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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(46)

2005年01月14日 | 前提の概念
EG45の続きです。EG45では、「前提」の概念を導入して、文における単語のつながり具合をみたわけですが、この概念を用いると英語の面白い側面を発見することができます。以下、見ましょう。

(1)John died in Japan. (ジョンは日本で亡くなりました。)
(2)John lives in Japan. (ジョンは日本に住んでいます。)

EG45では、‘die’「死ぬ」のような動詞は、主語に生命をもったものがくることが「前提」になると言いました。(1)でも、それは変わりません。しかし、それ以外は「前提」とはならない表現なので、‘in Japan’「日本で」のように、どこで死亡したのか、というような「場所」は、「前提」とはならないわけです。

(2)では動詞の‘lives’「住む」が、そういった行為を行うものとして、主語‘John’を取っていますね。ですので、‘John lives’で、「ジョンは住んでいる」になりますが、それだけだと、ちょっと何かもの足りません。「住む」という表現は、やはり、どこどこに住む、というように「場所」がないと、座りが悪い感じになります。ですので、(2)のように、‘~ lives in Japan’とすれば、「~ は日本に住んでいる」となって、スッキリした感じがします。

ここで、(1)と(2)のカタチを見てみると、どちらも、「主語+動詞+前置詞+名詞」のカタチをしていて、違いがないことがわかります。これを、ちょっと学校の先生風に説明してみると、以下のような感じになるんじゃないでしょうか。

(3)‘die’も‘live’も自動詞だから、目的語は取らない。だから、(1)も(2)も、
   「S (主語)+V (動詞)」の、いわゆる、「第1文型」になり、‘in Japan’は、
   「前置詞+名詞」で、副詞句だから、‘died’や、‘lives’にかかる修飾語
   になる。 (副詞句については、EG44、参照。)

学校で英文法を習うときの、(1)や(2)に対する説明としては、(3)のような説明は、ごくスタンダードなもので、要するに、(1)の場合も、(2)の場合も共に、‘in Japan’は、副詞句として扱うから同じ構文だ、と言っているわけです。

しかし、EG45でやったように、「前提」という概念から単語の結びつきを見る方法を導入すると、見た目のカタチが同じだからという理由で、(1)や(2)のような文は、決して同じ性質をもっているとは言えません。

「英語脳」的な観点からみる限り、真の副詞句と言えるようなものは、(1)の‘in Japan’であり、一方、(2)の‘in Japan’は、決して副詞句とは呼べないようなものです。「前置詞+名詞」のカタチをしているからといって、そこから即座に、文法的に同じステイタスをもつと言っていては、以下のような場合に説明がつかなくなります。

(4)In Japan John died. (〇) (訳同(1))
(5)In Japan John lives. (×) (訳同(2))

(4)では、(1)の‘in Japan’を文の先頭に移動してみたのですが、これはOKです。一方、(5)でも、(2)の‘in Japan’を文の先頭に移動したのですが、何と、ダメになってしまいました。ここから言えそうなのは、‘live’「住む」と ‘in Japan’のつながりは強いが、一方、die’「死亡する」と ‘in Japan’のつながりは弱いということです。

これは、もちろん、‘live’「住む」は、意味的な「前提」として「場所」を要求する動詞なのに対して、‘die’「死亡する」は、意味的な「前提」として「場所」など要求せず、ただ単に、必要に応じて、そういったものを付けたり付けなかったりすればよいからです。

(6)a. Ieyasu Tokugawa lived in the 17th century. (〇) 
    (徳川家康は17世紀に生きていました。)
   b. In the 17th century Ieyasu Tokugawa lived. (〇) (訳同上)

‘live’には、「住む」以外に、「生きている」の意味もありますが、「生きている」の場合は、意味的に、生命をもったものが主語であればよく、他の要素を「前提」とはしません。ですので、(6a)のような文では、‘in the 17th century’を、純粋に副詞句として扱ってもよく、‘in the 17th century’を文の先頭に移動した(6b)が、OKとなります。ちなみに、(5)の場合も同様に、もし、「ジョンは日本に住んでいます。」ではなく、「ジョンは日本で生きています。」の解釈にするのなら、OKになるんですね。

今回のポイントは、EG45に引き続き、語句の関連付けのあり方に、「前提」という概念を導入することだったわけですが、この概念は、「英語脳」における重要なキーワードとなります。この認識が備わっていると、コトバの習得に対して敏感にセンスがはたらくようになり、英語を学習する上での効率が各段に向上します。「前提」の概念は、コトバの様々な側面で文法的な影響を与えており、その証拠としての一例を今回は示しました。

このような概念は、一般に、学校の授業では教わることがないため、結果として、(3)のような説明から、なかなか脱却することができず、(4)と(5)のような例に出くわすと、とたんに無力になってしまうという、もろい一面があります。「前提」の概念は、実は、EG42で、不定詞の副詞用法を扱う際にちょっと触れていたものです。今後も「前提」の概念を扱って、他の効果も検証していきますので、お楽しみに。

●関連: EG42EG44EG45

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英語学習法(45)

2005年01月10日 | 前提の概念
主語とか、動詞とか、目的語って何なんでしょうね。ちょっと考えてみると面白いことがあるかも知れません。以下、見ましょう。

(1)John died. (ジョンは亡くなりました。)
(2)John reads a book. (ジョンは本を読みます。)

(1)も(2)も簡単ですね。(1)の場合、‘died’が「亡くなった」になるわけで、動詞ですけど、主語は生き物であればOKですよね。「屋根裏が亡くなった」では意味が通りませんからね。「亡くなる」は、生命を持つものがその生命を失うことを意味しますから、生命を持つものでなければ主語になれません。

次に(2)ですが、‘reads’は、日本語の「読む」に対応します。「読む」というのも動詞ですが、「読む」という表現は「読む」という動作を行う人がいて初めて成り立つ表現です。その動作を行う人は主語になりますね。だから、「ジョンは読む」というようになります。

それから、「読む」は対象を必要とします。「読む」という動作は何を対象としているか。「黄色を読む」としても意味不明です。なぜ意味不明かと申しますと、もちろん「黄色」は読めないからなんですけど、くどくど説明すると、「黄色」は固体じゃないから手で触ることができないし、文字も印刷されてないし、という感じで要するに「読む」には不適合な表現なわけです。

「読む」は、文字として目で見て、何か情報を伝えているようなものでなければ、対象にすることができない表現なんですね。「本」だとそういった対象になるから、「本を読む」というのは自然なわけです。こういう風に、「読む」は予め目的語となれる意味的な対象が決まっています。

言い方を変えれば、「読む」は、あること (この場合、読めるもの) を前提としている表現であるとも言えますね。だから、(1)や(2)の単語のつながりは個々の単語が持つ「前提」に照らし合わせてつながり具合の良し悪しが決まるんですね。次を見ましょう。

(3)John died at three. (ジョンは3時に亡くなりました。)
(4)John reads a book at three, (ジョンは3時に本を読みます。)

(3)も(4)も、別に意味はおかしくないんですけど、(3)の‘died’「亡くなった」は、時間を前提とした表現でしょうか。死亡時刻を調べれば、それが何時かはわかるでしょうけど、常に死亡時刻が必要かと言えば、あってもなくても表現上は困らないもの、という感じがします。死亡時刻でも、死亡理由でも、死亡場所でも、必要に応じてつければいいし、必要でなければつけなくてもいい。

ただ、「死亡」という概念は生命が失われるという前提があるから、そういった意味で、主語に生命を持つものが必要になるだけですね。(3)も同じです。‘reads’「読む」という行為は、時間、理由、場所、その他などは必要に応じてつければいいだけで、前提にはなりません。ただ、「読む」という動作を行う人と、「本」、「新聞」、「雑誌」などの、いわゆる「対象」が前提になるだけですね。

単語のつながり具合は、このように、「前提」が基準になっている場合がほとんどです。そこで、そういった基準から、①・必要なものか、②・あってはならないものか、③・あってもなくてもいいものか、が決まります。しかし、実は英語の場合、そういった「前提」の概念が、カタチにうまく表現として現れないこともあるコトバなんです。

(5)a. The train reached Tokyo. (〇) (その電車は東京に到着しました。)
   b. The train reached at Tokyo. (×) (訳同上)

(6)a. The train arrived Tokyo. (×) (訳同(5a))
   b. The train arrived at Tokyo. (〇) (訳同(5a))

正しい文である(5a)と(6b)は、同じ意味なんですけど、カタチの上では違いがあって、‘reached’は、直後に名詞の‘Tokyo’があります。(6b)の場合は、‘arrived’の後に、直接‘Tokyo’を置かずに、前置詞の‘at’を置いてから、‘Tokyo’を続けます。「到着する」は、もちろん、行き着く先が「前提」となる表現ですから、(6a)みたく、いちいち‘at’なんか要らないんじゃない、って言いたくなりますが、有無を言わさず要るものは要るんです。それが英語なんですね。

よく、前置詞の謎を解明したぞ、と言わんばかりの英語関係の解説本を見かけますが、どんなに頑張って無理やり説明しようとしても、ムダなことなんです。意味的に(5a)=(6b)なんだから、(6b)の前置詞を取るカタチを説明したところで、じゃ、前置詞がない(5a)はどうなるんだ、という話になるだけです。つまり、(5a-b)の説明すれば(6a-b)が反例となり、逆に(6a-b)を説明すれば、(5a-b)が反例になるだけですから、ここは、‘reach ~’=‘arrive at ~’と素直に覚えるのが賢明です。

今回のポイントは、基本的な例をあげて、動詞を中心とした場合、それが意味的に前提としている表現として、主語と目的語があると述べました。しかし英語には、意味とカタチの対応の仕方に、ズレがある場合もあるので、それが英語学習を困難にしている原因の1つであるということを示したわけですが、見方を変えれば、そのズレの部分がどういったところにあるのか見極めがつけば、安心感がある分、学習上の不安を軽減することはできるということです。

そして、‘arrive at ~’のように意表をついて前置詞をともなうような表現は、頻繁に使う表現に多く、数もそう多くはないので、そんなに苦労もするわけではありません。素直に覚えるべきところは覚えましょう、ってことですね。

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英語学習法(44)

2005年01月06日 | 副詞
「節」と「句」の違いについてです。「副詞句」と「副詞節」に限定して扱ってみます。以下、見ましょう。

(1)I lived in Japan <forty years ago>. (<40年前>日本に住んでいたよ。)
(2)I lived in Japan <when I was young>. (<若い頃>日本に住んでいたよ。)

