芸歴とかデビュー年は、養成所時代を含むのかといった定義は、実はややこしい事なんやわ・・・ロンドンブーツ1号2号が、解散します!あまり正式なコンビ名では呼びにくく、ロンブーの愛称で親しまれてるから、返って誰の事か解り辛いですが・・・実は、彼らについては全く詳しくないんですが(謝)ヤフコメを信用すると、淳が吉本に籍を置きながら亮は株式会社LONDONBOOTSに所属してるけど、吉本とはエージェント契約の形になり、実質フリーであったし、いつか吉本所属に戻って来てくれるという思惑があったけど、亮は先の闇営業による本社の上役の圧力の姿勢に不信感を抱いていて、その気はまだ芽生えてなかった事による意識・方向性の違いによる解散のようですな・・・ロンブー結成時には、まだ東京にはNSCが無く、オーディションのみで劇場出番等を獲得。ネタの作成は両者というのが意外でしたが、ブレーンや全体の構成バランスは、淳でしたでしょうね。恐らく同期は、ドンドコ・ペナルティ・有吉・シャンプー・次課長・野爆・徳井(チュートリ)さん・ブラマヨ・テンダラー・小籔・チャンス大城・アメザリと豊富すぎるメンバー。の中でタレント性とカリスマ性で一番早くから出世・頭角を現す!得意技でもある素人イジリも、早い内から発揮。元々欽ちゃんの十八番やったから、ある意味"若干毒のある欽ちゃんを継ぐコンビ"やったかも知れん(汗)僕が知ったんと出世番組は、ボキャブラかな。ヒロミはいたくお気に入りやったみたいやけど、あまり熱心に観てた番組やなかったし毎回観てなかった事もあり、ピンと来んかった・・・亮は「ある意味ただの明るい(だけが取り柄の)人」と相方も言ってたし世間のイメージやけど、"実はネタ作成能力は失礼ながら意外とあって、ドリームマッチでハリセンとやったネタなどで発揮されたんやわ!なお淳は、2回目の浜田(ダウンタウン)氏と組んだ2006年に優勝してます!淳の優勝と相方が居なくても出来るというドリームマッチでロンブーを見直しました!ナイナイより実は、芸人としての身体能力があるんやないか!?と(ネタでしか尺度を計ってなくて、すいません・・・)。どっちが1号か2号か知りませんでしたが、歳上という事もあり亮が1号で、淳が2号のようです(汗)他にも裏方とかのロンドンブーツのメンバーが居るらしいですけど、申し訳ないですがここでは省略・・・これぐらいしか書く事がないですが、ご両人共お疲れ様でした!
東ゆめ子(東京太・ゆめ子)師匠が、亡くなられました。というか、81歳には見えませんでしたなぁ・・・冒頭の"母ちゃんあれだよ、あれ、あれだよ、えーっと・・・"と出端(でばな)でネタに詰まるのは、ほんまに言葉が出て来なかったんか?それとも敢えてそうしてたというそういうネタやったんか?という所は、未だ謎ですね(大汗)そのあと持ち直すのが、(何や!心配になったけど、上手く出来る・喋れるやんという緊張と緩和を生み出す笑いで)良いギャップになってたと、個人的見解を持ってました。あと以前書いたかも分からんけど、毎回の鉄板のくだりが、"僕らは爺さんと婆さんとでやってる漫才なの?"・"これが本当の(爺と婆とでの)地場産業"のくだりは、確実に感心・拍手笑いが起きてましたなぁ!爆笑してたかっていうと、上手い事言い過ぎて感心が勝ってた分、う~んと疑問符が付きましたが・・・イマイチ頼り無い旦那さんを上手くリードし、ネタ運びが上手でした。"私はあなたの母ちゃんでは、ありません!あなたの親じゃありません、生んでません!"と言ってもまたしばらくすると、呼び方が母ちゃんになってしまってる面もありましたが。「ねっ」という合わせ技も、夫婦仲を感じさせるほのぼの感と手を繋いででの登場もやったなぁ。京太 師匠は2回コンビを結成後、ピンとして競輪評論家も務めていたが、1993年に奥様のゆめ子 師匠とコンビを結成。ゆめ子師匠は、それまで芸能人ではなく随分と遅くのデビューとなったけど、追い着きましたな。もちろん笑点・演芸図鑑・真打ち競演といった鉄板のネタ番組には出演したが、若手・中堅向けのチャップリンにも出演歴が、ありました。お悔やみ申し上げます(涙)
