キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

キリストにある生活

2007-07-23 22:43:44 | 人生の慰め
今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、
それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、
新しい御霊によって仕えているのです。(ローマ書7-6)



私が神の御心に叶った生活をしようと欲しても、

私の日々の生活は、神の御心に反したものとなる。

「今日こそ、正しい生活を営もう!」と朝に決意するが、

決意すればするほど、神の御心は厳格な律法となり、

麗しき神の御心も、強制されればあえて逆らいたくなる。

私の罪を取り除いてくださったキリストの恩恵も、

日々の生活にいつの間にか高度な律法となり、

義とされた者が歩むべきでない生活をするようになる。

私が思い描いた神の御心(律法)、そしてこの世の波乱万丈、

それらに良心は右往左往し、遂にはキリストから離れるようになる。


私のそもそもの間違いは、私の力によって神の御心を成就せんと欲したことである。

ああ、私よ。汝は神に反する罪人であることを、以前自覚した者ではないか!?

それなのに、なぜゆえ、汝の理知・判断・意志によって、神の御心を成就せんと欲するか?

汝はそれほど、立派な者であるか?品行方正な者であるか?純粋な者であるか?

己一人で神の御心を実行せんと欲する、汝の傲慢に気をつけよ!

神の御心は、神にのみ実行できるもの。

すなわち、自分の理知・判断・意志を投げ打って、

キリストに縋って、キリストに為して頂くもの。

日々良心の苦悩にあうキリスト者の根本原因は、

汝の意志力の弱さにあるのではなく、その強さにあるのである。


主よ、私はあなたの御心を為すことができません。

キリスト者らしき生活を営むことは、私には到底できません。

ですから、私は、私の願望と計画と能力を、すべて捨てます。

捨てますから、ただ、あなたのみが私の内に働いてください。

私は無です、しかしあなたに不可能なことはありません。

私の内にあって、私をして、神の御心を実行せしめて下さい。



それでモーゼは民に言った。
「恐れてはいけない。しっかり立って、きょう、
あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。
あなたがたは、きょう見るエジプト人をもはや永久に見ることはできない。
主があなたがたのために戦われる。あなたがたは黙っていなければならない」
(出エジプト記14-13・14)



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1 コメント

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Unknown (zero)
2007-07-24 06:41:47
おはようございます。

今日はなぜか朝3時過ぎに目が覚めてから、眠れずにいたのでずっと聖書読んでました。

今頃になって眠くなってきました…。

宮内さんのこの文章の内容、とってもよくわかります。

自分のことのように感じます。

おそらくすべてのキリスト者が通る道なのでしょうね。

けれども結局のところ私達人間は「無」であってもキリストにつながっている限り、絶望で終わることはなく、大いに希望を抱いて良いのですから本当に感謝なことですね。

ただ神のあわれみであるキリスト・イエスにあってのみ私達は喜び溢れ、感謝し、主を賛美することができます。

ハレルヤ!主の御名はほむべきかな。主はあわれみ深く、その恵みはとこしえまで。
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