「最悪に思える状況に置かれたときに思い出して欲しいこと」
エレミヤ書29:1〜14(新共同訳)
Ⅰ導入部
- みなさま、おはようございます。本日このように、久しぶりに、ご一緒に礼拝を捧げられることを心より感謝いたします。メッセージに入る前に一言、お祈りさせていただきます。
- 本日のメッセージのタイトルは、「最悪に思える状況に置かれたときに思い出して欲しいこと」というものです。私たちは、人生のなかで、私たちは辛く、苦しい状況に置かれることがあります。それが、自分自身の状況であることもあれば、自分の周りの人、特に愛する人が、辛く、苦しい状況に置かれるとき、それは自分がそのような状況に置かれるよりも、辛く、苦しく感じることと思います。
Ⅱ本論部
一.バビロン捕囚の苦しさ、辛さ
- 本日の箇所は、「バビロン捕囚」という、非常に苦しい、辛い状況のなかにあった、本日のタイトルにもしていますが、まさに「最悪な状況」のなかにあったイスラエルの民に向けて、エレミヤという預言者が書いた手紙の一部です。
- 4節をご覧ください。
29:4 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。
- イスラエルの人々は、バビロン帝国という国との戦争に負け、バビロンに連れて行かれました。それを「バビロン捕囚」と言うのですが、なぜそんなことになったかというと、イスラエルの民が、神様に向かって罪を犯したからです。
- 戦争に敗れ、すべてを失い、バビロンに連れて行かれた。悔しかったでしょう。自分たちなんてダメだ、って思っていたことでしょう。自分に失望したことでしょう。
- あるいは、神様への失望、神様への「怒り」もあったことでしょう。なぜなら、「わたしが送った」とあるように、この出来事の背後には神様がいたからです。
- だからこそ、神様、なんでですか。そりゃあ、私たちも悪かったかもしれない。でも、ここまでひどい状況に置かなくてもいいんじゃないですか?神様に何度も「助けてください」って祈った。それなのに、なんで何もしてくれないんですか?どうせ神様なんて…。そのように思ったことでしょう。
- 私たちも、日常のなかで、失敗をした、罪を犯してしまった、そのような経験をすることがあります。そして、その結果、起こったことについて、自分に失望することが、神様に失望することがあると思います。
二.神の計画はロングスパンである
- そのような彼らに主が、エレミヤを通して語ったことが、5節からです。
- 5節、「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい」。今いる場所に、しっかり腰を据えて、その場所で生活しなさい、誠実に働きなさい。彼らは、一日でも故郷に帰りたいんです。それなのに、その場所で生活しなさい、誠実に働きなさいと語る。
- 6節には、「妻をめとり、息子、娘をもうけ」とあります。家族を持つと、引っ越しが大変です。動きにくくなります。もし、すぐにイスラエルに帰るのであれば、独身でいた方が良いでしょう。現代は、独身者が増えている時代だと言われますが、聖書は独身の祝福を語っています。ただ、ここで主が語っているのは、すぐには帰れないのだから、結婚して良いんだ。そして、もし子どもが与えられたなら、信仰を伝え、増えなさいということでした。
- そして、7節、「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい」。バビロンは敵の国です。バビロンに家族を殺されたという人もいたことでしょう。本当ならこんなところにいたくないんです。早く故郷に帰りたいのです。
- でも、バビロンに留まり、バビロンの平安を、繁栄を求めて祈りなさい、そこで働き、結婚し、子育てをしなさい。そして、なんと、バビロンのために祈りなさいと言うのです。
- これは、イスラエルの民にとっては、あまり嬉しくない、微妙なメッセージだったことでしょう。なぜなら、繰り返しますが、彼らとしては、早く故郷に帰りたいからです。早く苦しみから、辛さから、失望から、あるいはこの最悪の状況から解放されたい。
- しかし、神様の計画はそうではなかった。10節をお読みします。
29:10 主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。
- その前の8、9節には偽物の預言者たち、占い師たちが全然違うことを言っていたということが書かれています。少し前の28章には、ハナンヤという偽預言者が、二年でイスラエルに帰れるのだと言ったことが書かれています。偽預言者たちは言ったのです。すぐバビロンからイスラエルに帰れるよ!すぐ状況は変わるよ!
- それに対して、エレミヤが言ったのは、そんな甘いことばに騙されてはいけない。七十年という、長い長い期間が、あなたたちには必要なんだ。七十年を経て、あなたたちは初めてイスラエルに、約束の地に戻ることができる。だから、今はバビロンで生きなさい。
- イスラエルの民は思ったことでしょう。いやいや、今のこの状況をなんとかしてほしいんだ。そんな先まで待てない。早くなんとかしてほしい!
