キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

成功と失敗の分水嶺

2007-01-17 00:05:49 | 人生の慰め
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、
私たちも彼を尊ばなかった。(イザヤ書53-3)



人生に成功と失敗がある。

人間と生まれたならば、誰しも成功したい。

しかし、何をもって「成功」と称するかが問題である。

低い目的をもって、成功する人がいる、失敗する人がいる。

高い目的をもって、成功する人がいる、失敗する人がいる。


最も恐るべきことは、低い目的をもって成功する人である。

彼はその卑しい目的の成就によって、さらなる卑しさを身につける。

最も尊ぶべきことは、高い目的をもって失敗する人である。

彼はその高尚な目的の失敗によって、さらなる高尚さを望むだろう。

彼の良心は昇華され、彼の愛念は強固さを増し、

この世の旅人(ペテロ書Ⅰ2-11)としての生を終えるだろう。


何をもって「成功」と称するかが問題である。

もし高尚なる生涯(内村鑑三)をもって成功の基準とするのならば、

人の考えるべきことは、己の失敗を悔やむことではなく、

己の低く卑しい目的を悔やむことである。



彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行く小羊のように、
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、
彼は口を開かない。(イザヤ書53-7)



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