江上環礼拝説教

日本ナザレン教団青葉台教会礼拝説教

日曜礼拝(23年1月29日)

2023-01-29 20:05:51 | Weblog

イエスさまは、どんな方   マタイ3:16~4:11   1,29

  • 今朝の箇所は、イエスさまの公生涯―公的活動―の開始の時の話です。バプテスマのヨハネから洗礼をうけます。すると、聖霊が天から降ってきて、「わたしの愛する子、わたしの心にかなうもの」という声が天から聞こえたとあります。神の子としての歩みが始まるということです。いわばマリアの子から神の子へと活動が移ったのです。罪のないイエスさまは、何故、洗礼を受けねばならなかったのでしょうか。3:15で、イエスさまが洗礼をうけるのを止めたヨハネに「正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです」と言っています。父なる神に従う姿勢なのだと思います。
  • そのあとすぐに、聖霊に導かれて悪魔の誘惑の試練を受けます。公生涯の初めに試練とは驚きですね。父なる神がしたことなのです。信仰深く、正しい人ヨブが悪魔の試練をうけたことを思い浮かべます。この誘惑の試練を通して父なる神は、イエスさまが何者であるのかを明らかにしているのだと思います。悪魔の誘惑により3つの試練を受けます。
  • イエスさまは、40日間、昼も夜も断食したとあります。そのためかなり空腹だったと。その時に第1の誘惑、試練を受けます。悪魔は3節で「神の子なら、これらの石がパンになるよう命じたらどうか」と言います。人の弱みにつけこむやり方ですね。目の前の、自分の欲望、必要を満たす誘いです。今でも、自分の欲望を満たしたいために金銭にまつわる汚職、わいろ等の報道は絶えることなくあります。金銭欲だけでなく、名誉欲、高い地位、人の評価を得たい、他人を上回りたい等、自分の欲望を満たしたい思いは誰にでもあるでしょう。これがすべて悪いとも言えないのですが、そのことが目的になり偶像化することが問題なのだと思います。弟アベルを殺したカインも神の低い評価に嫉妬したことが原因です。イエスさまは、即座に、自分の欲望ではなく、神に従うことを伝えます。4節で「人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」と言います。申命記8:3に「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」とある言葉の引用です。ここにイエスさまが自分のために生きるのではなくて、すべてを神にゆだね、従順に従っていく姿が見えます。
  • 第2の誘惑・試練は、5節で、悪魔がイエスさまを神殿の屋根の端に立たせて、飛び降りてみよ、天使があなたを支えると書いてあるのだからと、神の言葉を使い迷わせるのです。詩編91:11~12に「主はあなたのために、み使いに命じてあなたの道のどこにおいても守らせてくださる。彼らはあなたをその手にのせて運び足が石に当たらないように守る」という言葉があります。この言葉を引用して迷わせているのです。イエスさまと父なる神の信頼を迷わせようとするものです。アダムとエバを迷わせた蛇も同じ仕方ですね。本当に奇跡が起こるかどうか試してみろという誘いでもあります。イエスさまは、自分のために奇跡をしたことはありません。イエスさまは申命記6:16の「あなたの神、主をためしてはならない」との、み言葉で対抗します。み言葉に対しみ言葉で返しているのです。イエスさまが、公的活動開始以来したことは、長いあいだ病で苦しんでいる人、貧しい人、虐げられている人等、当時の社会で疎外されている人々のところに降り、その方々のために奇跡を起こしたのです。ルカ4:18に「主が私を遣わしたのは,捕らわれている人に開放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年をつげるためである」と言っています。まさにその通りですね。当時の社会で、いわば下方にいる人々に向かって活動しているのです。マザーテレサが、死に行く人人のそばにいて、包帯を巻き替えたり、手を握ってやっている姿を見てなんと無駄なことをしていると批判した人がいたそうです。ナイチンゲールがクリミヤ戦争で、負傷兵たちの看護を初めてしたとき、邪魔者扱いにされたそうです。ヘンリーナウエンというカトリックの司祭で、学者であった有名な人がいました。多くの著書があるので読んだ方も多いと思います。彼は、イエール大学やハーバード大学という有名大学の教授で、評判の高い人でした。彼はイエスさまが、権力とか社会的評価を捨て徹底的に無力な姿となってこられ、下に降りていく姿に気づき、自分もそれに倣うべきと思い、すべを捨てて知的障害者の施設で働いた人でした。彼は「イエスさまの生涯は、自分の人生を自分の思い通りに操作しないことが、人間の在り方として大切であることを教えている」と言っています。皆イエスさまの生き方に倣った人々でした。まさにイエスさまは、社会から疎外され苦しんでいる人々を憐れみ、恵みを与え福音を伝えるためにこの世に来たのです。
  • 最後の誘惑は、悪魔がイエスさまを高い山に連れていき、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて「もしひれ伏して、私を拝むならこれをみんな与えよう」と言います。この世の政治的支配、権力への誘惑です。イエスさまは、申命記6:13の「あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、そのみ名によって誓いなさい」を引用し、「あなたの主である神を拝み、ただ主に仕えよと書いてある」といって悪魔の誘惑を拒否します。世にはこの種の誘惑は多いですよね。お金持っている人、地位のある人、権力ある人の周辺には人が集まるのをよく目にします。イエスさまの弟子たちは、イエスさまのなさったことを見て、ローマの支配から救ってくださる政治的指導者であることを期待したのです。ペテロですら、十字架の意味さえ聖霊が降るまでわかっていなかったのです。容易ならざる人間の根本的問題ですね。5000人に食べ物を与えたとき、人々が自分を王とするため連れて行こうとしているのを知り、一人で山に退かれたとあります(ヨハネ6:15)。イエスさまの公生涯の前半は、人々を教えたり、癒しをしたりと積極的な活動をしますが、ゲッセマネでの祈り、ユダに裏切られとらえられた後は、主に従順に従い、反論もせず、何も語らなくなります。わたしたちの罪を贖い、救い、永遠の命を与えるために、当局の調べ、裁判に何ら反論することなく、その使命だけを果たすことに従順に従っていったのです。まさにフィリピ2:8に「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」とあるように行動したのです。私たちも、イエスさまにすべてを明け渡し,従って生きたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜礼拝(23年1月22日)

2023-01-24 11:45:05 | Weblog

聖書:ルカによる福音書4章14-30節             23/01/22青葉台教会説教

説教題:「神のみ言葉を聞いた時」                          満山リベカ

                                                   皆様、おはようございます。

本日は、久しぶりに青葉台教会に来ることができ、皆様にお会いできて、とてもうれしいです。

イエス・キリストは、ヨルダン川で洗礼を受けられた後、荒野において四十日四十夜の断食をされ、神の霊、聖霊に満たされて、ガリラヤ地方からいよいよ、宣教をスタートされました。それが、今日開かれた聖書箇所ですね。人々は、ユダヤ教の律法学者のようではない、恵みと愛に満ち溢れたイエスの教えを聞いて、皆感動したのでした。そしてイエスは、ご自分の育った故郷の町ナザレに来られました。

4:16「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり(・・・・・・・)安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった」とあります。イエスは子供の時、エジプトからナザレに帰られましたが、その頃から安息日には必ず会堂、私たちでいう教会に行かれていたことがわかります。

この世界、天地宇宙のすべてを造られ、私たち人間一人一人をも造って下さった唯一の神を礼拝し、神のみ言葉である聖書を学び、神の家族である人々との交わりを深くするということは、私たちクリスチャンの責任であり、義務でもありますが、それ以上に、何よりすばらしい最高の特権なのです。
さて当時のユダヤ教の会堂では、お祈りがあり、聖書朗読があり、それに基づいて短い話がされていました。今日の私たちのキリスト教会のように、専任の牧師はいません。イエスの名声がすでにナザレにも伝わっていたので、会堂の管理者が、イエスに聖書を読んでくださいとお願いし、イエスにイザヤ書の巻き物が手渡されたのでした。

ルカ4章 18—19節、

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」。

イエスはイザヤ書の61章1、2節を読まれました。ここには、父なる神が御子イエスを救い主として
この世に遣わされた目的が書かれているのです。その目的とは、罪の力に捕らわれている人に解放を、
また暗い心の目を開き、悩みに打ちひしがれている人を自由にするという、喜びの福音を、貧しい人に告げ知らせるためです。この「貧しい人」とは、貧困という意味ではなく、虚しい、空っぽという意味です。つまり、心が貧しい人とは、自分の弱さ、足りなさを、謙虚に認めることができる人のことで、
そういう人は、神に信頼する生き方ができるので、天国は彼らのものであると、イエスは言われます(マタイ5:3)。イエスが聖書を読み終えて席に着かれると、会堂にいるすべての人の目が、イエスに注がれました。何事かを期待する目でした。

当時のユダヤは、ローマ帝国の植民地であり、ローマ帝国への税金と、住んでいる地域ユダヤの領主への税金と、二重に払わなければならず、人々はとても苦しんでいました。もし税金を払えなければ、妻や子供を売り、それでも払えなければ牢屋に入れられたのです。

さらには、多くの人々は自分の土地を持っていない農民だったので、地主に収穫の半分以上を取り立てられていました。ですから人々の手元に残るものは少なく、豊作の時でさえ食べてゆくのがやっと、不作の時は食べるものがなく飢えて、病気になれば死ぬばかりでした。そんな苦しい状況だったので、ユダヤの人々は、旧約聖書で預言されていた救い主メシアをひたすら待ち望み、この生活が変えられる日を、心から願っていたのです。

そんな人々が見つめる中で、イエスは4:21「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき実現した」と言われました。つまり、イエスはこう宣言されたのです。「あなた方の借金はすべて帳消しになり、苦しみから解放される主の恵みの年を知らせるために、父なる神から油を注がれた私が、今ここに来ているのです。私が、約束の救い主なのですよ」。

それを聞いた人々は感動して「イエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚」(4:22)きました。

しかし次の瞬間、ナザレの人々は、「いや俺たちは、イエスを子供時代から良く知っているぞ。あの大工ヨセフの息子じゃないか」。「イエスは良いことを教えてはくれるが、俺たちと同じ、ただの人間じゃないか」と思って、結局、イエスの言葉を受け入れませんでした。

これは、昔も今も、イエス・キリストを本当には理解していない人々が、同じように言う言葉です。

イエス・キリストは立派な人だ、偉人だ、宗教家だ、愛の人だと、どんなにポジティブな評価をしても、それ以上の真実を見出さないなら、それはイエスに対して、間違った不十分な理解なのです。

イエスは、ただ立派な、歴史上の偉人なのでなく、神の御子であり、すべての人を罪から救うために人間としてこの地上にお生まれになった救い主なのです。
イエスがカファルナウムという町で、病気の癒しなどの奇跡をされたと噂を聞いていたので、ナザレの人々はその奇跡が見たいと願っていました。

イエスはこの箇所で信仰を求められていますが、人々が求めたのは、病気の癒しなどの奇跡、貧しさからの解放、税金からの解放、ローマの支配からの解放でした。

では彼らは、イエスが病気の癒しなど奇跡をされるのを見たら、本当にイエスが神の子救い主であると信じたでしょうか。答えはいいえです。イエスの言葉を聞いて信じようとしない人は、
たとえどんな奇跡を見ても信じないものです(16:31)。

