江上環礼拝説教

日本ナザレン教団青葉台教会礼拝説教

4月26日 礼拝メッセージ

2009-04-26 19:20:40 | Weblog
          主日礼拝(復活後第二)       2009.4.26
        「弱さの極み」 Ⅱコリント12:1-10

 Ⅰ導入部
 おはようございます。今日も愛する皆さんと共に礼拝をささげることができますことを感謝致します。4月の第四主日を迎えました。16連休や12連休のゴールデンウィークのお休みに入った方々もおられることでしょう。皆さんにとりまして良き休暇となることを願います。
 今日は、「弱さの極み」と題してコリント信徒への手紙12章1節から10節を通してお話したいと思います。コリント信徒への手紙12章9節のみ言葉は、昨年の教会の年間のみ言葉でした。この箇所からのメッセージをしていないことに気がついて、今日の午後総会で新しいみ言葉が掲げられることになるので、昨年の年間のみ言葉ではありますが、この箇所を選ばせていただきました。
 
 Ⅱ本論部
 ⒈何を誇るのか
 12章の1節の最初に、「わたしは誇らずにいられません。」とあります。皆さんには、誇るべき事、自慢することがあるでしょうか。音楽的な才能、能力的な才能、身体的な才能、アメリカ大リーグのイチロー選手は、日本の最多安打張本氏を抜き日本で1番になりました。身体的には自慢できる多くのものを持っているのでしょう。人と比べて何かを多く持っている。大きな何かを持っている。珍しいものを持っていると持ち物で自慢できるものもあるでしょう。あまり人が経験できない事を経験したということも自慢できるでしょう。パウロも言いました。「わたしは誇らずにいられません。」と。
 コリントの信徒への手紙10章10節では、「手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」とありますが、パウロに関してそのように言う人々がいたのです。また、11章では偽使徒たちが現れ、コリントの教会を混乱させていたのです。ですから、パウロはイエス様に立てられた使徒として主張する必要がありました。それで、11章22節からは、パウロがどのように使徒として苦労してきたのかを語っています。「苦労してきたことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度、鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過し、餓え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」(Ⅱコリント12:23-27)
 パウロはイエス様を伝えるために多くの苦しみを経験してきました。命をかけて福音を伝えてきたのです。神様の守りと導きがありました。けれども、パウロの宣教には、苦しみも痛みもなかったというわけではないのです。
 パウロには誇るべきこと、自慢できることが多くあったでしょう。家柄、学んだ内容、誰に学んだということ、多くの人々に福音を伝えたこと、多くの教会を建てあげたこと、異言が語れること、預言の賜物等その他もいろいろとあったでしょうが、彼はそれらのことを誇りませんでした。パウロはここで、14年前に第三の天にまで上げられた、つまり特別な霊的な体験をしたことを一人の人を知っていますと自分自身のことを話します。4節には、「彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。」と語ります。特別な経験です。特別な人にしか経験できないことでしょう。そのような特別な経験こそ、誇れるべきでしょう。けれども、パウロは5節の後半で、「しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。」と語ります。パウロは11章30節でも、「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。」と語っています。
 私たちは、自分に誇るべき事、自慢できる事があっても誇らない。自慢しない事がよいことだと考えます。その通りでしょう。けれども、何を誇るかということであって、全く誇らないということではないように思うのです。私たちも、パウロのように自分の弱さを誇りたいものです。

