Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

10代に聴いた音楽あれこれ

2007年05月21日 | diary
 好きな音楽はたくさんあるけれど、基本的に僕は、1975年ぐらいまでのロックやソウルが一番好きなわけで、それは今も昔も変わらなかったりする。なんというか、入口がビートルズだったこともあって、それ以来、僕の場合、ずっと60年代やら70年代が気になって気になってしかたなく、そのまま今にいたってたりする。

 とはいえ、1980年1月に10歳の誕生日を迎えた僕としては、それこそ80年代がまるまる10代なもんで、当たり前のように当時のヒット・チャートもかなり熱心に聴いていた。だから、あの頃のBGMがなにかといえば、それはビートルズでもスプリングスティーンでもなく、やっぱり友人達と一緒に聴いた、たくさんのエイティーズ・ヒッツということになる。デュラン・デュランや、カルチャー・クラブや、ポリスや、ホール&オールや、いくつかのハード・ロック・バンド。そして、たくさんの一発屋さん達。

 でも、だからといって、そうしたレコードを自分で買っていたかというと、それはまた別のお話。だって、僕にとってなによりも大事だったのは、ビートルズ(ソロ含む)とスプリングスティーンとストーンズだったわけで、彼らは、僕が知るずっと前から、実にたくさんの作品を発表しており、とにかく僕はそれらを聴きたくてしょうがなかった。さらに、いろいろ調べてみると、60年代や70年代には、彼らの音楽以外にも、光り輝くような名盤がざっくざっくあることに気づいてしまった。こうなったら、もうダメである。僕の心は、ロックが最も幸福だった時代へと飛んでいき、とてもリアルタイムなアーティストに、大事な小遣いを使うわけにはいかなくなった。

 さてと、ここで、中学入学から高校卒業までの間に(1982.4~1988.3)、僕がもっともよく聴いたリアル・タイムなアルバムを10枚選んでみたりする。<条件:アーティストひとりにつき選べる作品は1枚。基準:「とにかく当時よく聴いた!」ということ>
 
・ビリー・ジョエル『An Innocent Man』
 僕らの世代にとって、偉大なる洋楽の入口。みんな大好きだった。
・ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース『Sports』
 自分で買ったのは次作の『Fore!』だけど(買ってんじゃん)、やっぱりこっちかな。
・ブライアン・アダムス『Reckless』
 前作『Cuts Like a Knife』の方が好きだけど、あれは1年遅れで聴いたから。残念。
・ジョン・クーガー・メレンキャンプ『Scarecrow』
 アメリカン・ロックが好きだった。最初で最後の来日公演を観れたのは、いい想い出。
・ディープ・パープル『Perfect Strangers』
 とにかくリッチーが大好きだった。ライヴ初体験もパープル。1985年5月16日。
・プリンス『Parade』
 ヒット・チャートの延長で、このときプリンスが聴けたことを幸運に思う。
・ローリング・ストーンズ『Dirty Work』
 発売日を指折り数えて初めて買ったストーンズのアルバム。聴きまくり。
・ジョン・レノン&ヨーコ・オノ『Milk & Honey』
 発売日を指折り数えて初めて買ったジョンのアルバム。ジョンの曲だけ聴きまくり。
・ポール・マッカートニー『Pipes of Piece』
 発売日を指折り数えて初めて買ったポールのアルバム。もう聴きまくり。
・ジョージ・ハリスン『Cloud Nine』
 発売日を指折り数えて初めて買ったジョージのアルバム。聴きまくり。
・ブルース・スプリングスティーン『Born in the U.S.A.』
 すべてを忘れて、ただひたすらに聴き続けた…。

