2023.1.15奨励
タイトル 「心を一新していつも喜び絶えず祈る」
聖書箇所 ローマ12:1~2 Ⅰテサロニケ5:16~17
神学生 吉武 良司
新しい年も二週間が過ぎ、今年も残すところ350日となりました。先週は江上先生が残り357日と言っていましたので一応言っておきます。ロシアとウクライナ、コロナウィルスとの戦いは続いていますが、慣れてくると最初の時の衝撃や危機感が薄れてきた様に感じます。戦争は激化し、戦術核使用の危機にあります。黒い雨が降る前に、武器ではなく知恵による解決を願います。コロナは、ニューヨークで検出された変異株XBB.1.5(ワンファイブ)が、過去の免疫とワクチンを回避して1、2週間で倍増するようです。日本でも先週確認されてから急激に増えています。マスクと黙食に加えて、飛沫が飛ばない鼻呼吸を意識したいと思います。油断しないように気をつけて行きましょう。
今朝は礼拝で心が一新されて、その心のまま、一日、一週間、一カ月、一年を過ごして行けたらと願います。示された御言葉は、ローマ書12章1節と2節、Ⅰテサロニケ5章16節と17節でした。「心を一新して」とタイトルにありますが、「一新して」は、ギリシャ語聖書では、メタモルフューステという単語です。これは「変えられる」という意味で、受動態になっています。自分で変えるのではなく、神様によって変えられるという事です。そして、心が一新されたら、その心を保ち続けて、いつも喜び、絶えず祈り、神様と繋がっていたいと思います。神様がいつも共にいて下されば、悪魔は入り込む隙が無くなり、誘惑に陥ることがないとパウロは言っています。
今日の御言葉のⅠテサロニケの箇所ですが、その次の5章18節に、「どんなことにも感謝しなさい。」とイエス様は望んでおられます。喜びと祈りと感謝は三つセットになっているように思います。喜んでいないと感謝もなく、感謝のお祈りも出来ないからです。新しい年、心を新たに、どんな事にも感謝できる人間を目指したいと思います。11月末から朝、神学校の周りの落ち葉清掃を矢野神学生と雨の日以外していますが、たばこの吸い殻、ジュースの容器、お菓子のビニール、食べ残しのパンなどが捨てられていて、最初は二人で文句を言いながら掃除していました。ある時このゴミの「どこに感謝があるか」を矢野さんと考えましたが、今のところ答えは出ていません。「そこに愛はあるんか」と似ていますが「どこに感謝があるんか」です。
ローマ書12章1節に、「神の憐みによって」とありますが、「憐み」は辞書では、可哀想に思うとか、気の毒に思う気持ちと書いてありますが、「神の憐み」は、無限の愛の偉大さです。ヨハネ3章16節の「愛」です。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」この「愛」です。神様はイエス様の十字架と復活を通して、永遠の愛と永遠の命を私たちに与えて下さいました。希望が与えられて、励まされ、慰められ、聖霊と信仰が与えられて、喜びと平安があります。この恵みに感謝して、祈り、賛美し、神様をほめたたえ、私たちの体と心の全てを神様に献げる礼拝がなすべき礼拝であるとパウロは言っています。
ヨハネ4章24節に、「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」と書いてあります。創世記4章に、カインとアベルの礼拝の記事がありますが、「アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。カインは献げ物として土の実りを持って来た。アベルは、肥えた羊の初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった」とあります。カインは怒り、弟アベルを襲って殺してしまいました。カインには信仰と心がなかった現れです。神様は、信仰と心を持って献げたアベルの羊とその血の献げ物を受け入れましたが、信仰と心のないカインの献げ物は受け入れませんでした。信仰と心のない礼拝は形式的で義務的礼拝です。神様はそれを見抜いています。真の礼拝は、神様を中心に奉げる礼拝という事ですね。