(1)の<forty years ago>を<when I was young>と入れ替えると、(2)が完成します。ここから、<forty years ago>と<when I was young>は文法的には (カタチの上では) 同じステイタスを持っていると言えそうです。 (EG39、参照)

(1)の<forty years ago>が、副詞的役割を担っていることから、<when I was young>も副詞と言うことができます。しかし副詞と言っても、‘I was young’の部分が文になっていますから、こういうときは、「副詞節」という特別な呼び方にしようという区別があります。

(3)現在形・過去形・未来形のいずれかをもつ文を「節」と呼ぶ。

(3)から、<when I was young>は過去形の‘was’をもつから「節」だけど、(1)の<forty years ago>は動詞そのものがないので、節とはならないということです。じゃ、動詞があっても、(3)に該当しないものはどんなものでしょうか。平たく言うと、動詞のカタチが不定詞や‘-ing’、そして過去分詞 (受身文の‘-ed’形) といったものであるということができます。

(4)John was running. (ジョンは走っている。)
(5)Mary was respected. (メアリーは尊敬されている。)
(6)I wanted to do that. (それやってみたかったのよ。)

(4)も(5)も、‘be’動詞が過去形の‘was’となっていて、これは「節」ということになります。このとき、‘running’や‘respected’自体は、「現在・過去・未来」を決定する動詞ではありませんので、節である条件(3)には該当しませんから、注意して下さい。(6)も、‘to do ~’は不定詞なので、節の条件は満たしませんが、‘wanted’が過去形で節の条件を満たしています。それと助動詞をもつ文は、それだけで即座に節となります。

(7)Mary may not know Tom has an affair. 
  (メアリーはトムの浮気を知らないかもね。)

(8)Mary must know Tom has an affair. 
  (メアリーはトムの浮気を知っているに違いない。)

(7)や(8)のように助動詞‘may’や‘must’、その他をもつ文は節と言い切って構いません。今度は「句」と呼ばれるものを見ましょう。

(9)the day before yesterday (一昨日)、last night (昨夜)、
  in the morning (午前中)、this afternoon (今日の午後)、one day (ある日)

実は、「句」の識別はとても簡単です。(9)は適当に複数の単語から成る表現を集めただけなんですが、「句」は複数の単語から成っていて、意味的に、ある1つのカタマリに感じられればそれでよい、という程度のものです。ただし、それは、(3)の条件に当てはまらないようなもの、つまり、「節」でないことが条件になります。ですので、もちろん、(9)の表現は、全て副詞句として使えます。

ここで、(2)の副詞節<when I was young>に戻って、なぜ、これが副詞節と呼ばれるのか、もうおわかりかと思います。副詞表現の現れる位置に置かれる、ということに加えて、かつ、‘was’をもっているからですね。類例を見ましょう。

(10)I will go there <before you go>. 
   (<君が行く前に>ボクがそこに行くよ。)

(11)Mary went away <while I was sleeping>. 
   (<オレが寝ている間に>メアリーは去ってしまった。)

(12)Tom has studied Japanese <since he was a student>. 
   (<学生の頃から>トムは日本語を勉強している。)

(10)~(12)の< >内の表現は、(10)が現在形の‘go’、(11)が過去形の‘was’、(12)も過去形の‘was’をもっていて、かつ、< >の部分が文の骨格にはなり得ず、副詞的にはたらいています。(10)~(12)は、< >の表現を取り除いても、一応、文として独立することができますからね。 (EG39、EG40、参照。)

今回のポイントは、副詞にもカタチの上では、様々なタイプがあるということです。数は3タイプで、①・1つの単語で表現されるスタンダードな「副詞」、②・(1)の<forty years ago>や、(9)の類例のように、2つ以上の単語から成る場合は「副詞句」、そして、③・(2)の<when I was young>を始めとする、(10)~(12)の< >内の表現のように、(3)の条件を満たす「副詞節」です。 (ちなみに、副詞用法の不定詞は、(3)の条件は満たさず、かつ、複数の単語から構成されているという点で、②の副詞句の扱いになります。EG42、参照。)

実際に耳にする英語の中では、副詞類の出てくる割合は非常に高いので、ポイント学習として取り上げましたが、カタチの上でのタイプ分けによって、一見、複雑そうに見える表現も一括りに扱えることがわかったと思います。実は、①・副詞、②・副詞句、③・副詞節、という3タイプで見分けるものの、結局は、全て同じ仲間、つまり、「副詞類」であることがわかります。

副詞類はいろんな変種があり、それこそ一大ファミリーを形成していると言ってもよく、「副詞一族」とでも呼んでやってよいくらいのものです。副詞一族のタイプ分けは、初歩的なものでありながら、かなり重要です。これが識別できるようになれば、英語がグッと簡単にわかるようになりますので、早めの習得がキモとなります。

■注 :(3)の中で述べている、「未来形」ですが、本来、そのような概念は、あまり正確な言い方ではありません。今回の場合、‘will’などの助動詞を用いたカタチであると認識しておけばよい、という程度のものです。

● 関連: EG29EG30EG33EG39EG40EG42

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英語学習法(43)

2005年01月03日 | 不定詞
不定詞も主語をもつことができます。学校では習わないようなことも含めて、「英語脳」的には重要なことがありますので、取り上げてみたいと思います。以下、見ましょう。

(1)Tom solved this problem. (トムがこの問題を解いたんだ。)

(1)は、‘Tom’が主語で、以下の‘solved this problem’が述語になりますね。では、(1)と関連させて、次に、‘to’不定詞を使った表現を見てみましょう。

(2)It is impossible to solve this problem. (この問題を解くのは、不可能だね。)
(3)It is impossible for Tom to solve this problem. (トムがこの問題を解くのは、不可能だよ。)

(2)のように、‘to’不定詞の‘to solve ~’は、特に、主語に当たるものをもってはいませんが、必要に応じて主語を付けることができます。それが(3)です。カタチは、「‘for’~‘to’不定詞」にしてしまえばOKで、‘for Tom’が、‘to solve this problem’に対する主語の役割を果たすということですね。

注意点としては、‘for Tom’を日本語に訳す際は、「トムが」の他に、「トムにとって」というものもありますが、不都合がなければ、どちらでもOKです。ただし、以下のような文には、注意が必要です。

(4)It is unpleasant for Ally for Billy to date Georgia.
(5) a. アリーにとって、ビリーがジョージアとデートするのは不愉快だ。 (〇)
   b. ビリーにとって、アリーがジョージアとデートするのは不愉快だ。 (×)

(4)では、‘for ~’が2つ現れていますが、このように、「for A for B to不定詞」のカタチになった場合は、(5a)のように、必ず、「A にとって B が・・・するのは」、というように解釈しますので、(5b)のように、「B にとって A が・・・するのは」、という解釈は絶対にダメです。そして、以下のような文も要注意です。

(6)There are many flies in the kitchen.
  (台所にハエがいっぱいいるな。)

(7)It is unpleasant for there to be many flies in the kitchen.
  (台所にハエがいっぱいいるなんて不愉快だな。)

(6)のような、‘there is/are ~’の文を、(7)のように、「‘for’~‘to’不定詞」の構文に組み込むこともできます。このときの‘for there’は、もはや、日本語に訳しようがありませんので、ただ単に、カタチの上で必要だから主語として組み込まれたのだ、と理解しておけばよいわけです。

(8)For Ally it is unpleasant for Billy to date Georgia.
(9)a. アリーにとって、ビリーがジョージアとデートするのは不愉快だ。 (〇)
   b. ビリーにとって、アリーがジョージアとデートするのは不愉快だ。 (×)

ここで、(4)の文を少しだけいじって、(8)のようにしてみましょう。(8)では、「for A for B to不定詞」の、‘for A’に当たる‘for Ally’が、文の先頭に位置しています。しかし、(4)の意味を取るときと同じで、解釈は全く変わりませんね。では、(10)はどうでしょうか。

(10)For Billy it is unpleasant for Ally to date Georgia.
(11)a. アリーにとって、ビリーがジョージアとデートするのは不愉快だ。 (×)
   b. ビリーにとって、アリーがジョージアとデートするのは不愉快だ。 (〇)

(10)では、(4)の「for A for B to不定詞」の‘for B’に当たる、‘for Billy’が文の先頭に位置しています。しかし、何と、今度は解釈が変わってしまいました。(11a)がアウトで、一方、(11b)がOKになってしまいました。つまり、アリーとジョージアの同性愛という、ちょっとアブノーマルな解釈じゃなきゃダメなんです。ここから、「for ~ to不定詞」の構文には、文法上の重要なルールがあることがわかります。

(12)「‘for’~‘to’不定詞」の構文からは、「~ にとって」の意味に
   解釈できる‘for ~’だけが、切り離し可能である。

では、(12)が本当に成り立つかどうか、他の文でも検証してみましょう。(3)で、‘for Tom’の日本語訳は、「トムが」でも、「トムにとって」でもよい、と言いました。そこで、(3)を、以下のように変化させてみます。

(13)For Tom it is impossible to solve this problem. (〇)
  (トムにとって、この問題を解くのは不可能だよ。)

(13)では、(3)をいじって、‘for Tom’を文の先頭に移動させましたが、これはOKです。この場合は、「トムが」と、「トムにとって」の、2つの解釈のうち、「トムにとって」の解釈の方を優先させればよいだけですね。では、(7)を、以下のように変化させた場合は、どうでしょうか。

(14)For there it is unpleasant to be many flies in the kitchen. (×)
  (台所にハエがいっぱいいるなんて不愉快だな。)

やっぱりダメです。‘for there’に 対して、「~ にとって」の解釈は、そもそも無理ですからね。「‘there’にとって」なんて、意味不明で、全くわかりません。というわけで、(12)は、文法のルールとして、しっかり成立するようです。

今回のポイントは、‘to’不定詞にも、明示的に主語を表現してやることができる、ということでしたが、‘for ~’という、ちょっと、紛らわしいカタチを取っているので、解釈に注意が必要な場合がある、ということです。

しかも、‘for ~’は、通常、代名詞が現れる際に、ハッキリとわかるように、‘for him’や、‘for her’といった、いわゆる、「目的格」のカタチで現れるので、初心者のヒトにとっては、‘to’不定詞の「主語」になる、と言われても、ピンとこないことがあると思います。

しかし、今回のように、‘for ~’が2つ並んで同時に出現するケースは、まさに、それら2つの‘for ~’が、似て非なるモノであることからくるものであることが、今回、明らかになったと思います。ですので、どちらのタイプの‘for ~’であるかは、文の意味をしっかり理解した上で、ということになります。

実は、他にも、‘for ~’ではないカタチを取るものもありますが、それに関しては、またの機会にでも。

■注 :今回、(6)、(7)、(14)に、用いられている、‘there’、については、「そこに」、という日本語訳を、当てはめることはできない、ということに関しては、EG74を、参照して下さい。

●関連: EG74

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謹賀新年です。

2005年01月02日 | その他
謹んで初春のお慶びを申し上げます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

年の暮れから元旦にかけて極寒の中、参拝に行ってきました。

On the last evening of the year 2004、after I finished writing one of my EG articles、I realized that my car was wholly covered with snow thanks to the sudden heavy snowfall on the day. It could not be helped. I began to wash the snow away from my car although I imagined that I might be killed by the terrible coldness during the job.