 ひぃふぅみぃ…、あれ1枚多いな。まぁ、いいや。どれも今も大好きなアルバムだったりする(パープルは除く)。で、今でこそ全部持ってるけど、このなかで当時自分の小遣いで買ったのはといえば、 ジョン、ポール、ジョージ、ストーンズ…だけ(スプリングスティーンを買うようになるのは次作以降)。あとはどれも、友達にカセット・テープに録音してもらって聴いていた。ヒューイ・ルイスは齋藤くんに、ジョン・メレンキャンプは田中くんに、ディープ・パープルは久保寺くんに、ビリー・ジョエルは小山くんに、そしてスプリングスティーンは小野田くんに録ってもらったんだったな。みんな、あのときはどうもありがとね。えっと、元気にしてますか?今も音楽聴いてるかい?ちなみに、ブライアン・アダムスとプリンスは、レンタル・レコード屋で借りた。

 僕が本当によく聴いたリアルタイムなアルバムって、せいぜいこのくらいかもしれない。あっても、あと数枚かな(上に選んだアーティスト達の他の作品はよく聴いたけど)。他にもたくさんのアーティストのたくさんのアルバムを聴いたけど、それほど夢中にはならなかった。ラジオやテレビで聴ければ、それで十分だった気がする。思えば、僕は10代という(ある意味で特別な)時間を、ひたすら60年代と70年代の名盤を聴いて過ごした。リアルタイムのミュージシャン達とは遊びでしかなかったけど、70年代までの音楽に対しては真剣だった。ボブ・ディラン、ザ・バンド、C.C.R.、エリック・クラプトン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ジャニス・ジョプリン、ドアーズ、ジャクソン・ブラウン、ニール・ヤング、レッド・ツェッペリン…などなど。とにかくすべてが素晴らしく思えた。これ以上のものなんて、この世に存在しないとさえ思っていた。そんなことないんだけどね。

 …と、ずっと後ろを振り向いたまま、今の今まできてしまった感は否めないな。でも、しょうがないんだよ。だって、僕にはどう聴いたって、“Layla”とか“Travelin' Band”とか“Sunday Morning”の方がかっこよかったんだから。そうなったら、そっちを聴いてしまうでしょ?ねぇ?

Punk!

2007年05月20日 | diary
 ちょっぴり寝坊して、洗濯して、掃除機かけて、自転車に1時間ほど乗って、風呂にはいって、ご飯食べて、窓を開けて、部屋に風を入れて、レコードを聴く。そんな心穏やかな休日。こんな毎日がずっとつづけばいいのに。

 でも、聴いてるのは、P.I.L.だったりする。その後は、セックス・ピストルズを。さすがに途中で窓は閉めたけど。やっぱりね。なんとなくね。

 先日の日記で、パンクやニューウェイヴをほとんど聴いてないと書いたけど、ジョン・ライドンのことはずっと好きで、ピストルズはもちろんのこと、P.I.L.も何枚か持っていて、今でもたまに聴いたりする。でも、そこから広がらなかったんだよな。パンクやニューウェイヴって。

 同時代のアーティストで考えると、ポール・ウェラーとエルヴィス・コステロは大好きで、今も新作が出ればなるべく買うようにしている。でも、ジャムも初期コステロも、パンクというつもりで聴いてるわけじゃない。ウェラーは、ジャムではなく、スタイル・カウンシルで知ったし、元々がモッズの人だということで親しみがもてた。コステロは、ニック・ロウとのつながりで知った。独特の声と、メロディがきれいですぐに好きになった。つまり、どちらもパンクというファクターで入っていったわけじゃなかった。

 思うに、おそらく僕にとって、パンクは過激すぎるのだと思う。ああいう服装とか、無意味に乱暴な感じとか、あんまり好きじゃない。そういう意味で、きっと入口が狭かったのだろう。でも、なにより音が魅力的じゃなかった。僕の耳に聴こえてきた曲の多くは、単調で、どれも同じように聴こえた。演奏も雑に思えた。そこには「パンクはこれでいいんだよ!」的な考え方がある気がして、ミュージシャンシップがいまひとつ感じられなかった。もちろん、そんなに聴いてるわけじゃないし、たまたま僕が聴いたのがそうだったのかもしれないけど。

