい。どうにかしないと。
 でも勝手に正座をやめたら絢辻さんに叱られるかもしれない。
 くそっ! 僕はどうすればいいんだ!?
「……先輩?」
「えっ?」
 耳に届いたのは聞き慣れた声。見ればペントハウスのドアからちょこんと覗いているのは見慣れた顔だった。身体は建物に隠れているけど、顔だけでも見間違えようがない。
「な、七咲!」
「気配がするから誰かと思えば先輩でしたか。こんなところでなにをしてるんです?」
「こんなところって……それは七咲も同じじゃないか」
「たしかにそうですね。それなら言い方を変えます」七咲の口元がかすかにつり上がる。「先輩はどうして屋上で正座をしてるんですか?」
 しまった! やぶへびだ!
 ど、どうしよう。まさか「絢辻さんという人に躾けられてます」なんて言えるわけがないし……どう言い訳すればいいんだ?
 考えろ……考えろ……。
「ぼ、僕が屋上で正座をしてるのは――」
「してるのは?」
「――もちろん、七咲をお出迎えするためだよ」
「……はい?」
 つり目がちな七咲の瞳がまん丸になった。
 よし、掴みは完璧だ!
「知らないのか? 昔はこうやってキチンと正座をして、三つ指ついてお出迎えするのが正式な作法だったんだぞ」
「はあ……そうなんですか。でも先輩、私がくる前から正座をしてましたよね」
「僕は七咲の行動パターンくらい、お見通しなのさ。なんなら昨夜、お風呂に入った時間も当ててみせようか」
「い、いえ、結構です。わかりましたから」
 後輩にハッタリをかまして引かれる先輩の姿がそこにはあった。
 というか、僕だった。
「……先輩は相変わらずですね。私もそっちに行ってもいいですか?」
「あ、うん」
 反射的に答えてから違和感を覚える。べつに屋上を占拠しているわけではないんだし、わざわざ許可なんて取らなくてもいいのに――って。
「な、七咲!?」
「はい?」
「お、お前……どうして水着姿なんだ!?」
 驚くべきことに、僕の前に全身を晒した七咲を包むのは、学校指定の競泳水着だった。
 しかもここは屋上だ。プールで見る水着と、プールの外で見る水着は根本的に違うものだと僕は思う。日常と非日常を隔てる壁が取り壊されたかのような感覚が、真夏のビッグウェーブとなって僕に襲いかかってきた。
「まさか僕の願望を察して水着で補習を受けてくれてたのか!?」
 だとしたら誤魔化しではなく、本気で三つ指ついてお出迎えしなければ!
 七咲パないな!
「なにを言ってるんですか、先輩。私は水泳部が休憩時間になったから、ここにきたんですよ。それに補習なんて受けてません」
「あ……ああ……なるほど……」
 って、そりゃそうだよな……。つい興奮して我を忘れちゃったよ……。
 七咲は少し不満げな顔をして、こちらにジト目を向けた。僕のすぐそばに立っているので、ちょうど見下ろされる格好になる。
「私ってそんな勉強できなそうですか?」
「いや、ごめん。そんなことないよ。自分が補習を受けてるから、てっきり七咲もそうだと思っちゃってさ」
 ん? でもそうすると……。
「じゃあ、七咲はどうして水着でこんなところに? 休憩時間って言ってたけど、着替えもせずにプールの外をうろつく水泳部員なんて滅多に見ないぞ」
「そうですね」七咲はあっさり僕の言葉を肯定した。「実はこれ、塚原先輩から教えてもらったんです」
「塚原先輩に……?」
 どうしてここで、既に卒業してしまった先輩の名前が出てくるんだ?
「水泳部は去年の夏休みも練習をしていたんですけど、休憩時間に塚原先輩が連れてきてくれたんですよ。ほら、うちの学校のプールって屋内にあるじゃないですか」
「ああ」
「あそこもちゃんと光を取り入れる作りになってますし、中にいても暗いとかそういうのはないんですけどね。塚原先輩は『どうせなら太陽に近いところで日光浴をしよう。そのほうが気持ちいいから』って」
「へえ……」
「それがすごく気持ちよかったから、こうやって屋上にくるのはお気に入りなんです」
 思い出を楽しげに語る七咲。その柔らかな表情を見ていると、塚原先輩を心から慕っていることが伝わってきた。
「そういうわけで、私が塚原先輩から受け取ったものを、今度は後輩に教えようと思って先に様子を見にきたんですけど」
 七咲が意味ありげな視線を送ってくる。
「先輩がいたので、教えるのは延期です」
「ええっ!? 僕のせいなの!?」
「普通は男子に水着姿を見られるのは恥ずかしいですから。私だってここにいたのが先輩じゃなければ、そのままプールに戻りましたよ」
 なんてことだ。僕のことなんて気にしないで、どんどん一年生の子たちを連れてきてくれればいいのに。
 いや、それより重要なのは、七咲の話によれば去年は塚原先輩が水着姿で屋上にきていたってことじゃないか! 学校にきていれば、太陽の下で水着姿の塚原先輩を拝めたかもしれないのか……。
 どうして去年の僕は夏休みの補習に参加しなかったんだ! 去年の僕の馬鹿野郎!