After finishing the hell of a job、I peacefully (???) went for a drive to Yokohama.
The roads were partially icy、so I had to pay more attention to my driving than usual. The city was beautifully illuminated with the special lighting for the upcoming new year.

After eating dinner I went to a shrine at Kamakura in order to worship. I was a little bit tired、but decided to wait for the first sun of the new year to rise. At 7:15、I finally saw the first sunrise of this year、2005 at the seashore of Kamakura.

On my way home I was sure that I would be killed in the car accident because I was much more tired this time than the night before last. In addition、I was caught in the heavy traffic jam、which I did not expect would occur in such a place、but somehow I came back home safe and sound. I came back alive!

こんな感じで、ややヘトヘト気味に新しい年明けとなりましたが(笑)、皆さんいかがでしたか?

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英語学習法(42)

2004年12月31日 | 不定詞
不定詞の「副詞 (的) 用法」と呼ばれるものを扱います。以下、見ましょう。

(1)To master English is my big purpose. 
  (英語をマスターすることが、大目標であります。)

(2)<To master English> we must read many books.
  (<英語をマスターするために>、いっぱい本を読まねば。)

(1)と(2)に共通している不定詞表現、‘to master English’の部分は、パッと見た感じは同じなのに、直感的には、何かが違って感じます。それは、どういった要因によるものなんでしょうか?どうやら、‘to master English’が、文をつくるための骨格の一部であるか否かの違いだと言えそうです。

いくつかのタイプに分かれている不定詞には、「名詞 (的) 用法」と呼ばれるタイプがありますが、不定詞が名詞用法である場合、文字通り、名詞として扱える、ということになります。そこから、一歩踏み込んで考えれば、それは「主語」になれる資格をもつ、ということなのです。 (EG38、参照。)

ですので、(1)は、「主語 (to master English)+‘be’動詞 (is)+補語 (my big purpose)」、と考えればよいのですが、一方、(2)は、「主語 (we)+動詞 (must read)+目的語 (many books)」で文の骨格が既にできあがっています。つまり、‘we’が既に主語位置を占めていますので、‘to master English’に主語としての居場所はありません。そこで、残る手段は、その骨格に依存する (かかる) 側の立場になるしかない、ということになります。

ところで、「副詞」は、文のカタチを考えた場合、文の骨格に対して依存する (かかる) 側の立場になると考えられます。ですので、(2)の‘to master English’を文の骨格に対して依存する側の立場にしてしまえば、これは副詞であるということになります。実は、これが「副詞 (的) 用法」の不定詞と呼ばれるものです。 (副詞に関しては、EG39、EG40、参照。)

(2)の‘to master English’は、一般的な訳し方としては、その日本語訳にあるように、「~ (する) ために」という、何かの目的を表すような感じで訳すやり方がありますが、そう訳しても構わないような意味ならそれでOKです。しかし、意味の取り方に注意すると、そうではないような副詞用法も存在します。

(3)Little Cathy grew <to be a beautiful lady>. 
(4) a. 幼いキャシーは成長して美女になりました。 (〇)
   b. 幼いキャシーは美女になるために成長しました。 (×)

そこで、(3)の意味を考えると、(4a)がOKで、一方、(4b)はアウトです。普通、発育上の成長は自分の意志で達成できるものではありませんから、自分の意志で、5歳の幼児が、3年後に20歳になるなどということは不可能であり、自然にそうなることを待つだけのことなので、最初から「目標」とすることができません。

こういう副詞用法の不定詞は、「目的」ではなく「結果」を表すものとして解釈して、それを日本語訳に反映させるようにしなくてはならないので、(4b)のような日本語訳は、まず不可能です。

ただし、特別な考え方としては、例えば、キャシーが自分の成長をコントロールできる魔法使いであるような物語の中でならば、かろうじて、(4b)をOKにすることはできます。このような場合、‘grew’の直後に、コンマ・イントネーションを置いて、少しポーズを入れて発音することになります。

不定詞の副詞用法は、カタチの上では、文字通り、副詞と同じような分布上の制限に従いますので、見た瞬間に副詞用法だと判断するのは簡単ですが、1つのカタチに対して、多様な意味があり、単純に一対一で対応していないところが、多少厄介です。

文法の解説書でも、よく、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」などと意味の種類を解説していますが、このような意味のバラエティを、逐一、機械的に暗記していくのでは、自然な解釈にもっていく際に、柔軟な動きが取れなくなってしまう点で、返って効率的ではありませんので、一応の目安程度に考えておくのがよいと思われます。

(5)She would be happy to see Tom.
(6) a. もしトムに会えたなら、彼女はうれしかろうに。 (〇)
   b. 彼女は喜んでトムに会うだろう。 (〇)

(5)の場合、(6a)でも(6b)でも解釈は状況に応じて可能です。違いは、トムに会った後で‘happy’になるのか、それとも、会う前から積極的に‘happy’な姿勢でいるのか、という点です。(6a)の場合、‘happy’の直後に少しポーズを置いて発音します。

そこで、不定詞と文のつながり方は、そのカタチの上での依存関係が理解できてしまえば、あとは、文の述語が表現している意味からイメージで不定詞の表す意味をつかんでいく方が、意味の適切な許容範囲を感覚的にマスターしていき安いと思われます。

(7)I am sorry to disturb you. (お邪魔して、ごめんなさい。)
(8)You are kind to help me. (助けてくれるなんて、親切ね。)
(9)He is crazy to sleep on the ice. (氷の上で寝るなんて、ヤツは狂ってるよ。)

1つの方法として、不定詞とつながる文との関係を捉える際には、コトバの「前提」を考えながら解釈するのがよいと思います。特に、感情や判断に関する表現は、比較的、不定詞と結びつきやすいと言えます。(7)は、なぜ、「ごめんなさい」なのか、(8)は、なぜ、「親切」なのか、(9)は、なぜ、「狂っている」のかということを意味的に補完する必要性が感じられるので、そういった表現は不定詞と結びつきやすいと言えます。

(10)I am eager to go out with Susan. (スーザンとデートしたいねぇ。)
(11)I am ready to fight. (勝負する準備はできています。)

(10)と(11)は、(7)~(9)以上に、不定詞とそれにつながる文が意味的な面での結びつきが強いと言えます。何を「切望」しているのか、何を「準備」の対象としているのかは、もはや、あらかじめ前提となっていて必須項目といった感があります。よく参考書などで、‘be anxious to’や‘be ready to’はセット表現として扱われるのもそのためです。

こういった不定詞は、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」のいずれでもなく、あえて言うなら、‘eager’や‘ready’の「対象」といったものです。この「対象」に該当する不定詞はそれなしでは、意味が完結しないほどに強い補完材料とされるので、どこか目的語としての役割をもっているような感じがあります。

ただ、不定詞なしで、‘We are ready.’などというという発話の場合は、話し手と聞き手の間には、何に対して‘ready’なのかが、既に了解済みであることが前提となっている場合が多いので、不定詞が省略されていても違和感がないのですね。

不定詞の副詞用法には、それがつながる文との結びつきが比較的強いものと、そうとまではいかなくとも、ある程度の結びつきが認められるものとがあり、後者の場合は、不定詞とその外の表現とのバランスを考えながら意味を取っていく必要があります。

ですので、「‘to’+原形動詞」というように、カタチが一定しているものの、それがつながっていく表現との関係においては、意味的な面で、「近い・遠い」といった関係性、つまり、「つながり具合」を考慮しなければならないことが、副詞用法の不定詞を複雑にしている原因と言えます。

今回のポイントは、まるで白から黒に向かうプロセスにグレーゾーンが存在するような感覚で、そういった中に、「目的」、「結果」、「原因」、「理由」などといった意味が抽出されるということです。この意味的な結びつきの強弱の流れが意識されているのとそうでないのとでは、英語脳の形成にかなりの違いがでてきます。

実は、副詞用法という呼び方も、単純に表面上のカタチを見た上でそう呼んでいるだけですので、意味的な結びつきの度合いといった観点からは、そのような呼び方で一括りにするのは不十分で、不定詞とそれがつながる文との結びつきが強い (つまり、不定詞が必須項目となりやすい) ものほど、副詞用法とは呼びにくい関係になります。

そのような不定詞は、副詞と呼ぶには、文の骨格の一部として半ば認めてもよいようなものです。最初のうちは、ちょっと難しく感じられるかも知れませんね。

●関連: EG38EG39EG40

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英語学習法(41)

2004年12月30日 | 
文を文の中に組み込むやり方です。‘that’節と呼ばれるものを例に取ってみます。以下の日本語、見ましょう。

(1)太郎は信じている。
(2)花子は正直者だ。
(3)太郎は [ 花子は正直者だと ] 信じている。

(1)の中に(2)を組み込むと(3)が完成します。(2)の末尾に「~と」が付くのがポイントですね。では英語ではどうでしょうか。

(4)John believes. (ジョンは信じている。)
(5)Mary is honest. (メアリーは正直者だ。)
(6)John believes [ (that) Mary is honest ]. ([ ジョンはメアリーが正直者だと ] 信じている。)

(4)の中に(5)を組み込むと(6)が完成します。(5)の先頭に‘that’が付くのがポイントですが、これはオプションでもいいのですね。ところで、普通は、「信じる」というような表現は、目的語が必要ですね。

(7)太郎はその噂を信じている。
(8)John believes the rumor. (ジョンはその噂を信じている。)

(7)の「その噂を」の部分と、(3)の「花子は正直者だと」の部分は分布(現れる位置)が一致していますね。同様に、英語の場合、(8)の‘the rumor’と、(6)の‘(that) Mary is honest’の部分は分布が一致しています。つまり、日本語も英語も目的語の位置に文が組み込まれているということがわかります。

