ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

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カポーティ

2006-10-29 11:25:48 | 映画
晴れ。

意地悪な映画館のおかげで見られなかったのはこの「カポーティ」。
「冷血」をよりよく読むためにこの映画を見ようと思っていたが結果的には「冷血」読み終えたあとで映画を見た。

原作はジェラルド・クラークの「カポーティ」で、新潮文庫から出ているジョージ・プリンプトンの「トルーマン・カポーティ」とは別物。
監督はベネット・ミラー。

私はカポーティの肉声は聴いたことがないのだが、とにかくフィリップ・シーモア・ホフマンの気迫の役作りがすばらしい。
容姿だけでなくしゃべり方やクセまでも丹念に研究した後が伺える。

「ティファニーで朝食を」で成功を収めたカポーティは華やかな社交界の一員となっていたが、ある日新聞の小さな記事に目が留まる。
カンザス州で起きた農夫一家の惨殺事件。
幼馴染で後に「アラバマ物語」で有名になるネル・ハーパー・リーを助手に従えて現地へと向かい取材を開始するカポーティ。

やがて二人組の犯人が捕まり、その一人ペリーに取材を重ねていく中で
カポーティは自分と似た境遇をたどってきたペリーにある種の共感を覚えていく。
カポーティは自らホモセクシャルであることを公言してはばからなかったそうだが
彼がペリーに対して密かに好意を抱いていたのではないかというような描き方がなされている。
摂食拒否を続けるペリーを介抱するシーンにみられるエロティシズムなどは象徴的なシーンだろう。

殺人の核心部分を聞き出せないまま時間が過ぎていく。
やがて犯人たちは絞首刑に処せられる。それまでには話を聞き終えて執筆しなければならない。
カポーティはこの作品が傑作になりうる可能性を見出していた。
ペリーがしゃべってくれた上で処刑されない限り作品が完結しないことに焦りを感じつつ、一方でペリーにはどこかで生きていてほしいと願う。

残酷なまでのリアリストと甘美な世界とを行きつ戻りつするカポーティの内面をしっかりと捉えた演技は静かな迫力がある。
フィリップ・シーモア・ホフマンはこの作品でアカデミー賞の主演男優賞を獲得している。

この作品のもうひとつのコントラストは華やかな社交界での快活なカポーティの振る舞いと、刑務所での悲壮感漂う死刑囚との交流ではないか。
およそ縁のない正反対の舞台を行き来するカポーティを描くことで、カポーティ自身の心の振幅を象徴的に描いているような気がしないでもない。

冷血/トルーマン・カポーティ

2006-10-29 02:15:34 | 
カンザス州の農村地帯。富農のクラッター家の4人がロープで縛られた上何者かに射殺されていた。
この実際に起こった事件を元に筆者が5年の年月を費やして取材し書き上げたノンフィクション。ニュージャーナリズムの傑作と呼ばれている。
綿密な取材を敢行し膨大な資料をもとに紡ぎ出された渾身の作品で、非常に奥行きの深い重厚な作品だ。

人気作家の作品らしくまるで小説を読むかのような筆致で描かれている。
事実は小説よりも奇であると言ったらよいのか、我々はまずその事実を基にしたストーリーに引き込まれていく。

今の我々は不幸なことにこういう残忍な殺人事件に慣れっこになっている。
ニューヨークの高層ビルに飛行機が突っ込むのを目の当たりにしていれば、
現代の我々にとってこうした殺人事件はもはや不思議でもなんでもない。

それにしてもカポーティはなぜこの事件を取り上げようとしたのか。
確かに残忍な犯行ではあった。
しかし当時でもこの事件に限らず大量殺人は起こっていただろうし、
実際にそうした他の事件で収監された死刑囚のエピソードも出てくる。
あるいはカポーティの執筆の意図を読み解くことがこの作品へのアプローチとなるのかもしれない。

ペリーとディックという二人の犯人。この生い立ちも性格もまるで異なる二人の犯人が丹念に描写されている。
そして被害者のディック一家のことも、捜査官デューイも綿密に描かれている。
加害者と被害者を取り巻く状況や置かれた立場を描くことによって、次第にこの事件の背景を立ち上がらせようとしてる。

50年代終わりのアメリカ。
片田舎の農村で、高い倫理観と勤勉さを持った古きよきアメリカ人と
陽炎のようなアメリカン・ドリームを追いかけようとしたロウアー・クラスの若者たち。

アメリカは黄金の60年代に入ってますますこうした光と影を内包していくが、
まるでカポーティは来るべき時代を予見しているかのようにその光と影をあぶりだしてみせる。
夢の残滓に翻弄されて犯罪に手を染めていく二人には共感するべきものは何もないが、
しかし彼らとて時代の犠牲者だったのかもしれない。

ペリーは獄中でイエスの像を描いたというエピソードが紹介されている。
我々はそこにわずかばかりの救いを見出すことができる。