縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

香港食い倒れの旅その1 ロースト・グースのお家騒動

2018-02-14 23:22:11 | もう一度行きたい
 この3連休で香港に行って来た。美味しいものを食べ、春節(旧正月)前のバーゲンで買い物するのが目的。因みに今年の春節は2月16日。が、悲しいかな、街の雰囲気は既に新年。ガイドブックには春節直前がバーゲンのピークと書いてあったのに、どこもバーゲンは終わっていた。残念。もう こうなったら食べるしかない!

 香港に来たら いつも行く店がある。飲茶の『陸羽茶室』、上海料理の『夜上海』、そしてガチョウのローストで有名な『鏞記酒家』(ヨンキー・レストラン)である。
 特にヨンキーとの付き合いは長い。現地に住む知り合いに連れて行ってもらったのは、かれこれ20年近く前。以来、ジューシーなガチョウのローストに魅せられ、テイクアウトを含めれば10回は行っていると思う。3年ぶりのヨンキー、期待に胸が高鳴る(あっ、涎が)、のはずだったが・・・。

 実は、日本でネットを見ていたところ、ヨンキーは相続争いの結果、肝心の味は落ち、逆に値段が高くなったとの噂。調べてみたら、それこそ小説になりそうな骨肉の争い、お家騒動があった。
 ヨンキーは、1942年、甘 穂煇 氏が屋台から始めた。ガチョウのローストが評判を呼び、今では香港の一等地に立派なビルを構えている。穂煇氏には3男1女がいて、実際の経営は兄弟3人が行っていた。男3人と聞くと「3本の矢」を思い出すが、この3兄弟は結束できなかった。
 2004年の終わりに創業者の穂煇氏が亡くなり、そして2007年に3男が亡くなり、ここからバランスが崩れ、母親や長女をも巻き込んだ、長男と次男の骨肉の争いが始まったのである。元々長男と次男はヨンキーの株を各々35%ずつ持っていたが、最終的に次男が55%の株を持つことに成功し、母親も味方に付け、勝利したかに見えた。
 ところが、次男には二つの問題があった。一つは、裁判に負け、長男が持つ45%の株式を買い取らざるを得なくなったこと。もう一つは、創業者の味は長男、そしてその2人の息子に受け継がれていたことである。長男は小さい頃から店を手伝っており、1973年には2代目として店を引き継いでいたのであった。

 長男・健成氏は裁判の途中、2012年に亡くなったが、裁判は2人の息子に引き継がれ、2015年11月に長男側の勝利に終わった。また、この間、2014年に長男の長男が『甘飯館』を、2015年に次男が『甘牌焼鵝』を開店し、祖父や父の味を守っている。そして、なんと『甘牌焼鵝』は開店した2015年からミシュランの1つ星に輝いている。
 これに対し、最近のヨンキーは星を取っていない。お家騒動に嫌気がさし、あるいは株の買取りに多額の資金が必要になり待遇や料理の質が落ち、料理人等が去ったのだろうか。当分は過去の名声で店は流行ると思うが、その先はどうなるだろう。

 で、僕らは『甘牌焼鵝』に行くことにした。地下鉄の湾仔(ワンチャイ)駅のそばにある。2時過ぎなのに もの凄い行列。なんと23組待ちだった。が、思ったより回転が速く、20、30分で順番が回って来た。
 僕らは、早速、ロースト・グース、クリスピー・ロースト・ポーク、ピータン(しょうが付き)、青菜炒め、そしてビールを注文した。うーん、これこれ、懐かしのヨンキーの味だ。ジューシーなガチョウの肉に、パリパリの豚の皮。こりゃ、たまらん。
 しかし、僕としたことが、ここで痛恨のミス。この店、現金かオクトパス(日本でいうパスモ)しか使えないのであった。知らなかった。キャッシュの持ち合わせが乏しい僕らはビールの追加が出来なかった。肉はあるのにビールがない。せめて あと30香港ドルあれば・・・。
 よ~し、次回はお金を降ろしてから来るぞ~! 皆さんも『甘牌焼鵝』に行かれる際は是非ご注意を。

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