もうおわかりかと思いますが、文は目的語として働くことができるんです。目的語になれるということは、一歩踏み込んで考えれば、名詞であるということですので、組み込まれた文は名詞(的)であるとも言えますね。文法の解説書などを読むと「名詞節」というコトバが出てきますが、これのことを言っているんです。名詞として文が使えるということは、主語の位置にも使えそうですね。

(9)The story is our secret. (その話はボクらの秘密だぞ。)
(10)[ That James is a spy ] is our secret. 
   ([ ジェームズがスパイだってことは ] ボクらの秘密だぞ。)

(9)の‘the story’と同じ位置に‘that James is a spy’が分布していますので、やはり名詞として使えるんですね。ただ、主語の位置に文がくる場合、‘that’は省略できない傾向があるので注意して下さい。

これは先頭に主語として組み込まれた文があると思って読んで(聞いて)くれよな、というシグナルとして‘that’を残しておきたいからで、普通、文の出だしでは、組み込まれた側よりも、組み込む側の方が先にくると思って聞き手は聞いているので、一種の、心の準備をしておくように、という指示みたいなものです。ですので、文が目的語として組み込まれているときには省略されていても特に違和感を感じないのですね。

今回は、何だかとても簡単なことをやっているようですが、文を組み込むというシステムを習得すると表現方法にグンと広がりが出てきます。このやり方を単純反復させて長めの文をつくり、意味内容の濃い表現にすることができます。今度は(6)を更に組み込んだ文をつくってみます。

(11)I imagine [ (that)John believes [ (that) Mary is honest ] ].
  (ボクはね、[ ジョンは [ メアリーが正直者だと ] 信じている ] と想像してるん
  だけどね。)

(11)では、「孫」である‘(that) Mary is honest’を中に組み込んだ‘John believes ~’が「子」であるとすると、今度は、その「子」が、組み込まれる側の立場になり、‘I imagine ~’が、それを組み込む側の立場、つまり「親」になっているということですね。

このように文法には、単純なルールを反復させて複雑な表現を可能にしている側面があるので、一見、難しそうに見える文も、実はそんなに大掛かりな仕組みを用いているわけではない場合があります。単純な仕組みの反復こそが英語脳の大きな仕組みの一部であるという例でした。

■注1 :今回扱った、‘that’節は、学校で習う英文法では、「従属節」とか、「従位節」と呼ばれています。それに対して、‘that’節を組み込む側の文を、「主節」と呼んでいます。これは、‘that’節が、組み込む側の文に依存することで成り立っている、という、依存の関係を、比喩的に、「主従」の関係で表現したものです。

■注2 :(10)のような‘that’節を、主語として組み込んだ文は、一応、文法的ではありますが、あまり座りがよくない、と判断される場合があります。この点に関しては、EG84を参照して下さい。


●関連: EG84

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英語学習法(40)

2004年12月29日 | 副詞
EG39・副詞の基本の続きです。EG39では意味の面から副詞を判断するだけでなく、形式の面からも副詞を判断することの重要性を説いたわけですが、さっそく以下、見ましょう。

(1)I am at home. (家にいるよ。)

(1)の‘home’は‘at home’で使われていますね。前置詞の後には名詞がくるというルールもありますし、普通は‘home’=「家」で覚えているので、名詞のイメージが強いんですが、(2)はどうでしょう?

(2)a. Let's go home.(〇) (帰りましょう。)
   b. Let's go to home.(×) (訳同上)

ん?(2a)が正しく、(2b)が誤りであるのは、(1)の帰結からは矛盾しています。まず考え方として、(2a)からは、‘go’には他動詞(目的語を取る動詞)としての用法があるかなと推測しますが、(3)を見る限り、そう考えてもあまり良い答えにはならないようです。

(3)Let's go to the station.(〇) (その駅に行ってみよう。)

(3)では、「前置詞(to)+名詞(the station)」が‘go’の後にありますので、やはり‘go’に自動詞(目的語を取らない動詞)としての性質は生きているようです。ここは、‘go’よりも、むしろ‘home’に原因があると考えた方が良さそうです。

(4)I fell down on my way to the station.(〇) (駅に行く途中で転んだ。)
(5)I fell down on my way home.(〇) (帰宅する途中で転んだ。)

(4)と(5)の対比から‘to the station’と‘home’が入れ換えの対象になっていることがわかります。では、‘home’には特別に前置詞を含んだ表現法があると考えてはどうでしょうか?そうすると(6)がダメな理由がわかりますね。

(6)I fell down on my way to home.(×) (訳同(5))

このように、一見、名詞的な感じがするものの、実は前置詞の役割も含んだ擬似副詞(とでもいうんでしょうか?)が英語には存在します。‘home’は、(1)のように、ある場所に既に存在していることが主張される場合に名詞としての優先権が発生するのです。(2a)と(5)の類例を見ましょう。

(7)go overseas (海外に行く)、go abroad (海外へ行く)、go there (そこへ行く)、
   come here (ここに来る)、等

(7)の表現は動詞との間に前置詞が付くことはないので要注意です。こういった表現は、大体は、向かう場所に関するものが多いんですが、時間に関するものもあります。

(8)Yesterday's paper (昨日の新聞)
(9)I studied English <yesterday>. (昨日、英語を勉強した。)

(8)では‘yesterday’が明らかに名詞ですが、(9)では、「主語(I)+動詞(studied)+目的語(English)」が文の骨格となっていて、<yesterday>が副詞として扱われています。これは慣れている人が多いと思いますから簡単ですね。

(10)a. I ate bread <this morning>.(〇) (今朝、パンを食べた。)
   b. I ate bread <in this morning>.(×) (訳同上)

(10a)は割と見慣れているのですが、書いたり話したりするときは思わず(10b)をやってしまいますね。これは、‘in the morning’「午前中」との混同からくるようです。以下はどうでしょうか。

(11)There were a lot of people in the room. (その部屋には大勢の人がいた。)
(12)a. A car is <a lot> faster than a bicycle. (クルマは自転車よりずっと速いぞ。)
   b. A car is <much> faster than a bicycle. (訳同上)

(11)は、‘a lot of ~’「たくさんの」で覚えている人が多いと思いますが、‘a lot’の部分は名詞的に感じられます。事実、名詞なんですが、そういった先入観を持つと、(12a)の‘a lot’が、(12b)のように、‘much’(比較級に付いて「はるかに」の意味)で置き換えができるような副詞であることに気付きにくいんですね。

(13)I am <twenty years> old. (オレはもう二十歳だ。)

‘I am ~ years old.’の年齢を表す表現は暗記してしまってる人が多いんですが、(13)の< >の部分は実は、「程度」を表現する副詞で、「主語(I)+be動詞(am)+補語(old)」の骨格となる文に、「今までどの程度生きているか」を表現する副詞として、年数、<~ years>を入れることになっているのです。ここでもやはり、「骨格とそれに依存するもの」といった依存関係がありますね。

EG39では、文中の「依存関係」、すなわち、骨格とその骨格に依存するもの(副詞やそれに類するもの)の相対関係を形式的な面から見抜くことは大切だと言ったのですが、今回は新たなポイントとして、基本となる骨格に対して依存する側のものには、形式上のトリックが存在する場合があるのを見ました。一見、名詞のように見えても副詞のように振る舞う表現があるんですね。

英語の仕組みに関しては、こういった注意点を1つ1つしっかり確認して基礎固めをしていけば、比較的、短期間で英語脳の大方は完成してしまいます(←マジですか?)。やっぱり、あれこれと不安を抱えながら英語を話すよりも、自信を持って話したいですもんね。自分の英語を自己分析する力を養いましょう。

●関連: EG39

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英語学習法(39)

2004年12月28日 | 副詞
副詞の基本です。まず、日本語との違いから出発します。以下、見ましょう。

(1)<速く>走る

日本語の場合、形容詞の「速い」が活用して、「速く」になれば、(1)にあるように、動詞にかかることができるようになります。これを、国文法では、「連用形」になる、とか言いますが、基本として、英語には、そもそも、そのような発想がありません。そういった事情で、連用形の「速く」に相当するものを、英文法の品詞分類では、「副詞」と呼んでいます。ですので、最初から、日本語の連用形のような活用自体がなく、副詞は、もとから、副詞として存在しています。

それと、英語における副詞の役割は、もちろん、(1)の日本語のように、動詞にかかる、というような側面もあるのですが、加えて重要となるのが、基本となる文型、つまり、英語の「骨格」となるカタチに依存するということです。英語の副詞は、あれやこれや、深く考察するとややこしい機能をもっていますが、識別の仕方として、文のカタチから見た場合は、比較的、簡単に見分けることができます。

(2)Tom runs. (トムは走る。)
(3)Tom runs <fast>. (トムは<速く>走る。)

(3)の< >の部分が副詞です。(2)は、主語‘Tom’「トム」と、動詞‘runs’「走る」から成る文ですが、これに、何らかの付加情報を加えたいときに、(3)の<fast>のように、副詞が活躍します。副詞は、あくまでも、文の骨格となるものに対して、付加的な情報を提供する役割を担っているだけなので、何かに依存する (かかる) ことが前提となる表現です。ですので、(2)のような、骨格となる文が前提となって、初めて、副詞が存在する価値を認められることになります。それと、あともう1つ、決まりごとがあります。

(4)Tom is a runner. (トムが走者である。)
(5)Tom is a fast runner. (トムが速い走者である。)

(4)の‘runner’「走者」に対して、付加的な情報、‘fast’「速い」を加えると、(5)になりますが、その機能がちょっと異なります。(3)では、<fast>「速く」が、‘runs’「走る」に、依存して (かかって) いるのに対して、(5)では、‘fast’が、‘runner’に依存して (かかって) います。‘runner’は名詞ですが、英文法のルールでは名詞にかかるものを副詞とは見なしません。(5)の‘fast’は形容詞としての扱いを受けます。そこで(6)が成立します。

(6)副詞は名詞や、それに類するものにかかることはない。
  名詞(類)にかかるのは形容詞である。

副詞は、もとからある文の情報を、さらに濃くするためにあるので、よりかかる対象が必要である、ということに加えて、(6)にあるような、副詞と形容詞の機能上の違いを認識していれば、もう基本は、OKです。

(7)John was kicked. (ジョンは蹴っ飛ばされた。)
(8)John was <strongly> kicked. (ジョンは<強く>蹴っ飛ばされた。)

受身文 (EG35、参照) は、もとになる能動文からの変形ですが、(7)のように、「主語 (John)+‘be’動詞 (was)+過去分詞 (kicked)」が、構成材料となってつくられるのが基本ですので、そういった材料は、英文の骨格なわけです。ですので、(8)を見たときに、<strongly>は、受身文の骨格とはならず、副詞だなと、すぐにわかりますね。(8)では、<strongly> は、意味的に‘kicked’に依存して(かかって)います。

