江上環礼拝説教

日本ナザレン教団青葉台教会礼拝説教

日曜礼拝(24年3月31日)

2024-03-31 16:24:08 | Weblog

日曜礼拝(イースター)       2024.3.31

          「マリアなぜ泣くの」 ヨハネ20:1~18

 

 Ⅰ導入部

 イースターおめでとうございます。イエス様が死から蘇られたことを記念する復活日、イースター礼拝です。全世界の教会でイースター礼拝が持たれ、イエス様の復活を覚え、心からの賛美と礼拝がささげられています。今日は桜の花も開花しているようです。イエス様の復活、イースターにふさわしい季節です。教会学校では、4年ぶりでしょうか。きのこ公園での野外礼拝と卵探しがされて、子どもたちも桜の花を見ながら、イエス様の復活の象徴の卵を探して楽しんでいることでしょう。第二礼拝後には、清水馨子(けいこ)さんの洗礼式が執り行われます。イエス様のよみがえりのイースターの日に罪に死にイエス様と共によみがえり、新しい命に生きることになる清水馨子さんの洗礼式と信仰生活の祝福のために心から祈りたいと思います。

 今日は、ヨハネによる福音書20章1節から18節を通して、「マリアなぜ泣くの」という題でお話し致します。

 

 Ⅱ本論部

 一、イエス様の遺体が盗まれた

 復活されたイエス様が、最初にご自身を現わされたのは弟子のペトロやヨハネではなく、また母マリアでもなく、マグダラのマリアであったことをヨハネによる福音書は語ります。

マグダラのマリアについては、「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」(ルカ8:2)と聖書が紹介しています。マリアの人生は七つの悪霊によって、苦しみと悲しみ、痛みの人生でした。家族からも友人からも見捨てられ、生きていること自体苦しみの連続だったことでしょう。しかし、そんな彼女がイエス様に出会い、七つの悪霊を追い出していただき、人生が一変したのです。この時から、マグダラのマリアは、イエス様を信じ、イエス様に従い、イエス様に仕える人生へと変えられたのです。いつもイエス様の権威ある、愛あるお話に感動し、奇跡のみ業に心躍らせ、まことにイエス様が救い主、神様の子であることを信じたのです。そのお方が、犯罪人として十字架につけられ、マグダラのマリアは、十字架の下でイエス様の苦しみと死を見届けました。マグダラのマリアにとって、イエス様の死は信じられないこと、受け入れられないことでした。イエス様が納められた墓を確認したマリアは、安息日(土曜日)が終わるのを待って、1節にあるように、「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。」と、少しでも早くイエス様のご遺体に香油を塗ってさしあげたいと墓に急いだのです。すると、「墓から石が取りのけてあるのを見た。」のです。マリアの頭の中では、大変なことが起こった。イエス様のご遺体が盗まれたと判断しました。自分一人で解決できないので、イエス様の弟子たちの所に急いで知らせるのです。

2節には、「そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」」とあります。マリアは、墓の中を見ずして、墓の入口の石が取りのけてあるのを見ただけで判断しました。イエス様は、時の人、多くの人々に慕われるのと同時に、ユダヤ教の指導者たちからは嫌われ、憎まれていたので、イエス様の遺体にまでも傷つけることをするのではないか、そのためにイエス様の遺体を盗んだ。あるいは、当時墓場荒らしがあって、イエスの遺体を盗んだと考えたのでしょう。イエス様の死は悲しいことですが、ご遺体を見て、イエス様を思う、イエス様を偲ぶことが、マリアにとっては少しでも慰めになるのでしょう。今のマリアにとっては、イエス様の遺体が,遺体そのものだけが何よりも大切な存在となっていたのです。

 マリアからの知らせを受けた弟子の様子はどうかというと、3節から8節に、「そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」とあります。ペトロとヨハネは年齢が違い、ヨハネの方が速く走り、先に墓につきましたが、墓の中をのぞいて、亜麻布が置いてあるのを見ただけで、中には入りませんでした。遅れてペトロが到着し、墓の中に入って、亜麻布が置いてあるのを見たのです。「亜麻布が置いてある」というのは、「折り目正しく」置いてあったということのようです。ですから、イエス様の遺体が盗まれたということは考えられない。杉下右京さんなら状況をよく調べて、「イエス様はよみがえられたのだと思いますよ」と言うのでしょうか。亜麻布の置かれた状況からは、蘇えられたイエス様がご自分で折り目正しく置かれたのでしょう。イエス様は几帳面な方だったのでしょうか。

 

 ニ、神様の目で、イエス様の目で物事を見る

8節には、「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」とあります。20章1節から8節までには、「見る」という言葉が4回出てきます。1節「マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。」と5節「身をかがめて中をのぞくと」の見るは、「クレポウ」というギリシャ語で「ただ単に見る」という意味です。マリアもヨハネも注意深く墓を見たのではなく、なにげなく、ただちらっと見ただけでした。マリアは、ちらっと見て石が取りのけてあるのを見てイエス様の遺体が盗まれたと早合点したのです。6節「続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。」の見るは、「セレイオウ」というギリシャ語で「注意深く見る、調べる」という意味があるようです。ペトロは、注意深く見ましたが、理解できなかった。わからなかったのです。8節「それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」の見るは、「エイドン」というギリシャ語で、「見て、理解する。」という意味があるようです。ヨハネが、「亜麻布が(押し目正しく)置いてある」という今自分が見ているものが何の意味を持つのかを理解できたのです。リビングバイブルには、「私もあとから入り、この有様を見て、イエスが復活なさったことを信じました。」とあります。9節には、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」とあります。ヨハネはイエス様の復活を信じましたが、詳訳聖書には、「彼らは聖書の「彼は死人のうちからよみがえらなければならない」ということばをまだ知らなかった。」とあります。この時点では聖書のイエス様の蘇りについて知らなかったのです。ペトロとヨハネは帰って行きましたが、マグダラのマリアは帰りませんでした。11節には、「マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、」とあります。「マリアは墓の外に立って泣いていた。」とあります。

私たち人間は、あきらめられないことや受け入れがたい現実に遭遇する時、悲しみのあまり涙する。泣くのです。イエス様の十字架刑の下で、愛するイエス様が苦しみ、痛んでおられるひどいお姿を見続けていたマグダラのマリアは、イエス様が亡くなられたこと死なれたということを頭では理解していたのでしょう。けれども、お慕いし愛するイエス様の現実の死を受け入れることがなかなかできない、ましてイエス様の遺体がどこにもないのでマリアは泣いていたのです。マリアが、悲しみの中で泣くということ、泣けるということは、生きていることの証しなのかも知れません。マリアは、イエス様が十字架にかけられ死なれたこと、そして、イエス様の墓が空であることを知っていました。しかし、そのことをなかなか受け入れることができませんでした。愛するイエス様のご遺体が墓にない事を悲しんでいたのです。死という現実の前には、なすすべが何もないことを痛感して泣いていたのです。マリアはイエス様の遺体が墓にない事を悲しみます。今のマリアには、イエス様の遺体が全てでした。マリアは泣きながら墓の中を見ました。