 ⒉与えられたとげ
 6節と7節Aを共に読みましょう。「仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、また、あの掲示された事があまりにもすばらしいからです。」 
パウロが特別の体験を誇ったとしても嘘ではないのです。けれども、その体験の素晴らしさに、ものすごさに過大評価する人がいるので、誇らないとパウロは言います。素晴らしい経験、祝福というものは、時には、こちらはそうではなくても、相手には自慢話に聞こえる事があります。青葉台教会はいろいろな面で祝福されています。ですから、教会の現状をお話しすると、こちらはただ現状をお話ししているだけですが、小さな教会や地方の教会で戦っている方々には、自慢話や誇りに聞こえるかも知れません。ですから、あまり数や規模等のお話よりも苦労する面や戦いの面をお話しするのです。別に、嘘を言っているわけではありませんし、輪をかけて話しているのでもないのです。パウロは、自分自身の体験があまりにも大きく、素晴らしいものなので、どのように話しても、遠慮して話しても聞く相手には、すごい事で、自慢げに聞こえてしまうということを懸念したのだと思うのです。
 7節BCを共に読みましょう。「それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。」 パウロも人間です。やはりパーフエクトではありません。ですから、大きな体験、ものすごい経験をしたわけですから、思い上がるようなことも出てきたのかも知れません。
私たちは、特別な経験や人より秀でた事に関してほめられると、「そんなことはありません。それほどでも」とは言いますが、うれしいことです。心くすぐられるように思います。それが変になると本当に、高慢、傲慢になってしまうのです。 パウロは、自分自身が特別な体験をしたがゆえに、思い上がらないように「わたしの身に一つのとげが与えられました。」と言いました。
 この「とげ」についてはいろいろな事が言われています。霊的な誘惑、パウロの直面する反対や迫害、肉欲の誘惑とも言われますが、やはり身体的なものであったであろうと言われます。てんかんであったとか、はげしい頭痛持ちであっとも言われます。また、パウロはダマスコ途上で復活の主に出会い目が見えなくなったという体験から目が悪かったのではないかと言われています。ガラテヤの手紙4章15節には、「あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。」とあります。また、パウロはマラリヤ熱に慢性的に侵されていたのではないかとも言われています。どのような病であれ、「一つのとげ」と表現したのですから、肉体に突き刺すような痛み、一度痛みが起これば、のたうちまわるような痛みであったのです。
 旧約聖書にヨブ記があります。ヨブという人物は、聖書には「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。」とあります。10人の子宝に恵まれ、羊7千匹、らくだ3千頭、牛5百くびき、雌ろば5百頭の財産があり、東の国の一番の富豪だと聖書は記しています。このヨブは、彼の正しさゆえに、信仰のゆえに苦しみを経験します。サタンが子供たち、財産を奪い取ること、ヨブの肉体に苦しみを与えることを神様から許されて、ヨブは1日にして全ての財産と子どもたちを失い、自分の体に大きな痛みが与えられたのです。ここからヨブの苦しみが始まりました。ヨブはサタンによって打たれたのです。パウロのとげも、サタンから送られた使いなのです。
 特別な祝福、才能、そのようなものを与えられた人々には、また別の痛みや苦しみ、その人にとっての辛いことがあるのではないかと思うのです。イチロー選手も人からうらやまれるような才能や地位、お金があるでしょうが、また別に、彼にしかわからない痛みや苦しみがあるのだと思うのです。
 先日、スマップというグループのメンバーの一人が、酒に酔って公然ワイセツ罪で逮捕されました。日本中や他の国でも支持されるその人も、地位もあり財産もあり、将来も約束されている彼でも、やはり彼にとっての苦しみや痛みがあるのではないかと思うのです。私たちも、それぞれに何か、苦しみや痛み、問題を抱えているのではないかと思うのです。

