自虐史は
反日メディアの
思う壺
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【視線】政治部編集委員・阿比留瑠比
「敗戦国」の枠組みにこもりたがる国内メディア
「敗戦国」の枠組みにこもりたがる国内メディア
http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/140624/plt14062408000001-n1.html
東京・九段北の靖国神社境内には、東京裁判で被告全員無罪を主張したインド代表のパール判事の顕彰碑がある。
そこには、パール判決文(意見書)を引用した次の有名な言葉が碑文として刻まれている。
「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には その時こそ正義の女神は その秤(はかり)を平衡(へいこう)に保ちながら 過去の賞罰の多くに そのところを変えることを要求するであろう」
戦後、すでに70年近くがたった。
本来ならば熱狂と偏見の時代はとっくに過ぎ去り、先の大戦をめぐるさまざまな経緯は、もう「恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)」となっていいはずだ。
そうであれば、日本のこれまでの平和の歩みはもっと正当に評価されていただろう。
集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しも、理性的で落ち着いた雰囲気の中で議論されていたのは間違いない。
ところが現実は違う。中国や韓国は歴史問題を既得権益のように振りかざし、謝罪と反省を強要し続けている。「戦勝国」として優位な立場を維持したい一部の欧米諸国も、それに安易に同調する傾向がある。
戦勝国や、日本の敗戦で利益を受けた国々は、彼らの歴史観に沿った河野談話や村山談話の順守を求め、それに疑問をはさむことも許さない。日本が歴史問題のささやかな検証を試みると、「危険な歴史修正主義者」のレッテルを貼って非難してくる。
「歴史は、ほとんど戦争に勝った側が書いている。負けた人からは『公平ではない』と思えるかもしれないが、勝者が書いた歴史が受け入れられている。そのことを日本人は受け入れないといけない」
平成18年2月、インタビューで栗山尚一元駐米大使がこう語るのを聞いたときには、
「いつまで日本は頭を下げ続ければいいのか」と少々反発も覚えた。
これは一面の真実ではあるだろう。
「戦後の世界秩序」と美名で言い換えようとどうしようと、「戦勝国と敗戦国の枠組み」が今も強固に世界を支配しているのは否定できない。
ただ、いかに戦後の枠組みが堅牢(けんろう)だろうと、日本はそれに甘んじるのではなく、少しずつでも突き崩していく努力をしていくべきだと思う。
「敗戦国とその国民を、蔑視し、差別し、その心を不当に傷つける『正義』を、勝者はどこから得たのでしょうか?」
パール判事もまた、判決文にこう記している。
「戦勝国は、敗戦国に対して、憐憫(れんびん)から復讐(ふくしゅう)まで、どんなものでも施し得る立場にある。
しかし、戦勝国が敗戦国に与えることのできない一つのものは正義である」
「戦勝国は、敗戦国に対して、憐憫(れんびん)から復讐(ふくしゅう)まで、どんなものでも施し得る立場にある。
しかし、戦勝国が敗戦国に与えることのできない一つのものは正義である」
戦後の自虐史観に浸り続けることが、日本の発展と平和を もたらすものとは思えない。
人類で唯一 原子爆弾という悪魔の作った兵器で 多くの人命が失われたことは、紛れもない事実。
その悲惨な体験を糧として 後生に美しい郷土を 護り託すのが国民としての義務。
九条を金貨玉条の如く 振りかざし続けることが、日本の平和を維持する 唯一の方法だと錯覚をしていては、何時までも 自虐史観からは抜け出せない。
負け犬国家として、他国の謂われ無き蹂躙に為すがままで、やがては国家は消滅する。
国民の叡智を結集し、真の国家としての「日本国憲法」が制定されたときに、初めて 後生に引き継がれる国家が生まれる。
必要欠く事の出来ない 「抑止力」の整備は 国家百年の大系の上に立ち、鑑みれば 自ずとそこに答えは見つかる。
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