 ……まあ、そうは言っても時計の針は戻らないからな。去年のことはすっぱり諦めるか。うん、人間、前を向いていなきゃダメだもんな。
「な、七咲、僕はそろそろべつの場所に行くから、後輩の子たちを呼んできても構わないと思うぞ」
「練習は明日もありますし、どうしても今じゃないといけないってわけじゃないですから」
「で、でも明日は晴れるかどうかわからないだろ?」
「週間天気予報ではずっと晴れでした。雨が降らなくて水不足の心配をしてるくらいです」
「そ、そうなんだ……」
 僕の心は曇りっぱなしなのに、天気予報まで僕の前に立ちふさがるのか……。
「すごくがっかりしてますね、先輩。そんなに一年生の水着が見たいんですか?」
「だ、誰もそんなこと言ってないだろ」
「顔に書いてありますよ。バレバレです」
「くっ」
 手強い。さすがに二年生にもなると簡単に言いくるめるのは難しい。もっとも七咲には出会ったときからやり込められてばかりの気がするけど。
「……わかった、一年生の水着は諦めるよ」
「はい」
「代わりと言っちゃなんだけど、僕は七咲の水着を堪能させてもらうよ」
「えっ!?」
「初心に返ることは大切だからな」
「私は先輩にとっての初心なんですか!?」
 おかしなところで驚くやつだな。僕にとって水泳部といえば七咲、七咲といえば水泳部、水泳部といえば水着、そして水着といえば七咲ってのは定説なのに。いわば「すべてがN(七咲)になる」だ。
「ん……? というかよく考えると……」
 僕は正座をしているわけだから、下からのアングルで七咲の水着姿を堪能できることになる。これまで数限りなく七咲の水着姿を見てきた僕ではあるけど、このアングルから見る機会はなかったはず。
 つまりこれは千載一遇のチャンス!
 よし! 七咲を下から堪能するぞ!
「せ、先輩……! ちょっと……そんなふうに見ないで……くすぐったいです……!」
 七咲は胸元と股のあたりを手で隠し、もじもじと身体を揺すっている。
 だが甘い! 甘すぎるぞ七咲!
「はははっ! この角度だと手で隠しても無駄だぞ!」
 正座万歳!
 やっぱり日本の文化は最高だよ!
「や、やめてくださいってば!」
 七咲の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。しかし僕としては、ただ単に正座をしているだけなので、どうすることもできない。
 やがて僕の視線に耐えられなくなったのか、七咲はその脚力を生かして一気に距離を取った。
「も、もう……先輩の……先輩のスケベ!!」
 悲鳴のような叫びが、雲一つない青空に吸い込まれていく。ハッとする間も、しまったと思う間なく、七咲はドアの向こうに姿を消した。
 そうして、その場には後輩にセクハラをして黄昏れる先輩が一人残された。
 というか、それも僕だった。
「……ふう」
 さすがにやりすぎたかもしれない。七咲に申し訳ないことをしてしまったとも思う。
 でも僕の心は満ち足りていた。太陽にギラギラと炙られていても、そろそろ正座している足が痺れてきていても、奇妙な充足感が僕の中にはあった。
 ひとつのことをやり遂げたから、なのだろう。
 夏で、夏休みだった。
 その夏休みの一日を、価値のあるものにできたのは嬉しかった。
「やっぱり暑いな……」
 ぽつりと呟いたそのとき、金属製のドアが甲高い音を立てながら開く。ペントハウスのほうを見やると、そこに立っていたのは今度こそ絢辻さんだった。
「あ、絢……辻さ……っ!?」
 僕が名前を口にする間に、絢辻さんが疾風のような速さで駆け寄ってくる。絢辻さんはピタッと僕の真横で立ち止まり、無言で、無表情で、こちらを見下ろした。
 絶対零度の視線だった。
 世界が停止する。
 運動部のかけ声も、セミの鳴き声も、すべての音が消滅した。
「……あ、絢辻、さん?」
 重い重い沈黙に耐えきれず、呼びかけてみる。
 一瞬の間があり、
「橘君」
 その間から、笑顔と優しい声が滲み出てきた。しかし、優等生「絢辻詞」として申し分のない表情と声は、実のところ「絢辻さん」がこの上なく不機嫌だという証明でもある。
「ねえ、女子の薄着が好きな橘君」
「そ、その枕詞は必要なの?」
「文句ある?」ドスの効いた声。
「な、ないです」思わず敬語になる僕。
「それで女子の薄着と水着が大好きな橘君は、私がいない間になにをしてたのかな?」
 呼び名が悪化していたけど、もはやそれどころではなかった。頭の中で警報が鳴り響いている。人生の分岐点の存在を感じた。

●ずっと一人で正座をしてたよ!
