ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

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今年の箱根駅伝

2007-01-05 22:07:46 | スポーツ
すっかり書きそびれていたが、今年の箱根駅伝はじっくりと見ることはできなかった。
結果的には往路の山登りでエースが格の違いを見せつけた順天堂がその貯金を復路でもがっちりと守った。
復路での波乱は少なかったが、前年覇者の亜細亜大が10位、同じく2位の山梨学院がシード圏外の12位と沈む一方で、
早稲田、専修が健闘しシード権を奪回した。

何かの片手間にちらちら見ていたので大して語る資格はないのだけど、
なぜ箱根駅伝があそこまで見る者をひきつけるのかをつらつらと考えた。

箱根駅伝の一区間は22,3kmに過ぎない。フルマラソンの半分程度だ。
大学の駅伝部ともなれば練習で毎日4,50kmは走るだろう。
その彼らからすれば距離的には決して長いものではない。
それなのに箱根駅伝では中継地点で倒れこむように襷を渡したり、脱水症状で走れなくなったりする選手をよく見かける。
ペース配分やコンディションの調整などは練習でいやというほど繰り返している彼らが、
まるで初めて走ったかのような苦しげな表情でゴールするのを見ていると、
そこにこそ箱根駅伝の魅力があるのではないかという気がするのだ。

陸上競技は個人競技だが、駅伝は個人競技であると同時にチーム競技の側面も持っている。
しかも箱根駅伝はそのチームであるという側面を殊更意識せざるを得ないルールになっている。
繰上げスタートと10位以内が翌年の本大会の出場権を得られるというシード権がそれだ。

個人はチームの名誉のために襷をつながなくてはならない。
そして、それだけではなく後に続く後輩たちのためにも襷をつながなければならないのだ。
そのことが強いプレッシャーを与え限界を超えても走ろうとする過酷なレース展開へと繋がっていくのだ。
そして、まさにそれこそが多くの人を惹きつける箱根駅伝の醍醐味なのだと思う。

今年も必死に走る選手たちを見ながらそんなことを考えていた。


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