 ⒊弱さの中でこそ発揮されるキリストの力
 8節を共に読みましょう。「この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。」 私たちは、自分の苦しみ、痛みが取り除かれるように神様に祈ります。当然です。水曜日の祈り会でも、毎週病の中にある方々の痛みがなくなるように、癒されるようにと祈り続けています。当然、パウロも主に祈ったのです。パウロは宣教に命をかけていました。イエス様の十字架と復活を語ることがパウロの使命でした。ですから、病のために福音が語れないということはパウロの一番の痛み、悲しみだったのです。では、サタンから送られたとげを離れ去らせて下さるようにと言うパウロの祈りは聞かれたのでしょうか。
 9節を共に読みましょう。「すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしのうちに宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」 痛みの中にあるパウロ、痛みが取り除かれてもっと福音のために働きたいと願うパウロ、とげの苦痛から開放して欲しいと願うパウロに対してイエス様は、「わたしの恵みはあなたに十分である。」と言われたのです。恵みと訳されている言葉を詳訳聖書では、「厚意、愛のこもったいつくしみ、あわれみ」とも訳しています。神様の恵み、厚意、愛のこもったいつくしみ、あわれみは足りているというのです。十分だと言うのです。ここにイエス様と私たちとの食い違いがあります。私たちは、痛みも苦しみも全てが取り去られることが十分である、足りていると考えます。けれども、イエス様は、今のその状態、痛みを抱えたままの私、問題のただ中にある私、苦しみや悲しみを背負っているそのままの私が、神の恵みが十分足りていると言われるのです。
 その理由は、「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」というのです。キリスト様の力が十分発揮される場所は、私たちの得意な所、強い所、プラスに見える所ではなくて、弱さの中、痛みの中、苦しみや悲しみの中、問題のただ中であるというのです。私たちの問題とされる所、欠点とされる所、最も弱い場所が、キリスト様の力が一番に、最も発揮されると約束されているのです。なんと感謝なことではないでしょうか。詳訳聖書には、「最も効果的に現れる」と訳しています。私の大好きなリビングバイブルの9節の訳を紹介しましょう。「そのつど返ってくる答えは、こうでした。「いや、治すまい。しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。わたしの力は弱い人にこそ、最もよく現れるのだから。」今では、私は、自分の弱さを喜んで誇ります。力や才能を見せびらかすのではなく、喜んでキリスト様の力の生き証人になりたいのです。」 治さないことで、治らないことで、そこに神様の力が働くのです。そこにこそ、神様のみ心が現れるのだと思うのです。
 4月19日、先週の日曜日の朝、加藤礼子姉が天に召されていかれました。4年近く、意識のない状態が続いていました。教会では、姉妹が癒されるように、回復するように、もう一度お話しができるようにと祈り続けました。けれども、神様のお心は姉妹をご自身のみもとに引き寄せることでした。姉妹の全ての重荷を解放することでした。23日の木曜日に、告別式が執り行われましたが、感話、思い出で礼子姉のご長男がお話ししておられました。母の意識が戻ったとしたら、その痛みのゆえに、苦しみに耐えられただろうか。意識が戻らなかったというのは、痛みを感じないという神様の導きではなかっただろうか、とお話され、確かにそうだあと思いました。神様の思いとは、全ての事柄に配慮された最善の導きだと強く感じました。
 私たちは、肉体を持つ者として病を経験します。病を通して痛みや苦しみを経験します。愛する者の病気の事で悲しみを経験します。そして、神様に熱心に癒しを祈り求めます。回復を求めます。けれども、神様は、その回復がさらなる痛みを増す事になるのなら、神様は回復する事をとどめられるかも知れません。加藤姉がそうであったように。その痛みは本人しかわからないのです。回復したから痛みが和らぐとは限りません。パウロにとっても、病が癒されて元気に宣教することが神様のお心ではなくて、痛みを持ちながら、重荷を負いながら、神様が共におられる事を意識し、この弱さと痛みの中にこそ、キリスト様の力が最も現されることだと信じて感謝して生きることだったのだと思うのです。「だから、キリストの力がわたしのうちに宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」とパウロは信仰告白したのです。私たちも、自分の最も弱い場所、痛い箇所、最も駄目だと思われる、その場所にキリスト様の力が最も働くのだと信じて歩みたいと思うのです。

 Ⅲ結論部
 10節でパウロは言います。「それゆえに、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。」 イエス様が、「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と約束されたので、パウロは自分の弱さや問題に満足できました。そして、弱いからこそ、そこにキリスト様の力が働き、強くされると告白したのです。弱い者こそ、キリスト様にあってもっとも強いと言い切りました。リビングバイブルには、「すべてはキリスト様のためであることを知っているので、その「とげ」も、侮辱も、苦しみも、迫害も、困難も、大いに喜んでいます。なぜなら、弱い時にこそ私は強いからです。無力であればあるほど、それだけしっかりと、キリスト様によりすがるようになるからです。」
 クリスチャンになると信仰も強められて、問題も解決し、信仰生活をスーと送れると思っていませんか。勿論、そのような方々もおられます。けれども、クリスチャンになっても、自分の人格や性格がよくならない。愛が足りない。家族に証しできない。病気にもなる。苦しみや痛みが取り除かれない、と落ち込んでしまうことはないですか。クリスチャンになるということは、全ての事が解決し、病気があれば癒され、家族の問題が解決し、将来が祝福されることではありません。イエス・キリスロ様を救い主と信じて、神様と共に歩む事がクリスチャンなのです。だから、マイナスと思えることやいろいろな問題があることで、クリスチャンらしくないと思わないで下さい。パウロも祈り求めましたが、「いや治すまい」と言われました。あのような信仰者でさえ、なおらない病を持っていました。イエス様は、「しかし、わたしはあなたと共にいる。それで十分ではないか。」と言われました。直らない事が十分なのです。問題があることが、なかなかプラスにならないことが十分だと言われるのです。なぜなら、そこにこそ、キリスト様の全能なる力が最も現れるからなのです。信じましょう。
 病に対して癒されるということが最終的な目的になってしまうと、パウロに与えられた主の御言葉は理解できないと榎本先生は語っておられます。神様との出会いは、私たちがその弱さや問題を認めて、私たちが全く弱くなりきれた時、イエス様を受け入れる他に何も残っていない事に気づく時に可能になるのだと思うのです。イエス様の十字架、最も弱いと見えた十字架こそ、私たちの救いの根拠となったのです。弱さの極み、それはイエス様の十字架です。そこに神様の全能の力が働き、罪の赦しのみ業が始まったのです。弱さの極み、十字架にこそ最も神様の恵みが現れる所となったのです。
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4月19日 礼拝メッセージ