 でも、ピストルズはそうじゃなかった。なんといっても、ジョニーのヴォーカルが圧倒的にかっこよかった。アルバムを聴いたら、捨て曲がないほどいい曲が揃ってた。過激な言動とは裏腹に、音楽をとても大切にしているように思えた。ジャムもそう。コステロもそう。だから、好きなんだと思う。少なくとも、パンクだから聴いたわけじゃない。

 だから、パンクのことを訊かれると、「パンクの精神には共感するけど、音楽的にはどうも…」といつも答えてしまう。きっと、パンク・ロックは僕の胸には届かなかったのだという感覚が、どこか根底にあるのだろう。ちなみに、ニューヨーク・パンクは、全然詳しくはないけど、好きだったりする。ニューヨーク・ドールズもパティ・スミスもテレヴィジョンも、音楽的な深みを感じるから。えっと、こちらもそんなに聴いてるわけじゃないけれど。

 クラッシュを聴かなかったのは、バンドに生真面目なイメージがあったからだと思う。これがバンド自体のせいなのか、はたまた音楽メディアの伝え方がいけなかったのかは、よくわからないのだが、数年前に聴いた『London Calling』は素晴らしいアルバムだったので、きっと相当な偏見を持っていたのだろう。すまん。

 そんなわけで、いくら窓を開けてピストルズを聴いてみたところで、僕はパンクの扉さえ開いていない。同じ意味で、P.I.L.を聴いたからって、ニュー・ウェイヴの扉を開いたことにはならない。今も僕にとって、パンクやニューウェイヴは、けっして身近な音楽じゃないから。しかし、そのことが、結果として、僕自身と今のロック・ミュージックとの間に、ときに埋め難い溝となって現れているような気がする。うまく言えないのだけど、今のロックをさかのぼると、行き着く先がパンクだと感じることがよくある。かつてはそれがブルースであったり、ロックン・ロールであったり、エルヴィスであったり、ビートルズであったりしたように。それほどに、パンク・ムーヴメントの影響は、絶大なものだったと改めて感じている。

Fire

2007年05月19日 | diary
 先日、ご厚意により、サウスサイド・ジョニー、ライ・クーダー、ジョン・ハイアット、それぞれの日本公演音源をいただいた。で、今朝はその中からサウスサイド・ジョニーを。いんやー、凄い!凄い!オープニングからホーン鳴りまくり!…と、朝から無駄にエキサイト。

 今から20年前の出来事。場所は後楽園ホール。この頃は、まだこうした音楽もちゃんと人気があった。僕は17歳で、スプリングスティーンとストーンズに夢中で、サウスサイドのことはまだ名前しか知らなかった。観たかったなぁ。

 来月で会社を辞めることにした。これからは、また自由に好きにやっていけることが嬉しい。昨日、携帯電話の機種変更をした。思えば、前の携帯は今の会社に入るときに購入した。それまでは、しばらく携帯を持っていなかった。3年前の11月、天気のいい暖かい日だった。僕は海辺のボードウォークに座って、慣れない手つきで買ったばかりの携帯をいじっていた。初めて写真を撮って、友達にメールで送った。目の前の海がきらきらと輝いてきれいだったので、それを撮った。ちょうど自転車にのったサーファーが通りかかって、雰囲気のある写真になった。それ以来、僕の携帯の待受画面は、この写真だったりする。

 会社を辞める時期に機種変更をしたのは、まぁ単なる偶然なんだけど、今の会社に入らなければ、僕の場合、今でも携帯を持ってなかった可能性ってけっこうあると思われるので、退社と同時にあのとき買った携帯もまた役目を終えるというのは、なんとなく区切りっぽいなぁと思った。

