ニューオリンズをハリケーン・カトリーナが襲ってから、もう半年以上経つ。今、ニューオリンズの街はどうなっているのだろう。是非一度訪れてみたい街であり、復興し、早く昔の面影を取り戻して欲しいと願うばかりだ。
ご存知のようにニューオリンズはジャズ発祥の街である。20世紀の初め、ジャズはこの街で生まれた。労働歌、黒人霊歌、ブルース、更にはアフリカの伝統音楽、太鼓のリズムと、ヨーロッパの音楽などが融合して誕生したのがジャズだ。
アメリカでニューオリンズといえば南部、それこそ田舎街だ。ジャズの中心はその後シカゴ、ニューヨークへと移り、次第に洗練され、労働者の音楽から知的な音楽へと変わって行った気がする。そうした新しいジャズも好きだが、初期のジャズは明るく、生きていく希望に満ち溢れており、聞くと元気が出る。
六本木や銀座の洒落たライブハウスでは、そんなジャズに出会うことは滅多に無い。でも、皆さん、そんなご機嫌なジャズに会える店があるんですね、東京の田舎、もとい下町に。
Hub浅草店。Hubはチェーン店であるが、ライブをやっているのはこの店だけである。ディキシーランド・ジャズなど古いジャズが多く、バンドの人も、それに客も(?)心なしか年配が多い。わざわざ浅草まで出かけることは少ないが、お気に入りの焼き鳥屋か、どじょうを食べに行った帰りによく寄る。洒落っ気のない店だし、隣のテーブルが異様に近かったりするが、騒々しいのが却って心地よい、不思議と懐かしい店だ。
この店は四谷3丁目のジャズの店のマスターが紹介してくれた。因みに、当然ながら彼も年配である。当時私は20代だったが、その50過ぎのマスターと、60前後のおじさんたちのバンド、なんとかオールスターズ(名前は忘れた。皆、まだ現役で演奏しているだろうか)の演奏を聴きに行った。確かピアノは小林洋さん(今をときめく小林桂の父)で、彼だけ若かった。といっても30後半くらいであろう。
かのマスター曰く、「この店は地元商店街の大将や女将さんたちに愛され、守られている店だ。客の入りが悪いと、電話1本で皆駆けつけてくれる。ジャズは文化だ、その文化の灯を浅草から消してはいけない、皆、そう考えているのさ。」
下町の心意気を感じさせる話だ。
ご存知のようにニューオリンズはジャズ発祥の街である。20世紀の初め、ジャズはこの街で生まれた。労働歌、黒人霊歌、ブルース、更にはアフリカの伝統音楽、太鼓のリズムと、ヨーロッパの音楽などが融合して誕生したのがジャズだ。
アメリカでニューオリンズといえば南部、それこそ田舎街だ。ジャズの中心はその後シカゴ、ニューヨークへと移り、次第に洗練され、労働者の音楽から知的な音楽へと変わって行った気がする。そうした新しいジャズも好きだが、初期のジャズは明るく、生きていく希望に満ち溢れており、聞くと元気が出る。
六本木や銀座の洒落たライブハウスでは、そんなジャズに出会うことは滅多に無い。でも、皆さん、そんなご機嫌なジャズに会える店があるんですね、東京の田舎、もとい下町に。
Hub浅草店。Hubはチェーン店であるが、ライブをやっているのはこの店だけである。ディキシーランド・ジャズなど古いジャズが多く、バンドの人も、それに客も(?)心なしか年配が多い。わざわざ浅草まで出かけることは少ないが、お気に入りの焼き鳥屋か、どじょうを食べに行った帰りによく寄る。洒落っ気のない店だし、隣のテーブルが異様に近かったりするが、騒々しいのが却って心地よい、不思議と懐かしい店だ。
この店は四谷3丁目のジャズの店のマスターが紹介してくれた。因みに、当然ながら彼も年配である。当時私は20代だったが、その50過ぎのマスターと、60前後のおじさんたちのバンド、なんとかオールスターズ(名前は忘れた。皆、まだ現役で演奏しているだろうか)の演奏を聴きに行った。確かピアノは小林洋さん(今をときめく小林桂の父)で、彼だけ若かった。といっても30後半くらいであろう。
かのマスター曰く、「この店は地元商店街の大将や女将さんたちに愛され、守られている店だ。客の入りが悪いと、電話1本で皆駆けつけてくれる。ジャズは文化だ、その文化の灯を浅草から消してはいけない、皆、そう考えているのさ。」
下町の心意気を感じさせる話だ。