12節、13節には、「イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」」とあります。マリアは、天使たちを見ても畏れませんでした。眼中になかったのかも知れません。天使たちは、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と問いました。泣いている理由を聞かれていると思い、「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」とマリアは答えました。「わたしの主」という表現は、マリアのイエス様に対する思いの大きさがわかります。天使たちはマリアの泣いている理由を聞いたのではないでしょう。ルカによる福音書24章、5節、6節には「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。」と天使が語っています。イエス様は復活して生きておられるのに、「婦人よ、なぜ泣いているのか」ということなのです。私たちも、様々な苦しみや悲しみ、痛みを経験する時、イエス様は生きておられるのに、死んだままのイエス様であるかのように、悲しみすぎる、苦しみすぎるということはないでしょうか。

 

 三、イエス様の方に向きを変えるとき

 14節には、「こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。」とあります。心から恋い慕うイエス様が背後に立っておられるのにマリアは気が付きませんでした。マリアが見ていたものは、遺体となられたイエス様を誰かが取り去った、という空の墓でした。悲しみ、苦しみの涙によって、心が支配されていました。マリアは、死の世界、墓の方へと引き寄せられていたのです。そのために、本当に見るべきもの、イエス様に目を注ぐことができないでいたのです。私たちも信仰生活の中で、あまりの苦しみや悲しみ、痛みによって、イエス様が確かにそばにおられるのに、共におられるのにもかかわらず、イエス様の存在に気が付かないということがあるのかも知れません。何があろうとも、私たちの状況がどのようにマイナスであっても、イエス様は私たちのそばに共にいて下さるのです。

イエス様は、マリアの涙や悲しみや苦しみを誰よりも知っておられました。15節には、「イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」」とあります。イエス様は、マリアがなぜ泣いているのか、誰を探しているのか、よくわかっておられました。この問いは、「あなたが探しているのは、死に打ち勝った私ではないか」とマリアに投げかけておられるように思うのです。また、「なぜ泣いているのか。」とは、「なぜ泣く必要があるのか」ということで、「もう泣く必要はないのです」と、イエス様の復活は紛れもない事実だということです。ですから、天使も、イエス様も、同じように「なぜ泣いているのか。」と問うたのです。

マリアは、イエス様が墓の管理人だと思い、「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」と言ったのです。「わたしが、あの方を引き取ります。」というマリアの心からの気持ちを聞いて、イエス様はうれしかったでしょう。16節には、「イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。」とあります。イエス様は、マリアの名前を呼ばれました。聖書の中で、神様が名前を呼ぶと言うことは、その人の生き方を新しくするということを示しているようです。「モーセ」と呼ばれた神様は、モーセにエジプトで奴隷状態にあったイスラエルの民をエジプトから解放するという新しい使命を与えられたのです。「サウロ」と呼ばれたイエス様は、後のパウロに、律法に生き、キリスト者を迫害する生き方から、新しくイエス様の福音を伝える伝道者として召されたのでした。イエス様は、マリアの名前を呼んで、イエス様の復活によって新しい生き方があることを示されたのです。マリアは自分の名前を呼ばれて、振り向いて、「ラボニ」と答えたのでした。マリアとイエス様は名前を呼ぶだけで心が通じたのでしょう。イエス様は以前共に歩んでいた時のように、「マリアム」と呼ばれ、マリアもいつもイエス様を呼んでいたように「ラボニ」と答えたのです。あのかつてのように、イエス様にいつもも呼ばれた名前で、マリアはイエス様だと気がついたのです。

 マリアは、死んだと思っていた。遺体がどこかに持ち去られたと思っていた愛するイエス様が目の前にいたので、おもわずしがみついたのでしょう。17節には、「イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」」とあります。「わたしにすがりつくのはよしなさい。」とは、マリアが女性だからとか、マリアが嫌いだからということではありません。イエス様はやがて父なる神様の元に帰られます。ですから、その時には、以前の同じように、イエス様のお姿を見て、イエス様の声を聞いて、イエス様のお体に直接触れるということはできなくなります。今のマリアは、イエス様の遺体がなくなり、パニックになるほどイエス様を慕っているので、今目の前におられるイエス様をもう二度と離すまいとしがみつきたくなるのですから、特にマリアには、「わたしにすがりつくのはよしなさい。」と言わざるを得なかったのでしょう。やがて、弟子たちもマリアも、イエス様が父なる神様の元に行くことで聖霊が与えられて、神様との新しい関係に入ることができるのです。イエス様は、「わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方」と言われ、聖霊を通して、父なる神様は、人間の私たちとっても父となり、神となると宣言されたのです。

 18節には、「マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」とあります。マリアはイエス様にすがりたいだろうけれども、イエス様が復活されたことを一時も早く伝える使命を受けたのです。

 

 Ⅲ結論部

 マリアは、天使からもイエス様からも「なぜ泣いているのか。」と声をかけられました。しかし、マリアの悲しみはなくならず、涙は止まりませんでした。マリアが絶望の象徴である墓に目を留めている限り、どのような言葉も、励ましもマリアには力にはならなかったのです。しかし、マリアと親しく呼ばれていた名前で呼ばれて、振り向いてイエス様に目を留めた時、イエス様の存在に気付いた時、マリアは喜びに満たされたことでしょう。私たちもイエス様がそばにいるのにもかかわらず、苦しみの場所、悲しみの場所、痛みの場所だけを見ていることはないでしょうか。もしそうならば、人々の励ましの言葉も、聖書の言葉も励ましにはならないのです。私たちが問題の場所、悲しみ苦しみの場所から目を離して、イエス様に目を留める時、イエス様の存在を認める時、私たちは平安と安心をいただくことができるのです。イエス様は、「今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。」(ルカ6:21)と言われました。私たちは、苦しみのゆえに、悲しみのゆえにただ泣くのではなくて、どんな時にもイエス様が共におられることを信じて、イエス様の前で泣くことが,イエス様の前で嘆くことが、信仰の出発点になるのではないでしょう。「主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。」(ルカ7:13)と聖書は語ります。イエス様を信じている私たちも、信仰者の私たちも、様々な試練に遭遇する時、嘆き、悲しみ、涙を流します。私たちは、試練だけを見るのではなく、試練を通して、神様のみ業を見せて下さるイエス様がいつもそばに、背後に、共におられることを信じて、イエス様に目を留めてこの週も歩んでまいりましょう。

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日曜礼拝(24年3月24日)

2024-03-24 12:43:48 | Weblog

日曜礼拝(棕櫚の主日)       2024.3.24

          「神の渇き」 ヨハネ19:16~32

 

 Ⅰ導入部

 おはようございます。3月の第四の日曜日を迎えました。棕櫚の主日、イエス様がエルサレムに入城した日であり、受難週の始まりの日です。今日も愛する皆さんと共に会堂に集い、あるいは、ユーチューブを通して共に礼拝をささげることができますことを感謝致します。桜の開花情報も、開花日が遅れており、今週は受難週で来週のイースターあたりに桜が満開になるとイースターらしい、蘇りの季節を感じるように思います。来週は、復活の喜び、イースター礼拝ですが、復活の前には、イエス様の十字架の苦しみ、十字架の死を通らなければなりません。今日は、ヨハネによる福音書19章16節から30節を通して、「神の渇き」という題でお話し致します。

