富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

黒い河

2013-01-05 22:07:19 | その他の小説

左:1957(昭和32)年11月再版 角川小説新書 カバー:エドヴァル・ムンク「天界での邂逅」 
読んだのは右:1956(昭和31)年10月初版 河出書房 装丁:大野隆也

※あとがきによると、角川小説新書版は若干手が加えられているらしい(どの箇所かは未検証)。

富島(冨島)健夫の描き下ろし初単行本。執筆時25歳。貧乏学生である「ぼく」の視点から、一軒のあばら家を間借りしている貧しい住人たちの姿や、やくざのジョーの情婦 静子との恋愛“らしき”様子が描かれている。

初期の富島作品は、作者自身の厭世的な人生観が現れた暗いものが多いが、この作品は特に作者の「自己主張」が強いように思える。例えば、舞台が似ている『七つの部屋』の登場人物に比べ、『黒い河』のそれはユーモラスに描かれていると言えるが、それは作品を面白くする手法ではなく、「ぼく」の冷ややかな目が見た皮肉のこもった姿のようだ。

静子に対しても同様である。小林正樹監督の映画を観たとき、「これは原作に忠実だろう」と思ったのだが、意外にもそうではなかった。映画では、静子は「操を奪われても心は清い」という、“読者が好感を持ちやすい”富島ヒロイン的なキャラクターだったが、原作では不良少女のひな形である「ヨウコ」ほどの魅力が感じられない「あばずれ」である。

冨島は、男女よりも“人間”を描くこと、自分の人生観を遠慮なしに打ち出すことを第一にした印象を受けた。「言いたいことは言わせてもらう」みたいな感じか。それが、読者には若干未熟に思えてしまう。

25歳の筆力もすごいが、この作品を冨島がその後描いたような男女の物語を予期したような作品に映像化した、小林正樹監督の手腕にも感心したのであった。

(2012年12月24日読了)

 

…という読み取りと以下は全く違う内容。現代文の試験だったら0点でしょうか。まあ、ふみさんの感想は、ふみさんのもので…。

河出書房版のあとがき「私は靜子を『ぼく』のその願望が彩るにまかせた」
角川小説新書のあとがき「私はこの小説で、かくされた庶民の顔を主観の潤色を極度に押さえて、正面から描こうとした」「私がここでもっとも描きたかったのは、靜子という若い女性の像と『ぼく』の生活態度であった」

丹羽文雄の解説「これは風変わりな恋愛小説である。(略)暗い過酷な現実の中から、時には明るいユーモアがひき出される」


※カバーを取っても味がある(河出書房版)。



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