2009-04-19 21:52:39 | Weblog
            主日礼拝(復活後第一)       2009.4.19
        「はじめの第一歩」 ヨハネ21:1-17

 Ⅰ導入部
 おはようございます。今日も愛する皆さんと共に礼拝をささげることができますことを感謝致します。先週は、イエス様がよみがえられたことを記念するイースター礼拝でした。多くの方々と心を合わせて主を賛美し、礼拝できましたことを感謝致します。4名の方々が洗礼を受けられ、1名の方が入会されました。私たちは、今日も復活の主に出会い、主から多くの恵みと祝福をいただきたいと思います。
 
 Ⅱ本論部
 ⒈ガリラヤへ帰る弟子たち
 先週、私たちはよみがえられたイエス様、イエス様の言葉を思い出しイエス様の復活を信じた女性たち、女性たちの言葉をたわ言と信じなかった弟子たちの姿を見ました。イエス様は弟子たちに語られたとおりに、苦しみを受け、十字架につけられ、死なれましたがよみがえられたお方なのです。
 イエス様は、不信仰な弟子たちが集まっている場所に現れ、女性たちが言った通りによみがえられたことを証明なさいました。弟子たちは、よみがえられたイエス様を見て喜びました。けれども、トマスだけは一緒にいなかったので、イエス様のよみがえりを信じないで、「イエス様の手に釘の跡を見、指を釘跡に入れてみなければ、また手を脇に入れてみなければ、決して信じない。」と言いました。
8日の後、イエス様はトマスを加えた11人の弟子たちの前に、よみがえられたご自身を現され、トマスにやさしく、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と語られました。イエス様は、エルサレム、あるいはエルサレムの近くで2度弟子たちの前に、よみがえられたご自身を示されました。
 ペトロを中心とした弟子たちは、ガリラヤ地方に帰って来ました。イエス様がよみがえられたことは、2度弟子たちに現れた次第でわかりました。けれども、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちの町ガリラヤ地方に帰ってきたのでしょうか。あるいは、イエス様が十字架につけられた場所、エルサレムにはいたくなかったのかも知れません。いろいろな事が考えられますが、弟子たちがガリラヤに帰って来たのは、婦人たちのようにイエス様の言葉を思い出したからだと思うのです。マタイによる福音書28章10節には、「イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」」という言葉を弟子たちは、思い出し、2度のイエス様の出現と合わせて、弟子たちはガリラヤに帰って来たのだと思うのです。
 ガリラヤ地方、そこはイエス様と共に宣教した思い出の場所です。弟子たちが、ガリラヤに帰ると、イエス様の言葉やメッセージ、奇蹟の業がよみがえってきたのではないでしょうか。
 今回、イスラエル旅行で美しいガリラヤを体験しました。イエス様はガリラヤのカペナウムに居を構えたようです。そこを中心に宣教活動されました。ペトロの家の跡を見学しましたが、といても大きな屋敷跡のようで、ペトロも網元のような立場であったではないかと思いました。ガリラヤ湖を中心に、とても美しい場所でした。花がきれいで、「野の花を見なさい」と言われた花々を、今見ていると感動を覚えました。もう4月には枯れると榊原先生が説明して下さいました。
 私たちは、ガリラヤではゆっくりとした時間を持つことができました。丘の上からガリラヤ湖まで降っておりました。花々がきれいで本当に感動しました。ガリラヤ湖を眼下に見て、イエス様が歩いたであろう道を今歩いているという感動でした。途中で、最初賛美しました40番の「ガリラヤの風かおる丘で」を榊原先生と全員で賛美しました。まさに、「ガリラヤの風が香る」という素晴らしい瞬間でした。イエス様は、この場所で宣教し、生活された。その場所に今、私が立っている。本当に幸せな時間を過しました。弟子たちにとっても、このガリラヤ地方は、イエス様との思い出がぎっしり詰まっている場所なのです。その場所に弟子たちは、帰ってきたのです。

