遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

現代詩「日記的」

2010-11-16 | 現代詩作品
日記的ー古い読書ノートから



紙魚が死んだ日


冬の日の
市電通りの古書店で、男は
時々、我を忘れて
美しい活版の手触りに吸い込まれながら
とつじょ、紙魚になった
一度、淋しい歓びをおぼえると
明治大正文学全集の
某作家のペン先をなぞるように
頁に食い入りながら
はたきで追い払われることすら快感であった
今朝、
男は市電通りの古書店の前で
えっ!(突然
紙魚の死をしる
店じまいの文字が突風でちぎれそうだ
お互いに紙を喰ってつないだ命よ



妄想


死ぬ前に
会いたいひとがいる
と、いう男の切なる願望は
誰に話をしても
取り合ってもらえない
その人の名前を聞けば当然のはずだ


晩年好まなかったと述懐している
命名者自身が
一番驚くことだろう
「充実と静謐が
 殆ど同義語の主人公の人生」は*
明治末の恋愛小説の枠組みをこえて
今もその名を保っているのか


たかが妄想とはいえ
小説「それから」の代助(と、三千代)に
会いたいという、
男の切なる願望が可笑しいくらい愛しくて
口蹄疫のように
伝染しないことを願うだけだ *(「日本文学全集・夏目漱石Ⅱ」作品解説中村光夫を引用)



空言の雫


この部屋がすこし広く感じるようになってもう六ヵ月がたった。
あれから鉢植えの鉢を二個増やしたが夕べは元気がないのに気
づいて今日アンプルを注入した。日当たりだけは抜群の南側の
出窓に鉢植えを並べながら、あなたの笑顔を思い浮かべた……。
   

雨あがりの今朝は
無花果の葉上を転がり
肉厚の歓喜に躍る緑の声が
不意に小川の背を射く
光の棒に遮られて。


懐かしい幻影が降りる
休日出勤の通行人の頭上に
突如落下する巨大なクレーンを
緑の蝸牛も夢みているか
宇宙の雫のように。


………わたしはあいかわらず時間にしばられながら時間を追い
かけるように日々を繰り返している。その鎖からときはなされ
たあなたはどんな自由を手にしたのか。あれっきり虫の知らせ
も届かず背中に突き刺さる視線を感じることもなくなって……。





作品「空虚無限」

2010-11-15 | 現代詩作品
空虚無限



人知でははかりしれない
距離をおもう 
   底知れぬ無能さに
 真っ青な空が、
霊媒の白い雲を引きさく
初夏
の、
埃のなかの 
本棚
は、 
死後の物語で埋めつくされている。


測定術にたけた
村の匿名、山田なにがしは
   天に近い露天の風呂で
    人体の観察をおこたらず
  雨雲の距離をはかっている
  一体化した私と他者の
無限の距離をどうおしはかるのか
刷りガラスのむこう、後めたい星雲のガスに曇る
  美しいつきひ
  哀しいつきひ
あれこれ言葉を入れかえて混沌をたもつ。


村の匿名、山田なにがしは
  不治という官吏の冠履に
  背をむけ
観光客を相手の今朝は
  黒薙にはまだ顔をみせていない
昨日は天に近い露天風呂に 
  愛犬を連れてきた男とすれちがう
   汗まで拭き取られるほど 
    透きとおっていた
  昨年の遭難者かと
振りむく。


そこには高山桔梗が
空を背景
に、
紫いろに匂いたつ
哀しい雄姿、もっと素直な 
  観光客であれば 
  みえるものがちがうかもしれず 
ここからはみえない
地獄谷
の、 
血のいろまでを想像する


私と他者との
無限の距離を
  推しはかることはできなくて
時間を 
産みおとした
  人間という
  空間への 
生命力の筋トレマシーンが、この黒薙温泉のどこかに隠されていそうで
朝は
霧の中に
佇む。
  

村の匿名
山田なにがしの
  正体もしらないままで
夢から下山する
  心のこりは
  黒薙温泉が
縄張りの 
退屈
を、
かこつ幽霊なら 
わかってくれるか




現代詩「旅(の、言葉)」と現代詩人ゼミ(金澤)