(9)Tom runs <<very> fast>. (トムは<<とても>速く>走る。)

(9)は、(3)に、更なる情報を付加した文です。単なる「速く」よりも、「とても速く」の方が、意味内容が濃いですもんね。(9)の場合、<very>が<fast>にかかっています。<very>は文の骨格に使われる材料ではありません。そして通常は名詞にかかることもありません。つまり、副詞であり、<<very> fast>では、副詞‘very’「とても」が、副詞‘fast’「速く」にかかっているわけです。ルール(6)は、副詞が副詞に依存する関係を妨げるものではありませんので、(9)がOKなんですね。

(10)Mary got the ring. (メアリーはその指輪を手に入れた。)
(11)<Fortunately>、Mary got the ring. 
  (<運良く>、メアリーはその指輪を手に入れた。)

(10)では、「主語 (Mary)+動詞 (got)+目的語 (the ring)」で、文の骨格となりますので、(11)の<Fortunately>「運良く」が、付加情報となり、副詞です。この場合、ポイントは、<Fortunately>の及ぶ勢力範囲です。(3)、(8)、(9)では、副詞が、意味的に文中の一部に依存するケースでしたが、(11)では、<fortunately>の意味が、文全体に依存しています。つまり、‘Mary got the ring.’全体を依存の対象としているのです。これは、意味的な面から、大体見当がつくでしょうから、ここでは、副詞の勢力範囲は、意味に応じて広がることがあると理解しておけばOKです。

と、ここまで言って、以上のような例からだと副詞は一見、簡単そうに見えるんですが、それは日本語的な感覚で意味の面からのみ処理していれば、大体わかってしまうことがあるからです。こういったわけで、それで理解は十分と勘違いしてしまうケースがよく見受けられます。

しかし、英語の場合、意味だけでなく形式 (カタチ) 的な面からも、判断する練習が大事です。英語の、副詞と文の骨格の識別は、日本語以上に、その文法性に密接に関わってくるので、練習を怠ると、結果として、かなり中核的な部分で、英語脳の形成が破綻してしまいます。

今回のポイントは文中の「依存関係」、すなわち、骨格と、その骨格に依存する副詞の、相対関係をカタチの面から見抜くことにあります。英語では、この関係を見抜く練習をした方が、意味的な面から勘にたよって判断するよりも格段に上達が早いことは上級者ほどよくわかっていることなのです。ここで手抜きは絶対にしないようにして下さい。他のポイントは、またの機会にでも。

■注1 :英語の副詞にも活用がないわけではありません。ただし、‘fast、faster、fastest’のような、比較級・最上級での活用になりますので、国文法における、「連用形」のような活用とは、無関係なものになります。

■注2 :学校で習う場合は、副詞は、基本5文型(文の骨格となるもの)、「S+V」、「S+V+C」、「S+V+O」、「S+V+O+O」、「S+V+O+C」のいずれにも属さないもの、というような教わり方をします。これら、骨格となる文型、(基本5文型)自体が短くても、付加されている副詞要素の、多い・少ないが、文の長短を決定している場合がありますので、この点、注意が必要です。


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英語学習法(38)

2004年12月27日 | 不定詞
不定詞の基本です。あの‘to’の後に動詞の原形がくっつく形ですね。不定詞は‘to’がない原形だけのものもあるんですが、今回は‘to’付きの場合ということで。しかも、文法的に変種もいっぱいありますので、特定の用法、「名詞(的)用法」と呼ばれるものに絞ります。以下、見ましょう。

(1)I want to eat steak. (ステーキ食べたい。)

(1)で、‘want’は他動詞(目的語を取る動詞)の扱いを受けています。ですので、目的語が必要なんですけど、‘to eat ~’にあたかも名詞のようなステイタスを与えて、目的語の役割をはたしてもらうというのがキモなんですね。

日本語の場合、「食べ(る)」と「~(し)たい」を合体させると、「食べたい」になるという発想ですが、英語の場合は、‘to eat’「食べること」と‘want’「欲する」を合体させて‘want to eat’にするわけです。ですので、ちょっと、ギコチない解釈ですが、「食べることを欲する → 食べたい」が初心者には理解しやすいかも知れないですね。類例を見ましょう。

(2)I tried to drink wine. (ワインを飲むことを試みた。→ ワインを飲もうとした。)
(3)I remember to go there. (そこへ行くことを覚えておく。→ 忘れずにそこへ行く。)
(4)I forgot to do my homework. (宿題をすることを忘れた → 宿題やり忘れた。)
(5)To see is to believe. (見ることは信じることだ。 → 見りゃ信じるようになるさ。)

というように、名詞用法の基本は、日本語の「~こと」に対応させて考えるとわかりやすいと思います。しかし、あくまでも英語の側ではそのような都合は考慮していませんので、これは非常にありがたい、単なる偶然である、ということを肝に銘じて下さい。

(6)I learned to like the cat. (そのネコを好きになった。)
(7)I pretended to be sick. (病気のふりをした。)

(6)の‘learn to’「~(する)ようになる」や、(7)の‘pretend to’「~(する)ふりをする」のように、「~こと」に対応させにくい表現もあります。しかし、やはり基本はこれらの不定詞が「目的語」と見なされ、結果として名詞的に振る舞っているということに違いはありません。ですので、最終的には、(2)~(7)のこういった動詞に不定詞が付く場合はこんな感じで理解するのだなと軽く考えながら練習するのがベストです。

それと、主語ではなく、目的語になる場合の不定詞は慣れることが何よりも重要で、あまり勝手に予測しながら文をつくることはおすすめできません。

(8)a. I finished to read the book.(×) (その本を読み終えた。)
   b. I finished reading the book.(〇) (訳同上)

(9)a. I gave up to marry Mary.(×) (メアリーと結婚なんて諦めちゃったよ。)
   b. I gave up marrying Mary.(〇) (訳同上)

‘-ing’の形は、ときに不定詞と衝突することがあるので要注意です。これは、どっちが正しいかは該当する述語に対して、逐一、覚えていかなければならないので面倒くさいんですけど、諦めましょう(泣)。

‘-ing’と不定詞の概念上の違いに関しては、何とか楽に習得したいと思うものです。そこで、しのぎを削るように躍起になってゴチャゴチャと説明がなされている解説書が氾濫しているんですけど、残念ながら、どれも百発百中の予測力を誇るというわけではないので、大雑把に参考しておく程度にして金科玉条にはしない方がよいと思います。

不定詞の難しさは、形が一定している割には意味のバラエティが非常に豊かなので意味をどう取ってよいのかわからなくなることが多いというものです。その中でも名詞用法は比較的手を付けやすい部類ですが、上記のような暗記ものが多いのも事実なので注意して下さい。

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英語学習法(37)

2004年12月26日 | 不定詞
「不定詞」と呼ばれるものを扱います。入門編です。以下、見ましょう。

(1)swim (泳ぐ)
(2)to swim (訳同上)

(1)は‘swim’「泳ぐ」という、ただの動詞です。一方、(2)は、「前置詞‘to’+動詞‘swim’」で、‘to swim’になっています。(1)は、原形動詞であり、そのカタチは、別に、「三人称・単数・現在」の‘swims’と変化したりしていませんが、このように、原形のままの姿である動詞を、別名、「原形不定詞」と呼んだりします。

一方、(2)ですが、前置詞‘to’に、原形動詞 (原形不定詞) をくっつけて、「‘to’不定詞」と呼んだりします。‘to’不定詞は、前置詞‘to’の後に、名詞ではなく、例外的に、動詞がくっつくのが特徴で、(2)のようなカタチのままでも、別に非文法的ということではありません。ですので、‘to’の後に原形動詞があったら、それは、‘to’不定詞という、りっぱに文法的なカタチだと思えばよいのです。

(3)to swims (×)
(4)to swam (×)
(5)to swum (×) 

(3)~(5)は、全てアウトです。(3)では、‘to’の後に、「三人称・単数・現在」の‘swims’をくっつけたのですが、これがアウト。(4)では、‘to’の後に、‘swim’の過去形‘swam’をくっつけたのですが、これもアウト。そして、(5)では、‘to’の後に、‘swim’の過去分詞‘swum’をくっつけたのですが、これも、やはり、アウトです。

以上から、トータルでわかるのは、不定詞と呼ばれるものは、常に、動詞の原形であるか、または、それに、‘to’がくっついたものであるかの、どちらかでしかなく、それ以外は、あり得ないということです。ですので、結構、不定詞のカタチの可否を判断するのは簡単なんですが、そのカタチが、あまりにも単純すぎて、問題が起こってしまうこともあります。

(6)to swim yesterday (×) (昨日、泳いだ)

(6)はアウトです。問題は、不定詞である‘to swim’に、‘yesterday’を付け足したことで発生したのであろうということは、一目瞭然なんですが、それが何で悪いんだ、という疑問が起こるわけですね。というのも、(4)から明らかなように、もともと、不定詞には過去形が使えないからです。

不定詞は、過去形を使ってはいけない、とされているわけだから、不定詞の場合、(6)のように表現するのは仕方ないことなのではないか、と思えるわけです。しかし、事実上、アウトになるわけですから、不定詞で過去のことを表現するのを諦めるか、または、別の抜け道を模索するかしかありません。

(7)to have swum yesterday (〇) (訳同(6))

そこで、(7)ですが、これはOKです。(7)は、実質的に、アウトである(6)の代替として使われるカタチで、特徴としては、「‘to’+‘have’+過去分詞」で、‘to’の後が、「完了形」と全く同じ姿をしている、ということです。このやり方だと、‘have’が常に動詞の原形であるため、(4)や(6)のような矛盾を引き起こさない、というメリットがあります。

(8)John has swum yesterday. (×) (ジョンは、昨日泳いだ。)

しかし、その一方で、(8)はアウトです。完了形の決まりごととして、よく説明されることですが、完了形は、過去の一点を表す‘yesterday’のような表現とは共起できない、というルールがあります。つまり、(7)は、カタチとしては完了形の姿をしてはいますが、‘yesterday’と共起できるという点において、実質的に、(8)のような完了形とは似て非なるもの、ということになります。

(9)I have studied English since last year. (〇) (私は、昨年から英語を勉強しています。)
(10)to have studied English since last year (〇) (昨年から英語を勉強している)

(9)では、完了形と共起するのが特徴である‘since ~’「~ 以来」を使って、‘since last year’「昨年以来」となっていますが、一方、(10)においても、同様に、「‘to’+‘have’+過去分詞」である、‘to have studied ~’「~ を勉強している」と共に用いても、何の問題もなくOKになります。

