昨日、高校時代のメーリングリストに恩師の訃報が入った。
高校2年、3年と私の担任だった生物担当のA先生(男性)。
A先生は卓球クラブの顧問もされていたので高校1年時に卓球部員だった私は
その時からお世話になっている。
私の母校では毎年夏に全体同窓会があり、10年ほど前から、私は病気になるまで
毎年参加していた。(2学年が幹事役で主催するのだが、全体同窓会なのでいつも
かなりの大人数になる。私の学年は仲良し学年だったので、毎年30人ぐらいは
集まる。なぜか2次会が50人ぐらいになる時もあった)
最近で私が参加したのは多分3年前の夏。A先生も参加されていて
まだまだお元気そうだった(年齢は不明。当時80歳ぐらいだろうか)。
顔を会わすと、いつも覚えてくれていた(と思う)。
というのは、私は高校時代は「ワル(?)」だったからだ。
(ここからは高校時代の思い出話を綴ります。以前にブログに書いたような気もします。
同じ話をまた書いてしまったらごめんなさいです・・・)
正確に言うと私の彼B君が「ワル」だったんです。
今どきのヤンキーとは違うが、
ヘビースモーカーで、あまり学校に来ず、行きつけの喫茶店か雀荘で
たむろしているようなヤツだった。
高2のクラスメートで小室哲哉似の彼が低音のすごくいい声で
何かの授業の時に、教師を煙(ケム)にまくような哲学的な発言をした事が
印象に残っている。
Bは頭がきれる。
そう直感した私は彼に惚れ込み、夏休みに告白した。
すぐにOKが出、私たちはステディな仲になった。
Bは哲学者の西田幾多郎の本などを読みあさり、私に哲学を語ってくれた。
秋の修学旅行(九州までの船旅)で、バスの中で彼と私だけがカップルで座っていた、
(何と大胆な!笑)
二人きりで外出し、門限に遅れ、A先生に「えりりん、気をつけなアカンで。」と
叱られた事もあった。
2年生の3学期の進路指導の件で、
担任と保護者との個人懇談がありA先生は私の母に
「あんなヤツのどこがいいのかわかりませんなあ。」と母にこぼしていたそうだ。
私は高校時代、下宿生活をしていたが、3年生の時には彼は親友のC君と夜中に
バイクに乗り回し、私の下宿の窓に小石を投げてきたりしていた。
(来た、という合図だった。私は真面目な?受験生だったので彼らには会いには
行かなかったが)
3年生の春(夏?)の朝、教室に入ると私の親友のD子が(今も小学校の教員をしてます)
目を真っ赤に泣きはらして大声で「C君が死んだあああああああああ。」と私に抱きついて
きました。
え?何?
確か一昨日も「お前の下宿へ行ったぜ。ふたりで。」と言っていたのに・・・
信じたくなかった・・・。
C君は某国立大医学部教授の脳外科医のひとり息子。
彼もB君同様全く勉強しないヤツで、しかし頭の良さそうな男子だった。
BとCで二人乗りをしていて何かにぶつかり転倒し、C君は死んでしまった・・・。
私の彼だったBはかすり傷だけで生き残ったものの、その日から彼の性格が
前にも増して暗くなり、彼の心の中に私が入る隙間がなくなってしまい
私たちは別れました。
それでも私は何度も彼を追いかけ、すがり、元の状態に戻りたくて・・・
毎晩、彼に電話をかけては泣いていました(公衆電話から)。
進学校なのに受験勉強どころでなかった私・・・。
当時の私はストレートロングヘヤーにド近視の眼鏡、誰が見ても普通の真面目な
受験生でした。
だからこそ、A先生は私の事を心配してくれていたのだと思います。
20歳代後半の時、高校3年生の時のクラス会があり、A先生も参加してくれていて
私が「医師と結婚することになりました。」とA先生に報告した時の先生の
満面の笑顔、今でも忘れません。
確かあの時「ヨカッタ。よかった。エエやつ見つけたのう。」と心から祝福してくれました。
私が交際していた彼は頭が良かったのに全く勉強をしなかった為、
大学に行かず(私たちの高校からは大学に行かない人は殆どいなかったのに)、
卒業後、スナックで働き、後に店を持ち結婚しました。
が、その結婚相手は何と公立小学校の教員!!!(風のたよりに聞きました)
その彼は38歳で癌で他界。彼も早すぎる現世との別れでした。
高校卒業してからはミニ同窓会で一度だけ会っただけで、彼との思いでは
今では、もう私の青春時代のひとこまの映像にすぎないのに、
横道にそれそうな(私は現実主義者なので何があっても真面目道を生き抜くと思いますが)
私を心配してくれたA先生の訃報に
