今回は、英語そのもの、というより、少し概念的なことを扱います。「特定」と呼ばれる概念と、「限定」と呼ばれている概念の違いについてです。以下、見ましょう。
(1)クルマって良いよね。
(2)小さいクルマって良いよね。
(1)の「クルマ」ですが、クルマってたくさんありますね。(1)は、自転車やバイクのことではなく、クルマが良い、と言っているわけですね。そこで、今度は、どんなクルマかを、ちょっと詳しく言おうとすると、(2)のように、「小さいクルマ」となり、良いクルマの対象から、「大きなクルマ」や、「普通サイズのクルマ」は外されてしまいます。
このように、クルマの中から、違う特徴をもったものを除外して、ある特徴に焦点が当てられたものだけを対象とすることを、「限定する」と言います。「限定」は、サイズという特徴だけでなく、色でも、値段でも、速さ、でも構いません。赤いクルマは良い、でも、安いクルマは良い、でも、速いクルマは良い、でも、それらは、「限定」されたクルマ、ということになります。
(3)クルマは赤い。 (×)
(4)このクルマは赤い。 (〇)
(3)は、いきなりアウトですが、一方、(4)は、すんなりOKにできますね。(3)と(4)の違いは、「クルマ」に、「この ~」が付いているか否かの差でしかありません。そこで、「この ~」が、(3)と(4)の命運を分けるカギになっていることは確かなのですが、そこで、(2)の文にあるような、「限定」の概念から、こういった違いは説明できるんでしょうか。
(5)小さいクルマは赤い。 (×)
(6)安いクルマは赤い。 (×)
(7)速いクルマは赤い。 (×)
(4)はOKなのに、(5)~(7)は全てアウトです。この差から、「小さい」、「安い」、「速い」といった表現と、「この ~」は、明らかに、何かが違うということなりますね。じゃ何が違うんだ、ということになるんですが、もうちょっと他の例も観察してみましょう。
(8)[ アメリカ人が乗っている ] クルマは赤い。 (×)
(9)[ ジョンが乗っている ] クルマは赤い。 (〇)
(8)と(9)の文も差が出てしまいました。この場合、「アメリカ人」と「ジョン」の違いしかありません。ここから明らかなのは、どうやら、「クルマ」にかかる表現の、長い・短いは、全く関係なく、もはや、「小さい」、「安い」、「速い」、といった表現と、「この ~」の違い、といった、単体の単語レベルの問題ではない、ということなんです。
そこで、すぐにわかることは、「~ は赤い」という表現の、「~」の部分に、意味的にうまく適合するような表現とそうでないものがあるということです。赤い、ということは、クルマであることの必要条件ではありません。さらに、小さいクルマや、安いクルマや、速いクルマの必要条件でもないし、アメリカ人の乗るクルマ、の必要条件でもない、ということまでは、簡単に気付きますよね。そこで、以下、見ましょう。
(10)血液は赤い。 (〇)
(11)この血液は赤い。 (×)
「この ~」が付かない(10)と、「この ~」が付く(11)のペアは、「この ~」が付かない(3)と、「この ~」が付く(4)のペアと比較すると、「〇・×」の判断が、全く逆になってしまいます。まず、血液は、色に関しては、赤い、ということが必要条件となるものです。ですので、(11)のように言うと、別に、青い血液でもあるのか?とでも言いたくなってしまいますね。一方で、(3)のように言うと、そんなことないだろ、だって、オレのポルシェは白いぜ、と言う人だって、当然、出てきます。
そこで、「この ~」という表現は、実は、何か対象を普通ではないような特別化をするはたらきがある、ということがわかると思います。これをもっと詳しく言うと、「種類」を表すような表現を唯一的なステイタスをもつものに変化させるはたらきがある、ということなんです。
クルマは、赤いということが、クルマであることの必要条件ではないので、色は様々ですが、「このクルマ」と言えば、赤い、ということが許されるように特別化されて、唯一的ステイタスを与えられます。しかし、一方で、血液は、もとから、赤いということが必要条件なので、「この血液」などと特別化して、唯一的ステイタスを与えたならば、赤くはない、といった必要条件ではないようなことを述べなければ、意味がなくなってしまいます。
そして、(8)の「アメリカ人」と(9)の「ジョン」の違いも、実は、同様なのです。「アメリカ人」という表現は、生き物の中で、ヒトという限定された種を表す表現があり、さらにその中で、国籍に基づいた種類分けがなされた表現ですが、そこまで範囲を絞っても、なお、アメリカ人は大勢いますから、「この ~」を付けて、「このアメリカ人」とでも言わなければ、特別化して、唯一的ステイタスを与えられません。
