キリスト者の慰め

無宗教主義の著者が、人生の苦しみに直面し、キリストによって慰めをえる記録

イエス・キリストの再臨

2007-06-01 00:02:26 | 人生の慰め
夜はふけて、昼が近づきました。
ですから、私たちは、闇のわざを打ち捨てて、
光の武具を着けようではありませんか。
遊興・酩酊・淫乱・好色・争い、妬みの生活ではなく、
昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。(ローマ書13-12・13)



私は、イエス・キリストが再臨されることを信じる。

彼が再び来たり、私たちをキリストに似たものとし、

善悪の裁きを行ない、神の国を地上に打ち立てることを信じる。

再臨が正統的なキリスト教の教義だからではない、

確固とした理由があって、私は真剣に信じる。


理由の第一に、主は一度、私たちにその約束を果たされたという事実である。

旧約聖書において、キリストが来られることを予言され、

主は予言されたように来たり給うた。

一度約束を果たされた神が、二度目に破ることがあり得ようか?

理由の第二に、主は使徒たちに再臨し給うた。

すなわち、十字架上で死んだ後に、復活され、次々と弟子たちに顕われ給うた。

理由の第三に、主は私個人の心の内に再臨され給うた。

私に御自身を示し、私の(罪なる)本性を示し、私に信仰を起こさせ、

私をして、ありありと彼の姿を啓示し給うた。

理由の第四に、主は生前、再び来られることを告げ給うた。

何度も何度も、しつこいほどに、再び来られることを遺言し給うた。

主の再臨なくして、聖書を読み解くことができないほどに・・・。


イエス・キリストは、必ず、再び、来られる。

これ、神秘的な信仰でも、終末的な思想でも何でもない。

これ、最も常識的な、最も科学的な信仰だと思う。



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