つまり、(10)の場合は、「‘to’+‘have’+過去分詞」のカタチで、(7)のように過去のことを表現しているのではなく、(9)と同様に、そのまま完了形として使われていることになります。ですので、結果的には、「‘to’+‘have’+過去分詞」は、「過去形の代替」と「完了形」の2つの表現が可能なカタチである、ということになります。

(11)John may succeed in life. (ジョンは、出世するかも知れない。)
(12)John might succeed in life. (訳同上)

(11)では、助動詞の‘may’「~ かも知れない」が使われ、一方、(12)では、‘may’の過去形‘might’が使われていますが、しかし、日本語訳は、(11)も(12)も同じで、特に、(12)の過去形‘might’は、単純に、「~ だったかも知れない」というような、過去を表現するような日本語訳にはなりません。

この場合、一応、表面上は、(11)も(12)も同じ日本語訳になるとは言っても、実質的には、(11)の場合、ジョンの出世は、事によると、あり得るかも知れない、と言っているのに対し、一方、(12)では、心にもないことだが、天と地がひっくり返るような事態でも起これば、そりゃジョンの出世だってあり得ますわな、と無内容な例えを表現する場合ですから、(11)と(12)は、結構、大きな意味の違いがあります。

しかし、いずれにせよ、(12)の過去形‘might’は、「~ だったかも知れない」というような、過去を表現するような日本語訳にならないわけで、だとすれば、どうやって、「~ だったかも知れない」を表現すればよいのか、という問題になります。

(13)John may have succeeded in life. (ジョンは、出世したかも知れない。)
(14)John might have succeeded in life. (訳同上)

(13)では、やはり、助動詞の‘may’が使われ、一方、(14)では、‘may’の過去形‘might’が使われていますが、しかし、共に、「‘have’+過去分詞」のカタチが後に続いているという共通点があります。そして、どちらも、「~ したかも知れない」という日本語訳にすることができる点も共通しています。

つまり、過去のことを言い表せる部分は、実質的には、「‘have’+過去分詞」のカタチの方が主導権を握っていると思われます。つまり、(11)対(12)と(13)対(14)のコントラストからは、‘may’と‘might’の意味の差は、「現在・過去」の違いではなく、現実的にクリアする可能性のある「条件」であるか、それとも、単なる、途方もない「仮定」であるかの違いでしかない、ということになります。

ここに、‘might’が過去形と呼ばれているが故のトリックが潜んでいます。今回扱わなかった他のケースも総合的に考慮すれば、‘might’を過去形と呼んでも、特に問題はないのですが、少なくとも、(12)と(14)の場合は、過去形という呼び方が、どうしても、正しい判断を曇らせる原因になってしまいます。

ここで、話を不定詞に戻すと、助動詞には、様々なタイプのものがありますが、最も標準的には、‘will’、‘may’、‘must’などのように、後には、動詞の原形しかこれないので、過去形が過去としての意味を成さないような(12)や(14)の場合、「過去形の代替」として、「‘have’+過去分詞」のカタチが登場する、というわけなんですね。 (助動詞のタイプ分けに関しては、EG12、EG13、EG14、参照。)

もちろん、(11)~(14)のように、‘to’が付いていなくても、結局、「‘have’+過去分詞」の‘have’は、原形不定詞という扱いを受けるだけなので、最終的には、不定詞の場合、‘to’不定詞であろうが、原形不定詞であろうが、単純な過去形は存在せず、過去のことを表現する場合は、「(‘to’+)‘have’+過去分詞」のカタチで過去形とする、という定義で決まりです。

今回のポイントは、不定詞の最も基本的な出発点として、不定詞のカタチについてです。英語の動詞は、例外なく、必ず過去形をもっている、という前提があります。そして、不定詞には、「原形不定詞」と「‘to’不定詞」という、2タイプのカタチが存在するものの、いずれも動詞を活用させない、というルールがあります。

動詞を全く活用させないことから、「三人称・単数・現在」や、過去形や、過去分詞といったカタチが定まらず、不定のままなので、「不定詞」という名前で呼ばれるのですが、だからと言って、過去の意味を表現する権利を奪うことまではできないところに、この不定詞の矛盾があったわけです。

ですので、「(‘to’+)‘have’+過去分詞」のカタチを用いることで、結果的に、動詞を活用させることなく、過去の意味を表現できるというアイデアが生まれたわけですが、ハッキリ言ってしまえば、これは、英語においては、種々雑多な意味の表現をまかなう上での、文法上の可能なカタチが貧困であることに起因するものです。

そして、これが同時に、文法上の可能カタチが、比較的、豊かな日本語との相性の悪さの原因でもあり、日本人からすれば、習得の厄介な盲点になっているわけですね。

●関連: EG12EG13EG14

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英語学習法(36)

2004年12月25日 | 否定
また否定文です。EG32って何かウソっぽ~い。だって、「部分否定」ってのがあるんだよ~。知らないの~?え!そんなものがあるんスか?どれどれ。ガーン!以下、見ましょう。

(1)Susan is not always happy. (スーザンはいつも幸せというわけではない。)

「部分否定」というのは、例えば、‘not always’(いつも~とは限らない)に代表されるような、‘always’「いつも、常に」という全ての場合において100%とされる事が前提になる表現に対して、大体の場合はそうかも知れないけど、たまにゃそうじゃない事だってあるんだよ、というように、100%をそれより下の確率に格下げする表現方法です。

「部分否定」という名前の由来は、‘not’のような否定語が、あたかも‘always’に直接かかる事で‘always’のみを否定している、というような印象がある事からきているようです。

しかし、EG32では否定語は「文全体(=文そのもの)」を否定していると述べ、「‘not’が~にかかる」とかいう説明自体がナンセンスであると言い切ったわけですから、(1)のような文があると、ストレートな反例があるではないか、と疑問に感じるわけですね。

でも(1)のような例でも、EG32の説明にとって取り立てて問題になる事はありません。(1)を平たく説明調に言うと(2)になりますね。

(2)Susan is not always happy. (「スーザンはいつも幸せだ。」は偽である。)

(2)の解釈法は、「スーザンはいつも幸せだ。」そのものを「偽」と考え、ではどこにその原因があるのかというと、「いつも」の部分ですよ、と捉えればよいだけです。だから、「・・・ はいつも~だ、じゃない → いつもとは限らない」となります。

ここで注意を要するのは、「いつもじゃない = いついかなるときでも~でない」と捉えてはいけないという事です。EG32では‘not’は「偽」のマーキングを施す仕事をしているだけだと言いましたが、そこから‘not’は「真逆」を述べると勘違いしてはいけません。

(3)I do not like George very much. 
(4)a. ジョージをあまり好きではありません。((3)の解釈として、〇)
   b. ジョージは全く好きではありません。((3)の解釈としては、×)

つまり(3)は、「ジョージをとても好きだ。」、はやっぱり「偽」やな~と考えて、ちょっと「とても」の部分が問題やな~とします。だから、「・・・ はとても~だ、じゃない」→「あんまり~じゃない」ならOKなわけです。

解釈の仕方として、美人じゃない、と聞くと、じゃブスだな、と思ってしまう人がいるわけで、これはただ単に心理的バイアスが働いてのこと(可もなく不可もない顔の場合もアリますんで)だから、コトバそのものの仕組みとは別個の問題なのです。ですので(4b)のような「真逆」解釈をしないように注意しましょう。

ここで本題の「部分否定」に戻って、やはり、否定文の基本は(2)の日本語訳(解説文?)なのです。(1)は一般的に‘always’にストレスを置くイントネーションになりやすい文ですから、学習者に対して、‘not always’をセットにして覚えさせた方が良いだろうという配慮からだと思われます。

しかし、実はこれは一時しのぎなやり方で、後々厄介な問題が出てきます。(3)もその1つで、‘not~very・・・’も「あまり~でない」と暗記することなく、EG32のやり方だとスッキリ理解できます。

(1)も実は、‘Susan’にストレスを置けば、「いつも幸せなのはスーザンではないよ(キャシーだよ)。」という解釈もOKなのです。だから、‘not always’のセットを金科玉条にしてしまうと、それ以外の解釈に関して動きが取れなくなってしまいます。ただし、そのような解釈にしたければ、‘Not Susan is always happy.’や‘It is not Susan that is always happy.’を普通は使うでしょうけど。

否定文を使っていると、ややこしい問題が随分と潜んでいるので、できるだけ簡単に構文化して暗記してしまいたくなるんですけど、ここから逃げない事が英語脳をつくる上での正念場です。頑張りましょう。

●関連: EG32

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英語学習法(35)

2004年12月21日 | 受身文
EG34の続きです。受身文の基本です。また、EC11でも大雑把に触れましたが、ちょっとネタを足してみます。以下、見ましょう。

(1)Everybody respects John. (みんな、ジョンを尊敬してるぞ。)
(2)John is respected _ (by everybody). (ジョンは、(みんなから) 尊敬されてるぞ。)

ご存知のように、(1)は能動文で、(2)は、(1)に対応する受身文ですね。能動文(1)の目的語‘John’が、主語の位置に移動して、‘respect’は、「‘be’動詞 (is)+過去分詞 (respected)」になります。 (下線部は、‘John’の移動によって空所になった位置)

この際、(2)の‘by everybody’「みんなによって」は、一応、(1)の主語である‘everybody’が、前置詞‘by ~’と共に、文の末尾に位置していると考えられますが、これはオプションとして扱われることが多いので、あってもなくてもOKです。このように、受身文は、必ず例外なく、「目的語」が主語位置に移動してつくられるという法則があります。

(3)受身文は「目的語」が主語の位置に移動することでつくられる。

受身文の法則(3)によれば、必ず、主語位置への移動の対象は、「目的語」ということですので、(3)を踏まえた上で、ここから、ちょっと発展的に考えるならば、「前置詞+名詞」の場合も、その名詞が目的語の扱いを受けていますので、以下のような受身文がつくれます。

(4)Mary spoke to Tom. (メアリーは、トムに話しかけた。)
(5)Tom was spoken to _ (by Mary). (トムは (メアリーに) 話しかけられた。)

能動文(4)からも、受身文(5)がつくられますが、(4)のような場合、‘speak to’「~ に話しかける」を、あたかも、1つの動詞 (他動詞) であるかのように考えて、前置詞‘to ~’を付けたままにしておくことがポイントとなります。