2010-11-14 | 現代詩作品
旅(の、言葉)



ここを離れてどこの領地で人間らしく暮らせるだろうか
豊穣な詩の収穫を待ち望む領地の民は既に滅びてしまい
身を危機に晒してまで越境する理由はどこにあるのか。


輸血より真っ赤な血で染まる日本海の一瞬の冬の情景は
定型という疎隔感にさえ背を向ける領地なき放浪の詩か
逃走心を乗りこえてなぜか懐かしい因幡の兎の夢をみる


無知だ蒙昧だと蔑まされようと泥にまみれるほかになく
詩はこの世の領地の人のものではない今世紀もおそらく
来世紀も変わらず永遠のひとに捧げられる旅の言葉よ。


いずれは領地も領民も滅びるときがくるのだろうが既に
帝国の秋はふかまり未知なる領野をさまよう流浪の果て
古代を偲ぶ遠征の海域を越えて異国の難破船が流れ着く


*昨日は詩のセミナーで金澤にいってきました。残念ながら収穫はなし。
俳人の長谷川櫂氏の基調講演も迫力なしでがっかり。上品すぎた。
老人ホームの俳句会のお話か、講話だったね。
金澤の企画した詩人達もなめられたもんだ。最も若い人もすくなかったけどね。
それにしても「和」の思想やこころなんて、あまりにも一般的、初歩的な講演で
期待していた分だけがっくりでした。

また対談では詩と俳句の対談ということで俳句の長谷川氏と
詩人の井川博年さんのおふたり。これもまた何処かで聴いたような話の内容で
期待はずれ。それでも井川さんの話は乱暴で面白いところもあったが、東京に長く住んでいるわりには、出身の九州地区のなまりだろうか、言葉がはっきりしない。
酒でも飲んで話す分には楽しい人のようだが、もう少し羽目を外してもよかったと思う。
しょせんお遊びなんだからね~。
俳句と詩の決定的な相違について、なんにも見つけられない(見つけなくてもいいが)
くだらない会話!だったなぁ。

また関西と地元の詩人達の連詩の形式の朗読はそれなりに
個人的な努力があったようだから、余り悪口を云うのはかわいそう。
会場の詩人達もみんなおとなしくパワーが感じられなかったな。
それにしても詩人はいつからか か細く、おとなしくなったんだろうか。
どうせゼミなんておあそびなんだから、もっとやんちゃな奴が
発言してもよかったと思うけど、いなかったね。
7年前のも現代詩人会のゼミをやったが、当時と比べてもパワーが落ちていた。

テーブルなしの最後列に居たため、ホテルのコーヒーのサービスにもありつけなかったしね。ふんだりけったり!のけぞったりだったよ!

現代詩「東雲草」

2010-11-12 | 現代詩作品
東雲草(sinonomesou)



腐りかけの
果実の甘さが
しのぎをけずった
時代わすれの
詩の勝利を、
読みたい。


明治の
ストライキ節は
名古屋旭新地での
東雲楼を廃業に追いこんだ
娼妓の唄と、
聴いた。


熊本説をまたいで
江東区豊洲の
東雲橋をわたると
まぼろしの
東雲飛行場の跡地に
至る。


露地から露地へ
鉢植えが
ところせましと咲き乱れていた
あれが東雲草だったか
一九五〇年代の上野の長屋の風景が
過ぎる。


追憶は
蔓に絡まって
贋のアルコールで、命を落とした
祖父の日課とは
新聞の中のある人物を針でぶすぶす刺すことだった
一九四五年の夏ごろまでの逸話。


二〇一一年の、天高く
雲がわき立つその向こうを
午後が滑り墜ちていく
白と黒の淡彩画に
とけ込んでみえにくい東雲草の
不運な棚の角度。


時代にわすれられて
愛でる者もいない
東雲早の
世界を制覇するための妄想が
朝の露に光る
白骨のしろだよ。






現代詩「神話的」

2010-11-11 | 現代詩作品
神話的ー入院中に散らかしたメモから



未生


(生まれるまえの
解纜に背を向け
雨上がりの
夏の夕暮れにモザイクをかける
うすむらさきの
あの山巓のさびしさ
まだ乾かないジーパンが
孤独な囲繞の風に揺れながら
ゆっくりと移乗する
霊のあとさき
……、
ふりかえる烏兎の速さにあおられて
掘削を待っている
不壊の魂)