現代でも多くの人々が、宗教に求めるものは、癒しなどの奇跡、家内安全、商売繁盛、合格祈願、縁結び、子宝祈願など、仏教用語でいうところの、御利益ではないでしょうか。多くの人は、神を信じると良いことがあるから信じるのです。教会でも、神が癒してくれない、祈りを聞いてくれないと思った時、がっかりして教会を去っていく人が、結構いるのが現実です。

ナザレの人々は「なんだよ、すごいと評判だから来てみたのに、イエスは奇跡をやってくれないのかよ。神のみ言葉を信じなさいだけかよ。がっかりだ」と文句を言ったのです。

救い主が、この世に来られた目的は、食べ物の問題や、病気の癒しや、生活の苦しみを助けるという事以上に、人間の根本問題である、罪からの救いの為に、私たち人間の罪をイエスが自ら背負われて、私たちを罪から解放する為でした。神にとって、罪と死、永遠の滅びから、私たちを救うということは、最優先事項なのです。なぜなら、私たち人間のこの地上での生涯はとても短く、長くてもせいぜい120年位ですが、人は死んでそれで終わりではなく、死後、永遠の世界があるからなのです。すべての人は、生きているうちに死後の備えをしなくてはならないのです。
イエスは、旧約聖書に登場する2人の有名な預言者の話をされました。エリヤとエリシャです。この二人は共に、イエスの時代から900年以上も前に、神の預言者として、当時の北イスラエルに遣わされましたが、イスラエルの人々は彼らの言葉に耳を傾けず、彼らを尊ぼうともしませんでした。イエスはこの2つの例を挙げて「このように神の救いはイスラエル人の上を通り過ぎてしまい、異邦人へと伝えられたのは、なぜでしょう。あなた方イスラエルの人々が、頑固で、神のみ言葉を全く聞こうとしなかったからです」とはっきりおっしゃったのです。

ユダヤ人たちは、自分達は神に選ばれた民であり、終わりの日に救われるのは自分たちで、異邦人は滅ぼされると考えていたので、他民族のことを徹底して軽蔑していました。しかしイエスが、神に救われるかどうかは、その人が神を求めるかどうかにかかっているのであって、たとえユダヤ人であっても、神を求めなければ救いはなく、その時、救いは異邦人に移されると言われたので、ナザレの人々は、選ばれた民としてのプライドを傷つけられ、激しく怒りました。

「何を言うか、この若造が!イエス、お前は、ただの大工の息子のくせに偉そうに、なにが救い主だ!お前が救い主のはずがないだろ!神を冒涜するな!それに神は、私たちユダヤ人の神であって、異邦人の神ではない!!!」彼らは激昂し、つまりブチ切れてイエスを追い出し、町の外の山の崖まで
引っ張っていって、イエスを突き落として殺そうとしました。

「しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた(4:30)」のです。ここにイエスの、威厳ある姿が描かれています。イエスはナザレの人々の不信仰に驚かれ(マルコ6:1-6)、ここでは奇跡もほとんどなされず、その後、ナザレの町に再び訪れることはなかったようです。ナザレの人々の、イエスの言葉を受け入れなかった不信仰と拒絶は、最後的な、決定的なものとなったのです。これはかなり厳粛なレッスンだと言えますよね。

神は、旧約時代の預言者達を用いて、イスラエルの民に何度も何度も語りかけられました。またイエス・キリストによって、まずユダヤ人たちに語られました。そして21世紀の今日でも、私たちが手にするこの聖書によって、神は人々に語りかけておられます。また聖書のみ言葉を語る主の働き人を用いて、また賛美歌や、クリスチャンの証しや交わり等、あらゆるものを通して、神は私達に語りかけておられます。

神のみ言葉を聞いた時、私たちの反応は2通りあります。心を開いて受け取るか、心を閉ざして拒絶するかです。神のみ言葉を聞いた時、ただ音声として聞くのではなく、心を開いて受け取る時、その人は救い主イエス・キリストと個人的に出会うことができます。「イエス様の十字架でのお苦しみは、他でもない、この私の罪の為だったのだ。罪深い私をどうぞお赦しください。私を救う為、イエス様が十字架にかかって死んで下さったこと、死後三日目に復活されたことを信じます。どうぞ今、私の心に入ってきて下さい」と祈る時、神はあなたの犯したすべての罪を赦してくださいます。

イエスを信じた瞬間に、神の霊である聖霊様が信じた人の心に住んでくださり、一生涯聖霊様は決して離れず、私たちを支えてくださるのです。

イエスを救い主と信じた時、私たちと神との間にあった、汚れた罪が取り除かれ、私たちと神との縦の関係が正常となり、神と和解できます。神との縦の関係を和解してから、次は横の関係、周りの人々との人間関係です。神の愛をたくさん受け取ることによって、私たちの心は神の愛でいっぱいになります。お風呂の水を入れ続けると、いっぱいになりやがてあふれ出すように、神からいただいたその愛があふれ出し、周りにいる人々に、自然に愛を流していけるようになるのです。

また、父なる神の愛のその大きさがわかってくると、神の愛に応えたくなってきます。私を愛してくださる神を愛したい、自分ではなく神を喜ばせたい、神の御心が知りたい、神に近づきたいと願うようになります。

ヨハネの手紙第一5章 3節、

「神を愛するとは、神の掟を守ることです」。

神を愛するとは、恋愛のドキドキのような、何か感情的な、気まぐれな不安定なものではありません。

神を愛するとは、意志です。決心が必要です。神を愛するとは、神のみ言葉に従うことを意味します。

神を愛するならば、つまり、神のみ言葉に従うならば、私たちは神の愛の中にずっととどまることができるのです。しかし、神のみ言葉を聞いた時、このナザレの人々のように心を閉ざし拒絶する人は、もしかしたら罪から救われる機会をそれきり失ってしまうかもしれません。

また注意点なのですが、愛なる神は、神を愛する人に良いものを惜しまれません。恵みも祝福も癒しも平安も豊かに与えて下さり、あなたに必要な助けや力も与えて下さるお方です。しかしだからと言って、私たちは、神御自身よりも、御利益ばかり求めてはいないでしょうか?
例えていうなら、もしあなたが誰かと付き合う時に、相手から「あなたと付き合うとメリットが多いから付き合ってください」と、言われたとしたら、全然うれしくないと思います。そうではなく、「あなた自身を愛しているから、付き合ってください」と言われたいはずです。神も同じです。

神はあなたを、心から愛してくださっています。その愛の大きさは、大切な一人子を、あなたの身代わりに十字架につけるほどです。神は、御利益ではなく、神ご自身を求めてほしいと、願っておられるのです。私達が、神ご自身を求め、神のみ言葉に従って日々歩んでいく時、心に与えられた聖霊様によって、私たちの心は徐々に変えられ、きよめられていきます。神の御心は、私達が聖なる者となることなのです(1テサロニケ4:3)。

私たちクリスチャンは、イエスを信じ、すべての罪を赦されましたが、その後いつの間にかこの世の価値観に染まり、神を求める情熱の炎が弱くなってしまっては、いないでしょうか。また長引くコロナ禍で、どの教会も、対面での礼拝がしにくい状況があります。私の教会、藤沢ナザレン教会でも、毎週の礼拝をyou tubeでライブ配信させていただいております。オンラインで、自宅で礼拝ができるなんて、とても画期的で、大変便利で、病気や介護など様々なご事情があって教会に来ることができない方々に、とても喜ばれています。教会に来たくても来ることができない人もいるのです。ただ、オンライン礼拝が当たり前となってしまい、なんとなく教会から足が遠のき、心も神から離れてしまっては、それは問題ですよね。私たちはクリスチャンであっても、私はもう救われているから大丈夫だと胡坐をかき、気がついたら心の王座に、神ではなく自分が座ってしまっては、いないでしょうか。神を喜ばせることよりも、自分を喜ばせる方を、いつも選び取ってしまってはいないでしょうか。もしそうであるならば、選ばれた民ということに傲慢になり、神のみ言葉に耳を傾けず、拒絶したこのナザレの人々と、
私たちも、同じではないでしょうか。

私達がこの世に生きている限り、この世には、悪魔の存在があることを知っておく必要があります。神に逆らった悪魔は、永遠の滅びが確定しているので、悪魔は一人でも多くの人間を、滅びの道連れにしようと人間を、特にクリスチャンたちをいつもつけ狙っているのです。人を神に近づけようとする働きは、聖霊様の力です。一方、人を神から引き離そうとする力は、悪魔の力なのです。悪魔は、クリスチャンたちをつまずかせ、罪を犯させ、信仰を弱らせ、なんとか神から離れさせようとあの手この手で、襲い掛かってきます。悪魔の攻撃は恐ろしいおっかないものではありません。悪魔は魅力的に見える誘惑で私たちに迫ってくるのです。イエスを信じ、洗礼を受け、初めは心が燃えていた人も、何かによってつまずき、だんだん信仰が弱っていき、教会をよく休むようになり、だんだん来なくなり、いつの間にか信仰のない人たちと変わらない生活をしてしまっている人が、どれだけ多いのでしょうか。それは、悪魔の策略に、まんまと引っかかってしまっているのです。

イエスを信じた人は、心に与えられている聖霊様の働きを通して、罪を拒み、み言葉によって生きる力が与えられます。しかし、私たちはクリスチャンであっても悪魔の誘惑に負けて、思いや言葉や行動において、神を悲しませる罪を犯してしまうことがあるのです。正直なところ、一日のうちで、何度もあると思います。
しかし、ヨハネの手紙第一1:9にこう約束されています。私たちクリスチャンが罪を犯しても、その罪を神に告白すると、神は真実で正しい方であるので、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

悪魔の策略に対抗する為、つまり霊的な戦いに日々勝利する為の秘訣は、神のみ言葉への信頼です。

神のみ言葉を聞いた時、自分に関係のないものとして聞く時、その言葉は私たちを通り過ぎます。しかし、神のみ言葉を自分への語りかけとして聞く時、その言葉は私たちを生まれ変わらせる力を持ちます。私たちは、毎週日曜に教会で礼拝するだけではなく、自ら聖書を開き、聖書を読んで神の思いを知り、毎日神に従って生きるのです。

そして、毎日神に祈ることです。祈りは神との会話です。祈りは、お風呂に入りながら、歩きながら、トイレの中でもどこでもできます。私たちも一日に何度も祈りによって神に話しかけ、悔い改めや感謝を伝え、自分の悩みや願いを聞いていただき、神から圧倒的な愛と、知恵と、平安、心の満たしを受け取るのです。
今もイエスは「私のもとに来なさい」と両手を広げてあなたを招いておられます。傲慢で頑なな心ではなく、砕かれた貧しい心で神に悔い改め、イエスを信じ、罪の赦しを受け取りましょう。また最近、神と離れてしまっていた、もしくは神ご自身ではなく神からの御利益だけを願っていたと思う方がおられるならば、今、悔い改め、神のもとに立ち返りましょう。

私たちは生きている限り、何度でも神の元に立ち返ることができるのです。

神から私たちの手を離すことは決してありません。神から離れる時は、必ず私たちから手を離し、去って行っているのです。

私たちは、かつては真実が見えませんでしたが、イエスによって霊の目を開けていただき、
罪の奴隷でしたが、解放されました。先に神の愛を知り、イエスを通して救いを与えられた私たちは、
自分自身から目を離し、周りの人々の苦しみや悩み、孤独、痛みに目を向けましょう。
そして、神からいただいた愛と、思いやりを持って助けの手を差し伸べ、一人でも多くの人が神の愛に触れることができるように、自分は何をすべきかを祈りながら、行動に移してまいりましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜礼拝(23年1月15日)