(6)Mary spoke Tom. (×) (メアリーは、トムに話しかけた。)
(7)Tom was spoken _ (by Mary). (×) (トムは (メアリーに) 話しかけられた。)

能動文(6)は、もともとアウトですが、(6)に対応する受身文(7)も、アウトです。これは、‘speak’が普通、自動詞 (他動詞のように目的語を取らない動詞) の扱いをうけるからで、前置詞なしでは、直接、目的語を取れない動詞だからです。

つまり、もとになる能動文がアウトであるなら、それに連動するカタチで、対応する受身文もアウトになる、という点で、能動文と受身文は、密接な関係をもっていると言えます。これを言いかえれば、変形は、もとが正しくなければ、それを派生させたものも、また正しくない、ということなんですね。

と、ここまで言って妙に簡単な印象を受けるんですが、日本語の発想から考えると、これまで述べてきたような、受身文における、この簡単な仕組みを、やけに難しくしているような部分があります。例えば、「~ と聞かされた」というような日本語の表現は、「~ された」で、受身文として考えて、よく以下のようにやってしまいます。

(8)I was heard [ that he had broken his arm ]. (×) 
  (私は [ 彼が腕を骨折したと ] 聞かされた。)

(9)Someone heard me [ that he had broken his arm ]. (×) 
  (ある人が私に [ 彼は腕を骨折したと ] 聞かせた。)

受身文(8)はアウトですが、ここで、考え方としては、受身文の法則(3)を、常に守ることを念頭に置かねばなりません。(3)があると、(8)に対応する能動文として、(9)がOKであるかどうかを、チェックしなければならないんですが、やはり、能動文(9)もアウトなのです。

つまり、‘hear’「~ だと聞く」は、(9)のように、「‘hear’+A (目的語)+‘that’節」というような使い方をしない動詞なのです。ですので、能動文(9)を正しいと思い込んで、受身文(8)をつくっても、アウトになるわけですね。

(10)I heard [ that he had broken his arm ]. (〇)
  (私は [ 彼が腕を骨折したと ] 聞かされた。)

そこで、正しいのは、(10)のように、‘hear’の直後に‘that’節を取るカタチです。日本語で、「~ と聞かされた」と表現されていても、よく考えてみれば、結局、それは、「~ と聞いた」と言ってるのと、実質的には同じことですから、英語の側では、「~ と聞いた」の方に近い発想で表現するんですね。では、類例をもう1つ。

(11)I was pointed _ out my fault (by someone). (×)
  (自分の落ち度を、(ある人に) 指摘されてしまいました。)

(12)Somebody pointed me out my fault. (×)
  (ある人が、私の落ち度を指摘しました。)

もう、おわかりだと思いますが、一応、受身文(11)が、なぜ、アウトなのかをチェックすると、(11)に対応する能動文(12)が、やはり、アウトだからです。‘point out’「~ を指摘する」という表現は、(12)のように、目的語を、2つは取れず、1つしか取れないので、以下のような受身文しかつくれません。 ((11)のような文に関連する解説は、EG21、参照。)

(13)My fault was pointed _ out (by someone). (〇) (訳同(11))

今回のポイントは、英語の受身文は、一般的に簡単と思われがちですが、日本人にとっては、いざ会話などで使うとなると、障害要因が多岐にわたり、思いの他、使いにくいということです。つまり、英文法の観点からは、ただ単に、(3)のようなルールを知っておけばよいだけなのですが、これに、日本語の発想が絡むと、かなりややこしい話になってくる、ということなのです。

今回、取り上げた受身文に対する日本語の障害要因は、まだ、ほんの一例にすぎず、また別の機会に扱いたいと思いますが、要するに、ここは、思い切って日本語の発想を捨てることが肝要で、踏ん張ってコツコツと、「能動文・受身文」の変形パターンという基本的なチェックを、常に念頭においてトレーニングするしか、英語脳を鍛えあげる方法はない、ということです。

今回は、英語の受身文にとっては、まさに日本語こそが大敵であるという一例だったわけですね。

●関連: EC11EG21EG34

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英語学習法(34)

2004年12月20日 | 受身文
受身文の入門編です。3つの要点に絞って、以下、見ましょう。

(1)John is loved by Mary. (ジョンは、メアリーから愛されています。)

(1)にあるように、‘~ is loved by ・・・’「~ は ・・・ から愛されている」のカタチの部分が受身文の最たる特徴です。ところで、‘loved’の部分は、一見、過去形に見えますが、実はそうではなく、「過去分詞」と呼ばれているものです。

(2)love-loved-loved

(2)は、動詞‘love’「愛する」の、言わば、活用ですが、こういった動詞の活用を学校などで習いますね。(2)の配列の順序としては、「原形 (love)-過去形 (loved)-過去分詞 (loved)」という順序で並んでいます。ですので、動詞の三段活用とでも言うべき語形変化が起こっているわけです。

そして、(2)では、2番目ではなく、3番目の‘loved’が過去分詞ですので、(1)の受身文で使われているのは、3番目の‘loved’の方なのです。と言っても、そんなの、2番目でも、3番目でも、結局、カタチは同じなんだから、どっちでもいいじゃない、と考えたくなりますが、まあ、他のケースもあわせて考えると、やはり、3番目と考えておいた方が無難です。

(3)A nice guy is chosen by a pretty girl. (いい男は、いい女から選ばれるものだ。)
(4)choose-chose-chosen

受身文(3)の‘chosen’ですが、(4)の三段活用を見ると、それぞれカタチが異なっていて、3番目のカタチでなければならないことがわかります。このように、動詞の三段活用において、「原形-過去形-過去分詞」が、全て違う語形をしているような、言わば、不規則変化の場合がありますから、やはり、3番目 (過去分詞) を選んで、受身文をつくる、ということをしなければなりません。

(5)John was loved by Mary. (ジョンは、メアリーから愛されていた。)
(6)John was chosen by Mary. (ジョンは、メアリーから選ばれた。)

次のポイントですが、(5)と(6)では、‘be’動詞が‘was’になっています。これは、もちろん、過去形なんですが、それにともなって、意味の方も過去の文になっています。つまり、受身文では、「‘be’動詞+過去分詞」というように、動詞が2つ並んでいて、その中でも、‘be’動詞の方が、時制に関する情報を担うことになっているわけですね。

これは、受身文で、動詞が2つ並んでいるとはいっても、実質的に、過去分詞の方は、三段活用の2番目、つまり、過去形ではないので、「過去」分詞と名前がついていても、過去のことを表せる資格は与えられていないことに起因するものです。ですので、残った‘be’動詞の方が時制についての仕事をするわけですね。

(7)John will be loved by Mary. (ジョンは、メアリーから愛されるでしょう。)
(8)John will be chosen by Mary. (ジョンは、メアリーから選ばれるでしょう。)

(7)や(8)からもわかるとおり、未来のことについて表現する場合は、さして特別なことをするわけでもなく、ただ単純に、助動詞‘will’を補ってやればよいだけです。もちろん、‘be’動詞は原形にします。これは、別に受身文に特有の規則ではないから、簡単ですね。では、以下が最後のポイントになります。

(9)John was killed by Mary. (ジョンはメアリーに殺害された。)

(10)John was killed by a gun. (×) (ジョンは拳銃で殺害された。)
(11)John was killed with a gun. (〇) (訳同上)

(9)の‘by Mary’のように、受身文の末尾には、一般的に、‘by ~’「~ によって」という前置詞の表現がきますが、常にそうとは限りません。(10)の‘by a gun’「拳銃で」はアウトで、一方、(11)の‘with a gun’がOKになっています。

これは、受身文の‘by ~’は、「行為者」に相当する表現しか取ることができないためで、拳銃のようなものは行為者ではなく、むしろ、「道具」であると考えられるからです。つまり、行為者が使用した道具、というような解釈になるので、以下のような表現も可能です。

(12)John was killed with a gun by Mary. (〇) (ジョンは、メアリーに拳銃で殺害された。)

(12)では、「道具」を表現した‘with a gun’と、「行為者」を表現した‘by Mary’を同時に使っています。ここで補足ですが、このような区別は、ヒトかモノかで判断されるような性質のものではないので、その点、注意が必要です。

(13)John was hit by a car. (〇) (ジョンは、クルマにはねられた。)

(13)のような場合、‘by a car’がOKになるので、クルマが行為者として表現されていることになります。ですので、実は、この辺の判断基準は、結構あいまいなもので、どことなく行為者と感じられるならば、‘by ~’を使って表現しようというものらしいのです。

この基準を大ざっぱに考えると、一見、道具に思えるようであっても、まるでヒトの意思が乗り移っているかのように感じられるような場合は、それを行為者と見なして‘by ~’で表現しようという発想です。確かに、クルマは、拳銃とは違って、運転者の意思で動かして操っている、という感じはします。

(14)John was surrounded by many buildings. (〇)
  (ジョンは、たくさんのビルに囲まれていた。)

しかし、(14)のような例にもなると、‘many buildings’「たくさんのビル」が、あたかも意思をもって、ジョンを囲んでいるかのように見なされるとは言っても、クルマとは違って、実際にビルを操っている人物などいるわけがないので、これは、もう比喩のレベルに達していると思われます。

(15)John was hit with a car by Mary. (〇) (ジョンは、メアリーにクルマではねられた。)

(15)はOKですが、可能な解釈としては、メアリーが、運転せずに押して転がしてきたクルマにジョンがはねられた、あるいは、怪力女のメアリーがクルマを持ち上げて、ジョンに投げつけて命中した、というような描写になるようです。つまり、「道具」という解釈は、ヒトが使うのを前提としていながらも、それが手からすぐに離せるような状態にある、ということが条件であったりするわけですね。

ここから、再度、(14)を考えると、ビルはヒトが使っていて、かつ、すぐに手から離せるようなものではありません。そこで、道具とは見なせなくなるので、改めて、行為者としての解釈が浮上してくるのではないか、と思われます。つまり、道具と見なせないようなら、消去法的に、行為者としての解釈を取る、というやり方なんですね。

今回のポイントは、受身文の入門編を、3つのポイントに絞って解説したということです。1つ目は、「‘be’動詞+過去分詞」というカタチが基本形であり、2つ目は、時制の主導権は‘be’動詞の側で担うということであり、そして、3つ目は、‘by ~’という前置詞表現は、どのような場合に別の前置詞と区別されるのか、ということです。

今回は、受身文のカタチを最初から使っていましたが、もちろん、能動文からの変形を説明しなくてはなりませんから、次回、また受身文を、変形という観点から扱ってみたいと思います。

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英語学習法(33)