私の青春時代がすべて遠くへ行ってしまったようで・・・・・
今はひたすら悲しい・・・・
こんな時、高校時代の友と、A先生の思い出を語り合いながら、
「誰か、私の青春時代を返して!!!」と叫びながら、
グダグダとお酒でも飲めれば・・・。
(お酒が一滴も飲めないのが残念です)
今年の夏の同窓会は元気になって参加したい・・・そんな事をとりとめもなく
考えているきのう、今日の私です。
患者さんがだんだん同級生が亡くなっていくんだよと今日も話していたばかりでした
高校時代がすごく楽しかったので、事あるごとに色々思い出すんです。
今回は恩師が他界されたので、とてもつらい気持ちになりました。
そうそう、うちの「開院当初から来てくれていた患者さんもだんだんいなくなる・・・」と夫がよく悲しんでいます・・・。
さくらちゃんの2回目のコメ、最初何の意味か判りませんでした。
しばらく考えてやっと理解。
私がリコメに書いた最初の1行に対してだったんですね・・・。
私こそ、そんなに深く考えて書いたのではなく、これからも、また書くよ~、という感じで書いたんですが、つい、謝ってしまいました。
さくらちゃんの言葉が足りない・・・なんて事、決してありません。
私がいつも本当に前に書いた事を何度も書きたくなり、ついつい書いてしまうのです。
「ごめんなさい。」なんて言われるとつらいです。私も「ごめんなさい。」と言ったので、さくらちゃんにつらい思いをさせたんですね。
う~ん、謝罪の言葉も難しいですね。何事も熟慮しなきゃいけないんでしょうけど、そうすると書けなくなってしまうし、さくらちゃんと私の仲だから、お互い心が通じ合っているということで・・・ね、ももちゃん?
何度聞いてもうんうん・・と考えたり心が温かくなったりするエリリンちゃんのブログだなあって言いたかったんだ。
っていうか・・・私は忘れっぽい(仕事で嫌なことが多いので忘れることにしている)ので
以前の記事で書いてあったとしても、忘れていることが多くてだめですね(^_^;)
軽い健忘症(痴呆症ではない(*^_^*))かもね
さくらちゃんの暖かい気持ち、しっかり理解して受け止めましたよ。(*^_^*)
いつも褒めすぎてもらって、ちょっと恥ずかしいけど・・・(#^.^#)
何がなんだかよく判らなかったので、お電話しようと思った私でした「何も気にすることなんかないよ。」ってd(^-^)ネ!
書き言葉は難しいね。自分のブログだと変な事を書いたな・・・と思った時は消せるけど、お友達のところへコメを書きにいった時は消せないので、すごく緊張します。
私こそ、色んな事をすぐに忘れます。
実は書いた記事も、何を書いたかをよく忘れる。だから内容も重ねて書くかもしれないけど、「もう年だから(?笑)許せ~!」と居直ってます。
開業当時苦しんだ事も、過去の失恋もすっかり忘れているもの。(時々は思い出すけど、臨場感が全くないの。笑)
だからこそ、こうやって生きてられるのよね。
さくらちゃんは私より随分若いけど、お仕事忙しいから、苦い思い出はさっさと忘れるが勝ち。
これからも「思い煩うことなく愉しく生きましょう」ね!(=●^0^●=)
イヒヒヒ、フフフフ、クククク、ケケケケ・・・
ももちゃん、コメありがと!!(*^_^*)
私も一緒だよ~!!!(=^0^=)
そっかーーー。そんな過去があったんですね。だから、えりりんさんは優しいのかしら。
当時にしたら世界がひっくり返るくらいの大事件ですね。考え方が変わりますね。ほんと、ひとつの小説のような。。。。
そういう男子に惹かれてしまう気持ち、すごくわかります。そういう男の子だからこそ、無用にトラブルに巻き込まれたりして、さらに傷を抱えたりして。そういうとき、頭がいいっていうのは本当に厄介なんですよね。。。。
なんだか自分の昔の恋のこともぎゅうと思い出したい気持ちになりました。今となっては秘密の箱にいれておきたい宝物です。
色々あるのよねぇ・・・過去・・・
悲しい事がいっぱいあったハズなのに(失恋ばかりで。エヘ)今はすごく遠くへ行ってしまった・・・。
でも何かある度に、ちょっと立ち止まって考えてしまう耽美な(?)世界。
私にも恋してた頃があったんだ・・・という何だか不思議な気持ち。(今が幸せだからこそ語れるのかもしれないと思うけど。)
toneちゃんも現実世界は厳しくて大変だから、たまにはパンドラの箱を開けても、いいと思うわ。こっそりと・・・ネ・・・
変なネエちゃんでごめん・・・(*^_^*)