2023-01-16 08:50:43 | Weblog

2023.1.15奨励 

タイトル 「心を一新していつも喜び絶えず祈る」

聖書箇所 ローマ12:1~2 Ⅰテサロニケ5:16~17

 

神学生 吉武 良司

 

新しい年も二週間が過ぎ、今年も残すところ350日となりました。先週は江上先生が残り357日と言っていましたので一応言っておきます。ロシアとウクライナ、コロナウィルスとの戦いは続いていますが、慣れてくると最初の時の衝撃や危機感が薄れてきた様に感じます。戦争は激化し、戦術核使用の危機にあります。黒い雨が降る前に、武器ではなく知恵による解決を願います。コロナは、ニューヨークで検出された変異株XBB.1.5(ワンファイブ)が、過去の免疫とワクチンを回避して1、2週間で倍増するようです。日本でも先週確認されてから急激に増えています。マスクと黙食に加えて、飛沫が飛ばない鼻呼吸を意識したいと思います。油断しないように気をつけて行きましょう。

 

今朝は礼拝で心が一新されて、その心のまま、一日、一週間、一カ月、一年を過ごして行けたらと願います。示された御言葉は、ローマ書12章1節と2節、Ⅰテサロニケ5章16節と17節でした。「心を一新して」とタイトルにありますが、「一新して」は、ギリシャ語聖書では、メタモルフューステという単語です。これは「変えられる」という意味で、受動態になっています。自分で変えるのではなく、神様によって変えられるという事です。そして、心が一新されたら、その心を保ち続けて、いつも喜び、絶えず祈り、神様と繋がっていたいと思います。神様がいつも共にいて下されば、悪魔は入り込む隙が無くなり、誘惑に陥ることがないとパウロは言っています。

 

今日の御言葉のⅠテサロニケの箇所ですが、その次の5章18節に、「どんなことにも感謝しなさい。」とイエス様は望んでおられます。喜びと祈りと感謝は三つセットになっているように思います。喜んでいないと感謝もなく、感謝のお祈りも出来ないからです。新しい年、心を新たに、どんな事にも感謝できる人間を目指したいと思います。11月末から朝、神学校の周りの落ち葉清掃を矢野神学生と雨の日以外していますが、たばこの吸い殻、ジュースの容器、お菓子のビニール、食べ残しのパンなどが捨てられていて、最初は二人で文句を言いながら掃除していました。ある時このゴミの「どこに感謝があるか」を矢野さんと考えましたが、今のところ答えは出ていません。「そこに愛はあるんか」と似ていますが「どこに感謝があるんか」です。

 

ローマ書12章1節に、「神の憐みによって」とありますが、「憐み」は辞書では、可哀想に思うとか、気の毒に思う気持ちと書いてありますが、「神の憐み」は、無限の愛の偉大さです。ヨハネ3章16節の「愛」です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」この「愛」です。神様はイエス様の十字架と復活を通して、永遠の愛と永遠の命を私たちに与えて下さいました。希望が与えられて、励まされ、慰められ、聖霊と信仰が与えられて、喜びと平安があります。この恵みに感謝して、祈り、賛美し、神様をほめたたえ、私たちの体と心の全てを神様に献げる礼拝がなすべき礼拝であるとパウロは言っています。

 

ヨハネ4章24節に、「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」と書いてあります。創世記4章に、カインとアベルの礼拝の記事がありますが、「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。カインは献げ物として土の実りを持って来た。アベルは、肥えた羊の初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった」とあります。カインは怒り、弟アベルを襲って殺してしまいました。カインには信仰と心がなかった現れです。神様は、信仰と心を持って献げたアベルの羊とその血の献げ物を受け入れましたが、信仰と心のないカインの献げ物は受け入れませんでした。信仰と心のない礼拝は形式的で義務的礼拝です。神様はそれを見抜いています。真の礼拝は、神様を中心に奉げる礼拝という事ですね。

 

心が一新されると、2節の「何が神の御心であるか、何が善いことで神様に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」と書いてありますが、これもギリシャ語聖書でススケーマティゼステと言う単語で、「順応させられる」という受動態です。心が一新されると、聖霊の力によって知恵が与えられて、それが分かるように順応させられるという事です。そして、Ⅰテサロニケ5章16、17節の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」を心に留めて置きたいと思います。しかし、罪を犯すのが人間です。日常生活の中では、試練や困難、苦しみ痛み、悩み悲しみもあります。人それぞれ大小さまざまあると思いますが。その時その時に絶えず神様に信頼してお祈りする事で、神様は最善を時に適って為さって下さいます。大切なのは信頼して祈る事です。毎週の礼拝と日々の祈りで心の一新を保ち続けて行きたいと思うのであります。

 

去年神学校に入学し、ジョン・ウェスレーの講義が始まりました。ウェスレーはイエス・キリストを信仰の土台として、感謝に満ち溢れ、隣人愛を実践しました。神学校に入るまでは、ウェスレーの事は全く知りませんでした。神学校校長の坂本誠先生は、下北沢教会の牧師であり、ジョン・ウェスレーの研究者でもあります。まずジョン・ウェスレーの日記の英書購読を通してウェスレーの生き様とその姿に感銘を与えられました。坂本先生の著書も参照させて頂き、ウェスレーについて少し紹介させて頂きたいと思います。

 

ウェスレーは、1703年にロンドンのエプワースで、牧師の家庭の19人兄弟の15番目として生まれ、母スザンナにより、で親に歯向かわないようにしつけられ、厳しい教育を受け、神様の御心に適う子供となりました。神様を愛して生きる人生の尊さを学び、メソジスト信仰復興運動の創始者となりました。讃美歌作者の弟チャールズ・ウェスレーと英国全体に聖書的、福音的な恵み、信仰、悔い改め、義認、聖化の真理をもたらしました。信仰復興運動の大波は、ロンドンから溢れ出て、英国中の何千もの村落、町、市、そして大西洋を越えてアメリカの植民地まで広まって行きました。

 

僕も牧師の家庭で、両親は厳しく、母に叩かれ、父に殴られ育ちました。ウェスレーのように神様の御心に適う子供にはなりませんでした。小学校1年の最初の理科のテストで0点を取ってからハタキで鞭のように叩かれました。はっきり覚えていますが、テストは魚の絵に括弧が振ってあり、ひれの名称を記入する問題でした。幼稚園に行っていないし、教えてもらっていないので魚という以外分かりませんでした。ひれ自体知らないのに、背びれとか尾びれとか胸びれとか解る訳がありません。それなのに、母は、ハタキの柄を鞭のようにしならせ、全身を叩きました。その時は、なぜ叩かれるのか理由が分かりませんでした。

 

イエス様は十字架につけられる前に鞭で打たれました。それを教えるためだったのかもわかりません。ただ完全にハタキの使い方を間違っていると思います。一度母になぜ叩くのか聞いたことがありますが、「聖書には鞭で叩け」と書いてあるというのが答えでした。聖書の悪用ではないかと思います。父は怪我をすると「ふざけるな」と言って殴りました。交通事故で車にはねられた時も「ふざけるな」と言って病院で顔面を殴りました。当時は愛のムチとか言う言葉がありましたが、絶対違うと思います。ひとつ言える事は、叩いても殴っても成績は上がらないという事です。今は痛みを教えてくれた恵みに感謝しています

 

1709年、ウェスレーの父サムエル・ウェスレーの家が火事になりました。すでに飼い犬2匹と牛が殺されて2階の窓から子供たちが助けを求めています。3歳の弟チャールズとほかの兄弟は助け出され、6歳のウェスレーだけ取り残されました。ウェスレーは絵本を読んでいるうちに眠りこんでいました。父サムエルは水をかぶり家の中へ駈け込もうとしましたが、火は回っていて、「あなたが死んでしまう」と周りに止められました。母スザンナは、誰かジョンを助けて下さいと狂ったように叫び、気を失いそうになっていました。

 

 ウェスレーは、「ゴーッ」という音で目を覚まし、神様が天からの軍勢を送って家を守って下さると思いました。赤い炎は全ての家具をなめつくし、煙が喉に流れ込んで来ました。ウェスレーは窓に駆け寄り、「お父さん、お母さん」と泣き叫びました。2階は高すぎて飛び降りられません。駆けつけた教会員たちが人はしごを作り、2階の手摺りに届く時に下の一人がつまずき、人はしごは崩れ落ちました。2回目の人はしごでウェスレーは無事に抱きかかえられて地面に下ろされました。その瞬間に家が崩れ落ちました。我に返った父サムエルは、「皆さん神様に感謝しましょう。家はどうか放っておいて下さい」と言って祈り始めました。母スザンナは、ウェスレーに神様があなたを炎の中から助けて下さった。「この事を忘れないで」と、ウェスレーの髪をなでながら言うのでした。この時の特殊な体験で、ウェスレーは神様からの使命を自覚しました。

 

このロンドンの北にあるエプワースの町は、なだらかな丘と川の間にある水濠地帯で美しい自然に囲まれていました。この地域に住む人たちは、喧嘩好きで貪欲で、昼間から酒を飲んで賭博をしていました。楽しみは、人をからかい、政治や教会の事で新しいニュースがあると興奮して大声で騒ぎ立てる事でした。当時の英国はジェームス1世の統治下にあり、国教会は堕落した聖職者たちで乱れ、キリスト教に対する不信が国中に渦巻いていました。権力者が弱い者を虐げ、貧民が溢れ、犯罪は日を追って増えていました。絞首刑が広場で行われながらも、殺人、強盗、放火などは無くなりませんでした。これが18世紀の英国の時代背景です。

 

11歳の時にウェスレーは、父の友人のバッキンガム侯爵の援助で、ロンドンの名門チャーターハウス校に入学しました。品行方正でよく勉強するウェスレーは教師から可愛がられました。これを妬んだ級友たちに、あの手この手で嫌がらせを受けました。ウェスレーはそんな彼らを恨む事をせず、校長に訴える事もせず一人で耐え忍んでいました。ある時食事の時間に乱暴な上級生におかずをよこせと脅されました。無視をするとテーブルの下で、すねを蹴られ、おかずを横取りされました。それから毎日おかずを取られましたが、ウェスレーは告げ口をせず、4年間をおかずなしの食事を続けました。ここで、この状況の中で「どこに感謝があるか」を考えて見ると、ライスだけでも食事が出来た恵みだったのかも知れません。

 

またある時は、ウィリアム・ホーキンスというクラス一の乱暴者に教科書を隠され、返してもらえず、教師に教科書をどうしたのか聞かれました。すると、隠すところを見ていた生徒がホーキンスが隠したことを教師に言いました。ホーキンスは青ざめて震え、処分が決まるまで教室に来なくてよいと言われて机に身を伏せて泣き出しました。ウェスレーは、ホーキンスの家が貧しいことと父親がレンガ職人の仲間を傷つけて刑務所に入っている事を知っていました。ウェスレーの胸に何とも言えない同情とあわれみが湧き上がって来ました。徐々に隣人愛の心が芽生えて来ました。

 

ウェスレーは立ち上がり、「先生実は僕が教科書をあそこに忘れて来ました。ホーキンスではありません」と言ったのです。ウェスレーは教師から鞭で打たれ、授業が終わるまでドアの外に立たされました。ウェスレーは友人の心の痛みを一緒に分かち合い、喜んで苦痛に耐えました。これが、悲しむ者、苦しむ者と重荷を共に背負った最初の体験となりました。