 

 Ⅱ本論部

 一、イエス様の十字架につながる者になる

 17節には、「イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。」とあります。イエス様は自ら十字架を背負い、十字架刑場であるどくろ(頭骸骨)と呼ばれる場所、ヘブライ語ではゴルゴタ、ラテン語訳(ウルガタ訳)で、カルバリという場所に向かいました。礼拝の最初に「カルバリの十字架」という賛美を歌いましたが、「どくろ山の十字架」とか「頭蓋骨の山の十字架」とはなんかしっくりきません。現在この場所には、聖墳墓教会が建てられているようです。イエス様は総督官邸からゴルゴタまで、約1キロ、現在ビアドロローサと名付けられた道、巡礼者がイエス様の苦しみを覚えながら歩く通りを十字架を背負い歩かれたのです。ビアドロローサとは、ラテン語で「苦難の道、悲しみの道」という意味があるようです。イエス様は、罪人が背負うべき十字架、その十字架を罪なきイエス様が自ら背負われたのです。マタイ、マルコ、ルカによる福音書には、イエス様は昨晩からの裁判と鞭打ち、いばらの冠のゆえに、肉体が衰弱して途中倒れてしまい、クレネのシモンが無理やり十字架を担がされたことを記しています。ヨハネによる福音書は、クレネのシモンについては全く触れていません。ヨハネによる福音書は、イエス様が神の子であり、罪人に赦しを与える救い主を示すために、人間イエス様の弱さをあまり示しません。ゲッセマネの園のイエス様の苦しみの様子や十字架上の7つのことばの、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)という言葉を示してはおりません。ヨハネによる福音書は、人間イエス様ではなく、神の子としての神性を示しているのです。

 18節には、「そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。」とあります。イエス様が十字架につけられた時、右と左に犯罪人も十字架につけられたました。三本の十字架は全世界を表わす象徴のようです。三本の十字架の右か左のどちらに立つのかということです。ルカによる福音書には、三本の十字架、イエス様と二人の犯罪人の事が記されています。一人の犯罪人は、「十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」(ルカ23:29)と言いましたが、もう一人の犯罪人は、初めは同じように言っていたようですが、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」十字架上の七つの言葉の最初の言葉を聞いて考えを変え、「すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」」と自分の罪を認め、イエス様には罪がない事、つまり神であることを認めました。そしてイエス様に、「「わたしを思い出してください」と願い、それに答えてイエス様は、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と宣言されたのです。三本の十字架は全世界を象徴しています。この世の「」という漢字は、三本の十字架があり、真中の十字架に右側の十字架はつながっており、左側の十字架は真中の十字架につながることなく、下に流れているのです。自分の罪を認め、イエス様を神様と信じてイエス様につながった犯罪人は楽園に導かれ、イエス様に暴言を吐き、悔い改めなかった犯罪人はイエス様とつながらず滅んだということなのでしょう。

 19節、20節には、「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。」とあります。よく聖画のイエス様の十字架の上には、「INRI」と書かれていることがあります。ラテン語の「JESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」の頭文字「INRI」です。実際には、罪状書きは、ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語で書かれていました。ラテン語はローマが用いていた支配者の言葉、ギリシャ語は当時の世界で広く使われていた共用語、ヘブライ語はユダヤ人の言葉でした。

 

 二母を思い、母を委ねるイエス様

 23節から24節には、「兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、/「彼らはわたしの服を分け合い、/わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。」とあります。ローマの兵士たちは、イエス様の着物を分け合いました。イエス様の着物を分け、くじ引きしたことには、ローマの兵士の意思を超えた神様のご計画がありました。旧約の預言には、「彼らはわたしの服を分け合い、/わたしの衣服のことでくじを引いた」とあるのです。ローマの兵士たちは、自覚していないのですが、聖書の預言が成就したのです。詩篇22編19節には、「わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。」とあります。 

 25節には、「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。」とあります。一般の人が、十字架の下に立つことが許されていた公開処刑だったのでしょう。母マリアは、傷だらけの、血まみれの状態で、うめき苦しむ息子の姿をまじかで見上げていたのです。その心境はどのようなものだったのでしょうか。母マリアもまた、胸を刃物で突き刺されるような悲しみと痛みだったのでしょう。

両親はイエス様が誕生して、清めの期間が過ぎて、イエス様を主に献げるために、エルサレムに来た時、シメオンという人は、幼子イエス様を見てマリアに、「シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」」と言ったのでした。「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」と十字架の下での母マリアの姿でした。

 「その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。」と4人の女性がおりました。「母の姉妹」とは誰の事でしょうか。他の福音書には、「その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」(マタイ27:56)とあり、また「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。」(マルコ16:1)ここには「サロメ」とあります。

「母の姉妹」とは、サロメであり、ゼベダイの子ら、つまりヤコブとヨハネの母となり、イエス様と弟子のヤコブとヨハネはいとこ同士ということになります。リビングバイブルには、「十字架のそばには、イエスの母マリヤ、おば、クロパの妻マリヤ、マグダラのマリヤが立っていました。」とあります。

 26節、27節には、「イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。」とあります。イエス様は、なぜ愛する弟子、つまりヨハネに母マリアをゆだねたのでしょうか。ヨセフがそこにいたからでしょうか。母マリアは、未亡人でしたがイエス様以外にも子どもはいました。「この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。」(マタイ13:55-56)ですから、男の子4人もいるのですから、他の子どもたちが生活の面倒はみることができた。しかし、イエス様は、ヨハネに母マリアを委ねたのです。ヨハネによる福音書7章5節には、「兄弟たちも、イエスを信じていなかったのである。」とあり、イエス様の兄弟たちは、イエス様を信じていなかったのです。イエス様は、御自分を信じていない兄弟たちに、母マリアを委ねることはしなかったのです。(イエス様が復活して兄弟たちも信じたようです) それで、先ほどのヨハネとイエス様はいとこ同士ですから、母マリアはヨハネの叔母にあたるので、イエス様は安心してヨハネに、母マリアを委ねたのです。そして、ヨハネは母マリアを自分の家に引き取ったのです。十字架のもとで、新しい人間関係が生まれたのでした。

 

 三、イエス様の渇きが私たち潤い

 28節には、「この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。」とあります。「のどが渇いた」という言葉は、日常生活の中で私たちはよく使います。今孫と一緒に住んでいますが、孫はよくママに「のどが渇いた」と言います。よく言います。夏の暑い日が続く中で、私たちものどが渇く経験をします。ここでイエス様が言われた「渇く」という言葉は、肉体の奥底から、魂の奥底から発せられた言葉なのでしょう。十字架刑により、両手両足を釘で打たれ、いばらの冠をかぶせられ、出血により水分が奪われ、極限の渇き、十字架刑というその姿勢より呼吸困難になり、口を大きく開くので渇きが生じる。ですから、「渇く」というのは、肉体的な苦しみでありました。肉体的な渇きと共に霊的な渇きがイエス様にはありました。

