ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

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後巷説百物語/京極夏彦

2006-02-19 01:12:58 | 
京極夏彦は怪談もの、妖怪ものなどその筋の大家なのだそうである。
水木しげるのコレクションもそうとうなものだとか。
それだけに熱狂的なファンがついている作家である。
私はまったくの門外漢。普段はあまり読まないジャンルだけど。
この作品は第130回の直木賞を受賞した。

明治の初期、ようやく維新の混乱も収まりつつあるころ。
東京警視庁の一等巡査、矢作剣之進、元西国の小藩、北林藩の江戸詰め藩士で現在は貿易会社に奉職している笹村与次郎、
洋行帰りのハイカラ男倉田正馬、もとは笹村と同じ北林藩の出身で、現在は町道場を開いている豪傑、渋谷惣兵衛。
この4人が集まると世間に起こる不思議な出来事について、喧々諤々議論を戦わせるのだが必ず話は行き詰まり、
薬研堀界隈にある九十九庵なる閑居を構える、一白翁を訪ねて意見を求めることになる。
面妖な出来事、不思議な出来事は事実なのかそれともただの言い伝えなのか。
ぽつりぽつりと一白翁が語り始める。

最初に収められている「赤えいの魚」には唸らされるのものがあった。
誰も近づくことのできない孤島にただひたすら領主に絶対服従を誓う住民たちが住んでいた。
領主の命令とあれば命すら差し出すし、子供の命だって平気で投げ出す。
島民たちは領主に支配されているという自覚、概念すらもない。
不満も抵抗もない島には辛いとか厭だとか哀しいという気持ちがないので楽しいとか嬉しいとか楽だとかといった気持ちも湧いてこない。
笑うことも禁じられたのっぺりとした島民たちの異様さ。
そこで私たちは悲しむべきことがあるから笑えるのだという当たり前のことに気がつく。

彼の作品群は結局のところ不思議な出来事や面妖な出来事というものも、すべては私たちの心のありようだということを教えてくれる。
一番恐ろしいのは人間の心そのものだということ。


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