心が一新されると、2節の「何が神の御心であるか、何が善いことで神様に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」と書いてありますが、これもギリシャ語聖書でススケーマティゼステと言う単語で、「順応させられる」という受動態です。心が一新されると、聖霊の力によって知恵が与えられて、それが分かるように順応させられるという事です。そして、Ⅰテサロニケ5章16、17節の「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」を心に留めて置きたいと思います。しかし、罪を犯すのが人間です。日常生活の中では、試練や困難、苦しみ痛み、悩み悲しみもあります。人それぞれ大小さまざまあると思いますが。その時その時に絶えず神様に信頼してお祈りする事で、神様は最善を時に適って為さって下さいます。大切なのは信頼して祈る事です。毎週の礼拝と日々の祈りで心の一新を保ち続けて行きたいと思うのであります。
去年神学校に入学し、ジョン・ウェスレーの講義が始まりました。ウェスレーはイエス・キリストを信仰の土台として、感謝に満ち溢れ、隣人愛を実践しました。神学校に入るまでは、ウェスレーの事は全く知りませんでした。神学校校長の坂本誠先生は、下北沢教会の牧師であり、ジョン・ウェスレーの研究者でもあります。まずジョン・ウェスレーの日記の英書購読を通してウェスレーの生き様とその姿に感銘を与えられました。坂本先生の著書も参照させて頂き、ウェスレーについて少し紹介させて頂きたいと思います。
ウェスレーは、1703年にロンドンのエプワースで、牧師の家庭の19人兄弟の15番目として生まれ、母スザンナにより、鞭で親に歯向かわないようにしつけられ、厳しい教育を受け、神様の御心に適う子供となりました。神様を愛して生きる人生の尊さを学び、メソジスト信仰復興運動の創始者となりました。讃美歌作者の弟チャールズ・ウェスレーと英国全体に聖書的、福音的な恵み、信仰、悔い改め、義認、聖化の真理をもたらしました。信仰復興運動の大波は、ロンドンから溢れ出て、英国中の何千もの村落、町、市、そして大西洋を越えてアメリカの植民地まで広まって行きました。
僕も牧師の家庭で、両親は厳しく、母に叩かれ、父に殴られ育ちました。ウェスレーのように神様の御心に適う子供にはなりませんでした。小学校1年の最初の理科のテストで0点を取ってからハタキで鞭のように叩かれました。はっきり覚えていますが、テストは魚の絵に括弧が振ってあり、ひれの名称を記入する問題でした。幼稚園に行っていないし、教えてもらっていないので魚という以外分かりませんでした。ひれ自体知らないのに、背びれとか尾びれとか胸びれとか解る訳がありません。それなのに、母は、ハタキの柄を鞭のようにしならせ、全身を叩きました。その時は、なぜ叩かれるのか理由が分かりませんでした。
イエス様は十字架につけられる前に鞭で打たれました。それを教えるためだったのかもわかりません。ただ完全にハタキの使い方を間違っていると思います。一度母になぜ叩くのか聞いたことがありますが、「聖書には鞭で叩け」と書いてあるというのが答えでした。聖書の悪用ではないかと思います。父は怪我をすると「ふざけるな」と言って殴りました。交通事故で車にはねられた時も「ふざけるな」と言って病院で顔面を殴りました。当時は愛のムチとか言う言葉がありましたが、絶対違うと思います。ひとつ言える事は、叩いても殴っても成績は上がらないという事です。今は痛みを教えてくれた恵みに感謝しています?
1709年、ウェスレーの父サムエル・ウェスレーの家が火事になりました。すでに飼い犬2匹と牛が殺されて2階の窓から子供たちが助けを求めています。3歳の弟チャールズとほかの兄弟は助け出され、6歳のウェスレーだけ取り残されました。ウェスレーは絵本を読んでいるうちに眠りこんでいました。父サムエルは水をかぶり家の中へ駈け込もうとしましたが、火は回っていて、「あなたが死んでしまう」と周りに止められました。母スザンナは、誰かジョンを助けて下さいと狂ったように叫び、気を失いそうになっていました。
ウェスレーは、「ゴーッ」という音で目を覚まし、神様が天からの軍勢を送って家を守って下さると思いました。赤い炎は全ての家具をなめつくし、煙が喉に流れ込んで来ました。ウェスレーは窓に駆け寄り、「お父さん、お母さん」と泣き叫びました。2階は高すぎて飛び降りられません。駆けつけた教会員たちが人はしごを作り、2階の手摺りに届く時に下の一人がつまずき、人はしごは崩れ落ちました。2回目の人はしごでウェスレーは無事に抱きかかえられて地面に下ろされました。その瞬間に家が崩れ落ちました。我に返った父サムエルは、「皆さん神様に感謝しましょう。家はどうか放っておいて下さい」と言って祈り始めました。母スザンナは、ウェスレーに神様があなたを炎の中から助けて下さった。「この事を忘れないで」と、ウェスレーの髪をなでながら言うのでした。この時の特殊な体験で、ウェスレーは神様からの使命を自覚しました。