十字架上の7つの言葉の一つ、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)と叫ばれ、父なる神様との交わりが全く断たれた中での、子なるイエス様が父なる神様を慕い求める渇きであったのでしょう。「神よ、あなたはわたしの神。わたしはあなたを捜し求め/わたしの魂はあなたを渇き求めます。あなたを待って、わたしのからだは/乾ききった大地のように衰え/水のない地のように渇き果てています。」(詩篇63:1)

 「渇く」という言葉はヨハネによる福音書では重要な言葉です。4章13節、14節には、「イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」」とあり、7章37節、38節には、「「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」」とイエス様は言われたのです。渇いている者に水を与えられるお方、永遠の命に至る水を与えて下さるお方が、十字架の上で、「渇く」と叫ばれたのです。「「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。」というのは、旧約聖書に記されている神様の救いの約束が、イエス様の十字架によって実現したこと、イエス様が渇くことで、私たちと父なる神様との和解の道が整ったのです。

 私たちを深い所から潤して下さるイエス様が「渇く」と言われました。徹底的に渇かれ、6時間に及ぶ十字架刑の為の衰弱や脱水という肉体的な渇き以上に、父なる神様との断絶というイエス様にとっては、極限の苦しみ、霊的なうえ渇きを経験されたのです。この「渇く」という言葉は、旧約聖書の「わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。」(詩篇22:2)「口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。」(詩篇22:16)から来ているようです。十字架の上で罪のないお方が、父なる神様から裁かれ、渇いて、渇いて、渇ききって、罪と死の中に打ち捨てられたのです。父なる神様から引き離されることが、子どもが母親から引き離される時の悲しみと苦しみの叫びのように、「父とわたしはひとつである」と言われた父なる神様から引き離されることが、イエス様の渇きの根源だったのです。このイエス様の渇きのゆえに、イエス様が罪と死の中に打ち捨てられたからこそ、私たちは潤されるのです。私たちは、イエス様の十字架での身代わりの死と復活を通して、罪の赦しときよめ、死んでも生きる命、永遠の命の恵みが与えられるのです。

イエス様の渇くという叫びに、ローマ兵は酸い葡萄酒を差し出し、イエス様はそれを受けて、「人はわたしに苦いものを食べさせようとし/渇くわたしに酢を飲ませようとします。」(詩篇69:21)、「成し遂げられた」(テテレスタイ)と言い、頭を垂れて息を引き取られたのです。「成し遂げられた」とは、負債が完了したということです。請求書に、テテレスタイという印章が押された用紙が見つかっているようです。イエス様は、ここで全人類の全ての罪に対する負債を支払ったと宣言されたのです。

 「頭を垂れて息を引き取られた。」の「頭を垂れて」は、「枕によりかかる」という意味があるようです。全ての事が完成した。イエス様の十字架の苦しみと死で、全てが終わった、と枕によりかかるように、眠るように息を引き取られたのです。それは、私たち一人ひとりのためであることを深く覚えて、感謝したいのです。

 

 Ⅲ結論部

 イエス様の十字架の姿は、英語のWという文字で表せるようです。WつまりWATER,

水です。世界の3分の2は海です。水分です。私たち人間の体は、およそ3分の2が水分です。体重の60%から70%が水分のようです。私たち人間は、食物がなくても何日かは生きれるようですが、水分が不足すると命の危険にさらされます。医者は患者が脱水症状になるとすぐに点滴をして水分を補給します。一般的には、成人は1日の2ℓ水分をの体外に出しているようで、同じ2ℓを補給しなければなりません。私たち人間の体は、ある意味で、常に渇いていて、水分を求めているのです。イエス様は、神であり罪のないお方なのに、十字架の上で肉体的に霊的に、極限の渇きを経験されました。そして、その渇きが聖書の言葉の実現、救いの完成につながっているのです。私たちも日々、渇きを経験します。渇きを経験するたびに、イエス様が私のために渇いて下さったことを覚え、「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」」、「「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」言われたイエス様のもとで潤いを得たいのです。この週もこのお方が、イエス様が共におられて、私たちの渇きを癒して下さいます。受難週のこの週、イエス様の十字架の苦しみを覚えると共に、その先には復活の望みがあることを覚えて歩んでまいりましょう。

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日曜礼拝(24年3月17日)

2024-03-17 15:27:04 | Weblog

イエスさまの怒り   マタイ21:12~17  24,3,17

 

 本日の聖書箇所は、受難週の時の話です。4福音書すべてにあり、神殿での重大な出来事としてよく知られていた話だったと思います。宮清めともいわれている箇所です。

イエスさまは、神殿で話をしたり説教をしたりしているので、突然なぜ、この時にこんなことをしたのだろうという気がします。

 ユダヤ人は、律法と神殿をとても大事にしていましたし、選民意識の象徴でもあったのです。

神殿は、神さまと出会い、祈り、交わるところであり、罪が赦されるところとだと思われていました。BC160年ごろ、ユダヤを支配していた、シリアのセレウコス朝アンテイオコス4世が、割礼や安息日を守ることを禁止し、神殿に偶像をつくり、豚や不浄な動物を、いけにえとしてささげたことがありました。ユダヤ人は、マカバイを頭として、これに武力をもって抵抗して勝利したことがありました(続編マカバイ記)。神殿を汚されると、死を恐れず抵抗するほど大事にしていたのです。

 

 さてイエスさまは、子ろばに乗ってエルサレムに入場後に神殿に入っていきます。境内に入ると物を売り買いしている多くの商売人が目に入ります。この場所は異邦人の庭と言われている場所です。異邦人や罪人が入ることができるのは、ここまでというところです。

12節で、いきなり売り買いしていた人々を追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛を倒した。ヨハネでは、縄でむちを作り羊や牛を追い出し、両替えの金をまき散らしたとあります。かなり激しい怒りの行動で、イエスさまにふさわしくないような行動です。何に対して怒っていたのでしょう。この商人たちの様子は、以前に神殿に来た時も見ていたはずです。この商売人は、なにを扱っていたかを考えると、両替人は、神殿にお参りする人が、神殿税を納めるには「ツロの銀貨」で納めなければならないので、ギリシャの通貨しか持ってないような人のために両替えする人が必要だったのです。また犠牲のささげものの牛、羊、ハトなどは傷のないものをささげると決まっていたので遠くから来る人は、持ってくることができないのでここで買わざるを得ないのです。イエスさまもこのことは、十分に知っていたでしょう。彼らの商売を邪魔したところで神殿を清めることにはならないのです。またこの場所はかなり広い場所なので、大規模にやっていたのであれば大騒ぎになり、アントニア要塞のローマ兵が見張っているので、すぐ来るはずですが、そのようなことがなかったようなので、これは一部のところで象徴的な行動としてイエスさまは行ったのだと思います。怒りの先はこれらの商人たちにではなく、ほかにあったのです。

 