冬の人


寒い巷の想像力には限界がある
彼は国家の国語管理者(?)の感性や能力を
あげつろう分けではないし、友人の
国語教師の高い能力を賞賛するのでもない
《冬の人には口がない(の口、
 だから思ったことが云えない(の「云」、
 そしてあれきり会えない(の「会」、》の、
字画も凍える寒冷の朝
立ち往生の囚人の護送車にであった
偶然の記憶にしばられたままで、すべては
異形なもの邪悪なものの他愛なさを
密かに擁護する漢字の生い立ちに
口のない冬の人の哀しみが 滲みでている



抱擁


(いずれ客として
伺います
泉下は未知のところですが
お出迎えは無用
ただ丸木船と櫂をお貸し下さい
ほかに何もいりません
臆病者の気がかりは
はじめて合う曽祖父母の
抱擁だけ
思いっきり嗤って下さい
泣かないで下さい)

現代詩「(新)珠玉」

2010-11-05 | 現代詩作品
珠玉



彼の祖父が捜していたのは
かつて銭湯でみた彫りもののような
めずらしい咄しだった、
記憶の外れの古いレコード盤であった
いきなりしゃしゃり出てきたわけは
さっぱりわからない


戦後、突然のラジオから
米軍二三三隊吹奏楽隊が流れたのが
偶然の発端で
笈田敏夫が新倉美子が水島早苗が黒田美治らの
歌声が続々流れて
彼の祖父さんは耳栓を買いに走ったとか


愚痴も啖呵も雑音まじりのジャズに 
負ける訳にはいかねぇってんで
いっちゃぁなんだが、猿まねじゃねえ
猿楽の美なる歴史から日々遠くなる
邦楽モノのが
やりきれねぇんだって
彼は祖父さんの気持ちを代弁してくれた


胸のすく啖呵も粋な
彼の祖父さんが捜していたのが
浪曲という珠玉もの、で
たしか虎造の
宿酔のレコード盤だったが
いくらさがしてもみつからなかったと聞いた
(誰かが割って始末をしたのか……)


あれから、祖父さんをねんごろに見送った
彼も、
二十二歳で
あそこへいったきりだが
四十年前の話がなぜ今頃降って湧くのか
時間には粋な贈り物もある

現代詩「幽霊教室(近世編)」改稿分

2010-11-04 | 現代詩作品
幽霊教室(近世編)



中国から流れてきた雲の霊気という不可思議な力が
他界と現世を結ぶ通路であったという近世の名作のなかを
狩猟にでかける教室内のまさに優麗な出来事のテレビの中継を見ましたか?


一人の生徒は、足がないだけではなく腰から下もなかったのです(太平百物語)
つぎの生徒は、現れる時には下駄の音をさせる霊もいるそうです(怪談牡丹灯籠)
その次の生徒は、魂に形を与えられ斬られて赤い血を流すのもいます(加婢子)
……テレビのなかの先生の表情はここからは見えない。


一人の生徒は、生臭い物、とくに魚の臭いをきらうものと思います(雨月物語)
つぎの生徒は、亡霊でも喉が乾いて水を求めるものもいるそうです(諸国百物語)
その次の生徒は、一日に千里を行くことができる超人的なものです (雨月物語)
……テレビのなかの先生の発言はここからは聞こえない。


一人の生徒は、しかも遠くへ行く為に馬に乗ることもあるそうです(雨月物語)
つぎの生徒は、死んだ時のまま成長もなければ老いもないのです(雨月物語)
その次の生徒は、そのため長生きした妻と不釣り合いとなり、のちに死んだ妻と
 一緒にこの世に出現したときに夫は二十四、五歳、妻は六十歳余りという事態
 もあったそうです(保古の裏書)
……テレビのなかの先生の顎髭がちらりと見えただけだった。