このロンドンの北にあるエプワースの町は、なだらかな丘と川の間にある水濠地帯で美しい自然に囲まれていました。この地域に住む人たちは、喧嘩好きで貪欲で、昼間から酒を飲んで賭博をしていました。楽しみは、人をからかい、政治や教会の事で新しいニュースがあると興奮して大声で騒ぎ立てる事でした。当時の英国はジェームス1世の統治下にあり、国教会は堕落した聖職者たちで乱れ、キリスト教に対する不信が国中に渦巻いていました。権力者が弱い者を虐げ、貧民が溢れ、犯罪は日を追って増えていました。絞首刑が広場で行われながらも、殺人、強盗、放火などは無くなりませんでした。これが18世紀の英国の時代背景です。
11歳の時にウェスレーは、父の友人のバッキンガム侯爵の援助で、ロンドンの名門チャーターハウス校に入学しました。品行方正でよく勉強するウェスレーは教師から可愛がられました。これを妬んだ級友たちに、あの手この手で嫌がらせを受けました。ウェスレーはそんな彼らを恨む事をせず、校長に訴える事もせず一人で耐え忍んでいました。ある時食事の時間に乱暴な上級生におかずをよこせと脅されました。無視をするとテーブルの下で、すねを蹴られ、おかずを横取りされました。それから毎日おかずを取られましたが、ウェスレーは告げ口をせず、4年間をおかずなしの食事を続けました。ここで、この状況の中で「どこに感謝があるか」を考えて見ると、ライスだけでも食事が出来た恵みだったのかも知れません。
またある時は、ウィリアム・ホーキンスというクラス一の乱暴者に教科書を隠され、返してもらえず、教師に教科書をどうしたのか聞かれました。すると、隠すところを見ていた生徒がホーキンスが隠したことを教師に言いました。ホーキンスは青ざめて震え、処分が決まるまで教室に来なくてよいと言われて机に身を伏せて泣き出しました。ウェスレーは、ホーキンスの家が貧しいことと父親がレンガ職人の仲間を傷つけて刑務所に入っている事を知っていました。ウェスレーの胸に何とも言えない同情とあわれみが湧き上がって来ました。徐々に隣人愛の心が芽生えて来ました。
ウェスレーは立ち上がり、「先生実は僕が教科書をあそこに忘れて来ました。ホーキンスではありません」と言ったのです。ウェスレーは教師から鞭で打たれ、授業が終わるまでドアの外に立たされました。ウェスレーは友人の心の痛みを一緒に分かち合い、喜んで苦痛に耐えました。これが、悲しむ者、苦しむ者と重荷を共に背負った最初の体験となりました。
ここはイエス様が十字架につけられた時の「父よ彼らをお赦しください。」が思い起こされます。ウェスレーはいつもイエス様と共にいました。授業が終わるとホーキンスは、ウェスレーに「ごめん許してくれ」と駆け寄りました。ホーキンスはウェスレーに「友達になってくれ」と手を差し出し、ウェスレーも「ああ喜んで」と手を差し出したのでした。この後ウェスレーに意地悪をしたり、悪口を言う者は一人もいなくなりました。人間はついつい人の悪口や陰口を言ってしまいます。この時は、ヨハネ8:7の「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まずこの女に石をなげなさい。」を思い出したいものです。だれも人の悪口や陰口を言える人は一人もいないのです。
高等学校を卒業したウェスレーはオックスフォード大学に入学しました。ある晩、寮の2階の部屋のドアを誰かが叩くので、開けてみると大学の門番が立っていました。落としたウェスレーの手帳を届けてくれたのです。お礼を言い、ウェスレーはこの門番とこの時から親しくなりました。色々話をするようになり、門番が素晴らしい信仰を持っている事に気が付きました。いつの間にか夜になるとウェスレーは門番小屋を訪れ、語り合うのが楽しみとなりました。門番は床に座り、ウェスレーには一つしかない椅子を勧めていました。
門番はウェスレーに聖書の話をしました。「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、わたしにはなんの楽しみも無いというようにならない前に、また日の光や月や星の暗くならない前にそのようにせよとね」門番は諭すように続けました。「あなたくらい若い時は、一番いい時です。でも今しっかり勉強しておかないと、あっと言う間に時は過ぎてしまいますよ。わしは学問も無く、お金も一文も無い哀れな男ですが、感謝でいっぱいです。このとおり神様があふれるばかりのお恵みを下さっていますから」とコヘレトの言葉から話しました。