 

ここはイエス様が十字架につけられた時の「父よ彼らをお赦しください。」が思い起こされます。ウェスレーはいつもイエス様と共にいました。授業が終わるとホーキンスは、ウェスレーに「ごめん許してくれ」と駆け寄りました。ホーキンスはウェスレーに「友達になってくれ」と手を差し出し、ウェスレーも「ああ喜んで」と手を差し出したのでした。この後ウェスレーに意地悪をしたり、悪口を言う者は一人もいなくなりました。人間はついつい人の悪口や陰口を言ってしまいます。この時は、ヨハネ8:7の「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石をなげなさい。」を思い出したいものです。だれも人の悪口や陰口を言える人は一人もいないのです。

 

高等学校を卒業したウェスレーはオックスフォード大学に入学しました。ある晩、寮の2階の部屋のドアを誰かが叩くので、開けてみると大学の門番が立っていました。落としたウェスレーの手帳を届けてくれたのです。お礼を言い、ウェスレーはこの門番とこの時から親しくなりました。色々話をするようになり、門番が素晴らしい信仰を持っている事に気が付きました。いつの間にか夜になるとウェスレーは門番小屋を訪れ、語り合うのが楽しみとなりました。門番は床に座り、ウェスレーには一つしかない椅子を勧めていました。

 

門番はウェスレーに聖書の話をしました。「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、わたしにはなんの楽しみも無いというようにならない前に、また日の光や月や星の暗くならない前にそのようにせよとね」門番は諭すように続けました。「あなたくらい若い時は、一番いい時です。でも今しっかり勉強しておかないと、あっと言う間に時は過ぎてしまいますよ。わしは学問も無く、お金も一文も無い哀れな男ですが、感謝でいっぱいです。このとおり神様があふれるばかりのお恵みを下さっていますから」とコヘレトの言葉から話しました。

 

ウェスレーは小屋の中を初めて見渡すと、椅子と毛布と粗末なベッドのほかは何一つありませんでした。この人は何も持っていないけれどこんなに心豊かで、あふれるばかりの感謝と喜びを持って生活していました。ウェスレーはこの時にはっきりと悟りました。自分は神の前に潔い生活をするために召されているのだという事を。これが後に設立するメソジスト教団の信条になったのでした。

 

1726年5月、ウェスレーはリンコルン大学の特待生に選ばれました。成績がずば抜けて優秀であったので、ゆくゆくは大学に残り学者か教授になるだろうと期待されましたが、健康のすぐれない父サムエルを助けるために副牧師となりエプワースに帰ったのでした。エプワース村は前と少しも変わらず、村人は昼間から酒を飲み、賭博をしていました。  

ウェスレーが帰ってきたことを知った村の人々はたちまち憎悪の目をウェスレーに向けました。日曜日になると彼らはぞろぞろと教会にやって来ました。説教を聞く為ではなく、ウェスレーをからかいヤジを飛ばすためでした。説教が始まるといっせいに口笛を吹いたり罵倒して楽しんでいました。ここの「どこに感謝があるか」それは、理由が何であれ教会に来てくれているという感謝です。僕はこの感謝に気づきませんでしたが、江上先生に熱く教えて頂きました。

 

罵倒されながらもウェスレーは落ち着いて説教が終わると最後にこう言いました。「私は確信します。信仰復興の運動がこの暗黒の地、腐敗しきった英国において起こる事を」イエス・キリストにおいて必ずそうなるというウェスレーの確信がありました。「くだらない事を言うな、帰れ」と石を投げつけられ、ウェスレーの額に当たりました。血が噴き出す額を押さえて、しばらくうづくまっていました。再び立ち上がると、病床にいるはずの父サムエルが会堂の扉の所に立ち説教を締めくくりました。「人には出来ないが、神にはお出来になる。私は今はっきりと確信します。近い内にきっとこのエプワース村が新しく生まれ変わるということを」父サムエルはウェスレーを連れて教会の庭に出ると、そこには若木になったばかりのさんざしの木が柔らかな芽をつけていました。

 

サムエルはウェスレーに「この木を覚えているかい。これは昔、芽を出しかけた時に火事になって焼けてしまったのさ。ところが焼け跡から再び芽を出し、今ではこんなにしなやかで美しい芽をつける木に育った。人の目にはわからないが神様はすべてを益として下さるのだよ」ウェスレーは「ああ、本当ですお父さん」と答えました。3年間父を助けて説教をし、村人たちは少しずつ感化されて行きました。ウェスレーは20代30代の若者と交わり、言葉を交わすようになりました。彼らは生活に希望が見いだせず、将来の夢も無くただぶらぶらと毎日を過ごしていました。集団になると悪い事をする者も、一人一人向き合えば、それぞれ孤独で悩める心を持っている事が分かったのでした。ウェスレーは、言葉では無く行いによって彼らに感化を与えたいと考えました。これを無言の感化と言います。こういう姿を目指したいと思うのであります。

 

ウェスレーは4時に起きて勉強し、朝食をとってから村人と畑仕事をしました。坂本先生はウェスレーのこの4時起きを実践しています。そのため夜は9時に寝るそうです。ウェスレーは、畑仕事が終わると、村を訪問し、病人を見舞い、悩んでいる者の相談相手となり、夕食後は集会に出かけ、帰ると深夜まで勉強する生活をしました。いつしか村人の間から悪い習慣が消えて行きました。人の悪口も無くなり、けんかや殺人も無くなりました。代わりに賛美の声が農家から流れるようになり、挨拶の中に祈りの言葉が織り込まれるようにさえなりました。これこそが、神様の御業にほかなりません。最善を時に適ってなされました。

 

メンバーであり友人のモルガンが、ただ聖書を読み、共に祈るだけでなく社会に出て隣人愛を実践して行こうと提案しました。一同はその言葉に打たれて、集会の合間にこの町に住む病人や身寄りのない人々を訪ねて慰める事から始めました。街の中央通りから一歩裏に入ると恐ろしい世界が展開していました。酒によってけんかをする者、組になってスリをする者、うずくまっている体の不自由な者、お金をせびる子供たちがいました。町中にむっとするような悪臭が漂っていました。

 

そうした中で家々を訪ねる内に、誰からも面倒を診てもらえずに一人わらの寝床に横たわる病人や、大勢の子供を抱えてどん底の生活をしている者が多い事にウェスレーたちは衝撃を受けました。ウェスレーたちは病人の枕もとで聖書を読み祈りました。また、生活に疲れた者には、イエス・キリストの愛と暗い世にあっても尚、望みを持って生きるべき事を伝えました。罵声を浴びせられたり石を投げられたりもしましたが、神の慰めの言葉はこれらの人々の心に少しずつ入って行きました。

 

この集会が始まって1年ほどが経った頃ホイットフィールドが入って来ました。ホイットフィールドはイエス・キリストの恵みを証して注目を集めました。しばらくするとこの集会は大きく盛り上がり「ホーリークラブ」という名がつけられました。その名が示すようにこの会の趣旨は神に喜ばれる潔い生活をすることにありました。8月24日、「ホーリークラブ」のメンバーが集まって祈っているうちに、一同は神の愛に迫られ、心が熱く燃え立つのを覚えたのでした。この心が熱くなる感じが聖霊が内側に臨んだ証しと思います。

 

さて、大学内では讃美歌が響き渡るようになり、教授や一部の学生から「耳障りだよ」と苦情が出始めました。「ホーリークラブ」が盛んになるにつれ大学内では反感が強まり、奇妙な人たちが会議室を独占し、裏町の道徳的でない人たちと交わり、世話までしている事に我慢出来なくなっていました。悪口を言い、真似をし、はやし立てるのが習慣になっていました。そして、メソジスト(几帳面屋)とあだ名を付けました。

 

その頃ウェスレーたちは、一人の大工の臨終をみとるために裏町の家にいました。その大工は仕事中に屋根から滑り落ち大怪我をして助かる見込みがなく、床に横たえられていました。妻と娘がよりすがり泣いていました。ウェスレーは、その男の上にかがみ込み、手を握り、聖書を読みました。ヨハネ14章1~2節です。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。」男は胸の上で十字を切り、ウェスレーはその意味を悟り、水を準備してもらい洗礼を授けました。すると男の顔が変わり、平和と喜びに満たされ、遠くの空を仰ぐように目を上げました。そして、ウェスレーの方を見て笑い、息が止まりました。

 

僕の父も8年前に召天しましたが、笑った顔のまま硬直していたので、死んでいるようには見えませんでした。その最後の表情が今でも心に残っています。大工の男の口から最後に幸福そうな吐息が漏れました。ウェスレーは、娘の手を握り締めて、「お父さんは神様を信じて平安の内に天に召されたのです。あなたもイエス様を信じていたら、また天国でお父さんに会えますからね」と伝えました。

 

 ホイットフィールドたちは、小銭を集め「これを葬式の費用にして下さい。」と集まった1ポンドほどを渡して家を出ました。外にいた学生たちから「よう、メソジストたち、几帳面屋たち」とはやし立てられました。この時ウェスレーたちは、このあだ名を喜び、教団の名前にしたのでした。「ホーリークラブ」という小さな祈りのグループは、やがて伝道と社会事業によって暗黒の英国に光をもたらしました。その中には神様の不思議な摂理がありました。「メソジスト教団」はこうして生まれ、活動の第一歩を踏み出しました。刑務所伝道、病院や孤児院、炭坑の町での教育活動など、社会から見捨てられた人々に向けて力強く福音を宣べ伝えました。その人たちの生活の支援をし、地獄のような英国の無法地帯に、神様の恩寵の光が差し込んだ瞬間でした。

 

ウェスレーの話はここまでにします。最後に今日の御言葉をもう一度読んで終わりたいと思います。まずローマ書からです。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐みによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に傚ってはなりません。むしろ心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」次はⅠテサロニケです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」

 

2023年の毎週の礼拝が、心が一新されて、自分自身のすべてを献げて礼拝し、神様に信頼し期待して、現実がどうであれ、ウェスレーのようにイエス様がいつも共にいて下さり、いつも喜び、祈り、感謝を現す姿をもって、クリスチャン生活を日々歩んで行きましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜礼拝(22年1月15日)

2023-01-16 08:46:55 | Weblog

2023.1.15奨励 

タイトル 「心を一新していつも喜び絶えず祈る」

聖書箇所 ローマ12:1~2 Ⅰテサロニケ5:16~17

 

神学生 吉武 良司

 

新しい年も二週間が過ぎ、今年も残すところ350日となりました。先週は江上先生が残り357日と言っていましたので一応言っておきます。ロシアとウクライナ、コロナウィルスとの戦いは続いていますが、慣れてくると最初の時の衝撃や危機感が薄れてきた様に感じます。戦争は激化し、戦術核使用の危機にあります。黒い雨が降る前に、武器ではなく知恵による解決を願います。コロナは、ニューヨークで検出された変異株XBB.1.5(ワンファイブ)が、過去の免疫とワクチンを回避して1、2週間で倍増するようです。日本でも先週確認されてから急激に増えています。マスクと黙食に加えて、飛沫が飛ばない鼻呼吸を意識したいと思います。油断しないように気をつけて行きましょう。

 