あまり記憶に残ってなかったけど、卓也努力勝利(四天王)さんが、急逝しました!!四天王って何か観た事あるような気がしてたけど、やはりネタパレ・ぴったりに出てましたね!どんなネタやったかって言われたら、覚えてないけど(謝)有ジェネにも出てたみたいけど、すみません覚えてません・・・入院(入院発表)して、僅か2日後に逝くなんて(涙)こんなものを掘り下げてもしょうがないんやけど、真っ先にファンとしてよぎったんは、やはり河本(ベイブルース)さんやけど、近年やとかわぐち(てんしとあくま)くんかなぁ。モラトリアムが無く即日か前日に逝ったんが、村田渚(鼻エンジン)さんやったけど、先の2人は言い方が悪いけど、まだモラトリアムが何日かあったから、ファンもある程度は心の準備が出来た(河本さんの場合は、本当の病状を伏せてたからそんな事は無いかぁ・・・)けど、あっという間の場合はなぁ・・・僕も河本さんの時は、普段目に留める事なかった新聞のラジオ番組のラテ欄をたまたま見た・読んだ時に、「へぇ、入院しはったんやぁ」ぐらいにしか思わんかったけど、覚悟する事も無く1・2週間後にああなるとはって感じやったけどなぁ。四天王は、事務所も3社に所属してた経歴があり、ソニー、ビクターを経て松竹に行き着いたみたいです。タイトルは、「第四回江戸まちたいとう芸楽祭 ビートたけし杯 お笑い日本一」の優勝。2021年のKOC準々決勝進出、2024年のM-1の3回戦進出が、キャリアハイです。近々の話では、先週の水ダウにも出演してたみたいです。本名は加我卓也さんで、相方はジェット(石川晴路)さんです。ジェット君の今後なんて判りませんが、卓也努力勝利さんへ、お悔やみ申し上げます(涙)
令和喜多みな実が、7月の単独ライブで解散します・・・と言っても、野村が長期休養中なんですが、最期無理して出てくれるみたいです・・・令和ロマンより先に売れてたのにな・・・デビュー時は、エリート中のエリートでツートライブ・バンビーノ・尼神・アイロンヘッド・ダブルアートを押し退けてでの出世街道でしたからね。2009年のM-1準決。なお僕が初めてM-1の敗者復活を観た大会でトップ出番やった。ボケが全部一緒の一点突破ボケと大黒屋ドラッグの店員の形態模写もポイントの1つでしたが、さすがに単調でした・・・これが、初見。あとは、震災後にあったソーセージ(現:アキナ)の関西ローカルの深夜の帯番組の準レギュラーも獲得。関西でもいくつか賞レース(2013年の上方漫才大賞 新人賞、2017年のNHK上方漫才コンテスト優秀賞、2019年歌ネタ王ファイナリスト、2019年オールザッツ漫才ネタバトル優勝)の賞を獲得。東京でもすべらない話に野村が出演!松本氏にちょっと誰か判らん・・・関東なのか?関西なのか?も と言われましたが、飛び入り参加みたいなコーナーやったけど、順調にこなし!濱口(よゐこ)のバチバチエレキテるの準レギュラーといった順調なステップを見せてたんやけど、野村が舞台(脚本も手掛け)や音楽にも力を入れて行きすぎたせいか、徐々にメディアの露出は減り、相方の河野のMCやライブでのMCやレポーターや便利屋役が、増えて行った(汗)レギュラー番組も多い。コンビ名もプリマ旦那から改元を機に令和喜多みな実に改名した際には、堅い雑誌のAERAで特集される(確か令和ロマンも取り上げられたはず、改元を機にコンビ名を変えるコンビの代表例として)ほど騒がれたけど、むしろこの頃から快進撃が見られなくなった(ヤフコメには、そういう意見が多い)気も(涙)野村は鬱病に罹患し、2023年2月下旬から休養していた←鬱病やったんは知らんかった・・・2013年にオンバトで僕は、目の前で観たしボールも入れたな、既視ネタやったけど・・・でもオンバト戦士(出場者)には、変わりない!オンバト+では、3勝2敗でした。加えてNHK上方漫才コンテストの予選でも審査した事があり、トップ出番の時もあったけど、達者やったな!!突き抜けるものに若干欠けたから、Aは付けれんかったけど、Bは付けたからな。何回か生で観た事があるだけに、非常に残念ですが、野村もゆっくりと治してまた表舞台に立ってください。河野も今の立ち位置は観てる方も安心出来るんで、このままでええと思いますよ。
山田亮(吉本新喜劇)氏が、亡くなりました。あまり詳しくないんですが、まだ僕が新喜劇を観てた(今やアンチに近い、ファンには申し訳無いけど、だって落語・ピン芸・漫才・コントの方が、新鮮で良く見えるんやもん!)時によく脇役で出てたイメージやし、辻本師匠の"許してやったら、どうや?"のギャグも元々は、彼の発信ギャグやったらしいです!元々辻本師匠の家に居候してたぐらいの昵懇の仲であったが、辻本師匠と確執が出来、新喜劇の出演すら遠ざかった時期もあったようで・・・ただ2014・16年には、復帰をしていた。お悔やみ申し上げます。
あと昭和のいる(昭和のいる・こいる)師匠も亡くなりました・・・既に相方さんは、亡くなってます。"じゃない方芸人"の典型に見えましたが、あの優しいツッコミは中々出来るもんやなかったでしょう。塙も"のいる・こいる師匠は、ズルいよね。歌も上手いし、スベってるのを見た事がなかったもん"と脱帽・称賛してますから、僕は正直あまりコンビの良さが解りませんでしたが、プロの視点という事で(汗)コンビでの話は、以前に言及してるんで・・・
お悔やみ申し上げます(涙)