ウェスレーは小屋の中を初めて見渡すと、椅子と毛布と粗末なベッドのほかは何一つありませんでした。この人は何も持っていないけれどこんなに心豊かで、あふれるばかりの感謝と喜びを持って生活していました。ウェスレーはこの時にはっきりと悟りました。自分は神の前に潔い生活をするために召されているのだという事を。これが後に設立するメソジスト教団の信条になったのでした。
1726年5月、ウェスレーはリンコルン大学の特待生に選ばれました。成績がずば抜けて優秀であったので、ゆくゆくは大学に残り学者か教授になるだろうと期待されましたが、健康のすぐれない父サムエルを助けるために副牧師となりエプワースに帰ったのでした。エプワース村は前と少しも変わらず、村人は昼間から酒を飲み、賭博をしていました。
ウェスレーが帰ってきたことを知った村の人々はたちまち憎悪の目をウェスレーに向けました。日曜日になると彼らはぞろぞろと教会にやって来ました。説教を聞く為ではなく、ウェスレーをからかいヤジを飛ばすためでした。説教が始まるといっせいに口笛を吹いたり罵倒して楽しんでいました。ここの「どこに感謝があるか」それは、理由が何であれ教会に来てくれているという感謝です。僕はこの感謝に気づきませんでしたが、江上先生に熱く教えて頂きました。
罵倒されながらもウェスレーは落ち着いて説教が終わると最後にこう言いました。「私は確信します。信仰復興の運動がこの暗黒の地、腐敗しきった英国において起こる事を」イエス・キリストにおいて必ずそうなるというウェスレーの確信がありました。「くだらない事を言うな、帰れ」と石を投げつけられ、ウェスレーの額に当たりました。血が噴き出す額を押さえて、しばらくうづくまっていました。再び立ち上がると、病床にいるはずの父サムエルが会堂の扉の所に立ち説教を締めくくりました。「人には出来ないが、神にはお出来になる。私は今はっきりと確信します。近い内にきっとこのエプワース村が新しく生まれ変わるということを」父サムエルはウェスレーを連れて教会の庭に出ると、そこには若木になったばかりのさんざしの木が柔らかな芽をつけていました。
サムエルはウェスレーに「この木を覚えているかい。これは昔、芽を出しかけた時に火事になって焼けてしまったのさ。ところが焼け跡から再び芽を出し、今ではこんなにしなやかで美しい芽をつける木に育った。人の目にはわからないが神様はすべてを益として下さるのだよ」ウェスレーは「ああ、本当ですお父さん」と答えました。3年間父を助けて説教をし、村人たちは少しずつ感化されて行きました。ウェスレーは20代30代の若者と交わり、言葉を交わすようになりました。彼らは生活に希望が見いだせず、将来の夢も無くただぶらぶらと毎日を過ごしていました。集団になると悪い事をする者も、一人一人向き合えば、それぞれ孤独で悩める心を持っている事が分かったのでした。ウェスレーは、言葉では無く行いによって彼らに感化を与えたいと考えました。これを無言の感化と言います。こういう姿を目指したいと思うのであります。
ウェスレーは4時に起きて勉強し、朝食をとってから村人と畑仕事をしました。坂本先生はウェスレーのこの4時起きを実践しています。そのため夜は9時に寝るそうです。ウェスレーは、畑仕事が終わると、村を訪問し、病人を見舞い、悩んでいる者の相談相手となり、夕食後は集会に出かけ、帰ると深夜まで勉強する生活をしました。いつしか村人の間から悪い習慣が消えて行きました。人の悪口も無くなり、けんかや殺人も無くなりました。代わりに賛美の声が農家から流れるようになり、挨拶の中に祈りの言葉が織り込まれるようにさえなりました。これこそが、神様の御業にほかなりません。最善を時に適ってなされました。
メンバーであり友人のモルガンが、ただ聖書を読み、共に祈るだけでなく社会に出て隣人愛を実践して行こうと提案しました。一同はその言葉に打たれて、集会の合間にこの町に住む病人や身寄りのない人々を訪ねて慰める事から始めました。街の中央通りから一歩裏に入ると恐ろしい世界が展開していました。酒によってけんかをする者、組になってスリをする者、うずくまっている体の不自由な者、お金をせびる子供たちがいました。町中にむっとするような悪臭が漂っていました。