今朝は礼拝で心が一新されて、その心のまま、一日、一週間、一カ月、一年を過ごして行けたらと願います。示された御言葉は、ローマ書12章1節と2節、Ⅰテサロニケ5章16節と17節でした。「心を一新して」とタイトルにありますが、「一新して」は、ギリシャ語聖書では、メタモルフューステという単語です。これは「変えられる」という意味で、受動態になっています。自分で変えるのではなく、神様によって変えられるという事です。そして、心が一新されたら、その心を保ち続けて、いつも喜び、絶えず祈り、神様と繋がっていたいと思います。神様がいつも共にいて下されば、悪魔は入り込む隙が無くなり、誘惑に陥ることがないとパウロは言っています。

 

今日の御言葉のⅠテサロニケの箇所ですが、その次の5章18節に、「どんなことにも感謝しなさい。」とイエス様は望んでおられます。喜びと祈りと感謝は三つセットになっているように思います。喜んでいないと感謝もなく、感謝のお祈りも出来ないからです。新しい年、心を新たに、どんな事にも感謝できる人間を目指したいと思います。11月末から朝、神学校の周りの落ち葉清掃を矢野神学生と雨の日以外していますが、たばこの吸い殻、ジュースの容器、お菓子のビニール、食べ残しのパンなどが捨てられていて、最初は二人で文句を言いながら掃除していました。ある時このゴミの「どこに感謝があるか」を矢野さんと考えましたが、今のところ答えは出ていません。「そこに愛はあるんか」と似ていますが「どこに感謝があるんか」です。

 

ローマ書12章1節に、「神の憐みによって」とありますが、「憐み」は辞書では、可哀想に思うとか、気の毒に思う気持ちと書いてありますが、「神の憐み」は、無限の愛の偉大さです。ヨハネ3章16節の「愛」です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」この「愛」です。神様はイエス様の十字架と復活を通して、永遠の愛と永遠の命を私たちに与えて下さいました。希望が与えられて、励まされ、慰められ、聖霊と信仰が与えられて、喜びと平安があります。この恵みに感謝して、祈り、賛美し、神様をほめたたえ、私たちの体と心の全てを神様に献げる礼拝がなすべき礼拝であるとパウロは言っています。

 

ヨハネ4章24節に、「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」と書いてあります。創世記4章に、カインとアベルの礼拝の記事がありますが、「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。カインは献げ物として土の実りを持って来た。アベルは、肥えた羊の初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった」とあります。カインは怒り、弟アベルを襲って殺してしまいました。カインには信仰と心がなかった現れです。神様は、信仰と心を持って献げたアベルの羊とその血の献げ物を受け入れましたが、信仰と心のないカインの献げ物は受け入れませんでした。信仰と心のない礼拝は形式的で義務的礼拝です。神様はそれを見抜いています。真の礼拝は、神様を中心に奉げる礼拝という事ですね。

 

心が一新されると、2節の「何が神の御心であるか、何が善いことで神様に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」と書いてありますが、これもギリシャ語聖書でススケーマティゼステと言う単語で、「順応させられる」という受動態です。心が一新されると、聖霊の力によって知恵が与えられて、それが分かるように順応させられるという事です。そして、Ⅰテサロニケ5章16、17節の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」を心に留めて置きたいと思います。しかし、罪を犯すのが人間です。日常生活の中では、試練や困難、苦しみ痛み、悩み悲しみもあります。人それぞれ大小さまざまあると思いますが。その時その時に絶えず神様に信頼してお祈りする事で、神様は最善を時に適って為さって下さいます。大切なのは信頼して祈る事です。毎週の礼拝と日々の祈りで心の一新を保ち続けて行きたいと思うのであります。

 

去年神学校に入学し、ジョン・ウェスレーの講義が始まりました。ウェスレーはイエス・キリストを信仰の土台として、感謝に満ち溢れ、隣人愛を実践しました。神学校に入るまでは、ウェスレーの事は全く知りませんでした。神学校校長の坂本誠先生は、下北沢教会の牧師であり、ジョン・ウェスレーの研究者でもあります。まずジョン・ウェスレーの日記の英書購読を通してウェスレーの生き様とその姿に感銘を与えられました。坂本先生の著書も参照させて頂き、ウェスレーについて少し紹介させて頂きたいと思います。

 

ウェスレーは、1703年にロンドンのエプワースで、牧師の家庭の19人兄弟の15番目として生まれ、母スザンナにより、で親に歯向かわないようにしつけられ、厳しい教育を受け、神様の御心に適う子供となりました。神様を愛して生きる人生の尊さを学び、メソジスト信仰復興運動の創始者となりました。讃美歌作者の弟チャールズ・ウェスレーと英国全体に聖書的、福音的な恵み、信仰、悔い改め、義認、聖化の真理をもたらしました。信仰復興運動の大波は、ロンドンから溢れ出て、英国中の何千もの村落、町、市、そして大西洋を越えてアメリカの植民地まで広まって行きました。

 

僕も牧師の家庭で、両親は厳しく、母に叩かれ、父に殴られ育ちました。ウェスレーのように神様の御心に適う子供にはなりませんでした。小学校1年の最初の理科のテストで0点を取ってからハタキで鞭のように叩かれました。はっきり覚えていますが、テストは魚の絵に括弧が振ってあり、ひれの名称を記入する問題でした。幼稚園に行っていないし、教えてもらっていないので魚という以外分かりませんでした。ひれ自体知らないのに、背びれとか尾びれとか胸びれとか解る訳がありません。それなのに、母は、ハタキの柄を鞭のようにしならせ、全身を叩きました。その時は、なぜ叩かれるのか理由が分かりませんでした。

 

イエス様は十字架につけられる前に鞭で打たれました。それを教えるためだったのかもわかりません。ただ完全にハタキの使い方を間違っていると思います。一度母になぜ叩くのか聞いたことがありますが、「聖書には鞭で叩け」と書いてあるというのが答えでした。聖書の悪用ではないかと思います。父は怪我をすると「ふざけるな」と言って殴りました。交通事故で車にはねられた時も「ふざけるな」と言って病院で顔面を殴りました。当時は愛のムチとか言う言葉がありましたが、絶対違うと思います。ひとつ言える事は、叩いても殴っても成績は上がらないという事です。今は痛みを教えてくれた恵みに感謝しています

 

1709年、ウェスレーの父サムエル・ウェスレーの家が火事になりました。すでに飼い犬2匹と牛が殺されて2階の窓から子供たちが助けを求めています。3歳の弟チャールズとほかの兄弟は助け出され、6歳のウェスレーだけ取り残されました。ウェスレーは絵本を読んでいるうちに眠りこんでいました。父サムエルは水をかぶり家の中へ駈け込もうとしましたが、火は回っていて、「あなたが死んでしまう」と周りに止められました。母スザンナは、誰かジョンを助けて下さいと狂ったように叫び、気を失いそうになっていました。

 

 ウェスレーは、「ゴーッ」という音で目を覚まし、神様が天からの軍勢を送って家を守って下さると思いました。赤い炎は全ての家具をなめつくし、煙が喉に流れ込んで来ました。ウェスレーは窓に駆け寄り、「お父さん、お母さん」と泣き叫びました。2階は高すぎて飛び降りられません。駆けつけた教会員たちが人はしごを作り、2階の手摺りに届く時に下の一人がつまずき、人はしごは崩れ落ちました。2回目の人はしごでウェスレーは無事に抱きかかえられて地面に下ろされました。その瞬間に家が崩れ落ちました。我に返った父サムエルは、「皆さん神様に感謝しましょう。家はどうか放っておいて下さい」と言って祈り始めました。母スザンナは、ウェスレーに神様があなたを炎の中から助けて下さった。「この事を忘れないで」と、ウェスレーの髪をなでながら言うのでした。この時の特殊な体験で、ウェスレーは神様からの使命を自覚しました。

 

このロンドンの北にあるエプワースの町は、なだらかな丘と川の間にある水濠地帯で美しい自然に囲まれていました。この地域に住む人たちは、喧嘩好きで貪欲で、昼間から酒を飲んで賭博をしていました。楽しみは、人をからかい、政治や教会の事で新しいニュースがあると興奮して大声で騒ぎ立てる事でした。当時の英国はジェームス1世の統治下にあり、国教会は堕落した聖職者たちで乱れ、キリスト教に対する不信が国中に渦巻いていました。権力者が弱い者を虐げ、貧民が溢れ、犯罪は日を追って増えていました。絞首刑が広場で行われながらも、殺人、強盗、放火などは無くなりませんでした。これが18世紀の英国の時代背景です。

 

11歳の時にウェスレーは、父の友人のバッキンガム侯爵の援助で、ロンドンの名門チャーターハウス校に入学しました。品行方正でよく勉強するウェスレーは教師から可愛がられました。これを妬んだ級友たちに、あの手この手で嫌がらせを受けました。ウェスレーはそんな彼らを恨む事をせず、校長に訴える事もせず一人で耐え忍んでいました。ある時食事の時間に乱暴な上級生におかずをよこせと脅されました。無視をするとテーブルの下で、すねを蹴られ、おかずを横取りされました。それから毎日おかずを取られましたが、ウェスレーは告げ口をせず、4年間をおかずなしの食事を続けました。ここで、この状況の中で「どこに感謝があるか」を考えて見ると、ライスだけでも食事が出来た恵みだったのかも知れません。

 

またある時は、ウィリアム・ホーキンスというクラス一の乱暴者に教科書を隠され、返してもらえず、教師に教科書をどうしたのか聞かれました。すると、隠すところを見ていた生徒がホーキンスが隠したことを教師に言いました。ホーキンスは青ざめて震え、処分が決まるまで教室に来なくてよいと言われて机に身を伏せて泣き出しました。ウェスレーは、ホーキンスの家が貧しいことと父親がレンガ職人の仲間を傷つけて刑務所に入っている事を知っていました。ウェスレーの胸に何とも言えない同情とあわれみが湧き上がって来ました。徐々に隣人愛の心が芽生えて来ました。

 

ウェスレーは立ち上がり、「先生実は僕が教科書をあそこに忘れて来ました。ホーキンスではありません」と言ったのです。ウェスレーは教師から鞭で打たれ、授業が終わるまでドアの外に立たされました。ウェスレーは友人の心の痛みを一緒に分かち合い、喜んで苦痛に耐えました。これが、悲しむ者、苦しむ者と重荷を共に背負った最初の体験となりました。

 

ここはイエス様が十字架につけられた時の「父よ彼らをお赦しください。」が思い起こされます。ウェスレーはいつもイエス様と共にいました。授業が終わるとホーキンスは、ウェスレーに「ごめん許してくれ」と駆け寄りました。ホーキンスはウェスレーに「友達になってくれ」と手を差し出し、ウェスレーも「ああ喜んで」と手を差し出したのでした。この後ウェスレーに意地悪をしたり、悪口を言う者は一人もいなくなりました。人間はついつい人の悪口や陰口を言ってしまいます。この時は、ヨハネ8:7の「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石をなげなさい。」を思い出したいものです。だれも人の悪口や陰口を言える人は一人もいないのです。

 

高等学校を卒業したウェスレーはオックスフォード大学に入学しました。ある晩、寮の2階の部屋のドアを誰かが叩くので、開けてみると大学の門番が立っていました。落としたウェスレーの手帳を届けてくれたのです。お礼を言い、ウェスレーはこの門番とこの時から親しくなりました。色々話をするようになり、門番が素晴らしい信仰を持っている事に気が付きました。いつの間にか夜になるとウェスレーは門番小屋を訪れ、語り合うのが楽しみとなりました。門番は床に座り、ウェスレーには一つしかない椅子を勧めていました。