 昨夜、晩飯用にレタスを切っていると、新しい携帯電話のベルが鳴った。出てみると、ときどき行くバーのマスターだった。「明日、うちでライヴあるから来てよ」とのこと。「この前、帰れなくなったお前を家まで送ったよな。そういうことって、これまでもけっこうあったよな。お互い様だよな」とのこと。断ることもできず、茅ヶ崎までライヴを観に行くことが決まった。数時間後、新しい携帯電話に最初のメールが届いた。それはロニー・レインの映画を明日観に行くという友人からだった。本当は僕が彼を誘ったのに、結果的にドタキャンみたくなってしまい、申し訳なく思っている。だから、この携帯で僕が最初に送ったメールは、ごめんなさいものになってしまった。

 その友人から、エイモス・ギャレットのライヴのときに、ポインター・シスターズのレコードをもらった。その中には全米No.1になったスプリングスティーン作の名曲“Fire”が収められている。「安かったから」と言って、友人はそれを僕にくれた。そして、今僕の部屋では、サウスサイド・ジョニーが、やっぱりスプリングスティーン作の名曲“The Fever”を歌っている。イントロが聴こえた瞬間の客席の反応が普通じゃない。つまりは、そういう時代だったということ。スプリングスティーンは、これをエルヴィスに歌ってほしくて書いたという。それは、すごくよくわかる気がする。で、その後、サウスサイドはしっかり“Fire”も歌ってたりする。で、やっぱり客席の反応は、普通じゃないのだ。

さようなら、ヒナソウ…

2007年05月18日 | diary
 風呂にはいりながら、エルヴィス・コステロを聴く。歯磨きをしながら、オハイオ・ノックスを聴く。で、今朝は日記をつけながら、ケヴィン・エアーズを聴いている。窓の外を小学生達が登校していく。みんな半袖。気持ちよさそう。

 ケヴィン・エアーズは、生まれて初めて聴いた。ファースト・アルバム『The Joy of a Toy』。元ソフトマシーンということで、プログレとかが苦手な僕としては、なんとなく難しそうなイメージをもってたんだけど、そんなことはなくて、室内型のひねたポップ・ミュージックといった印象。これを僕はとあるCD屋の店員さんに借りた。「ケヴィン・エアーズ、好きですよね?」と彼女は言い、聴いたことないと僕が言うと、彼女は「えーっ!うそーっ!」とかなり偽りない感じで驚いて、それから、なにも言わずにこのアルバムを僕に差し出した。

 こうして、僕はケヴィン・エアーズを聴いている。音楽が自然と広がっていく。素敵なことだと思う。ただ、なんでケヴィン好きだと思われたんだろ?まぁ、いいんだけど。おかげで、貸してもらえたわけだし。

 今朝も眠い。さっきから、大きな欠伸をいくつもしてたりする。週末はしっかり寝よう。

 最後に悲しかったこと。ヒナソウが死んだ。毎日ちゃんと水をあげてたのに。なんで…。とにかく、僕は悪いことをした。悪気はなかったのに。でも、そういう結果になってしまって、ごめんよ、ヒナソウ…。

Rainy Nights Are All the Same

2007年05月17日 | diary
 雨、雨、雨。でも、夕方にはあがるらしい。だから、気にしない。

 最近は珍しく頭をつかうことが多く、睡眠時間なども少なめだったりして、そのくせずっとPCの前に座ってるから体はほとんど使ってなくて、このバランスの悪いさが、なんとなく快眠から僕を遠ざけているような気が、昨日した。

 だから、昨日は頭を使うのはお休みにして、ステレオの前に座って、会社に届いてた『レコード・コレクターズ』の「70年代ロック・アルバム・ベスト100」特集でも眺めながら、のんびりと好きなレコードを何枚か聴くことにした。まず、朝ターンテーブルにのせてそのままになっていたパーシー・メイフィールドを。それからバーバラ・キースのセカンド、トニー・ジョー・ホワイトのファーストとつづけて聴いた。

