なんて、言っても仕方ないのですけど、 今日は午前中に実家。
午後は依頼リフォームの続きをしてきました。
目が覚めたのは朝の4時20分、「おっとと!!」ヤバい!と飛び起きるとすぐに着替えをして車に。
3連休の初日ですけど、道路はいつもと余り変わらず?の中を走りますが、 「なんか空が晴れてね?」なんて独り言。
やはり空いていたのか、6時半には実家に到着。
昨日、何度電話しても出なかったので、いきなり顔を出した感じになってしまったので驚く母ですが、
前回来たとき、「13,もしくは14日に来るよ!」とは言っておいたのですが、すっかり忘れている 汗
まあ、こんな感じでしたので、朝ご飯の準備が出来てませんから、今日は二人で準備。
僕が手伝っているので、当然出来るのも早くて、 7時半には頂きます。
*ちなみに、母親を老いさせないために、できる限り僕は手伝わないようにしています
親父を施設に迎えに行くのは9時15分なので、洗い物をして、掃除機掛け、できる限りの事をして食後の時間を過ごしますが、
母親は?というと、朝風呂 (笑)
親父ですが、本当はお昼を家で食べさせたかったのですが、施設のお年寄りの多くが少し前の夏の暑さで体調不良になってしまい、
そんな関係から、「外出は2時間程度にしてくれませんか?」という要望もあって、お昼前には帰らねばなりません。
温度変化、特に高温に弱いお年寄りは、すぐに体調に影響が出やすいんです。
ほんの少しの時間ですけど、親父を家で過ごさせてあげたいわけですが、家に着く前にスーパーでプリンとコーヒーゼリーを購入。
特養の食事には多分出ないものですけど、甘い物が好きな親父の為でして、ただ、糖尿病もあるので気をつけねばなりません。
とはいえど、 3週間に一度程度なら問題ありません。 多分。
そんなわけで、家に着くと待ってましたとばかりに母親が出迎えてきて、リビングに通すとスプーンで少しずつ食べさせますが、
”老いることは幼児に返っていくこと”というのを本当に実感する。
単有るDNAの継承体である精子と卵子が出会い、細胞分裂の開始で命が発生、分裂を続けながら太古の進化の道をたどっていく。
魚から尻尾のある哺乳類、そして人になり、生まれてくるまでの間に、受け継がれてきた人としての祖先の顔をすべて再現しつつ、
最後にはその子の顔をもって生まれてくる。
何も出来ず、排泄はコントロールは当然不可能、未熟な消化器で液体を飲み(ミルク)お腹が満たされると、長い時間ひたすら寝て過ごす。
やがて手足の動きが脳と明確に連動しながら、重力に耐える筋力が備わるにつれて首が据わり、ハイハイして歩き出す。
言葉を話し、跳んだり跳ねたりして、体もどんどんと成長。
精神的にも発達して反抗期を迎え、その後に成人式を迎えることで、生物学的には一応の完成を迎える。
精神的な成長をさらにしながら結婚をして子供を授かり、その子を育て、人としての身体的な安定期の最後とも言える55歳くらいまでは
老いという物とはほぼ無関係に過ごしていく。
その後は、少しずつ身体に老化が現れ始め、身体能力も落ち、それは成長とは真逆の方向に進み、ゆっくりと子供の姿へと戻っていく。
やがて、伴侶を失い、 一人になり、さらに老いが進み、歩くことが出来なくなり、排泄コントロールを失い、 記憶も失いながら、
最後には死を迎え、 有から無へと戻っていく。
今、自宅に居る、生まれて一月半の孫と、そして目の前にいる二人の親。
片方は成長、片方は老い、どうすることも出来ない自然の摂理の中で、唯一ずっと繋がっていて、そしてこの先も受け継がれていく物が
あり、それはDNA。
思い出は代が変われば消えてしまうが、DNAは親から受け継いだ遺伝情報に、あたらしい情報を書き加えながら次の世代へと受け継がれていく。
不思議な物だけど、体は無くなっても、受け継がれていく限りは、遺伝子そのものが死ぬことは無い。
施設に親父を連れ帰る、そのほんの少し前に、家の庭を見る二人の写真を後ろから撮った。
親父が野菜を育てることが出来なくなった庭を、今は母親が面倒見て野菜を育てている。
運動になるので僕は勧めるけど、危険な日中だけはやらず、朝と夕方だけにしてね!と常に言っている。
写真を撮りつつ思わず涙が出そうになりますが、 やがては自分も通る道。
今、僕がやっているのは、自分のこの先に人生において子供達に迷惑を掛けないようにする為の様々なことをしているけど、
まがいなりにもかなりの時間がまだ有って、 ただ、すぐに失われて行くのも若さであり時でもある。
人生を振り返るにはまだ余りにも早すぎと言うものだろうが、 何ら後悔しない生き方をすることが出来てきた僕は、
ある意味幸運な方なのかもしれないと、思う。
翔