 

門番はウェスレーに聖書の話をしました。「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、わたしにはなんの楽しみも無いというようにならない前に、また日の光や月や星の暗くならない前にそのようにせよとね」門番は諭すように続けました。「あなたくらい若い時は、一番いい時です。でも今しっかり勉強しておかないと、あっと言う間に時は過ぎてしまいますよ。わしは学問も無く、お金も一文も無い哀れな男ですが、感謝でいっぱいです。このとおり神様があふれるばかりのお恵みを下さっていますから」とコヘレトの言葉から話しました。

 

ウェスレーは小屋の中を初めて見渡すと、椅子と毛布と粗末なベッドのほかは何一つありませんでした。この人は何も持っていないけれどこんなに心豊かで、あふれるばかりの感謝と喜びを持って生活していました。ウェスレーはこの時にはっきりと悟りました。自分は神の前に潔い生活をするために召されているのだという事を。これが後に設立するメソジスト教団の信条になったのでした。

 

1726年5月、ウェスレーはリンコルン大学の特待生に選ばれました。成績がずば抜けて優秀であったので、ゆくゆくは大学に残り学者か教授になるだろうと期待されましたが、健康のすぐれない父サムエルを助けるために副牧師となりエプワースに帰ったのでした。エプワース村は前と少しも変わらず、村人は昼間から酒を飲み、賭博をしていました。  

ウェスレーが帰ってきたことを知った村の人々はたちまち憎悪の目をウェスレーに向けました。日曜日になると彼らはぞろぞろと教会にやって来ました。説教を聞く為ではなく、ウェスレーをからかいヤジを飛ばすためでした。説教が始まるといっせいに口笛を吹いたり罵倒して楽しんでいました。ここの「どこに感謝があるか」それは、理由が何であれ教会に来てくれているという感謝です。僕はこの感謝に気づきませんでしたが、江上先生に熱く教えて頂きました。

 

罵倒されながらもウェスレーは落ち着いて説教が終わると最後にこう言いました。「私は確信します。信仰復興の運動がこの暗黒の地、腐敗しきった英国において起こる事を」イエス・キリストにおいて必ずそうなるというウェスレーの確信がありました。「くだらない事を言うな、帰れ」と石を投げつけられ、ウェスレーの額に当たりました。血が噴き出す額を押さえて、しばらくうづくまっていました。再び立ち上がると、病床にいるはずの父サムエルが会堂の扉の所に立ち説教を締めくくりました。「人には出来ないが、神にはお出来になる。私は今はっきりと確信します。近い内にきっとこのエプワース村が新しく生まれ変わるということを」父サムエルはウェスレーを連れて教会の庭に出ると、そこには若木になったばかりのさんざしの木が柔らかな芽をつけていました。

 

サムエルはウェスレーに「この木を覚えているかい。これは昔、芽を出しかけた時に火事になって焼けてしまったのさ。ところが焼け跡から再び芽を出し、今ではこんなにしなやかで美しい芽をつける木に育った。人の目にはわからないが神様はすべてを益として下さるのだよ」ウェスレーは「ああ、本当ですお父さん」と答えました。3年間父を助けて説教をし、村人たちは少しずつ感化されて行きました。ウェスレーは20代30代の若者と交わり、言葉を交わすようになりました。彼らは生活に希望が見いだせず、将来の夢も無くただぶらぶらと毎日を過ごしていました。集団になると悪い事をする者も、一人一人向き合えば、それぞれ孤独で悩める心を持っている事が分かったのでした。ウェスレーは、言葉では無く行いによって彼らに感化を与えたいと考えました。これを無言の感化と言います。こういう姿を目指したいと思うのであります。

 

ウェスレーは4時に起きて勉強し、朝食をとってから村人と畑仕事をしました。坂本先生はウェスレーのこの4時起きを実践しています。そのため夜は9時に寝るそうです。ウェスレーは、畑仕事が終わると、村を訪問し、病人を見舞い、悩んでいる者の相談相手となり、夕食後は集会に出かけ、帰ると深夜まで勉強する生活をしました。いつしか村人の間から悪い習慣が消えて行きました。人の悪口も無くなり、けんかや殺人も無くなりました。代わりに賛美の声が農家から流れるようになり、挨拶の中に祈りの言葉が織り込まれるようにさえなりました。これこそが、神様の御業にほかなりません。最善を時に適ってなされました。

 

メンバーであり友人のモルガンが、ただ聖書を読み、共に祈るだけでなく社会に出て隣人愛を実践して行こうと提案しました。一同はその言葉に打たれて、集会の合間にこの町に住む病人や身寄りのない人々を訪ねて慰める事から始めました。街の中央通りから一歩裏に入ると恐ろしい世界が展開していました。酒によってけんかをする者、組になってスリをする者、うずくまっている体の不自由な者、お金をせびる子供たちがいました。町中にむっとするような悪臭が漂っていました。

 

そうした中で家々を訪ねる内に、誰からも面倒を診てもらえずに一人わらの寝床に横たわる病人や、大勢の子供を抱えてどん底の生活をしている者が多い事にウェスレーたちは衝撃を受けました。ウェスレーたちは病人の枕もとで聖書を読み祈りました。また、生活に疲れた者には、イエス・キリストの愛と暗い世にあっても尚、望みを持って生きるべき事を伝えました。罵声を浴びせられたり石を投げられたりもしましたが、神の慰めの言葉はこれらの人々の心に少しずつ入って行きました。

 

この集会が始まって1年ほどが経った頃ホイットフィールドが入って来ました。ホイットフィールドはイエス・キリストの恵みを証して注目を集めました。しばらくするとこの集会は大きく盛り上がり「ホーリークラブ」という名がつけられました。その名が示すようにこの会の趣旨は神に喜ばれる潔い生活をすることにありました。8月24日、「ホーリークラブ」のメンバーが集まって祈っているうちに、一同は神の愛に迫られ、心が熱く燃え立つのを覚えたのでした。この心が熱くなる感じが聖霊が内側に臨んだ証しと思います。

 

さて、大学内では讃美歌が響き渡るようになり、教授や一部の学生から「耳障りだよ」と苦情が出始めました。「ホーリークラブ」が盛んになるにつれ大学内では反感が強まり、奇妙な人たちが会議室を独占し、裏町の道徳的でない人たちと交わり、世話までしている事に我慢出来なくなっていました。悪口を言い、真似をし、はやし立てるのが習慣になっていました。そして、メソジスト(几帳面屋)とあだ名を付けました。

 

その頃ウェスレーたちは、一人の大工の臨終をみとるために裏町の家にいました。その大工は仕事中に屋根から滑り落ち大怪我をして助かる見込みがなく、床に横たえられていました。妻と娘がよりすがり泣いていました。ウェスレーは、その男の上にかがみ込み、手を握り、聖書を読みました。ヨハネ14章1~2節です。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。」男は胸の上で十字を切り、ウェスレーはその意味を悟り、水を準備してもらい洗礼を授けました。すると男の顔が変わり、平和と喜びに満たされ、遠くの空を仰ぐように目を上げました。そして、ウェスレーの方を見て笑い、息が止まりました。

 

僕の父も8年前に召天しましたが、笑った顔のまま硬直していたので、死んでいるようには見えませんでした。その最後の表情が今でも心に残っています。大工の男の口から最後に幸福そうな吐息が漏れました。ウェスレーは、娘の手を握り締めて、「お父さんは神様を信じて平安の内に天に召されたのです。あなたもイエス様を信じていたら、また天国でお父さんに会えますからね」と伝えました。

 

 ホイットフィールドたちは、小銭を集め「これを葬式の費用にして下さい。」と集まった1ポンドほどを渡して家を出ました。外にいた学生たちから「よう、メソジストたち、几帳面屋たち」とはやし立てられました。この時ウェスレーたちは、このあだ名を喜び、教団の名前にしたのでした。「ホーリークラブ」という小さな祈りのグループは、やがて伝道と社会事業によって暗黒の英国に光をもたらしました。その中には神様の不思議な摂理がありました。「メソジスト教団」はこうして生まれ、活動の第一歩を踏み出しました。刑務所伝道、病院や孤児院、炭坑の町での教育活動など、社会から見捨てられた人々に向けて力強く福音を宣べ伝えました。その人たちの生活の支援をし、地獄のような英国の無法地帯に、神様の恩寵の光が差し込んだ瞬間でした。

 

ウェスレーの話はここまでにします。最後に今日の御言葉をもう一度読んで終わりたいと思います。まずローマ書からです。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐みによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に傚ってはなりません。むしろ心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」次はⅠテサロニケです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」

 

2023年の毎週の礼拝が、心が一新されて、自分自身のすべてを献げて礼拝し、神様に信頼し期待して、現実がどうであれ、ウェスレーのようにイエス様がいつも共にいて下さり、いつも喜び、祈り、感謝を現す姿をもって、クリスチャン生活を日々歩んで行きましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜礼拝(23年1月8日)

2023-01-08 13:05:03 | Weblog

日曜礼拝(公現後第一主日)       2023.1.8

若者よ、あなたに言う」 ルカ7:11~17

 

 Ⅰ導入部

 おはようございます。1月8日の日曜日を迎えました。2023年もはや348日となりました。月日の経つのも早いもので、2023年も8日を迎えました。一日も早いうちに、2023年の抱負や希望を書き留めておきたいものです。2023年に自分自身に与えられる聖書の言葉も選びたいと思うのです。

 正月の風物詩となっております箱根駅伝ご覧になりましたか。駒澤大学は、昨年から3冠(出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝)達成しました。中央大学も青山学院もがんばりましたが、駒澤大学の力が勝りました。ある学校では、選ばれていた選手が体調悪くて交代した選手がいました。どのような思いで走ったのでしょう。「やったチャンスだ」と張り切ったでしょうか。「おいおい急に、何だ大丈夫か。不安だ」という心境でしょうか。いつもより力を発揮した選手、力を出し切れなかった選手、様々でした。人生には登り坂、下り坂、まさかがあるのです。若い人たちの一生懸命の姿に、全国の人々は励まされたのではないでしょうか。

 今日、6名の方々が成人祝福式を受けられます。若い力と言いますが、発揮できる時、できない時、大きく飛躍できる時、できない時といろいろでしょう。私たちは自分の力だけでは限界があります。しかし、私たちには、私たちをいつも守り、導かれるお方、イエス・キリスト様が共におられます。私たちは、2023年の長丁場を歩む中で、聖書の言葉、神の言葉、イエス様の言葉をしっかり握りしめて、この年を歩みたいものです。

 今日は、ルカによる福音書7章11節から17節を通して、「若者よ、あなたに言う」という題でお話し致します。

 

 Ⅱ本論部

 一、イエスにあって希望がある

 イエス様はナインという町に行かれました。イエス様がナイン町の門に近づくと、葬儀の列に出くわしたのです。12節には、「イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。」とあります。一人の母親、死んだのは彼女の息子で、彼女はやもめであったと紹介しています。やもめとは、ご主人に死に別れた人です。聖書は、やもめは、最も弱い存在であると説明します。現代とは違って、男性社会の中で女性が働いてお金を得ることはできませんでした。だからこそ、彼女の一人息子は、彼女にとっては大きな存在でした。経済的にも頼りになる息子、その息子が死んだのです。