 なんかね、すんごく沁みた…。僕はこういう音楽が好きなんだよなぁ、と改めて思ったりした。それは、なんというか、いい時間だったし、とてもいいことだった。

 『レココレ』の選ぶ70年代ロック100枚。そのうち何枚くらい持ってるかを数えたら(ついやってしまう)、ちょうど60枚だった。まぁ、そんなもんだろうね。パンクやニューウェイヴをほとんど通過していない僕にとって、70年代って1975年でたいていのことが終わってしまう。だから、持っているレコードもそれまでのものがほとんどで、それ以降に発表された作品は、本当に好きなアーティストのものが揃ってるくらいで、他は極端に少なかったりする。クラッシュでさえ1枚も持ってないもんな。そういや、数年前に『London Calling』をカセット・テープでもらったけど、すごくいいアルバムだった。今度、他のも聴いてみようかな。あと、ポスト・ロックとか。ポップ・グループとかその辺のブリストル系なども。どうだろね。

 今日は1日事務所で作業の予定。ま、雨だからちょうどいい。ニール・ヤングやフィフス・アヴェニュー・バンドでも聴きながら、せっせと終わらせてしまおう。

津田沼のレコード屋さんで買ったパーシー・メイフィールド

2007年05月16日 | diary
 今朝は、昨日買ったパーシー・メイフィールドのベスト盤から。友人がやってる 津田沼のレコード屋さん が閉める(ネット販売はつづける)というので、顔を出し、レコードを買い、ビールを飲んできたと。そういうわけ。

 その店には冷蔵庫があり、普通にビールが売ってたりする。レコード棚の脇にはドリンク・ホルダーが設置されていて、つまり、ビールを飲みながらレコードをさがせる「Drinkin' & Diggin'」がコンセプトという、大変よろしいお店。レコードは買わないで、ビールだけ飲んで帰る人もけっこういるらしい。まぁ、いい音でいい音楽が流れているわけだから、その気持ちもわからんではない。レコードには1枚1枚きちんとコメントがつけられている。「全部聴いてから店に出してるの?」と訊くと、「やっぱり、そうじゃないとね」と友人は言った。だから、たいていの質問にはさらっと答えられたりする。えらいと思った。

 パーシー・メイフィールドを選んだのは、先日のエイモス・ギャレット公演で、彼の曲がたくさんカヴァーされていたから。オリジナルを聴いたのは昨日が初めてだったんだけど、ゆったりとした曲が多く、声も良くて、ビールを片手にレコードを掘るにはぴったりだった。なんというか、気持ちがよかった。友人がビールを1本ご馳走してくれた。さらに気持ちよくなった。

 それにしても、音楽とお酒ってなんでこうも相性がいいんでしょ?危険だね。

 その後は、店をはやく閉めて、駅近くの「和民」へ。しっかりビールを飲み、あれやこれやと音楽の話をして、ケタケタ笑ってるうちに、終電の時間になり、僕らは電車に乗ったのだった。

 それにしても、なんというか、こういう店がなくなるのは、やっぱり淋しい。えっと、ネット販売はつづけるみたいだから、なくなるわけじゃないんだけどね。

Tea for One

2007年05月15日 | diary
 最近、すっかり夜が遅かったりする。眠い…。元々がよく寝る方なんで、その分眠い。えっと、遊んでるわけじゃないよ。お酒なんて全然。そんなもの…。あーお茶がおいしい。

 気がつけば、ロニー・レインの映画がはじまってたりする。行かねばならなかったりする。とても楽しみだったりする。さぁ、仲間に声をかけよう。みんなでロニーに会いに行こう。