 そのあとイエスさまは言うのです。13節「わたしの家は、祈りの家とよばれるべきである。それを強盗の巣にしている」と。私の家と言ってます、自分が神であると宣言しているのです。だからそこは祈りの家だと言っているのです。イザヤ書56:7に「わたしは、彼らを聖なる私の山に導き、私の祈りの家の喜びの祝いに連なることを許す。わたしの家は祈りの家と呼ばれる。」とあります。エレミヤ7:11に「わたしの名によって呼ばれるこの神殿は強盗の巣とみえるのか。そのとおりわたしもそう見える」とあります。イエスさまはこの言葉を念頭におかれて言ったのだとおもいます。

 

 そのあとで、イエスさまは、14節で、「目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄ってきたので、癒された」とあります。これらの人はこの先の宮に入ってはならないとされた、社会的弱者です。また子供たちまでが叫んで、「ダビテの子にホサナ」と言ったとあります。15節で、「祭司長たちや律法学者たちは,その業を見て腹を立てた」とあります。彼らは、弱者を顧みないだけでなく、しいたげていたのです。さらに膨大な犠牲のささげものも私物化し、神殿税の徴収や、商売人の売り上げもピンハネしていたのです。祭司長はじめ祭司集団の地位まで総督に賄賂を贈ったりして買い取っていたのです。いわば神殿貴族と言われるようになっていたのです。これを「強盗の巣」と言ったのだとおもいます。イエスさまの怒りの対象は彼らだったのです。

 

 話が変わりますが、2週間ほど前に知り合いの女性からわたしに、突然 1冊の本が送られてきました。「隣人を愛するということ」という書名でした。私の主人の出版社で出した本です。ぜひお読みくださいという手紙が添えてありました。だれか個人の証かなと思って置いておいたのですが、先週、寝床でよんでびっくりしました。それは、第2次大戦時の米国で、日系人が敵国扱いをされ、財産、仕事を奪われ、家を追われ、強制収容されたときに、国全体で反日感情が強い中で、日系人を助け収容所に食べ物、衣類等を提供したことや子供の学校の面倒を見たこと、さらに大戦終了以後も仕事の世話や、生活支援をしたことの記録でした。その人たちはクエーカーというプロテスタントに属する人たちでした。その方々がフレンズ奉仕団を形成し活動したのです。クエーカーは、非暴力の提唱、良心的兵役拒否、平和主義を唱え続けている人たちです。戦後の荒廃した日本に対し食糧援助の中心になって援助(ララ支援)してくれたのもこの人々だったそうです。クエーカーというと日本人では、新渡戸稲造や、上皇さまの英語の教師をしてくれたヴァイニング夫人、それに普連土学園を思いうかべます。とても感激な本で、クエーカーの人々の日系人への支援活動のことを初めて知りました。本当の弱っている人達への、隣人愛を実践した人たちですね。ぜひ皆さんにも読まれることをお勧めします。

 

 さて話を戻しますと、私の家は祈りの家と呼ばれるとは、どういうことでしょうか。神殿を搾取構造にし、礼拝も形式化し、こころが真に神さまに向いていない状態を批判したのでしょう。イエスさまは、利益などの偶像と決別し、真に神に立ち返り、正義と公正が行われることを願っていたのだと思います。ヨハネ2章で、イエスさまは、神殿を壊してみよ、3日で建て直して見せると言っています。神殿とは自分のことだったのです。復活されたイエスさまこそ真の神殿であり聖所だといったのです。ヨハネ4章でも「この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます」とも言っています。真の礼拝がささげられていない神殿にはいないと言っているのです。このことは私たちにも問いかけていることです。神さまに礼拝がささげられていなければ、教会という建物には神はいないということでもあります。教会にきて習慣的に礼拝をささげるだけで、神さまにキチンと向き合っていなければ、そこにはイエスさまは、いないということです。2,3人と集まり真に祈ればイエスさまはそこにいるともいっています。私たちも、礼拝に出ることは、神さまに出会い、祈り、交わることだと思いつつ真の礼拝をささげたいものです。祈ります。

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日曜礼拝(24年3月10日)

2024-03-10 12:49:05 | Weblog

日曜礼拝(受難節第四)       2024.3.10

          「裏切りと愛」 ヨハネ13:21~35

 

 Ⅰ導入部

 おはようございます。3月の第二の日曜日を迎えました。受難節の第四日曜日になります。寒さの中にも、桜の開花の日が3月後半になりそうだということで、もう春がそこまで来ているという感じです。受難節の中で、イエス様の十字架の苦しみを覚え、私たちの罪のために尊い血を流し、命をささげて下さった愛を思いつつ、その先には復活の望みがあります。今日は、受難節の中にあって、復活を記念とする日曜日です。心からの感謝と賛美をもって礼拝をささげたいと思います。 明日は、3月11日です。東日本大震災が起こり13年が経ちます。13年が経過しましたが、さらなる神様の回復とお守りをお祈りいたしますし、今被災の中にある能登地震の被害者の方々のために祈りをささげたいのです。

 今日は、ヨハネによる福音書13章21節から35節を通して、「裏切りと愛」という題でお話し致します。

 Ⅱ本論部

 一、裏切りの心には誰にでもあること

 今日の個所は、先週と同じ最後の晩餐の席での出来事です。13章の前半では、イエス様は、御自分の愛を示すために、弟子たちの一人一人の足を洗われたのです。13章11節では、「イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。」とあり、裏切る者が誰かを知っておられたのです。イエス様が、弟子たちを「この上なく愛し抜かれた。」中で、イスカリオテのユダの裏切りをヨハネによる福音書は伝えるのです。

 イエス様は、ユダの名前は出しません。裏切りの予告をされるのです。21節には、「イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」」とあります。「心を騒がせ」は、新改訳聖書第三版では、「霊の激動を感じ」とあり、リビングバイブルには、「込み上げる霊の悲しみを抑え、」とあります。約三年半、イエス様は弟子たちと寝食を共にし、神様の働きをしてきたのです。仲間である弟子にイエス様は裏切られるのです。愛する者に裏切られるのです

イエス様が心騒がせているのは、自分の恐れや不安の為ではなく、ユダを心から愛しているので、そのユダがイエス様から離れ、滅びようとすることに無関心ではおれないのです。

愛する弟子に裏切られるのですから、イエス様は、心を騒がせたのです。霊の激動を感じ、こみ上げる霊の悲しみを抑えるようにして、「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」と裏切りの予告をされたのです。愛する者を失うことは、本当に辛く悲しい事でが、愛する人に裏切られるということはまた、とてもつらく悲しい事です。イエス様は、ユダを心から愛していたので、ユダの裏切りはとてつもなく、悲しく辛い事でした。イエス様が食事の席で立ち上がり、弟子たちの足を洗われた出来事に弟子たちは、驚きましたが、イエス様の裏切り者の予告には、さらなる驚きと不安があったのです。「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」という12人の弟子の中で裏切り者がいるというのです。相棒というドラマがありますが、一つの部屋に数人が集められ、「この中に犯人がいます。」と杉下右京さんが話す場面のようです。

22節には、「弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。」とあります。ユダも他の弟子たちの顔を見たのでしょう。マタイによる福音書26章22節には、「弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。」とあります。ルカによる福音書22章23節には、「そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。」とあります。弟子たちは、まさか自分ではとか、議論したということは、誰もが裏切り者になり得るということを自覚していることを示しているようにも思えるのです。