 旧約聖書のルツ記には、ルツの姑になるナオミという人物がいます。食糧難でベツレヘムから異邦人の町モアブに、主人と二人の息子を連れて移動しました。しかし、そのモアブの地で、ご主人と二人の息子を失ったのです。そして、ベツレヘムが神様によって祝福されていると聞いて、ベツレヘムに嫁のルツと共に帰ります。その時人々が自分の名前ナオミ、快いという意味で、そう呼ぶので、自分をナオミではなく、マラ(苦い)と呼んでほしいと言いい、「全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。・・・主がわたしを悩ませ、全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」(ルツ記1:20-21)と言ったのです。神を呪い、自分を呪ったのです。それほどに、ご主人、二人の息子、愛する者を失った苦しみ、痛みがそこにはあります。

 一人息子を亡くした母親も、同じように苦しみ、悲しみ、痛んでいたのです。この苦しみを、この嘆きをどこにも持って行けない、どうしようもない苦しみを抱えたま涙を流していたのでしょう。その姿に、町の大勢の人たちがそばに付き添っていたのです。悲しみの集団でした。ナインの町は、人里離れた所にあり、そこに通じる道は一本しかなかったようです。この町は34世帯、人口189人という時代もあったようですから、この町の多くの人が、息子を失った母親に付き添っていたのです。イエス様は、この悲しみの集団に近づいてこられました。希望の光であるイエス様は、悲しみを絶望を変えられるのです。 

私たちは、明日の告別式を通して、天に召された上田才子さんを偲び、ご家族の上に神様の慰めとお支えとお励ましがありますように祈りつつ備えたいと思います。

 

 二、泣くなと言えるお方

 13節には、「主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。」

とあります。この悲しみの集団にイエス様は近づいて来られました。大きな悲しみと痛みの中にある母親を見て下さいました。今にも崩れそうになって歩いている母親をイエス様は見て下さり、近づいて下さり、語られたのです。「もう泣かなくともよい」と言われたのです。大声を出して、涙をポロポロと目から落とす姿は、本当に辛い光景です。私たち人間は、悲しみであれ、喜びであれ胸に迫るものがあると涙を流します。涙は、その人の見えない心の現れだといえるでしょう。親は子の涙に、子は親の涙に、夫は妻の涙に、妻は夫の涙に胸に迫るものを感じるのでしょう。愛する者の涙は言葉以上のものといえます。涙は血液からできていると言われています。涙は涙腺内の毛細血管から得た血液から血球を除き、液体成分のみを取り出したものだと言われているようです。痛みや悲しみを洗い流すかのように流される涙は血液から出来ていると言われれば納得がいきます。血液を涙に還元する機能が失われて、そのまま血液が垂れ流しになっているという病気があるそうです。

 この母親は、絶望の中に涙を流し泣いていたのです。その母親にイエス様は、「もう泣かなくともよい」と言われたのです。イエス様は、人が流す涙を見過ごしにはされないのです。旧約聖書においても、神様は兄弟にエジプトに売られ、濡れ衣を着せられ、存在を忘れられて流すヨセフの涙を見過ごしにはされなかったのです。また、神様は子どもが与えられないことでいじめられたサムエルの母親ハンナの涙を忘れませんでした。ルツの姑ナオミの涙も見過ごしにはされませんでした。また、もう死ぬと神様から言われ、涙を流すヒゼキヤ王の涙も見過ごさなかったのです。イエス様も、ラザロが死んだ時悲しみの中にあるマリアたちを見て、「イエスは涙を流された。」(ヨハネ11:35)と聖書は記しています。

私たちの信じる神様、イエス様は、私たちの涙を絶対に見過ごすことはなさらず、必ず助けて下さる。恵みを与えて下さる。祝福して下さるのです。ですから、今泣いている人は、涙を流している人は大丈夫です。イエス様は言われました。「今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。」(ルカ6:21b) イエス様は、悲しみの中にある人、泣いている人の先に起こることをご存知であり、御自分が何をなさるのかを知っておられるので、「もう泣かなくともよい」と宣言されたのです。そしてこの言葉はイエス様以外には誰も言うことはできないのです。

 イエス様は、「もう泣かなくともよい」と言わなくても、母親の息子をよみがえらせることができました。黙ってよみがえらせることができた。そうすれば、わざわざ「もう泣かなくともよい」と言わなくても、母親の涙は止まったでしょう。しかし、イエス様はあえて「もう泣かなくともよい」と言われたのです。泣くしか、涙を流すしかない状況の中にある母親の心の中には、イエス様の言葉「もう泣かなくともよい」という言葉がはっきりと刻まれたのでした。これから後、もう泣くしかない状況、どうしようもなく涙にくれることがあったとしても、母親は、「もう泣かなくともよい」と言って下さったイエス様を、そしてこの言葉を思い出すことができるのです。私たちも、悲しみに、苦しみに、絶望に

泣くことが、涙することがあるでしょう。そのような私たちにも、イエス様は近づいて「もう泣かなくともよい」という力強い言葉をかけて下さるのです。

 

 三、イエス様の権威ある言葉に触れると

 14節には、「そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。」とあります。イエス様は、「近づいて棺に手を触れられると」あります。現代の棺のように箱に入れられているのではなくて、担架の上に亜麻布で巻かれた死体を乗せて運んだのですから、イエス様は直接死体に触れた事になります。律法では、死人に触れると汚れるのです。自分の身を汚したことになります。イエス様はそのことをよくご存じの上で、触れられたのです。汚れたとされたものに触れて下さるのです。私たちがどのように汚れているとしても、イエス様は私たちに触れて、心も体も、魂も癒して下さるのです。

イエス様は、死んでいる息子に声を掛けられました。死んでいる人に生きている人に話しかけるように声をかけました。死んでいるので、イエス様の言葉を聞くことはできないはずです。死んでしまったら全てが手遅れなのです。取り返しがつかないのです。この世の中には、取り返しのつかないことが多くあります。私たちの人生においても、取り返しのつかないことがあったのかも知れません。そして、そのことで悩み苦しむということもあるでしょう。しかし、救い主イエス・キリスト様にあっては、このお方においては、取り返しのつかないこと、手遅れということはないのです。私たち人間には、手遅れということがあるので絶望するのです。しかし、その絶望のしるしである、死んだ若者に、イエス様は語り掛けられたのです。「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と。

 15節には、「すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。」とあります。イエス様の権威ある言葉に、死人さえ応答したのです。神様の言葉、イエス様の言葉こそ、無から有を呼び出し、無から命を創造し、全てを生かす命の言葉だったのです。私たちは、この世の困難や悲惨な状況、マイナスな事柄、そのような見える世界にのみ目を留めるのではなく、それ以上に、権威ある聖書の言葉、神様の言葉、イエス様の言葉にこそ目を留めていくことが大切なことなのです。コリントの信徒への手紙一の1章18節には、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」とあります。

 ナインに住む母親は、夫を失い、息子を失い、社会的、経済的なあらゆる権利と保証を失いました。この世においては、持つということが幸せであると考えます。ですから、失わないように努力します。持つことに力を注ぐのです。15節の後半には、「イエスは息子をその母親にお返しになった。」とあります。原文では、「息子を母親に与えられた。」とあります。イエス様は、与えるお方として、改めて息子を母親に与えられたのです。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」(ローマ8:32)と聖書は語ります。

 父なる神様は、私たちを愛して、私たちが滅びに迎向かうのを忍びなく、私たちを救うために、私たちの身代わりに裁かれイエス様を十字架で贖いのささげものとされました。十字架で流されたイエス様の血とその死によって、死んで墓に葬られ、三日目によみがえることにより、私たちの全ての罪を赦し、魂を清め、死んでも生きる命、永遠の命を与えて下さったのです。私たちの命は死んで終わりの人生ではなく、死んでも生きる命、天国での恵みが与えられるのです。イエス様を私たちに与えられた神様は、私たちにすべてのものをお与えになるのです。

 16節には、「人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。」とあります。先ほどの「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」の「起きなさい。」は、イエス様の復活の時に用いられている専門用語です。「起きなさい。」という言葉と「大預言者が我々の間に現れた」の「現れた」は同じ言葉が使われています。「神はその民を心にかけてくださった」の「心にかけてくださった」は「訪れた」という言葉です。神様が苦しみの中にある、痛みの中にある者の所に訪れて下さり、神様のみ業をなさったのです。そして、神様は今戦いの中にある私たち、痛みと悲しみの中にある私たちの所に訪れて下さるのです。そして、「私のような者に心をかけて下さった。」と言わせて、告白させて下さるのです。

 

 Ⅲ結論部

 「親思う心にまさる親心けふの音ずれ何のきくらむ(きょうのおとずれなんおきくらん)」という辞世の句があります。吉田松陰という人が、29歳の時、処刑される時に故郷にいる自分の両親にあてて詠んだものです。「私が親を思う以上に親は私の事を思ってくれている。親心とはそういうものだ。」という意味です。親は自分の子どもを愛します。大切にします。だから小言も言う。今日、成人祝福式を受けられる6人の両親も、みんなのことを大切に思っている。子である6名もご両親の事を思っているでしょうが、両親のあなたに対する思いは、愛情はさらに大きくて広くて深いのです。両親の言うことをなかなか聞けない。聞かないということもあるでしょう。あなたたちのことを心から愛し、大切にしていることを忘れないようにしてほしいと思います。

 私たちには両親がいます。その両親なしには私たちの存在はありません。しかし、私たちの本当の親は神様です。私たちを創造されたお方。私たちをお母さんのお腹に形作られたお方です。この神様であるイエス様は私たちを命をかけて愛して下さったお方です。

13節の最初に、「主はこの母親を見て、憐れに思い」とあります。この「憐れに思い」とは、「はらわたがよじれるような」「内臓が痛むような」「内臓がえぐられるような」憐れみなのです。この母親のために何とかしてあげたい、イエス様の体の中からあふれ出て来る熱いイエス様の思いです。神様の親心は、私たちに対して熱いのです。大きいのです。犠牲的なのです。命を張った本物なのです。神様の愛は、どれほど純粋で、汚れなく、あなたそのものをそのままで受け入れて、あなたに「何とかしてあげたい」といつも思っておられるのです。その熱が伝わっているでしょうか。

 「若者よ、あなたに言う。起きなさい」とイエス様は言われました。若者だけではありません。全ての人にです。「起きなさい」「立ち上がりなさい」と言われるのです。罪の中にいたら、その罪の中から立ち上がりなさい。すでに十字架の赦しがあるから。物事がうまくいかないで落ち込んでいたら、泣いていたら、涙を流していたら、立ち上がりなさい。「今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。」とイエス様は言われたのですから。私たちが今、苦しみや悲しみ、絶望を経験していようとも、「もう泣かなくともよい」と言って下さるお方が、いつもあなたのそばにおられるのです。私たちは、この週も、この月も、2023年の一年間も、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」というイエス様の言葉に触れて、イエス様の言葉に励まされて、強められて歩ませていただこうではありませんか。大丈夫。イエスが一緒だから、安心して歩みましょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜礼拝(23年1月1日)

2023-01-01 13:25:52 | Weblog

元旦初詣礼拝(降誕後第一主日)       2023.1.1

神様に導かれる一年」 マタイ2:1~12

 

 Ⅰ導入部

 おはようございます。 新年あけましておめでとうございます。2023年1月1日を迎えました。2023年の最初の日に礼拝を持って始めることができますことは本当に幸いです。2023年が神様によって、希望の持てる年となりますように祈ります。

