徳間文庫 1992年2月初版
カバーデザイン:池田雄一
この作品については、昨年11月にちゃこさんからリクエストをいただき、書籍まで提供していただきました、ありがとうございました!
※「官能小説」カテゴリを「中間小説」に変更しました。
この手の短編集を読んだのは『女の夜の声』以来だろうか。
ジュニア小説にホレこんでいた当時はストーリー展開に「ありえへん、ありえへん」を連発していたが、『女人追憶』も読み進めてきたし、今回はもう少し冷静に読むことができた。
冒頭の「可愛い浮気」「貞淑な妻」は、富島氏がよく引き合いに出す“可愛い女”のイメージを印象付ける。他の男と寝ても、浮気であっても、目の前のあなたが好きなの、という女に男は惹かれるものか。ちょっと甘えん坊の小悪魔的な女の姿がそこにある。
「女の戦い」は、自分の亭主の素晴らしさを証明するために、亭主を主婦仲間にあてがうというとんでもない展開。浮気をしないという意味でこの妻は“貞淑”であるという立ち位置であるが、人間性よりもあちらの素晴らしさを誇示したいという願望には、結局浮気で性を楽しむ主婦仲間へのあこがれが表れていると思うのだが。
「相互鑑賞」は(未読だが)『男女の原点』シリーズを彷彿とさせるスワップ実録風だが中途半端な感。
「母の情事と娘の反応」は、女子高生からの手紙をもとにしたというこれまた実録風。若い男と年増女という組み合わせに女子高生を第三者として登場させることで絶妙な色香が加わる。表現はきわどいが、ジュニア誌に載ったのかと一見思わせる作品(実際は『オール読切』掲載)。
「浮気の現場」も、結婚をまじかに控えた処女が中年大学教授とホテルに行き、ギリギリの線まで行くというありえない設定。処女と非処女の中間にある女に、全くの純白ではない微妙なエロティシズムを持たせている。犯すか、のみこまれるか。本文中にもあるが、そこに男性の奇妙なサド・マゾヒズムをみるような気がする。ラストに「月曜日の眸」のようなドキドキ感あり。
「セックス・フレンド」と「夏休み前後」は、学生のアバンチュールを描き、ちょっと『女人追憶』のにおいがする。下宿、帰郷、そんな言葉に富島健夫独特の青春の空気感を見る。
「浮気の現場」のように余韻を残した終わり方をするものに対し、「相互鑑賞」や「セックス・フレンド」はぷっつりと突然終わった印象がある。作品は答えを出さない。首をかしげたくもなるが、それはまた“考えても答えの出ない”人生の姿をも表しているのかもしれない…とは深読みか。
さて、これらの作品は、若い男性にとっては憧れであったり、刺激的であったりするかもしれないが、書き込みの浅さは否めない。
タイトルになっている「たそがれの女」を読んだとき、やっと「ああ、これだ」と思えた。他の作品とは力の入れ方が違う。これを巻末に持ってきたのは正しいと。
学生時代の見聞と前置きしながら、バラック家に住む女たちの姿を描く(ここは『七つの部屋』を彷彿とさせる)。登場する二人の女は梅毒に侵されたチンピラの妻、康子と、卵巣を失った元女郎、花子。どちらも、女性器官を失った女なのだ。
康子は性器が溶けても女の情欲を持ちづつけ(性器の描写にはクラッとさせられる)、花子は男のようにたくましく生きる。この二人に共通するもの、それは生きる力だ。性と生。康子の夫である松井も悲劇的な結末をたどるが、作者が康子にこの運命を背負わせなかったのは、女の強さを際立たせるためではないか。
巻末に国文学者 小川和佑氏の解説があるが、作品と照らし合わせているものに無理があり、ちょっとかみ合わない印象。けれども、最後のこの言葉には共感する。
(筆者注:「たそがれの女」を)本書の表題にしたのは、富島さんとしても思い入れが多かったからでしょう。ひどく哀しい作品でした。それは作家富島さんの素顔の小説といってよいかもしれません。
富島初期の作品にみられる影とほんのかすかな光が、この作品には感じられた。
そして、やっぱり富島健夫は、青春と人間を描く作家なのだ、と思う。
ところで「夏休み前後」に、こんな文がある。
和彦が何人もの女と関係を持っていることは、弘美は知っている。(略)
だから、和彦と弘美の関係は、和彦がほかの女と遊ぶことを弘美は認め、しかし愛されているのは自分だけだと弘美が信じているという状態なのだ。
男とはそういうものだと、弘美に和彦は思い込ませている。もちろん、和彦は弘美には貞操を求めている。
男女同権論者には許せないことであろうが、そんなタテマエなど和彦には関係のない話であった。
おなじみの男の身勝手さである。けれども、この作品集には、そんな男を翻弄する女の姿も見えはしないか。
女のエロティシズムは、貞操を守る女のものであっても男を支配している。
男も女も、どっちもどっちなのだ。
2011年4月13日読了
>これを巻末に持ってきたのは正しいと。
あ、逆だ
解説は苦し紛れ、という感じがなきにしもあらずですね。
逆でしたね(笑)。実話に思わせる手法は富島氏の定番だと思っていたので、さほど違和感はありませんでした。ウソかホントかわかりませんがね。
文庫本の解説はどうしてこんなにひどいのか。誰だったか、渡辺淳一だか五木寛之の話を延々と述べたあと、むりやり富島にこじつけたやつがあった。いい書き手がいないなら、Aさんや私たちに書かせたほうがよっぽど人さまの役にたつ気がいたします(書いてて腹がたってきてしまった:笑)。