そうした中で家々を訪ねる内に、誰からも面倒を診てもらえずに一人わらの寝床に横たわる病人や、大勢の子供を抱えてどん底の生活をしている者が多い事にウェスレーたちは衝撃を受けました。ウェスレーたちは病人の枕もとで聖書を読み祈りました。また、生活に疲れた者には、イエス・キリストの愛と暗い世にあっても尚、望みを持って生きるべき事を伝えました。罵声を浴びせられたり石を投げられたりもしましたが、神の慰めの言葉はこれらの人々の心に少しずつ入って行きました。
この集会が始まって1年ほどが経った頃ホイットフィールドが入って来ました。ホイットフィールドはイエス・キリストの恵みを証して注目を集めました。しばらくするとこの集会は大きく盛り上がり「ホーリークラブ」という名がつけられました。その名が示すようにこの会の趣旨は神に喜ばれる潔い生活をすることにありました。8月24日、「ホーリークラブ」のメンバーが集まって祈っているうちに、一同は神の愛に迫られ、心が熱く燃え立つのを覚えたのでした。この心が熱くなる感じが聖霊が内側に臨んだ証しと思います。
さて、大学内では讃美歌が響き渡るようになり、教授や一部の学生から「耳障りだよ」と苦情が出始めました。「ホーリークラブ」が盛んになるにつれ大学内では反感が強まり、奇妙な人たちが会議室を独占し、裏町の道徳的でない人たちと交わり、世話までしている事に我慢出来なくなっていました。悪口を言い、真似をし、はやし立てるのが習慣になっていました。そして、メソジスト(几帳面屋)とあだ名を付けました。
その頃ウェスレーたちは、一人の大工の臨終をみとるために裏町の家にいました。その大工は仕事中に屋根から滑り落ち大怪我をして助かる見込みがなく、床に横たえられていました。妻と娘がよりすがり泣いていました。ウェスレーは、その男の上にかがみ込み、手を握り、聖書を読みました。ヨハネ14章1~2節です。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。」男は胸の上で十字を切り、ウェスレーはその意味を悟り、水を準備してもらい洗礼を授けました。すると男の顔が変わり、平和と喜びに満たされ、遠くの空を仰ぐように目を上げました。そして、ウェスレーの方を見て笑い、息が止まりました。
僕の父も8年前に召天しましたが、笑った顔のまま硬直していたので、死んでいるようには見えませんでした。その最後の表情が今でも心に残っています。大工の男の口から最後に幸福そうな吐息が漏れました。ウェスレーは、娘の手を握り締めて、「お父さんは神様を信じて平安の内に天に召されたのです。あなたもイエス様を信じていたら、また天国でお父さんに会えますからね」と伝えました。
ホイットフィールドたちは、小銭を集め「これを葬式の費用にして下さい。」と集まった1ポンドほどを渡して家を出ました。外にいた学生たちから「よう、メソジストたち、几帳面屋たち」とはやし立てられました。この時ウェスレーたちは、このあだ名を喜び、教団の名前にしたのでした。「ホーリークラブ」という小さな祈りのグループは、やがて伝道と社会事業によって暗黒の英国に光をもたらしました。その中には神様の不思議な摂理がありました。「メソジスト教団」はこうして生まれ、活動の第一歩を踏み出しました。刑務所伝道、病院や孤児院、炭坑の町での教育活動など、社会から見捨てられた人々に向けて力強く福音を宣べ伝えました。その人たちの生活の支援をし、地獄のような英国の無法地帯に、神様の恩寵の光が差し込んだ瞬間でした。
ウェスレーの話はここまでにします。最後に今日の御言葉をもう一度読んで終わりたいと思います。まずローマ書からです。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐みによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に傚ってはなりません。むしろ心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」次はⅠテサロニケです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」
2023年の毎週の礼拝が、心が一新されて、自分自身のすべてを献げて礼拝し、神様に信頼し期待して、現実がどうであれ、ウェスレーのようにイエス様がいつも共にいて下さり、いつも喜び、祈り、感謝を現す姿をもって、クリスチャン生活を日々歩んで行きましょう。