●偶然やってきた後輩と話をしてたんだ!
●絢辻さんは可愛いなあ!

 図式化すると、たぶんこんな感じ。
 いっそ最後のを選んだら丸く収まってくれればいいのに……。でも絢辻さんはそんなに甘くないんだよな……。
「……ぐ、偶然やってきた後輩と話をしてたんだ」
 冗談が通用するとは思えないし、嘘をつき通せるとも思わないので、正直に答えた。
「ふん」絢辻さんは興味なさげに鼻から息を漏らす。「嘘ばっかり」
「う、嘘じゃないよ!」
「覚えておきなさい。不正確な報告に意味なんてないのよ。この場合、正確には『偶然やってきた〝水着姿で自分を慕う〟後輩と話を〝するのにかこつけてセクハラ行為を〟していた』でしょう」
 補足部分に悪意を感じる!
「というか、絢辻さん見てたの!?」
「そうやって目的語を抜いて話すのはよくないわ」
「ぼ、『僕が後輩と話してるところ』をだよ!」
「『橘君が水着を着た後輩にセクハラをしているところ』はしっかり見てたわよ」
「くっ……!」
 ダメだ。状況が改善するどころか、絢辻さんは最初に屋上までやってきたときより更に不機嫌になっているぞ。
「いちおう釘を刺しておくけど、スキンシップをしていただけとか言ったら即通報するからね」
「ええっ!?」
「むしろ、これまで通報されなかったことを感謝すべきよ」
 知らなかった……僕のスキンシップは犯罪行為スレスレだったのか……。
「橘君」
「う、うん」
「さっき反省してるって言ってたわよね」
「う、うん……」
「なら、歯を食いしばって目を閉じなさい」
「あ、絢辻さん……それって……」
「キスをしたりはしないから安心してね」
 そ、それならよかったのに……。
 しょうがない……覚悟を決めるか……。
 絢辻さんのことだから、過剰に暴力をふるったりはしない……よな?
 僕は言われるがまま、ぎゅっと両目を閉じて断罪のときを待つ。視覚をなくしたぶんだけ他の感覚が鋭くなっているのか、運動部のかけ声とセミの鳴き声を先ほどより近くに感じた。
 すぐそばで誰かが――絢辻さんが動きはじめる気配。蹴りを入れるにせよ、他の攻撃手段を取るにせよ、それほど移動する必要はないはずだ。
「橘君」
 耳元で絢辻さんの声。
「っ!」
 僕が歯を強く食いしばった次の瞬間。
「――反省しなさいっ! 鈍感変態男!」
「うひゃあああああああああああああ!?」
 冷たああああああああああっ!!
 なんだこれ!!
 首にすごく冷たいものが押しつけられてる!!
 たまらず身体を捻って目を開けると、眼前には暴君の表情でペットボトルを振りかざす絢辻さんの姿があった。
「こら! 逃げるな!」
 叫びながら、絢辻さんは、両足でまたぐような体勢で僕の身体を押さえつけにかかる。すらりとした絢辻さんの足は、綺麗なだけじゃなくて力強さも兼ね備えていた。
「あ、絢辻さん! ちょ、ちょっと待ってよ!」
「待ちませーん! なによ、人がせっかく冷たい飲み物を買ってきてあげたのに!」
「つ、冷たっ! し、心臓が止まっちゃうよ!」
「薄着で水着なら誰でもいい橘君の心臓なんて、いっそ止まっちゃったほうがいいんじゃない!?」
「で、でも、僕が一番見たいのは絢辻さんの薄着と水着だよ!」
「そ、そういうふうに言われて悪い気がしない自分にも腹が立つのよ!」
 そんな理不尽な!
 という僕の心の叫びは声にならなかった。
 というか、そんな余裕はなかった。
 必死で逃げようにも、足が痺れて立てなかったし、そもそも絢辻さんのふとももで挟まれているので派手に動くのは難しい。
 色んな意味で。
 そう。
 ふとももで身体の動きを制限されるなんてレアな状況、なかなか体験できるもんじゃない。この柔らかさは楽しまなければ損だぞ!
「絢辻さん!」
「なによ!」
「ありがとう!」
「はあ!?」
 しかも今の僕には、雲一つない青空を背景に、絢辻さんのスカートの中身も見えているのだ。
 こんな出血大サービスは、きっと夏休みだからに違いない! あまりに衝撃的すぎて僕も鼻から出血しそうだよ!
 ……なんて。
 このあと、不届きな視線に気づいた絢辻さんの手によって、僕は本当に鼻血を出すことになるのだけど。
 夏で、夏休みだから。
 一日くらい、こういう日があってもいいよな。うん。いいはずだ。
 ちなみに絢辻さんが買ってきてくれたのは、甘くて酸っぱい夏みかんのフルーツジュースで、このあと二人で美味しくいただきました。

おしまい