2004年12月18日 | 
EG30の続きです。EG30では、‘when~’「~のとき」などの「時」に関係する表現は、同時に、「条件」を提示する内容になる文であることがわかりました。そこで、今回は、「条件」そのものを表す、‘if ~’「~ ならば」の文との比較をしてみたいと思います。以下、見ましょう。

(1) a. <When I see John tomorrow>、I will tell him the truth. (〇) (=EG30(1))
    (<明日ジョンに会ったとき>、ホントの事言おっと。)
   
   b. <When I will see John tomorrow>、I will tell him the truth. (×) (=EG30(2))
    (訳同上)

(2) a. <If it is fine tomorrow>、we will go on a picnic. (〇)
    (<明日晴れなら>、ピクニックじゃ。)

   b. <If it will be fine tomorrow>、we will go on a picnic. (×) 
    (訳同上)

(1a)が正しく、(1b)がダメな理由は、EG30で定義した通り、時に関係する、<接続詞+文>の中では、これから先のことを言おうとするのに、「未来」の‘will’は用いず、現在時制で表現する、というルールがあるからですが、どうやら、‘if ~’「~ ならば」の文の場合も、(2a)と(2b)を見る限り、‘when~’「~のとき」の場合と同じく、このルールに従うようです。

ここで、確認として、(2a)の場合も、カタチとしては、やはり、(1a)の、<when+文 (I see John tomorrow)>が、他の文である、‘I will tell him the truth’にかかっているのですが、これと同様に、(2a)の、<if +文 (it is fine tomorrow)>も、他の文である、‘we will go on a picnic’にかかるカタチになっているのがわかると思います。このように、「時」を表す、<接続詞+文>のカタチの場合と同じく、「条件」を表す、‘if ~’「~ ならば」も、接続詞であり、<接続詞+文>のカタチになっています。そこで、一応、以下のようなルールが成立します。

(3)「時」や「条件」を表す副詞節中では、これから先のことを言おうとするのに、
   「未来」の‘will’は用いず、現在時制で表現する。

とりあえず、(1a-b)と(2a-b)の文法性に関しては、英文法の解説本などを調べると、(3)のような定義になっていて、これが、スタンダードなものとなっています。定義(3)では、EG30の定義(6)に、「条件」の概念が加わっているのがわかります。ちなみに、「副詞節」というのは、ここでは、< >で括られている表現のことです。 (EG44参照)

しかし、既に、EG30で確認した通り、(3)のように、「時」と「条件」の概念を、別々に述べて、あたかも、それぞれが、独立した項目であるかのように、理解するのは、本質的ではないと思われます。「時」に関係している<接続詞+文>は、過去のことを述べるときとは違って、これから先のことを述べようとする場合は、必然的に、「条件」を含んだ内容になっているからです。ですので、定義(3)の本質は、「条件」の概念が、ベースになっていて、付随的に、「時」に関係する表現も、「条件」の言いかえとして表せる、と見るのが正しいようです。

例えば、これから先、こうなったら、そのときには、かくかくしかじかのことをします、という文においては、ある「条件」にもとづいて、あることをする、と言っているわけですから、「~ とき ・・・ する」の、「~ とき」の部分が、一種の「条件」を提示していると言えます。ですので、そこで、「条件」という概念と、未来の‘will’との関わり合いを考えてみたいと思います。

(4) It will be fine tomorrow. (明日は晴れるだろう。)

(4)は、‘will’が使われていて、OKですが、普通、天気が晴れかどうかというようなことは、完璧な予測が不可能で、「予定」としては成り立ちません。このように、予測が不可能であったり、「予定」として成り立たないような表現は、‘tomorrow’「明日」といった、これから先のことを表す表現をともなうと、普通は、‘will’が必要となります。しかし、以下のような場合もあります。

(5) I will be twenty years old next month. (オレは、来月で20歳だ。)

(5)では、来月で20歳だ、ということを言っていますが、これは完璧に予測が可能です。だから、この場合の‘will’は、「単純な未来」を表現している、といえるのですが、OKなんです。ですので、予測が可能か否かということは、‘will’の出現可能性に対する基準にはなりません。そこで、(4)と(5)を、別の観点から考えると、(4)と(5)は、予測可能性に差はあるわけですが、共通点としては、どちらも、「話者の判断」が含まれている、と言えます。

(6)a. The queen、[ who opens Parliament tomorrow ]、may be detained
    at the airport. (〇)
    (女王様は、[ 明日、議会を開くが ]、空港で拘留されるかも知れない。)

   b. The queen、[ who will open Parliament tomorrow ]、may be detained
    at the airport. (×)
    (訳同上)

(6a)は、関係節である、カギカッコ内で、‘tomorrow’が使われていますが、‘will’のない現在形‘opens’で、OKです。しかし、一方で、(6b)は、関係節である、カギカッコ内で、‘will open’のカタチになっていますが、アウトなんです。

これは、‘will’が、「話者の判断」を含意している確かな証拠となるもので、(6a)は、‘opens’「開く」が、現在形ですが、現在形には、「予定」を含意させることは可能です。そこで、(6a)の現在形‘opens’は、単なる「予定」を表現していますので、女王の議会開催という「予定」が、くつがえされるかも知れない、と話者が「判断」することは、あり得るわけですね。しかし、(6b)では、話者自身が、‘will’を使って、女王の議会開催を確信するという、「判断」を下しているのに、一方で、それが妨害されるかも知れない、と「判断」するのは、意味的に矛盾することになります。

(7) It is fine tomorrow. (×) (訳同(4))

(7)は、(4)の‘will be’を、現在形‘is’にかえてみましたが、アウトです。これは、もちろん、天気を「予定」として組むことなど不可能だからです。これから先の天気を述べる場合は、「話者の判断」が含まれるのが当然と言えます。ここから、(5)の‘will’を考えると、話者が、生年月日を間違えていないなら、当然、来月で20歳になる、と確信する「判断」を下していると言えます。

ですので、結論として言えるのは、予測可能であるような「単純な未来」は、「話者の判断」という概念とは、お互いに独立した別個の概念であり、かつ、必ずしも、お互いが矛盾を引き起こすものではない、ということです。ですので、(5)にあるように、予測可能な単純未来でも、「話者の判断」が入り込むことは十分にあり得ます。

ここで、定義(3)にもどって考えると、「条件」の概念は、「話者の判断」含む‘will’を排除する、と言えるでしょう。(2a)がOKなのに、一方、(7)がアウトです。そして、(2b)がアウトなのに、一方、(4)がOKです。こういった逆説的なことが起こる原因は、「予定」としては成り立たない、「話者の判断」が必ず含まれる天気の予測に対して、「話者の判断」を排除した意味を、「条件」という概念が要求しているからに他なりません。

つまり、「条件」という概念は、「話者の判断」とは矛盾を引き起こす概念だと言えます。英文法の解説本にあるような定義(3)は、実は、ただ単に、英語学習者が、未来は‘will’で表現する、とだけ認識している場合が多いので、それにつられないようにするために、注意点を述べているに過ぎないもので、本来、正しい認識は、「条件」の概念は、「話者の判断」を排除する、というものです。定義(3)では、それを、「現在時制で表現する」とこっそり、言いかえているんですね。

(8) a. <If Mary must know John's affair>、she will go mad. (×)
    (<メアリーがジョンの浮気を知っているに違いないなら>、発狂モンでしょうね。)

   b.<If Mary knows John's affair>、she will go mad. (〇)
    (<メアリーがジョンの浮気を知っているなら>、発狂モンでしょうね。)

(9) a. <If John may be in his office>、I will go there. (×)
    (<ジョンが事務所にいるかも知れないなら>、そこまで行きますよ。)
   
   b. <If John is in his office>、I will go there. (〇)
    (<ジョンが事務所にいるなら>、そこまで行きますよ。)

(8a)がアウトなのは、もちろん、話者の強い推量 (つまり、「話者の判断」) を表す‘must’「~ にちがいない」が、< >内で使われているからです。さらに、(9a)もアウトですが、これも、もちろん、話者の推量 (つまり、「話者の判断」) を表す‘may’「~ かも知れない」が、< >内で使われているからです。

そこで、‘must’「~ にちがいない」や、‘may’「~ かも知れない」が、定義(3)に含まれていないのは、なぜなのかと言うと、(8a)や(9a)は、対応する日本語訳を見てもわかる通り、もともと日本語にしても、おかしいと感じられるからなんですね。日本語としては、(8b)や(9b)の日本語訳の方が自然な表現ですからね。ですので、始めから、英語学習者は、正しく、(8b)や(9b)の英語を使うだろうから、カン違いする可能性は低い、と考えられているわけですね。

今回のポイントは、英文法の定義(3)は、実は、典型的な日本人向けの注意書きのようなもので、本来の定義とは異なる、ということです。EG30では、「時」と「条件」の概念が、副詞節の中で重なり合うものである、という観察をした後、「条件」の概念に1本化される、ということを見ました。

さらに、今回、その「条件」の概念は、未来の‘will’というよりも、むしろ、「話者の判断」を排除する概念であることを見ました。この一般化の正しさは、(8a-b)と(9a-b)の各ペアの文法性からも支持されると思います。そして、助動詞‘will’は、(5)のような例ですら、純粋に単なる未来を表現しているのではなく、大なり小なり、「話者の判断」が混じっているということも注意点です。これは、未来のことは、現在や過去のこととは違って、「事実」としては成り立たないという、至極当然のことからくる帰結だからです。

■注1 :She'll be happy <if you will help her with her homework>.「<宿題やるのを手伝ってくれたら>、彼女は喜ぶでしょうね。」のように、<if+主語+動詞 ~>の主語が、自分でやろうと思えばできることに関しては、「主語の意志」を表す‘will’を使うことが可能です。ここから、(6b)の関係節、‘who will open Parliament tomorrow’ の中にある‘will’は、「話者の判断」ではなく、「主語の意思」、つまり、「女王様の意思」を表現して、「明日、議会を開くつもりでいるが」、という解釈ならば、OKにすることができます。

■注2 :よくある、定義(3)の詳しい説明として、定義(3)の副詞節の内容は、「確定」されたことを述べている、というものがありますが、以下の例からは、説得力に欠ける説明だと思われます。‘<If it is possible that John is in his office>、I will go there.’「<ジョンが事務所にいる可能性があるなら>、そこまで行きますよ。」、という文は、(9a)から、「話者の判断」のみを取り除いた、「可能性」に言及している文、と言えますが、OKになります。このように、「話者の判断」になりさえしなければ、「確定」されていない内容を表現する文であっても一向に構いません。


● 関連: EG29EG30EG44

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