昭和57年 私は同僚の鈴本さんと結婚しました。結婚前にも・・何かとありました・・結婚前に、それまで、つきあっていた女性の関連は全て処分!ある日曜日の午後・・『これ・・捨ててくれる??』突然、渡されたのは銀行員の元カノからもらった手編みのセーター2枚、首のタグにはアルファベットでつづられた彼女の名前が表示されていて・・鈴本さんの表情は険しく『ふ~ん・・結構、器用なんや。。』美人の鈴本さんは容姿では遥かに自分の方が勝っている・・でも、この元カノのどこに惹かれていたのか理解できなかったんでしょう・・そして既に別れて鈴本さんと、つきあっている間、やたらと『あの子の、どこが良かったんん?』何度、言われたかわかりません。小柄でありながら、スタイルも良く色白・・セックスも、どちらかと言えば積極的な鈴本さん。つきあっている時はまだまだ・・わからなかったのですが結婚すると・・とにかく私を求めてくる頻度が半端でなく私が、その気でないと・・すごく誘う仕草や、突然、全裸になることも・・ある夜、わたしが寝ていると何やら下半身が・・(え??)寝てる間に下半身は露わになって彼女は私の・・でも、とても上手なんです。若い二人・・やることと言えば、ただただ1つ。そんな新婚生活のスタートでしたが昭和57年の秋。私は仕事のストレスから消費者金融会社を退職、家電量販店へ転職したのですが給与も大幅に減り生活が一変したのです。『もう!こんな給料じゃ生活は無理!!』勿論、二人で共働きをしましたが二人合わせて月給が30万もありません。家賃も1か月35000円の2Kのアパートに移りましたが・・窓もなく昼間も電気をつけないといけません。当時の妻の実家へは自転車で10分ほどのため毎週末には御飯を食べに行ったものです。車も妻の兄が乗っていたトヨタのカリーナを譲ってもらったり・・自宅にはテレビもありません。昭和といえど、戦後37年。テレビのない家ってあります??それでも新婚でしたから、それなりに幸せを感じながら生活をてましたが・・やはりお金・・でした。学歴もない私が収入と出世を考えると(やっぱり消費者金融すいかないのか?)そう思い始め、妻に『転職しようと思う。また戻るよ』その言葉に妻は黙って頷いたのです。妻の両親は消費者金融から家電量販店に転職した時は喜んでいました・・でも・・やっぱり給料が良くないと・・昭和58年3月に消費者金融大手のレ○クへ転職したのです。転職後、当時の消費者金融は業界でも大手と中小の格差が広がり世間では銀行等が消費者金融会社に融資することを問題化し始めたのもあり中堅以下の消費者金融が倒産や大手の傘下に入るなど業界の冬の時代がやってきたのです。レ○クも例外なく銀行や大手生命保険会社から資金の引き上げにあい営業キャッシュフローが悪化。危機を迎えつつも捨てる神あれば拾う神ありで、助けてくれた金融機関もありました。また当時、大蔵省(現財務省)の元官僚を(事務次官の次席)会長に迎えると、その心配はなくなったのです。やはり・・大蔵官僚が役員に入ると・・違いました。社内報には毎月、会長との対談が掲載されたのですが、その顔触れが凄い。銀行や生命保険等のトップが、サラ金と言われる会社の社内報に掲載されるんです。そしてレ○クは天下の日本長期信用銀行などからも資金が調達できるようにもなったのでした。昭和59年には三重県に自社の研修センターを建設し社員教育に力を注ぎはじめたのです。そんな時代の波に乗るべく私は・・昭和61年1月 26歳で天神橋筋6丁目にある支店の責任者として昇進しました。妻も涙を浮かべ喜んでくれてたのに・・支店長昇進と、ほぼ同時に八尾市から柏原市へ転居。家賃も65000円 近鉄国分駅徒歩2分のマンション。3DK・・漸く人並み?に生活ができる・・そう・・でも長くは続かなかったのでした。