 クリスマスの行事が終わって、新年を迎えてというところでしょうが、クリスマスお祝いはまだ終わってはおりません。1月1日は、救い主にイエスと名付けた命名日です。そして、1月6日は、公現日、顕現日、エピファニーと言われ、救い主イエス様が人々の前に明らかにされた日とされています。ですから、1月6日まで降誕節、クリスマスの祝いの期間となっています。この日に東方の占星術の学者(博士)たちが救い主イエス様を訪ね礼拝した時となっています。ですから、まだ、会堂にはクリスマスツリーが飾られているわけです。私たちは、そのような中で今日、新年を迎えました。クリスマスは去年に終わったというのではなく、2023年の最初は、ある意味でクリスマスから始まることを示しているように思います。

 私たちは、2023年にどのような期待があるでしょうか。昨年は、「」という漢字一字で表されたように、コロナとの闘い、ウクライナとロシアの戦争、様々な国での紛争、自然の驚異との闘い等、暗い、マイナスイメージが多くありました。そのような中でも、神様の恵みは私たちの周りのあちこちに、降り注いでいたことも事実です。新しい年、2023年が全能の神様によって、愛の神様によって、祝福と恵みに満ちた年となりますように、期待しつつ、祈りを持って歩ませていただきたいと思います。

 今日開かれた聖書の箇所は、いつもなら年末感謝礼拝、その年の最後の礼拝でメッセージさせていただいた箇所です。2023年は、最初の日曜日、しかも元旦初詣礼拝でさせていただくのは初めてです。今日は、マタイによる福音書2章1節から12節を通して、「神様に導かれる一年」と題してお話し致します。

 Ⅱ本論部

 一、神様のなさることは間違いない

 救い主イエス様の誕生の知らせは、ベツレヘム近くの野原にいた羊飼いたちに天の使いを通して伝えられました。また、神様は、ベツレヘムから約2千キロ離れた地にいた占星術の学者たちに異常な星を通して、救い主誕生の知らせを伝えたのです。1節の後半には、「占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、」とある「東の方」とは、今ではイラク南部、かつてのバビロンの地ではないかと言われています。ユダヤ人は、このバビロンに捕囚として70年間捕らわれていました。その間に、ユダヤ人たちの信仰、神の言葉、預言の言葉がバビロンに住む人々にも伝わったのだと思います。バビロン捕囚の70年という期間は、あまりにも長過ぎるのではないかと、「神様、もっと短くていいのではありませんか。長くても10年、5年とか3年とか。」と思ったことがありましたが、70年が必要であったことがわかりました。バビロンに住む人々が、捕囚としてバビロンに住んでいたユダヤ人が、真の神様、神の言葉、預言の言葉などを伝えるためには、影響を与えるためには、5年や10年では伝わらない。50年、60年、70年の期間が必要であったということです。それが、今日の東方の占星術の学者たちが、星の異常な輝きを通して、預言の言葉を知っていた彼らが、救い主の誕生の知らせだと気づいた。信じたのです。神様は、すでにバビロン捕囚も70年間だと預言しておられ、この期間が救い主誕生の知らせのために必要であったことを神様はよく知っておられたのです。

 私たちは、2022年に3年目を迎えるコロナ感染の事も、ウクライナへのロシアの

軍事侵攻も、なかなか終わらないことに対して、しびれを切らせてしまうような状況ですが、神様は歴史を支配し、全てを支配しておられるお方です。無駄な事はなさらないお方です。きっと、神様にしか分からない理由がそこにあることを信じて、コロナ感染も、戦争も一日も早く集結するように祈りつつ、神様を信じて、信頼して歩みたいのです。

 クリスマスの登場人物の東方の占星術、博士たちは、黄金、乳香、没薬をささげたことから3人となっているようです。また、美術史においては、3人は王として描かれています。3人は白人、黄色、黒人を代表する人物としてとらえたり、メルキオール(髭の生えたペルシャ人)、カスパール(インドの王で髭のない青年)、バルタザール(アフリカの黒人)と名前まで付けられています。彼らは、ヘロデ大王に謁見することがゆるされました。東の方から来た人々は、3人ではなくて、おそらく数十人、多くて数百人いた、大規模な外交使節団ではないかとも言われています。盗賊に襲われないように、また占星術の学者たちは国の重要人物であったので、多くの人々がいたのでしょう。そして、そのような大々的な外交使節団だったからこそ、ヘロデ大王は謁見を許したのではないでしょうか。それほど、ヘロデ大王や指導者たちに影響を与えていたのだと思うのです。

 二、礼拝する者としない者

 2節のカッコには、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」とあります。占星術の学者たちは、生まれたお方はユダヤ人の王だと確信していました。それは、彼らの国で、その星を見たとあるように、星の専門家である彼らが星の異常な輝きに、ユダヤ人たちが語っていたユダヤ人の王の誕生だと信じたのです。「明けの明星」は、朝になりそうな時、金星と呼ばれる星が大きく輝き、この星が出るとすぐに朝が来ることがわかるのです。旧約の預言には、「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り/主の栄光はあなたの上に輝く。

見よ、闇は地を覆い/暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で/主の栄光があなたの上に現れる。」(イザヤ60:1-2)とあります。また、バラムという預言者は、「わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり/モアブのこめかみを打ち砕き/シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。」(民数記24:17)と語りました。イエス様の弟子のペトロは、「こうして、わたしたちには、預言の言葉はいっそう確かなものとなっています。夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るときまで、暗い所に輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意していてください。」(Ⅱペトロ1:19)とイエス様のことを明けの明星と語りました。占星術の学者たちは、星の異常な輝きにユダヤ人の王誕生を知りました。そして、急いで準備して、イスラエルまで来て、エルサレムにあるヘロデ大王の宮殿に来て、ユダヤ人の王として生まれた方の居場所を尋ねたのでした。彼らにとっては、ヘロデ王に聞く以外になかったのです。そして、占星術の学者を通して、ヘロデ王たちに、ユダヤ人の王の誕生を知らせることになるのです。

 3節には、「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。」とあります。外国から大規模な外交使節団を見て、位の高い占星術の学者たちを見て、また彼らからユダヤ人の王として生まれた方と聞いて、不安になったのです。ヘロデ大王は、ユダヤ人ではなく、また、正式な王ではありませんでした。ユダヤは当時のローマ帝国の属国に貶められていたので、ヘロデ王はローマに取り入って「大王」という地位を手にしたのです。なので、自分の王としての地位を脅かす存在には不安は隠せませんでした。残虐なヘロデが不安になると当然エルサレムの人々も不安が増したのです。

 ヘロデ王は、エルサレムの宗教指導者たちを集めた。国会を開いたのです。そして、メシアが生まれる場所を問い、宗教指導者たちは、6節にあるように「ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。」というミカ書5章1節の言葉から、メシアの誕生の場所はベツレヘムだと割り出しました。ヘロデ王は、自分も拝みに行くと偽り、占星術の学者たちに救い主の居場所を知らせるようにと頼んだのです。

 宗教指導者たちは、ベツレヘム、エルサレムから約8キロほどの距離であったのに、救い主を訪問しませんでした、救い主のいる場所を知っていることと信じることとは違うのです。礼拝の大切さを知っているのと礼拝を守ることは違います。異邦人であり、救い主の事はあまり知らない占星術の学者たちは、星の観察とユダヤ人の救い主待望の話から救い主の誕生を知り、行動してはるばるやってきて救い主を礼拝したのです。私たちにとって、礼拝を妨げる距離や仕事、個人的な事情などは理由にはならないということなのです。

 三、救い主を礼拝した者の歩み

 9節には、「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。」とあります。占星術の学者たちが、東方で見た星がエルサレムまで導いたのではないのでしょう。ヘロデの宮殿から出かけると、「東方で見た星が先立って進み」とあるように、彼らの国でその星を見て、ユダヤ人の王として生まれたと確信した星、あの星が現れて救い主の元に導いたのです。10節には、「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」とあります。「あの時の、あの星だ」と彼らは喜びました。「喜びにあふれた。」というのを、直訳すると「彼らは非常に大きな喜びを喜んだ」となります。喜びの度合いの大きさを示しています。大きな喜びに喜びが重なるほど嬉しかったのです。リビングバイブルには、「躍り上がって喜びました。」とあります。

 11節を見ると、「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」とあります。

「家に入ってみると」とあります。占星術の学者たちは、家畜小屋ではなくて家に入りました。クリスマスの定番の絵、赤ちゃんイエス様とヨセフとマリア、羊飼い、そして東方の占星術の学者という図とは違うということです。しかし、彼らは救い主イエス様を礼拝したのです。その風貌にユダヤ人の王としての風格がなくても、その場所が宮殿でなくても、彼らは赤ちゃんイエス様をユダヤ人の王として、メシアとして礼拝したのです。その証拠に、「宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」のでした。「宝の箱」というのは、自分の最も大切にしているものです。「黄金、乳香、没薬」は彼らにとっては、とても大切なものでした。「黄金、乳香、没薬」は、王にささげる最高の贈り物の組み合わせだったようです。黄金は、王にふさわしいもの。幼な子が王であることの信仰告白です。

乳香は、別名フランキンセンスと言われ、当時の神殿で用いられる最高の香料でした。古代では、鎮痛剤として使用され、乳白色の色であることから乳香と呼ばれています。乳香は、神様への香ばしいささげ物であり、神様への献身を表すものです。エジプトでは王だけが使っていたようです。中世のペストの大流行の時、その拡大を止める殺菌力を発揮したと言われています。また、乳香は救い主の神性を表しています。没薬は、別名ミルラで、古代エジプトではミイラ作りのために欠かせない薬品でした。強い殺菌力と芳香を兼ね備えたものです。没薬は、医師が薬として使用していたので、救世主を象徴しています。やがて救い主として十字架で人間の罪の身代わりで死んで贖いとなることを表現しています。

 占星術の学者たちは、「黄金、乳香、没薬」をささげました。これらは、彼らの仕事のための大切な道具であったとも言われています。自分たちにとって、とても大切なものをささげたのです。それが礼拝の本来の姿なのです。

 12節には、「ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。」とあります。彼らは今まで歩んできた道と別の道、救世主の出会い、礼拝した経験を持つ彼らは、神様の示される新しい道を歩むことになったのです。星を研究し、星に関してはプロ、自信を持っていた彼らは、星を通して救い主の誕生を知り、信じて、はるばるユダヤの地までやってきて、幼子を王として礼拝し、自分たちの大切なものをささげたのです。国に返れば、大切な働きや星の研究があるでしょう。しかし、彼らにとっては、別の道として、これから神様を信じて、神様に導かれる歩みとなったのです。

 Ⅲ結論部

 星が彼らを救い主の元に導きました。彼らの興味あるもの、仕事に関係する事から導かれました。私たちも導かれ方はそれぞれでしょう。親から、友人から、教会を紹介され、導かれた。しかし、私たちは、神様を知った者として、神様に導かれて行くのです。私たちを愛し、私たちを救うために、罪の身代わりに十字架にかかり尊い血を流し、命をささげて下さった。死んで墓に葬られ、三日目によみがえられ、罪と死に勝利されたのです。イエス様の十字架と復活を通して、私たちの全ての罪が赦され、魂が生かされ、死んでも生きる命、永遠の命があたえられるのです。私たちは、2023年もイエス様と共に、イエス様に導かれて歩んで行くのです。占星術の学者たちは、「学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」とあるように、イエス様がいつも共におられるのですから、私たちの歩みはイエス様に導かれる喜びにあふれる歩みとなるのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする