ふるやの森

地球文明の再生に向かう
(当ブログはリンクフリーです、また相互リンク先を募集中です)

GFLJ11/10,2013:ファースト・オープンコンタクトの意義

2013-11-10 07:28:08 | GFLJメッセージ

私が、これから私たちの実現しようとしているイベントを「オープンコンタクト」と呼ぶことを提唱してきた理由は、人類が地球外文明と接触(コンタクト)を行うのは、これが初めてであるわけではなく、有史以来人類は彼らの訪問を何度も体験してきた事実が残されているからである。さらに、地球人類自身が地球上で進化して生まれたのではなく、別のさまざまな惑星から訪れた知的生命体の子孫であり、宇宙からのメッセージでも、「私たちの祖先は皆さんの祖先であり、私たちと皆さんは親族になります」と、伝えられてきたのである。

 

VIDEO 真地球史:古代マヤからのメッセージ

浅川嘉富氏は、縄文文明とマヤ文明は共通するムー文明から派生したという説を提起している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今からおよそ1万2000年前に、一夜にして太平洋に沈んだと言われているのがムー文明である。その時、東の大陸・南北アメリカに渡った人々の末裔がインカ族、マヤ族、ホピ族である。一方、西を目指して逃げ延びた人々は、琉球諸島や日本本土、それに台湾や東南アジアへ渡り、その地の先住民となった。

埴原和郎氏が1991年に提唱した日本人の起源に関する「二重構造説」では、次のように述べている。

「日本人は現日本人と渡来人との混血によって生じたものである。前者は数万年前に日本列島に渡来した後期旧石器時代人から生まれた縄文人で、後者は弥生時代以降に大陸から新たに渡来した集団である。両者の接触によって、九州や本州では両者の混血が進んだが、北海道と沖縄では縄文人の系統が比較的純粋な形で残り、アイヌと沖縄の人々になった」

私は、埴原氏が東南アジア系の縄文人と述べている人々こそが、ムー大陸から移住して来た人々であったのではないかと考えている。元々日本列島にはすでに原住民が暮らしていたに違いないが、ムー文明の高度の知識をもった移住者たちが主導権を握って、 地球規模の大異変で原始時代に戻った文明を、再び開花させてきたものと思われる。

その末裔を代表するのが、卑弥呼が率いる邪馬台国であった。しかし、弥生時代に入って大陸から東北アジア系の人々が渡来し、彼らは次第に追い払われて南九州から琉球諸島へ、また一方は北の地へと 移り住んでいった。

南に下った種族の内の一つが熊襲(くまそ)と呼ばれる一族で、彼らはしばらくの期間、南九州の地で留まっていた らしく、古事記には古代九州の西南部にいた勇猛な豪族として登場している。一方、次第に北へと追いやられた種族は蝦夷(えみし)と呼ばれ るようになり、彼らは東北から北海道へと移住し、アイヌの祖先となった。

そうした時の流れを裏付けるように、マヤや沖縄、アイヌの人々はその顔形、彫り の深い目鼻立ちや体毛や髭の濃い点、頬骨の張り出し方が強い点、やや長頭型である点などがよく似ている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

南へ追いやられた縄文人は、南九州にしばらく定住して、自分たちの文化を後世に残している。浅川氏は、熊本県に残された「チプサン (tibusan)古墳」がその痕跡だと述べている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

アイヌと琉球人の源流

熊本でアイヌ語が関係する名称といえば、真っ先に思い出すのが「チプサン (tibusan)古墳」である。私のHPのトップページを飾っている写真である。古墳の壁画のキャプションにも書いたように、考古学者は古墳名「チプサン」を女性の乳房(チブサ tibusa)からつけられた名前だと述べている。

しかし、それは壁画の一部に丸い円が二つ描かれていることからそう主張しているだけで(下図参照)、それでは、二つの円がなぜ乳房を表しているといえるのか? また、「チブサ」がなぜ「チブサン」となっているのか? それらの理由をまったく説明できていない。これでは見る人を納得させることは出来ない。

古墳のメインの壁画は、トップページに掲載した絵柄を見れば分かるように、そこには7機のUFO(空飛ぶ円盤)を迎えている冠をかぶった王の姿が描かれており、それは女性の乳房とは全く関係がない絵柄だ。ところが、古墳名がアイヌ語の名称であるとすれば、 古墳名の納得のいく説明が出来るのだ。

先日、北海道の白老(しらおい)にあるアイヌ民族博物館を訪ねた際に、アイヌ人の方に「チプサン」というのはどういう意味でしょうかと、尋ねたところ、それは「船を降ろす儀式」を意味する「チプサンケ(chipusanke)」のことではありませんか、きっと長い歴史の間に「チプサンケ」の「ケ」が抜けてしまったのだと思いますよと言われた。

「チプ」はアイヌ語で「船」を意味し、「サンケ」は降ろすとか降臨させるという意味である。冬の間陸に揚げておいた丸木船を、春になって漁をするため海や湖に降ろすのだが、その時に執り行う儀式が「チプサンケ」、つまり、「船を降ろす儀式」というわけである。そう考えると、壁画の絵は、まさに「チプサン(ケ)」(宇宙船を地上に降ろす(着陸)させる際の儀式)そのものではないか。

読者の心眼は、学者先生の説く「乳房説」と私の言う「船降ろし儀式説」と、どちらを選ばれるだろうか? 

・・・・・・・・・・

アイヌ人は先住日本民族の縄文人の子孫であり、現在の日本人は渡来系の弥生人と先住縄文人の混血であることになる。したがって、私たちが継承した日本の文化と伝統は、純粋な日本文化に渡来系の外来文化が融合した混合文化と見ることができるのである。

これから、銀河連邦日本(GFLJ)が実現しようとしている「オープンコンタクト」とは、私たちの深層意識の奥に眠っている、はるかな遠い過去の「チブサンケ(船降ろし)」の儀式の復活であり、かつて普通に体験していた古い親族との交流の再開であると考えるべきではないだろうか・・

☆F★