 23節から25節には、「イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、」とあります。弟子のヨハネは、イエス様の右隣に席があったようですので、ペトロが「だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。」のです。その名前がイエス様の口から発せられた途端に、ペトロは、その弟子に馬乗りになり攻撃したでしょう。もしかしたら殺してしまうのかも知れません。ペトロも、この後イエス様を知らないと裏切ることになるのですが。

 イエス様は、大事な最後の晩餐の席で、どうして弟子たちが不安になるような発言をしたのでしょうか。イエス様には裏切り者のユダを断罪するつもりはありませんでした。イエス様の衝撃的な発言は、人間である以上、誰にでも裏切りということがあるのだ、ということを示しているように思うのです。他の平行個所では、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。」とありましたから、ユダ以外の弟子たちも、「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」という言葉によって、自分の心にもイエス様を裏切るかも知れないという思いがあったということでしょうか。そして、私たちにもそのような思いが潜んでいないとも限らないこと、人間の弱さを私たちも持っていることを覚えたいと思うのです。

 二、私たちにはイエス様の愛を受ける自由も拒む自由も与えられている

 ヨハネの問いにイエス様は答えます。26節です。「イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。」とあります。「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」とありますが、過ぎ越しの食事の中で、ハロセットと呼ばれるもので、レンガを表す色を出すために、リンゴやナッツ、蜂蜜などを入れ、そこに種なしパンを入れ、それをユダに渡されたのです。この行為は、犯人を見つけるというものではないようです。食事の主人が、パン切れを浸して客に与えることは人間に対して行う最も栄誉のあることでした。また、イエス様がユダにパン切れを差し出したのは、「裏切る思いを知っている」ということで、命を捨てるほどに、あなたは大切な人という意思表示のようで、「あなたはわたしの兄弟、わたしはあなたのために喜んで死にます。」という意味があるようです。ユダに対するイエス様の愛の現れだと思うのです。

 また、「浸す」という言葉は、ヨセフの兄弟たちが、ヨセフが獣に殺されたことにするということで、「兄弟たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸した。」

(創世記37:31)とあり、「殺してその血に着物を浸した。」という「浸す」で、殺され、血を流すことを指しているようで、ユダの裏切りがイエス様を十字架の死に至らしめるのであることを指しているようです。27節には、「ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。」とあります。イエス様が差し出したパン切れは、ユダが受け取るか、受け取らないかを問うていました。最後のチャンス、ファイナルアンサーでした。イエス様のもとにとどまる可能性を残されたのです。ユダがパン切れを受けたことは、イエス様の愛と悔い改めを拒み、裏切るということを選んだということです。

 「サタンが彼の中に入った。」とあります。ユダの裏切りは、サタンの働きでした。しかし、ユダは、「彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。」(ヨハネ12:6)とあるように、お金に対する執着心がユダの弱さであり、会計係を任されていましたが、預かったお金をごまかして、自分のものにしていたのです。ユダの弱い所に、サタンが付け込んだのでした。ユダの思いは、イエス様がイスラエルの王として君臨し、自分はその弟子として高い地位につき、経済的な祝福が与えられるということだったでしょう。しかし、イエス様の関心は、弱い人々や貧しい人々、病める人々でしたので、ユダの思いは満足できずに、イエス様が自分とっては、役に立たない存在だと判断したのです。ユダは、イエス様を裏切りますが、ユダから見れば、むしろ自分こそイエス様に裏切られて、夢や希望を台無しにされた被害者だという思いで一杯だったでしょう。太宰治の「駆け込み訴え」という小説は、ユダの目からイエス様を描き、ユダの満足いかないイエス様の態度や言葉に、自分が裏切ることにするのでした。

 イエス様は、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と言われました。イエス様は「とどまりなさい。」と言って、ユダの手をつかんで、とどめませんでした。ユダの裏切りを甘んじて受けようとするイエス様の決意なのでしょう。人間には、神様の愛を受け取る自由も拒否する自由も与えられているのです。イエス様は無理やり従わせようとはなさいません。ユダが自分の意思でご自分のもとにとどまることを望んでいたのでしょう。イエス様の言葉は、他の弟子たちには意味が分からず、ユダに用事を頼んだぐらいに思っていたのです。30節には、「ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。」とあります。イエス様の命がけの最大の愛に対して、それを拒み去って行くことが暗闇、夜なのです。

 三、イエス様に愛されたように愛し合う

 新共同訳聖書の31節の前には、「新しい戒め」という表題があります。新しい戒めは、ユダが出て行った後に語られたものです。30節に「夜であった。」とありますが、単に時刻を表したものではなく、光がない時、全てが闇に閉ざされる時、希望がなく、目標や目的が失われるのです。十字架を前にして、そういう暗闇を迎える所で、イエス様は弟子たちに語られるのです。私たちも、暗闇や絶望を経験する時があります。しかし、そのような絶望を経験する時にこそ、聞くべき言葉があるのです。そのような時でしか、味わえない恵みというものが確かにあるのです。祝福の時にも失う命があり、失意や病気、絶望の中にこそ輝く命が確かにあるのです。

 31節、32節には、「さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。」とあります。「栄光」とは、与えられるもの、受けるものであるということです。栄光は、自分自身で獲得したり、奪い取るというものではありません。父なる神様が、御子イエス様によって、栄光を受けられ、御子イエス様は父なる神様によって、栄光をお受けになるのです。父なる神様と御子イエス様は、栄光を与え合う関係にあるということです。栄光を受けるとは、罪を背負う十字架につけられれるということです。

 34節、35節には、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」」とあります。イエス様は、互いに愛し合うことを「新し戒め」と言われました。今までにも愛するということはあったでしょう。レビ記19章18節には、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」とあります。イエス様は、「わたしがあなたがたを愛したように」と言われたのです。先生であり、主であるお方が、弟子たちの足を洗うという形で愛されたように、「あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と言われるのです。しかし、私たち人間には、もともと愛はありません。イエス様が十字架にかかり、尊い血を流し、命をささげて下って新しい時代を開いて下さいました。だからこそ、私たちはイエス様が私たちを愛して下さったように、私たちが愛し合う世界が訪れたのです。それは神様の恵みなのです。私たち人間の側の努力ではなく、神様の業である十字架を通して神様に愛されていること、イエス様に愛されていることを知る時に、おのずと隣人を愛せるように神様が導いて下さるのでしょう。愛さなくてはならないと努力するのではなく、イエス様に出会い、イエス様に触れられる時、イエス様の愛が私の上に注がれていることを感じるとき、私たちは隣人を愛さずにはおれなくなるのです。イエス様は、ご自分を裏切るユダをどこまでも愛されました。裏切られても裏切られても、イエス様は愛さずにはおられないお方なのです。相手の態度で変わるお方ではありません。その愛でイエス様はユダを見つめ、その愛で私たちを見つめていて下さるのです。この愛で愛されていることを信じ、感じて私たちが愛し合うならば、私たちがイエス様の弟子であること、イエス様を信じる者であること、クリスチャンであることを知るようになるとイエス様は約束されたのです。「あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認める」と口語訳聖書や新改訳聖書は記してあります。ユダの裏切りは、イエス様にも弟子たちにも、この後大きく影響するのでしょう。ペトロの裏切りも、他の弟子たちが逃げてしまうことも大きなことです。しかし、それがどのように大きなものであっても、神様の愛、イエス様の愛の前には小さなものに過ぎないのです。私たちは自分の罪深さ、弱さ、醜さを痛いほどに感じますが、それ以上に、神様の愛の深さ、愛の大きさ、愛の広さを強く体験したいと思うのです。