一人の生徒は、解任したままに死んだ女が、自分の力で体内の子を産み落とせず、
 通りかかった見知らぬ男に自分の腹をつき破ってくれるように頼みこんだ幽霊
 もいます。(太平百物語)
つぎの生徒は、母親の亡霊はこの世に残した幼い自分の子に乳をのませることが
 できるものです(加婢子) 
その次ぎの生は、幽霊となった女が現世の男につれそってその男の子を生むこと
 もあります(諸国百物語)
……テレビのなかで先生は女生徒の意見をほしがっていそうに見えた。


一人の女生徒は、幽霊がまだ生きていると信じている人の目には、生前の姿を見せ
 るみたいですが、すでに死んでいることを知っている者の眼には骸骨だけがうつ
 るんだ、そうよ(三十石よふね始)
つぎの女生徒は、女の亡霊は契りをかわした恋人の前だけにはそのかたちを見せる
 そうで、およそかかわりなどのないひとにはまったく見えないこともあるという
 からなんか恐い(加婢子)
その次ぎの女生徒は、恨みある主人にだけ血しぶきの怪異を見せる、そんな召使い
 の女の幽霊もいるっていうの、ほんとうみたいです(太平百物語)
……テレビのなかの先生こそが霊気の通路そのものだったのではないかと。


そしてなぜ女性だけが幽霊という
流れる霊気のとりこになるのか
テレビの中の教室こそが虚空に浮かぶ浮遊華のようで
先生は超越的な存在の幽霊草をにぎり
金斗雲にのって消えたとか、消えないとか
近世隣の末路か、現世の
夢の儚さ               

*参考(「日本の幽霊」諏訪春男著)


現代詩「無辜なる無縁」

2010-11-02 | 現代詩作品
無辜なる無縁ーあるいは限界仮面



ひとはいつから
私という物語の死に出合っても
泪一つこぼさなければ
悲嘆にくれる様子もなく
死者の物語を越えようとするのか、それでも
人をあざむく仕草が
あざむかれた人によって
賞賛を浴びる世界があれば
創られた欲望が他人の仮面を剥ぐ
闇の閃光が競い合う資本的名誉もあろう


(…きおくは悪意にみちていて
  憶測はつめたい不壊の日
  「殺伐たる青山」ばかりが浮かぶと、ひと言残して
  ぼくのまえから去っていった愛しい人も…)


この世の心の底を流れる
他人との不信の川に
疲れた命を引きずった男の影が
コンビニの角の山茶花の塀にそって
靴音が重く重く川底まで響く、それでも
負の面は語られず
自死する者の統計を声高に読み上げられる
もどらない時間とゆがんだ空間の
球体の上の危うさに
すべり墜ちる者が歯止に繋がるなりゆきばかり


(…二月の空に垂れさがるから
  鉛色のストローをグレープフルーツにつきさし
  書くなら自分の血で書けという欠落の解纜をふりかえれば
  幼くして逝った弟がなぜか降ってくる…)


自分を演じながら
他者との関係を修復することに
がまんならない看護士もいるだろう
無駄に精神をすり減らす前に
しっかりあそこの筋肉を鍛えねばならない、それでも
山里を離れる
民家の数が減少の一途をたどるから
野菜や肉を詰め込んだ販売車を
死にきれなくて待っている
孤独の肩に花咲かす限界老人もいるとか


 (…無縁に囲繞された
  掌の恥ずかしい淋しさで、淡雪を受けとめる
  か細いつぶやきがきこえてくる、過ぎた日の記憶に
  死人にも口はあるのだ、きっと、… )


秋には市街地や海岸にまで出没する
小熊を連れた母熊を射撃し
小熊は麻酔銃の処理で山に返すという
市町村の免罪符が
子供たちにいっそうの不安を植え付ける、それでも、
息子たちは今日も
私という物語の死からも遠く
都会の隅で朝の光をまとっているのか
夕べの仮面を剥がして
男の雫を払いながら、