- そのように思うのは、ある意味で当然です。そして、そのような「嘆き」や「願い」を正直に祈ることも大切なことです。正直に祈るその祈りを主は聞いてくださっていて、時に、神様が速やかに問題を解決してくださることもあります。
- しかし、多くの場合、何かが変わったり、解決したり、納得したりするのには時間がかかるのです。イスラエルの民は、七十年かかったのです。神様の計画はロングスパンなのです。長い期間をかけて、分かることがあるのです。
三.将来と希望を与える計画
- 11節をご覧ください。
29:11 わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
- 主は言われたのです。あなたたちの目の前には「災い」しか見えないかもしれない。しかし、わたしは、長い時間をかけて、それを良いものに変える。あなたたちは、平安を与える計画のなかに、将来と希望を与える計画のなかに入れられている。
- 12節からをお読みします。
29:12 そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。
29:13 わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、
29:14 わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。
- 旧約聖書全体にわたって、イスラエルの民がずっと陥ってきた罪、それは「偶像崇拝」という罪です。自分たちを救った神ではなく、別の神を拝むという裏切り行為です。
- 私たちが、旧約聖書読むとき、逆に面白くなるほど、イスラエルの民は、何度悔い改めても、同じ罪に陥っています。どうして変わることができないのか、と思わされます。しかし、バビロン捕囚という大きな苦難のなかで、イスラエルの民から、偶像崇拝が消えます。
- 大きな苦しみのなかで、彼らは、この箇所にあるとおり、神様を「呼」んだのです。神様のもとに「来て」、「祈り求め」た、「尋ね求め」たのです。「心を尽くして」、神を「求め」たのです。
- さらに、このエレミヤ書をはじめとする聖書を研究し、それがやがてシナゴーグという、今でいう教会のような場所につながっていく。
- もちろん、そのなかからファリサイ派、律法学者たちが生まれ、逆に律法主義という罪に陥っていくという意味では、人間の罪の深さを思いますが、少なくとも、苦しみのなかで、彼らをずっと支配してきた一つの問題が解決したのです。
- 神様は、バビロンという、最悪に思えた場所で、イスラエルの民に「出会」ってくださいました。最悪に思える状況のなかでこそ、味わえる恵みがある。その場所だからこそ、「見いだ」すことができる主の素晴らしさがあるのです。
III結論部
- でも、それは、このときの彼らには分からないのです。まだ見えない。彼らに語られているのは、それはどんな風にか、ということは分からない。でも、あなたがたには平和を、平安を、将来と希望を与える計画が用意されている。将来と希望を与える計画のなかに、あなたがたは入れられている。
- だからこそ、主はイスラエルの民を招くのです。「家を建てて住み」。自暴自棄になることなく、焦ることなく、今、置かれている状況のなかで、遣わされている場所で、落ち着いて、ゆっくり、丁寧に生きなさい。それで良いんだ。やがて分かる日が来る。ゆっくりで良い。神の計画はロングスパンだから。あなたは、平安と将来と希望を与える主の計画のなかにすでに入れられているから。
- 私たちにも、主は、今も語ってくださっている。焦ることなく、今、置かれている場所で、遣わされている場所で、落ち着いて、ゆっくり、丁寧に生きよ。大丈夫だ。あなたにどんな弱さが、失敗があったとしても、それすらも凌駕する、将来と希望を与える計画が用意されている。主はあなたの必要を確かに備えてくださる。
- そして、終わりの日、イエスさまがもう一度この地に戻ってこられるとき、約束の地に、「約束しませる家に、帰」ることができる。私たちにとっての本当の故郷である神の国を、この地に来らせてくださる。そのとき私たちは、神様のご計画は完璧だったと分かる。私たちの罪も、失敗も、悪も、それすらも良いものに変えてくださった。「物事すべてを良き」ものにしてくださった。すべての苦しみに、意味があった。「君に守られた今日まで来」た。本当に、神様の計画は確かに素晴らしいものだったと、分かる日が来る。
- だから、安心して、今週も、それぞれの場所に遣わされていきたいのです。最悪に思える状況に置かれたとき、思い出していただきたいのです。あなたは、将来と希望を与える計画のなかに入れられている。そのことを信じてほしい。主の御計画に信頼して、落ち着いて、ゆっくり、丁寧に、遣わされた地で、「救い主イエスとともに行く」歩みへと、主はあなたを招いておられる。
- この招きに、あなたはどう応えるでしょうか。お祈りしましょう。