 Ⅲ結論部

 ユダの心は、サタンに支配されていたので、イエス様の洗足の出来事、仕え合うという教えを聞いた時、余計に心が離れたようにも思うのです。これ以上ついていけないという思いがあったのでしょう。「サタンが彼の中に入った。」とはそういう意味もあるのでしょう。イエス様は、ユダを愛するがゆえに心を騒がせる中、ユダを責め、問い詰めることもなく、出て行かせたのです。イエス様は、愛する者にそむかれるという苦しみを味わう中で、ユダが再び帰ってくる余地をあちこちに残しておられたのです。かつてクリスチャンであった人々は、信仰から離れ、教会から離れている方々が多くおられます。イエス様は、その方々がイエス様から離れて行かれたことを苦しみ味わわれました。ご自分の尊い血を流し、命をささげたことに痛みを覚えておられるのでしょう。しかし、イエス様は、その方々をなお愛し続け、愛し抜かれるお方なのです。イエス様は、今も、いつまでもあなたを待っておられるのです。

 弟子たちの群れは、この世と変わらない裏切りや世的な祝福を願った集まりでした。聖い人たちの集まりではありませんでした。しかし、この世の集まりと違うのは、イエス様がそこにおられた。イエス様が中心におられたということです。キリスト教会は聖人の集まりではありません。そこには、この世と同じような、つまずきやえこひいきや分裂や裏切りさえもあるのかも知れません。裏切りというは、仲の悪い者同士や敵対する間には存在しないのです。信頼関係があり、愛のある所に裏切りは存在するのです。

 私たちは、ユダのように、自分の思い通りにならないこと、祈りが答えられないこと、祝福されないことで、イエス様を必要ないと切り捨ててしまうのでしょうか。たとえ私たちがイエス様を切り捨てようとも、イエス様の愛は変わらずに私たちに注がれ続けているのです。イエス様はそんな私たちをさえ、愛してやまない、この上なく愛し抜かれるお方なのです。何があっても、このイエス様の愛を疑わないでいたいのです。何があろうとも、絶望を経験しようとも、イエスの愛を信じて、愛をいただいて、互いに愛し合う者として生き、愛し合うことを通して、キリスト者であることを多くの人々に認めていただきたいのです。私たちはイエス様に愛されていること、私たちはイエス様に愛されるために生まれたことを覚えて、信じて、イエス様と共に今週も歩んでまいりましょう。

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日曜礼拝(24年3月3日)

2024-03-03 12:39:16 | Weblog

日曜礼拝(受難節第三)       2024.3.3

         「劇的な最後の晩餐」 ヨハネ13:1~17

 

 Ⅰ導入部

 おはようございます。3月の第一の日曜日を迎えました。2024年も3月を迎えました。1月は行き、2月は逃げ、3月は去るのでしょう。月日の経つのも早いもので、2024年も、あと302日を残すにもとなりました。私たちは、受難節を迎えてイエス様の十字架の苦しみを日々覚えながら歩んでいます。しかし、今日は復活を記念する日、喜びの日ですから、受難節の中には数えられません。十字架の先にある復活の恵みを覚えて、み言葉に目を留めたいと思います。今日はヨハネによる福音書13章1節から17節を通して、「劇的な最後の晩餐」と題してお話いたします。

 Ⅱ本論部

 一、人間的な弟子を最後まで愛されるイエス様

 洗足の記事は、ヨハネによる福音書だけに記されているものです。また、ヨハネによる福音書には、マタイ、マルコ、ルカのよる福音書にある聖餐式の制定の記事はありません。 

1節には、「さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」とあります。先週は、イエス様が「人の子が栄光を受ける時が来た。」と語られて一粒の麦が地に落ちる、つまり、ご自分の命をささげるということを見ました。イエス様は、「この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り」と3年と少しの間、共に歩んで来た弟子たちとの最後の食事に望みます。「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」とあり、この3年と少しの間、イエス様は、イエス様の言葉や行動をなかなか理解できない弟子たちを愛してこられましたが、この最後の時までイエス様は弟子たちを愛し、愛し抜かれるのです。2節には、「夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。」とあります。悪魔、サタンは、ユダの横にいて手取り足取りして、イエス様を裏切らせるのではありません。「イエスを裏切る考えを抱かせていた。」とあるように、心に、思いに、誘惑を与えて実行させるのです。ユダの心には、サタンによってイエス様を裏切る考え、思いを抱かせていたので、ユダの心は揺れていたのでしょう。

3節を見ると、「イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、」とあります。「父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと」とありますが、新改訳聖書第三版には、「父が万物を自分の手に渡されたこと」とあります。イエス様は、父なる神様から万物を治める権威を委ねられたのです。イエス様は、この権威をもって弟子たちを権威者として教えたというのではなく、弟子たちを愛し抜かれ、弟子たち一人ひとりの足を洗うという行動をされるのです。ルカによる福音書22章24節には、「また、使徒たちの間に、自分たちのうちで誰がいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。」とあります。最後の晩餐の席でさえも、弟子たちの話題は、「誰がいちばん偉いか」ということでした。この話題は、常に弟子たちの間で論争されていたようです。ですから、弟子たちの中には、足を洗うという行動はありませんでした。弟子たちの中には、しもべの役、奴隷の役、足を洗うという役を進んで行う者は、誰もいませんでした。イエス様は、いつも愛すること、仕えることを教え、実践してこられましたが、イエス様の弟子たちは、イエス様の権威ある言葉や力ある業を見た多くのイスラエルの人々と同じように、イエス様は、ローマの圧政から解放してくれる政治的な救い主として捉えていたように、弟子たちもまた、自分たちの先生であるイエス様の権威ある言葉をそばで聞き、力ある業をまじかで見ていたので、イエス様を政治的な救い主、王として期待し、自分たちは、イエス様に仕える最高幹部として立つことを夢見ながら、誰が一番偉いのか、誰がイエス様の左右に立つのかと、日々議論していたのです。イエス様の十字架を前にしての苦しみ、悲しみ、痛みをよそに、弟子たちは自分たちの名声、権威を望んでいたのです。実に権威を与えられたイエス様は、与えられた権威を用いて何かをするというのではなく、権威とは正反対の行動に出るのです。