しかし、一方、(9)の「ジョン」は、もとから、唯一的ステイタスを表す表現であり、ヒトという種の中から、即座に唯一的に1人を指すことができます。もちろん、この場合は、「ジョン」という名前の人物が世の中に大勢いる、ということから、即座に、「ジョン」という表現が、種類を表しているということにはなりません。
この場合の「ジョン」は、「くも」という表現が、空に浮かんでいる「雲」や、昆虫の「蜘蛛」を表せるのと同様に、ただ単に、同音異義語として使われているだけなのです。ですので、「ジョン」という名前の人物が大勢いるということを、道路を走っている、「クルマ」という名前の固体が世の中にたくさんあるから、「クルマ」という表現は種類を表す、ということと同列に扱うことはナンセンスであることが、おわかりになると思います。
(12)ジョンは頭が良い。
(13)このジョンは頭が良い。
(12)の「ジョン」は、もちろん、唯一的ステイタスの解釈をもつ「ジョン」ですが、一方、(13)のように、「このジョン」などと言うと、ジョンという名前の人物が複数いることが前提となりますので、「このジョン」の「ジョン」には、唯一的ステイタスをもつ解釈が成り立たなくなります。
これは、「この ~」が付く表現は、もとから、「種類」を表す表現でなければならないので、(13)は、「ジョン」という名前の人物が、例えば、学校のクラスの中で複数いて、その中から唯一的ステイタスを、「この ~」によって与え直す、という解釈でなければアウトになってしまいます。ですので、(13)の「ジョン」は、「人物」ではなく、「名前」という「種類」を表すことになります。
以上から、「この ~」という表現は、「種類」を表す表現を、名前ではなく人物そのものを表す「ジョン」というような表現と同じステイタスにする機能があることがわかったと思います。ここで、「特定」という概念が出てきます。今回は英語の例文が1つも出てきていませんが、まさに、ここまでの理解で、「特定」の基本概念がわかったというレベルに達するのです。
実は、「限定」の概念と、「特定」の概念はつながりがあって、「限定」を推し進めていった最終的なところに「特定」がある、と言っても良く、線引きがなかなか困難な側面があるのですが、「この ~」や「ジョン」といった表現は、それ自体、一発で、「特定」を表せるので、「限定」の概念との比較材料に利用したのです。
(8)と(9)のような文では、カギカッコの表現が、「クルマ」に限定を加えていると言えるのですが、そのカギカッコ内の一部である表現が、「アメリカ人」か「ジョン」かで、カギカッコ全体の表現が、単なる「限定」にとどまるのか、「特定」にまで達するのかが決定されます。つまり、(8)と(9)の場合、カギカッコ内の一部の表現が、カギカッコ全体の意味に影響を与えていると言えます。ということで、「特定」は、本当は、文全体の意味や文脈も考慮しなければならない場合もあるので、その点、事情は厄介です。
今回のポイントは、「特定」の概念をいかにして理解するかです。ある程度わかりやすくするために、「限定」という概念と比較して扱ってみましたが、それは、この種の概念は、誤解が多く、「限定」も「特定」も似たようなものだろうと思っている人が多いからです。
しかし、まず、日本語のレベルでの「特定」の概念がわかっていないと、英語の場合は、もっと表現方法が複雑なので、説明が困難になるのです。例えば、「特定」の概念は、英語の場合、日本語にはない、不定冠詞‘a’や‘an’、定冠詞‘the’の使い方にも関わってきますし、その他の様々な構文にも関わっています。特に、冠詞の使い方は、ここら辺りに理解の難しさが潜んでいますので、まずは、今回、柔軟体操ということで。
■注1 :もちろん、「あの ~」、「その ~」、「これら ~」、「あれら ~」、「それら ~」も、「特定」を表せます。「唯一的」というコトバから、誤解しやすいのですが、「単数・複数」といった概念は唯一性には関係なく、「複数」の概念を排除するものではありません。「これらのクルマは赤い。」の、「これらのクルマ」も、ひとまとめにして、唯一的と考えられます。
■注2 : 「赤い」は、客観的表現ですが、「良い」、「速い」などの主観的表現は、その対象の見方によって判断がどうとでも変わるので、「小さいクルマは速い。」でも、「小さいクルマは遅い。」でも、どちらでもOKになりやすくなります。
