富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

女の夜の声

2010-03-23 16:41:10 | 中間小説

光文社文庫 初版:2002年3月
(初出は1984年有楽出版社刊)


遠い町の古本屋で店主にいぶかしがられながら購入。

新古書店で官能系の文庫をたまに見かけるが、
状態の良いものはぽちぽち買っていた(汚いのはきもちわるい…)。

ただ「密通」で懲りたので読むまでにはいたらない。
今回は道中電車待ちの時間が長かったのでしかたなしにページを開いてみた。

すると…あら、大胆なタイトルの割には青春小説のおもむき。
コバルトシリーズのおとな版か?


裏表紙には
「自分の気持ちと裏腹に猛り狂う欲望を、冷静に見つめつづけた著者の珠玉集」

とアオリがあるが、行為についてのハードな描写はそれほどありません。


というわけで電車の中でこそこそ読んでおりました。


20歳前後の男女が主人公の16の短編集で、
ストーリーは…

・童貞の大学生を手ほどきしようとする人妻
・いとなみを見学したい、または「半分体験したい」処女の女子高生
・プレイボーイに自ら抱かれに行く女の子
・乱交および夫婦交換

などなど。





ありえへん。


いつもノートを片手に、思ったことを書きながら読書しているのだが、
ノートには「ありえへん」の文字がいくつも…。
一編読み終わるたびにため息…。


都合のいい女の子。
快楽をおぼえ、フリーセックスに興じる女の子。
それを(もちろん)喜んで受け入れる男ども。


あのコバルト系の清純なカップルはどこにいってしまったのか。

ターゲットが男性にしぼられてるから、こうなるのだろうか。
これが男のロマンなのだろうか。


…わからん。
私の青春がまちがっていたのですか。


これはまさに娯楽作品だ。
コバルト系はヴィジュアルではなく文章を味わいたいものだけど、
これは、まんがでもいいかな…という感じ(趣味で描くか)。


そして、精神より肉体的な「好奇心」に重点が置かれているのも大きな違いだと思う。

そりゃあ、いつまでも清くはいられない。
そう、もういいかげん我慢しなくたっていいじゃないか!
そう、我慢しなくていいんだ!やっちまえ!


そこで発動するのが好奇心だ。
作品の女の子は、考え方によっては「純粋に」好奇心をあらわにしている、という言い方もできるだろう。


しかし、好奇心は実体験によって一気に消滅する。
期待は当たりか、はずれか、どっちかだ。



キスまでが恋愛の醍醐味とはよくいわれることだが、
その次のプロセスに対するドキドキ感は、多少あったとしても、
初めての「その時」にはおよばない。
それは、それがすなわち「完結」だったからかもしれない。





さて、「ありえへん」と何度も書いてきたが、最後に収録された「女の意地」は、
作者の学生時代「当時」の実話らしい(で、誰の?)。
いずれにせよ、私とは違う世界のお話だ。


富島ワールドからつまはじきされたような感じにさびしさを覚えつつ…。
まあ、こんな感想じたいが蛇足なのだ。


つみあがった「女人追憶」…まだ読んでないけど、
感想「ありえへん」だけかもな。

蛇足続けるのか?
いいじゃんか、「私的実験室」なんだからさ。


(ちなみに表題作はショートサスペンス?でした。)


2010年3月23日読了



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。