 で、気がつけば、お隣さんと真上さん(2階ね)が引越していた。結局、僕らが仲良くなることはなかった。というか、口さえまともにきいたことがなかったりする。僕が住んでるアパートには部屋が6つあって、僕が引越してきた昨年の2月はいっぱいだった。新入りだった僕は、そんな見知らぬ人達の部屋(両隣と真上)のベルを鳴らし、挨拶をしたのだった。僕は「どうぞよろしく」と言い、彼らは「こちらこそ」と言った。でも、それだけだった。春になって、彼らはなにも言わずに、ここから去って行った。もう会うことはないだろう。仲良くなることもないだろう。一緒にロニー・レインの映画を観に行くことも。

 そんなわけで、今、僕のアパートでは部屋が2つ空いてたりする。僕のお隣と真上。えっと、もしよかったらどうぞ。一緒にビートルズでも聴きながら、そうだな、お茶でもしましょう。

Amos Gyarrett

2007年05月14日 | diary
 念願!と言ってもけっして過言ではなかった昨夜のエイモス・ギャレット来日公演。あの魔法のギター、スターダスト・フレーズ、誰よりも優しくテレキャスターを奏でる男…。

 可能な限り新鮮な気持ちで聴けるようにと、来日が決まってからは、なるべくエイモス関連のレコードを聴かないようにしていた。でも、昨日はさすがに我慢できなかったわけで、朝からエイモスのギターばかりを聴いていた。まず、以前に知人にいただいた編集CDRをかけて、そこをきっかけにあれこれとレコードに針を落としていった。「このギターを今夜、生で聴けるのか…」。そう思うと、ただただありがたい気分になったりした。だって、あれはほんとに魔法のギターだから。

 エイモスといえば、いろんな人のバックで数々の名演を残してきた職人ギタリスト。自身のリーダー・アルバムも良いが、僕としては(そして、きっと多くの人にとっても)、ジェフ・マルダー、マリア・マルダー、ボビー・チャールズ、グレイト・スペクルド・バード、ハングリー・チャック、ベター・デイズなどでの仕事が、なにより忘れ難い。これまで、あの星屑が降り注ぐようなギターに、なんど溜息をついたことだろう。その魔法の秘密をひょっとしたら今夜、知る事ができるかもしれない…。そんな気持ちも胸に秘めつつ、あとサインをもらうためのレコードを2枚抱えて、僕は会場へと向かった。

 会場はお客さんでいっぱいだった(当たり前だ)。エイモスは定刻通りステージに現れた。でっかかった。そして、だいぶおじいちゃんになっていた。でも、そこにいるのは、まごうことなきエイモス・ギャレットだった。彼はテレキャスターを持つと、ブルースを歌い出した。そして、魔法のフレーズを繰り出した。ちょっとしたトーンの変化、指先からこぼれ落ちるリックに、客席からは溜息を含んだ歓声が上がる。もちろん僕も。曲は、最新作と、今度出るらしいニュー・アルバム(パーシー・メイフィールドという人のトリビュートになるらしい)からのナンバーが中心で、基本的にはブルースが多かった。自分のアルバムのプロモーションに徹しているというか、いわゆるみんなが聴きたがってる代表曲を演る、といったサービス精神はどうやらないらしい。きっとその辺のことは気にならない人なのだろう。やっぱり職人なんだなぁと思ったりもする。それでもアコースティック・ギターで“Lazy Bones”は弾いてくれたし、なにより、エレクトリックで聴けた“Sleepwalk”は、まさに至福の瞬間だった。

 終演後、持っていったレコードにサインをもらった。「あなたが来るのをずっと待ってました」と声をかけると、「ありがとう。日本に来るのはだいぶ久しぶりなんだ」とエイモスは言った。16年振りだという。エイモス、その頃の僕は、あなたのレコードなんて1枚も持ってなかったよ。でも、いつしかあなたの音楽は、僕のそばにあるようになった。そのことを僕は、なぜかとても当たり前のように思える。だから、昨夜は嬉しかった。日本に来てくれて、ありがとう。

