78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎薔薇色への架け橋(第2話)

2012-10-05 04:45:27 | ある少女の物語
 11時、ついに目的のバスがターミナルに停車。秋田は全路線が後払い制の為、後ろのドアから乗り込み、真っ直ぐ運転席へ向かう。
「214号線沿いにある《M吉神社総本宮》に一番近いバス停はどこですか?」
「え、何だって!?」
 50は超えているであろう運転手が聞き返す。
「214号線沿いのM吉神社総本宮です」
「214ってK曽石のほうか?」
「ハイそうです」
「そっちまでは行かねえぞ」
「それは解っていますけど、あの、一番近いバス停で降りたいんですけど」
「おーい、K曽石方面の人いっか?」
 なんとバスの運転手が乗客に道を聞くという暴挙に出た。
「いないでしょ。K曽石の人はこのバス乗んないもの」
 乗客の一人が答える。僕以外の乗客全員がおばさんだった。
「あれだ。《H田下町》だっけ?」
「《H田上町》じゃないの?」
「ああそうだ、H田上町」
「す、すみません、ありがとうございます……」
 まさかコップ一つを買う為にこんな恥をかく事になるとは思わなかった。今の僕は運転手にも乗客にも迷惑をかけている。
「でもそこから30分は歩くんじゃないの?」
「イヤ、それは全然大丈夫なんで」
 一往復とはいえ、初対面のおばさんと普通に会話を交わす僕。高齢化が止まらない秋田では珍しい事ではなかった。
 ヨーカドーの撤退を始めとする商店街の瀕死状態が全国ニュースで晒されてから早2年。ジュンク堂やロフトがオープンしささやかながらも復興の兆しを見せている秋田駅周辺を離れ、僅か20分で車窓からは田んぼしか見えなくなっていた。そして11時40分、僕は《H田上町》のバス停でバスを降りた。
 目の前にある214号線の入口には、この先に神社がある事を示す鳥居が立っていた。その横の看板には《M吉神社まで3km》。14時の法事に間に合わせるには、12時10分に《Dの下》を通過するT部線のバスに乗る必要があった。既に30分を切っている。僕に残された選択肢はただ一つ、“走る”事だった。フルマラソンの14分の1に過ぎない距離でも、学生時代に体育祭で走った1500メートルですら息を切らしていた僕にとっては苦痛だった。職場から東京駅へ直行し深夜バスに乗って秋田に来た僕は通勤服であるワイシャツとスラックスを身にまとい、ビジネスバッグを持ったままだった。それでも走るしかなかった。全ては世界に一つだけのコップの為に、KSMへのお土産の為に。
 左には木々しか無く、右には収穫間近の稲たちが生い茂るだけの民家一つ無い214号線。何故僕は今、こんな田舎道を走っているのだろうか。何が僕をここまで動かしているのか。

――笑顔――

 やはり行き着く先はその2文字だった。ヘルプ出勤の時も、KSMを笑顔にする事が彼女の期待を越える仕事をする事だと信じていた。今も同じだ。全ては彼女を笑顔にする為。金萬や携帯ストラップなら駅ビルでも買える。だが僕はKSMをその程度の存在だとは思いたくなかった。オンリーワンのコップを求め、ナンバーワンの想いで走り続けた。

 20分後、ついに僕は《M吉神社総本宮》に辿り着いた。おばさんの予想タイムを10分縮めた。そして目の前には《ガラス工房◎◎ 左折》の案内板が。目的地は目と鼻の先だった。案内板の指示通り脇道に入ると、今度は左右共に木々しか見えない。笑う両膝を懸命に動かす事5分。
「やっと……着いた」
 まるで秘境のジャングルを探検し巨大な蛇でも見つけたような感覚だった。その店は、左にショップ、右に吹きガラスの体験も出来る工房があった。今は体験などどうでもいい。帰りのバスの時間も迫っている為、急いで左の扉を開けようとしたその時だった。

《ショップは土日・祝日のみの営業です》

 扉の横にそう書かれていた。なんと、工房での作業に集中する為、平日はショップを閉めていたのだ。僕は店員に無理を言ってショップを開けて頂いた(※良い子は真似をしないで下さい。筆者自身も反省しています)。
 こうして多くの人に迷惑をかけてまで手に入れた3000円の吹きガラスのコップは、高さ10センチ程の円柱型で、白っぽい半透明の下地に筆で一点一点描いたような水玉の模様。手作りの温もりが溢れる至高の一品だった。
 他の社員へのお土産用にオリーブオイルの石鹸3個も併せて購入し、総額4260円。予算を大幅にオーバーしてしまった。ギフト用のラッピングも丁寧にして頂き、結果的にバスには乗り遅れた。こんな理由で法事に穴を空けるわけにはいかないので、急遽タクシーを手配し約2000円の出費が余計にかかった。だが後悔はしていない。KSMの笑顔の為なのだから。



 2日後、僕は自店で仕事を終えるとT店に直行した。
「秋田のお土産で、りんごもちっていうお菓子を持ってきたので食べて下さい。あと店長とマネージャーには個別のお土産があるんですけど、実はKSMさんにも、フィギュアのお返しがまだだったので用意しました。全部事務所に置いてあるのでお持ち帰り下さい」
「ありがとうございます。別にお返しなんて要らなかったのに(笑)」
 ついにKSMの笑顔を見る事が出来た。実は先日、KSMが“一番くじ”で当てたフィギュアを僕が引き取っていたのだ。お土産を渡す口実には最適だった。店長には携帯ストラップ(525円)、マネージャーには石鹸(420円)、そしてKSMには吹きガラスのコップ(3000円)。金額に差はあれど、3人にお土産を用意し、全て違う物にした事で上手い具合にカムフラージュも出来た。
「予定では来週の月曜にまたヘルプで来る予定なので、よろしくお願いします」
「ハイ、こちらこそよろしくお願いします」

 僕を絶望に突き落としたのは、その僅か3日後だった。


(第一部・完)



※214号線は仮称であり、実在しません。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