縁側でちょっと一杯 in 別府

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夢に見た生活を楽しんでいます。

量的緩和解除の見通し

2006-03-04 23:50:00 | お金の話
 今朝の新聞に「日銀が量的緩和解除に踏み切る見通し」という記事が出ていた。「量的緩和」とは日銀が景気下支えとデフレ緩和のため導入した政策である。簡単に言えば、世の中にお金がたくさん出回れば、皆、物をたくさん買うようになって景気は回復するし物の値段は上がるはずだ、という考えである。悪いが、ちょっと短絡的な発想だ。
 もっとも膨大な財政赤字を抱える中、政府には即効性のある景気対策が他になかったという面もある。景気対策として財政支出を増やすどころか支出は減らさざるを得ない。規制緩和・構造改革は中・長期的には経済にプラスであっても、短期的には調整のためのコストにより逆にマイナスに働くことすらある。こうした中で政府の唯一の頼みが日銀による量的緩和、その結果としてのゼロ金利政策だったのである。
 この量的緩和の効果だけではないが、足下、わが国経済にも漸く明るい兆しが見えてきた。

 話を戻す、なぜ量的緩和策は短絡的発想なのか。

 金融政策に重点を置くのはマネタリストであり、即ち、貨幣量を調節することで物価、延いては経済全体をもコントロールできるというのが彼らの考えであった。国の公共投資など財政政策を重視するケインジアンに対抗して出て来た議論である。以後、財政政策と金融政策が政府の景気対策の柱と考えられるようになり、状況に応じ、どのような政策の組み合わせを取るかが政府の課題となった。しかし、今回のわが国のケースでは、上述の通り、政府は財政政策を使うことができず金融政策に頼らざるを得なかった。

 ここで金融政策自体の有効性について論じるつもりはないが、今のわが国において量的緩和という金融政策は以下の理由から限界があったと思う。
 第一に企業サイドの要因。企業は量的緩和により低コストでの資金調達が可能になったといっても、合理化やリストラの方が重要であり、資金を設備投資に向ける余裕はなかった。第二は個人サイドの要因。将来に明るい期待が持てないことが個人消費拡大の大きな足枷となっていた。雇用への不安、年金や医療費負担の増加、更には将来の年金への不安。企業収益が回復しても個人の所得増に繋がらず回復が実感できないとの面もある。第三は金融サイドの要因。量的緩和の恩恵を受ける銀行であるが、銀行の資金は貸出には向かわず、国債など安全な資産に向かっていた。

 しかし、唯一の景気対策である量的緩和策の限界に拘わらず、わが国経済が回復してきたことは事実である。漸く戦略的な投資を始めた企業、株価や地価回復の資産効果もあってか漸く回復しつつある個人消費。政府の力というよりは日本経済の底力、自律回復を感じる。親がなくとも子は育つというが、わが国の場合、政府なくとも経済は回復する、といったところか。少なくとも政府には経済の活力を削ぐことだけはして欲しくない。

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