★みんなの英会話奮闘記★ ★元祖ブログランキング★ ★人気blogランキング★
(1)クルマって良いよね。
(2)小さいクルマって良いよね。
(1)の「クルマ」ですが、クルマってたくさんありますね。(1)は、自転車やバイクのことではなく、クルマが良い、と言っているわけですね。そこで、今度は、どんなクルマかを、ちょっと詳しく言おうとすると、(2)のように、「小さいクルマ」となり、良いクルマの対象から、「大きなクルマ」や、「普通サイズのクルマ」は外されてしまいます。
このように、クルマの中から、違う特徴をもったものを除外して、ある特徴に焦点が当てられたものだけを対象とすることを、「限定する」と言います。「限定」は、サイズという特徴だけでなく、色でも、値段でも、速さ、でも構いません。赤いクルマは良い、でも、安いクルマは良い、でも、速いクルマは良い、でも、それらは、「限定」されたクルマ、ということになります。
(3)クルマは赤い。 (×)
(4)このクルマは赤い。 (〇)
(3)は、いきなりアウトですが、一方、(4)は、すんなりOKにできますね。(3)と(4)の違いは、「クルマ」に、「この ~」が付いているか否かの差でしかありません。そこで、「この ~」が、(3)と(4)の命運を分けるカギになっていることは確かなのですが、そこで、(2)の文にあるような、「限定」の概念から、こういった違いは説明できるんでしょうか。
(5)小さいクルマは赤い。 (×)
(6)安いクルマは赤い。 (×)
(7)速いクルマは赤い。 (×)
(4)はOKなのに、(5)~(7)は全てアウトです。この差から、「小さい」、「安い」、「速い」といった表現と、「この ~」は、明らかに、何かが違うということなりますね。じゃ何が違うんだ、ということになるんですが、もうちょっと他の例も観察してみましょう。
(8)[ アメリカ人が乗っている ] クルマは赤い。 (×)
(9)[ ジョンが乗っている ] クルマは赤い。 (〇)
(8)と(9)の文も差が出てしまいました。この場合、「アメリカ人」と「ジョン」の違いしかありません。ここから明らかなのは、どうやら、「クルマ」にかかる表現の、長い・短いは、全く関係なく、もはや、「小さい」、「安い」、「速い」、といった表現と、「この ~」の違い、といった、単体の単語レベルの問題ではない、ということなんです。
そこで、すぐにわかることは、「~ は赤い」という表現の、「~」の部分に、意味的にうまく適合するような表現とそうでないものがあるということです。赤い、ということは、クルマであることの必要条件ではありません。さらに、小さいクルマや、安いクルマや、速いクルマの必要条件でもないし、アメリカ人の乗るクルマ、の必要条件でもない、ということまでは、簡単に気付きますよね。そこで、以下、見ましょう。
(10)血液は赤い。 (〇)
(11)この血液は赤い。 (×)
「この ~」が付かない(10)と、「この ~」が付く(11)のペアは、「この ~」が付かない(3)と、「この ~」が付く(4)のペアと比較すると、「〇・×」の判断が、全く逆になってしまいます。まず、血液は、色に関しては、赤い、ということが必要条件となるものです。ですので、(11)のように言うと、別に、青い血液でもあるのか?とでも言いたくなってしまいますね。一方で、(3)のように言うと、そんなことないだろ、だって、オレのポルシェは白いぜ、と言う人だって、当然、出てきます。
そこで、「この ~」という表現は、実は、何か対象を普通ではないような特別化をするはたらきがある、ということがわかると思います。これをもっと詳しく言うと、「種類」を表すような表現を唯一的なステイタスをもつものに変化させるはたらきがある、ということなんです。
クルマは、赤いということが、クルマであることの必要条件ではないので、色は様々ですが、「このクルマ」と言えば、赤い、ということが許されるように特別化されて、唯一的ステイタスを与えられます。しかし、一方で、血液は、もとから、赤いということが必要条件なので、「この血液」などと特別化して、唯一的ステイタスを与えたならば、赤くはない、といった必要条件ではないようなことを述べなければ、意味がなくなってしまいます。
そして、(8)の「アメリカ人」と(9)の「ジョン」の違いも、実は、同様なのです。「アメリカ人」という表現は、生き物の中で、ヒトという限定された種を表す表現があり、さらにその中で、国籍に基づいた種類分けがなされた表現ですが、そこまで範囲を絞っても、なお、アメリカ人は大勢いますから、「この ~」を付けて、「このアメリカ人」とでも言わなければ、特別化して、唯一的ステイタスを与えられません。
