神社の世紀

 神社空間のブログ

(1)伊勢津彦探しは神社から【緒言】

2010年07月01日 21時57分35秒 | 伊勢津彦

 『伊勢国風土記』逸文によると、日向を出て東征を開始した神武天皇は、熊野を迂回するルートをとって大和の宇陀まで来たとき、同行していた天日別命に「標ミシルシの剱(天皇の権威を象徴する剣)」を与えて、そこから遙か東方に広がる地域の征討を命じたという。

 これを受けて天日別命が東方数百里まで進入すると、神がいて伊勢津彦という名前だった。天日別命がこの神に、国を天皇に献上するよう求めると、「私がこの国を求め、居ついてから長い年月になる。天皇の命など受けることがあろうか。」と言う。天日別命が兵を用いて伊勢津彦を殺そうとすると、彼はひれ伏して「この国は天皇に献上する。私はもう出てゆく。」と言う。天日別命が「お前が去りゆくとき、何をもってそのことが分かるのか。」と質問すると、伊勢津彦は答えて「私は今夜、大風を起こして海水を吹き上げ、その波に乗って東国へ行こう。それが私の立ち去る証である。」と言う。
 そこで、天日別命が兵を準備して様子をうかがっていると、その夜になって、「大風オオカゼヨモゆ起り、波瀾ナミを扇挙ウチアぐ。光耀ヒカリカガヤくこと日の如く、陸国も海も共朗ミナアキラけし。遂に波に乗りて東にゆきぬ。」、すなわち、真夜中頃になって大風が四方から起こり、波しぶきをうち上げた。その波が光り輝く様子はまるで太陽のようで、陸も海も急に明るくなった。そして、とうとう伊勢津彦はその波に乗って東国へ立ち去ったという。

 風土記逸文は続けて、土地に伝わる言葉に「神風の伊勢の国、常世浪寄する国」というのはきっとこのことを言ったのだろう、と述べている。またその後、伊勢津彦は信濃に行ったと伝えられ、さらにまた天日別命はこの国を平定して天皇に復命し、伊勢津彦にちなんで国の名は伊勢と名付けられた、というエピソードが紹介されている。


 この伝承のうち、天日別命が神武から標ミシルシの剱を授かって伊勢地方へ入ったという部分には、後世の作為を感じる。
 天日別命は外宮の祀官であった度会氏の祖神である。したがって、彼らの間に伝わっていた伝承が風土記に収められる際、自家の血統をより由緒あるものに見せかけようとして、天日別命を神武天皇に関係づけるよう架上されたのがこの部分だったらしい。しかし顕著な国譲りのモチーフや、興味深い伊勢津彦の描写などは、ほんらいの伝承に含まれていたものとみてさしつかえないだろう。

 ことに伊勢津彦が海水を巻き上げて東国へと退去する様子を描出した「大風四ゆ起り、波瀾を扇挙ぐ。光耀くこと日の如く、陸国も海も共朗けし。遂に波に乗りて東にゆきぬ。」という部分は、何世代にもわたって口承されてきたフレーズだけがもつ、どっしりと口になじんだ感じがある。おそらく、伊勢地方にいた海人たちの間でずっと口ずさまれてきたものではないか。

 この部分はイメージの喚起力が強烈であることでも特筆される。まるでディザスター映画の一場面のようだが、安っぽいCGの画面では再現できない古代的な壮麗や戦慄、そこはかとない優雅さがある。世界中を探しても、これに匹敵する外観をもつものはギリシア神話のゼウス神くらいだ。

 それはともかく、この突出した描写により、伊勢津彦は風波の神であったことがわかる。そして風土記ではこれに続けて、古語にいう「神風の伊勢の国、常世浪寄する国」はけだしこのことを云ったものだろう、と続けている。
 「神風の伊勢の国~」は壬申の乱を契機に成立した枕詞だが(『万葉集』199)、たんに風土記の筆者が伊勢津彦の伝承にこれを仮託したというより、この枕詞が生まれてきた文化の古層に伊勢津彦の信仰があったこともありえる。


 松前健の『国譲り神話と諏訪神』(『日本神話の形成』所収)という論文には「建御名方と伊勢津彦」という章があり、周到な書きぶりで伊勢津彦のことが巧みにまとめられている。大いに参考にさせてもらっているが、この松前の論文によると、出雲、因幡、丹後などで東南の風のことをイセチ、イセツ、イセイチカゼなどと呼び、また尾張、三河、遠江などでは泉南の風かあるいは西風のことをイセグチ、イセ二郎、イセジ、イセヨカゼなどと呼ぶという。いずれも伊勢の方角から吹く風を意味する。

 松前は、「それほど伊勢は、風の名所のように思われていたのである。伊勢津彦の名も、おそらくこれと関係があるのであろう。」と述べている。
 後にも触れるが伊勢津彦には出雲とのつながりがある。その場合、出雲などで伊勢の方角から吹く風が「イセツ」と呼ばれていた、というのはやっぱり興味深い。

 おもうに、こうした伊勢地方の風というのは古代人にとってたんなる気象現象以上のものではなかったか。端的に言ってそれは、海上他界から波に載って吹き寄せてくる霊妙な威力であった。「常世浪寄する国」というフレーズはこうした他界信仰に神仙思想が習合したものだろう。

 そういえば、『伊勢国風土記』逸文で天日別命と出会った伊勢津比彦は、「私がこの国を求め、居ついてから長い年月になる。」と言っている。長らくは暮らしているが、別にそこで生まれ育ったという訳でもないらしい。あるいは、この海上他界が伊勢津彦の故郷であり、彼が波を巻き上げ、闇夜を照らしながら退去していった先もそこではなかったか。その場合、彼は退去したというより帰還したのである。