 二、謙遜の背後に傲慢があるペトロの姿

 4節、5節を見ると、「食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。」とあります。過ぎ越しの食事をし、歓談の中、イエス様は弟子たちが思っても見なかった行動に出ました。食事の席から立ち上がられると何をするかと思いきや、上着を脱がれました。「上着を脱ぎ」の「脱ぐ」という言葉は、普通服を脱ぐには使用しない言葉、原語ではティセミーという言葉が使用されています。他の個所では、この言葉はイエス様が命を捨てるの「捨てる」という表現で使われているようです(ヨハネ10:11.15.17.18)。ヨハネは、イエス様が上着を脱ぐという時、この言葉(ティセミー)を用いることによって、すでにイエス様の十字架を暗示させているように思うのです。ここにある「手ぬぐい」とは、日本にある短いものではなく、奴隷が腰に巻くと長く垂れるようなものでした。「手ぬぐいを取って腰にまとわれた。」とは、奴隷の姿になられたということです。「それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。」とあり、イエス様は奴隷と同じ姿となり、奴隷と同じやり方で弟子たちの足を洗われたのです。

 食事の席に招かれた人は、入り口で奴隷に足を洗ってもらって家の中に入ります。足を洗う仕事は奴隷の仕事でした。イエス様は、「父が万物を自分の手に渡されたこと」を知りながらも、奴隷の姿で、奴隷がするように弟子たちの足を洗われたのです。神であるお方が、最も低くなられたのです。弟子たちはびっくりしたことでしょう。衝撃的な出来事でした。イエス様に足を洗っていただく弟子たちの思いはどのようなものだったでしょうか。

 6節から8節を見ると、「シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。」とあります。ペトロは、他の弟子たちがイエス様に足を洗われるのをじっと見ていたのでしょう。自分の番になって、先生であるイエス様が弟子の自分の足を洗うことを拒否します。イエス様は、ペトロがイエス様の行動に対して理解できないでいることを分かったうえで、

わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われたのです。「私の行動が今は理解できないけれども、後でわかるから私の行動を受け入れるように」ということなのでしょう。けれどもペトロは、「わたしの足など、決して洗わないでください」とイエス様が自分の足を洗うことをきっぱりと拒否するのです。今理解できなくても、納得いかなくても、イエス様の行為を受けるべきでした。するとイエス様は、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と言われたのです。水で足を洗うとか洗わないで、イエス様との関係がなくなってしまうことが決まるとはどういうことなのでしょう。イエス様は、洗うという行為に大切な意味を込められていたのだと思うのです。

 三、問題のある者、罪ある者を変わらずに愛されるイエス様

 私たちは、神様、イエス様の行為を素直に受け入れているのでしょうか。ペトロの「わたしの足など、決して洗わないでください」という言葉には、ペトロの謙遜という傲慢な思いがあるように感じるのです。自分の足はイエス様に洗ってもらう必要はない。私たちは、自分の醜い部分、見せたくない部分は自分で何とかしようとします。自分の事は自分で解決できるという考えが心に潜んでいるのです。教会は、清い人、聖人の集まりだと思っている人もいるようです。初めて教会に来た人や求道中の方々にはそう見えるようです。教会の顔は信仰的、霊的に見えるのかも知れません。しかし、教会はむしろ罪人の集まりなのです。私たちは、問題があるままで、罪を持ったままでイエス様の前に出ることが赦されているのです。あるがままの私をあるがままでイエス様は愛して下さるのです。教会とはそういう場所なのです。背伸びする必要もなく、良く見せる必要もないのです。もう少し、聖書を学んでからとか、もう少し教会生活を送ってからとか信仰が成長したらと考える必要はないのです。私たちは、イエス様の行為、十字架と復活によって罪が赦されるということを素直に受け入れ、信じたいと思うのです。

 ペトロは足を洗わなければ、イエス様との関係がなくなると聞いて、9節を見ると、「そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」とあります。洗うことがイエス様との関係を深めるなら、「全身お願いします。」とイエス様との関係の最高のレベルを求めたのです。10節、11節には、「イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。」とあります。イエス様は、水浴した者は、足だけ洗えばよいと言われました。水浴とは、神様に立ち返り、イエス様の属する者、クリスチャンになる洗礼を示しています。洗足は、キリスト者として生きる中で、日々犯す過ちや罪を悔い改めて、イエス様に告白し、洗われることを示しているようです。水浴した弟子たちは、ユダを除いて神様から清いと言われたのです。イエス様は、ユダを分け隔てなく、差別することなく、他の弟子たちと同じようにユダの足を洗われたのです。イエス様は、ユダを最後まで愛し通されたのでした。イエス様はユダにされたように、罪深い私たち、弱い私たち、自己中心的な私たちを愛して下さる。この上なく愛し続けて下さるのですから、そのままの姿で、ありのままの姿でイエス様の所に行こうではありませんか。

 12節には、「さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。」とあります。「上着を着て」の「着る」(ランバノー)という言葉は、他の個所では「得る」と訳されている言葉です。先ほどの上着を脱ぎの「脱ぐ」は、「捨てる」という意味で、イエス様は十字架で命を捨てること、上着を「着る」という行為はイエス様の復活を示していると言えるようです。

 Ⅲ結論部

 イエス様の弟子たちの足を洗うという行為は、弟子たちへの模範として行われました。15節には、「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」とあります。イエス様は弟子たちが、「誰がいちばん偉いのか」と論じ合う中で、奴隷の立場となって弟子たちの足を洗われたのです。本来、天の御座におられるお方が、神であるお方が、その地位や立場の痕跡を見えないほどにして弟子たちに仕えられたのです。イエス様は弟子たちが、イエス様の模範に従って生きていくようにと最後の最後で身をもって教えられ、見せられたのです。

 イエス様はペトロに、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われました。ペトロや他の弟子たちには、イエス様の洗足の行為の意味が全く分かりませんでした。理解できませんでした。しかし、「後で、分かるようになる」と言われたのです。本当に大切なものは、時間をかけないとわからないものなのです。聖書の言葉も、神様のなさることも、そういう面があるのだと思うのです。私たちはイエス様の十字架と復活を信じます。神様の深い愛を信じます。けれども、私たちが経験する事柄の中には、神様の愛を感じられないことがあります。神様に文句をいいたいと思う出来事を経験します。苦しい事、悲しい事、辛い事を経験します。神様を信じます、と簡単には言えない出来事が確かにあるのです。弟子たちのイエス様の洗足の意味が理解できたのはイエス様が復活し、イエス様が天に帰られ、聖霊が与えられてからでした。人間の考えや思いでは理解できないのです。聖霊の導きと助けがないとわからないのです。イエス様が十字架と復活を通して私たちを愛していて下さることは理解でき信じることができます。その愛を私のための愛として、信じていきたいのです。イエス様の愛をいただいて、その愛を隣人に実践する時、イエス様の模範のように、隣人に仕えていく時、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われたイエス様の言葉を信じて、今の痛みや苦しみ、絶望さえも、私たちのことを一番わかっておられるイエス様にお任せしていきたいのです。神様に全てを委ねていきたいと思うのです。

 私たちの今の痛みを苦しみを、悲しみを誰よりも知っておられるイエス様は、今もあなたの傍らにおられます。ですから、この週もイエス様に全ての重荷を委ねて、イエス様の前に重荷をおろして、イエス様に支えられて歩んでまいりしょう。大丈夫。イエス様はあなたを大切に思っておられ、あなたを深く愛していて下さるのです。

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