しかし、一方、(9)の「ジョン」は、もとから、唯一的ステイタスを表す表現であり、ヒトという種の中から、即座に唯一的に1人を指すことができます。もちろん、この場合は、「ジョン」という名前の人物が世の中に大勢いる、ということから、即座に、「ジョン」という表現が、種類を表しているということにはなりません。
この場合の「ジョン」は、「くも」という表現が、空に浮かんでいる「雲」や、昆虫の「蜘蛛」を表せるのと同様に、ただ単に、同音異義語として使われているだけなのです。ですので、「ジョン」という名前の人物が大勢いるということを、道路を走っている、「クルマ」という名前の固体が世の中にたくさんあるから、「クルマ」という表現は種類を表す、ということと同列に扱うことはナンセンスであることが、おわかりになると思います。
(12)ジョンは頭が良い。
(13)このジョンは頭が良い。
(12)の「ジョン」は、もちろん、唯一的ステイタスの解釈をもつ「ジョン」ですが、一方、(13)のように、「このジョン」などと言うと、ジョンという名前の人物が複数いることが前提となりますので、「このジョン」の「ジョン」には、唯一的ステイタスをもつ解釈が成り立たなくなります。
これは、「この ~」が付く表現は、もとから、「種類」を表す表現でなければならないので、(13)は、「ジョン」という名前の人物が、例えば、学校のクラスの中で複数いて、その中から唯一的ステイタスを、「この ~」によって与え直す、という解釈でなければアウトになってしまいます。ですので、(13)の「ジョン」は、「人物」ではなく、「名前」という「種類」を表すことになります。
以上から、「この ~」という表現は、「種類」を表す表現を、名前ではなく人物そのものを表す「ジョン」というような表現と同じステイタスにする機能があることがわかったと思います。ここで、「特定」という概念が出てきます。今回は英語の例文が1つも出てきていませんが、まさに、ここまでの理解で、「特定」の基本概念がわかったというレベルに達するのです。
実は、「限定」の概念と、「特定」の概念はつながりがあって、「限定」を推し進めていった最終的なところに「特定」がある、と言っても良く、線引きがなかなか困難な側面があるのですが、「この ~」や「ジョン」といった表現は、それ自体、一発で、「特定」を表せるので、「限定」の概念との比較材料に利用したのです。
(8)と(9)のような文では、カギカッコの表現が、「クルマ」に限定を加えていると言えるのですが、そのカギカッコ内の一部である表現が、「アメリカ人」か「ジョン」かで、カギカッコ全体の表現が、単なる「限定」にとどまるのか、「特定」にまで達するのかが決定されます。つまり、(8)と(9)の場合、カギカッコ内の一部の表現が、カギカッコ全体の意味に影響を与えていると言えます。ということで、「特定」は、本当は、文全体の意味や文脈も考慮しなければならない場合もあるので、その点、事情は厄介です。
今回のポイントは、「特定」の概念をいかにして理解するかです。ある程度わかりやすくするために、「限定」という概念と比較して扱ってみましたが、それは、この種の概念は、誤解が多く、「限定」も「特定」も似たようなものだろうと思っている人が多いからです。
しかし、まず、日本語のレベルでの「特定」の概念がわかっていないと、英語の場合は、もっと表現方法が複雑なので、説明が困難になるのです。例えば、「特定」の概念は、英語の場合、日本語にはない、不定冠詞‘a’や‘an’、定冠詞‘the’の使い方にも関わってきますし、その他の様々な構文にも関わっています。特に、冠詞の使い方は、ここら辺りに理解の難しさが潜んでいますので、まずは、今回、柔軟体操ということで。
■注1 :もちろん、「あの ~」、「その ~」、「これら ~」、「あれら ~」、「それら ~」も、「特定」を表せます。「唯一的」というコトバから、誤解しやすいのですが、「単数・複数」といった概念は唯一性には関係なく、「複数」の概念を排除するものではありません。「これらのクルマは赤い。」の、「これらのクルマ」も、ひとまとめにして、唯一的と考えられます。
■注2 : 「赤い」は、客観的表現ですが、「良い」、「速い」などの主観的表現は、その対象の見方によって判断がどうとでも変わるので、「小さいクルマは速い。」でも、「小さいクルマは遅い。」でも、どちらでもOKになりやすくなります。
★みんなの英会話奮闘記★ ★元祖ブログランキング★ ★人気blogランキング★