Lazy Bones

2007年05月13日 | diary
 日曜日、朝のコーヒーが美味しい。エイモス・ギャレットのギターが聴こえている。ほっとする。僕も酒ばっか飲んでないで、なんというかね、お茶とかさ、コーヒーとかさ、そういうものにもっと心を踊らせるような、そんな人生にシフトしたいなぁと思ってみたりする。いつまでも「わっ、ビールだ!ビールだ!」ってのも進歩がない。成長がない。マンネリだ。ワンパターンだ。

 例えば、とある小料理屋にて。「ま、MIYAIさんも一杯」と知人が酒をすすめてくる。僕はやんわりと断る。「いえ、ワタシク、そういうものとは関わらないようにしてますので」。知人は驚いた顔をして言う。「そうなの?おかしいなぁ。好きだって聞いてたんだけどね」。僕は穏やかな笑みを浮かべて言う。「好きだ惚れただけじゃどうにもなりません。そういうもんじゃないですか?」。腕を組む知人。「ふぅん、そういうもんかね。俺にはよくわかんねーけどさ。でも、えらいもんだねー」。しきりに感心される。そこで僕は若い美人女将に声をかける。「すみません、お茶をいただけますか?あ、コーヒーでもけっこうですよ。なんならお紅茶でも。僕、その手のものは大好きなんです」。

 …なんつってね。悪くないね(どうでもいいとも言う)。

 今宵は、横浜へ。今は曇ってるけど、きっと夜には星が瞬くだろう。星屑のギターが、“Lazy Bones”の調べが、僕のささやかな世界を満たすことだろう。

世情というもの

2007年05月12日 | diary
 気持ちのいい朝。ベーコンを切って、フライパンで焼いた。自転車に乗ろうと思ったら、なぜか後輪がパンクしていた。ジミヘンの『Axis: Bold As Love』をターンテーブルにのせた。2曲目がはじまった頃に、洗濯が終わったことを知らせるピーッという音が鳴った。で、さっき外に干したとこ。今日はよく乾くと思う。

 最近は、連日夜遅くまで、とあることをせっせとやってたりする。そのせいか、今朝は目が覚めても、眠くて眠くて、しばらく起きれなかった。でも、腹が減って起きたんだけど。健康な証拠か。

 友人のブログで、ターバン野口のことを知る。千円札を折り紙にして、野口英世にターバンを被らせるというもの。世の中には、くだらないことを思いつく人がいるもんだと感心する。お金でそんなことして遊んで、なんだか怒られそうだけど、この歳になるとそうでもなかったりする。せいぜい呆れられるくらいか。で、朝の会社でせっせと折っていたら、事務姉がやってきたので、「ターバン野口って知ってる?」と訊くと、「あー、お札で遊ぶやつですよね」と即答された。彼女は世情にとても詳しい子で、僕が訊ねるたいていのことは知ってたりする。「すごいよねー。何でも知ってるじゃん」と僕が感心していると、「テレビです」と彼女は言った。「テレビの情報量はすごいですよ。知りたくないことまで知っちゃうんです」とのこと。ふぅん。彼女はここ(僕のいる会社)とはまた別のところでも働いているのだけど、そこの人達は揃いも揃ってテレビ好きらしく、見ないと話についていけないんだそうな。「つまり、テレビは私の仕事の一貫なのです」と彼女は言った。まぁ、コミュニケーションは大事だもんね。

 ちなみに、僕はテレビをほとんど見ない。たまにサッカーがやってたら見るくらい。ニュースも天気予報も見ない。カックラキン大放送も見ない(やってない)。飲み歩いてばかりいるうちに、いつしかそうなっていた。で、そうなって以来、僕は世情というものに、とんと疎かったりする。事務姉にそう言うと、彼女はこっちも向かずに「そうでしょうね」と言った。ええ、そうなんですよ。

 いつしかジミヘンが終わっていた。ニック・ロウの『Jesus of Cool』をターンテーブルにのせた。窓の外では、洗濯物が風に揺れてたりする。