ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

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ワールドカップ グループリーグ 日本対オーストラリア(カイザースラウテルン)1-3

2006-06-13 21:19:14 | サッカー
曇り。

Jヴィレッジのキャンプのときから、攻撃陣と守備陣の間でどこでボールを奪うのかという議論が交わされたという。
つまり、どういうシチュエーションで守ってどういう場面で攻撃に転じるのかという戦術的なコンセンサスをチームとして共有できたのかどうか。
もっと言えば、攻めと守りをチーム全体で同じベクトルとして意識していたかということである。
そして結局消化し切れなかったその課題がゲームで如実に結果として現れてしまった。
しかもそれは指揮官の迷いを伴って現れてしまったのである。

ジーコはリードして迎えた後半に柳沢を下げて小野を投入した。
中田を一列上げて、ボランチの位置に小野を入れたのである。
小野は攻撃的な選手である。攻撃的な選手を守備的な位置に入れるということが
何を意味しているのか最後までわからなかった。
FWを一枚削ってまで入れた小野によって意味するところが、1点を守りきるのかさらにもう1点を取りに行くのか見えなくなってしまったのである。
先制してオーストラリアが前に出てきたとことで前線が活性化し始めていたこともあってか、
もう1点を取りに行こうとした前線と、カウンターを怖がって引いて守ろうとした守備陣との間が間延びして、オーストラリアにボールが収まる。
おまけにヒディンクは、次々に攻撃的な長身の選手を送り込んだ。
交代の意図が分からなかったジーコに対して、ヒディンクの意図は明快だった。

柳沢を替えるのであれば投入するのは同じFWの大黒か巻ではなかったか?
それによって攻撃の意図を明確にした上で、さらに攻撃的に行くのなら疲れていた中村に替えて小笠原か、
守備をテコ入れするのなら福西を下げて遠藤という手もあったのではないか。
小野が悪いというのではない。あの時点での小野の役割が明瞭ではなかったのである。

リードされて後手に廻ってからほとんど時間もなくなって、ディフェンスを削ってまで大黒を入れたことで
完全にバランスを崩して余計な3点目まで献上してしまった。
大一番で冷静さを欠いて軸がぶれたとしか言いようのないジーコの采配だった。

結局日本には、残りの10分を凌いで勝つというような、器用な試合コントロールはまだできない。
世の中には、このワールドカップが日本のサッカー界の今後を占う重要な大会であるかのような論調もあるが、まだ3回目である。
最初は参加することに意義があり、2回目は予選免除の自国開催。3回目の今大会で本当の意味での試練を味わうことになったとして、
それが日本のサッカー界の未来を暗くすることでは決してない。
なんと言ってもまだ日本は世界のフットボール界ではひよっこに過ぎないのだ。

大事なことはドイツから今後10年、20年と語り継いでいけるような糧を持って帰ることだ。
そのために残りの2試合は死ぬ気で走って欲しい。本気のブラジルから何かを盗んで帰ってきて欲しい。