 ⒉岸に立つイエス様
 21章の1節を見ますと、ティベリアス湖畔とありますが、ガリラヤ湖のことです。ガリラヤ湖を別名ティベリアの海とも言います。ティベリアはガリラヤ湖西岸にあった町で、紀元20年頃ヘロデ・アンティパスによってつくられ、時の皇帝ティベリウスに敬意を表してこの名前がつけられたようです。
 3節を共に読みましょう。「シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。」 イエス様の言葉によると、「ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」ということでしたが、弟子たちはなかなかイエス様に出会う事ができなかったのではないかと思います。だから、ペトロは昔の職業である漁師をしたのではないかと思うのです。そして、夜中に漁に行ったけれども何も獲れなかったのです。
 4節、5節を共に読みましょう。「既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。」 夜が明けたころ、イエス様が岸に立っておられたとありますが、聖ペトロの教会がガリラヤ湖のそばに建っています。その教会の横に岩があり、そこがイエス様が立っておられた場所であると説明されました。本当に、2千年前にイエス様が立たれたことを感じさせるような岩でした。イエス様は、食べる物が何かあるかと問われましたが、何も獲れなかったわけですから、弟子たちは、「ありません」としか答えられませんでした。
 6節を共に読みましょう。「イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまりに多くて、もはや網を引き上げることができなかった。」 一晩中、漁をしても何も獲れませんでした。けれども、岸に立っている人の言う通りにしたら、驚くほどの魚が獲れたのでした。ガリラヤ湖の岸から湖を見ると、魚の群れがいるのがよく分かりました。泉の水が流れ込むあたりでした。ですから、湖の上にいる弟子たちには、見えなかった魚の群れがイエス様には見えて、イエス様の支持に従ったら大漁であったということが理解できます。けれども、イエス様には見えようが見えまいが、イエス様の言葉に従った結果多くの魚が獲れたのです。
その光景を見てヨハネはピンと来ました。7節を共に読みましょう。
「イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。」 ペトロらしい行動だと思います。「主だ」とヨハネは叫びました。「主だ」と聞いたペトロは、「ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」というイエス様の約束の言葉を思い出したでしょう。よみがえられた主、もういても立ってもいられません。ペトロは、裸だったので上着を着て湖に飛び込み、岸に立っておられるイエス様をめがけて泳いだのです。なぜ、わざわざ上着を着て湖に飛び込んだのかと言うと、ユダヤの法によれば、挨拶をするといのは、宗教的な行為であって宗教的な行為をする時は着物を着けていなければならなかったようです。ですから、ペトロは弟子の誰よりも一番先にイエス様と挨拶をしたかったのではないでしょうか。
 他の弟子たちは、魚のかかった網を引いて陸まで行きました。9節を共に読みましょう。「さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。」 イエス様は、弟子たちのために魚を焼き、パンを用意していて下さいました。一晩中、働いて何も獲れなくて疲れている弟子たちに、イエス様は朝食の準備をされたのです。イエス様は、弟子たちの全ての行動を見ていて下さり、必要なものを備えていて下さいました。同じように、私たちの行動を全て見ていて下さるお方です。そして、必要を満たし、必要な助けを与えて下さるのです。

 ⒊再び召されるペトロ
 12節、13節を共に読みましょう。「イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いだそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。」
 ガリラヤ湖畔に立つ「聖ペトロ教会」に入ると講壇のあたりに岩があります。その岩は、イエス様と弟子たちが共に食事をしたと言われている岩です。その岩は会堂の外につながっており、イエス様が岸辺に立たれたと言われている岩に続いているわけです。そこでの食事は、イエス様は5つのパンと2匹の魚で多くの人々を養われた、あの光景を弟子たちに思い出させたことでしょう。 14節にありますように、イエス様は弟子たちに、復活されたご自身を現されたのは3度目になります。
 15節を共に読みましょう。「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。」 ペトロにとって、イエス様を3度知らないと言ってしまったということは、彼の人生の中での最大の出来事でした。「鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」と言われて、それを否定し、共に死ぬ覚悟ですとは言ってはみたものの、気がついたら鶏が鳴いていた。イエス様のお言葉の通りに、イエス様を完全に否定してしまいました。そして、イエス様は振り向いてペトロを見つめられたのです。その眼差しが忘れられなかったでしょう。イエス様がよみがえられたと婦人たちから聞いた時、ペトロの胸は痛んだでしょう。イエス様に会わせる顔がない。最初、弟子たちによみがえりのイエス様が御自分を示された時、ペトロも他の弟子たちと共に喜びました。けれども、心の中には恐れや不安があったことでしょう。トマスが信じないと言ってイエス様の復活を否定した時、ペトロは自分自身のイエス様に対する3度の否定を思い出したのかも知れません。そして、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」とトマスを諭されるイエス様を見て、ペトロ自身、イエス様を3度否定した事に対する解決がないままでいることを強く感じていたでしょう。
 ガリラヤで会える、というイエス様の約束を信じてガリラヤに戻り、3年前の光景、イエス様の言葉に従い、沖へ漕ぎ出し漁をすると多くの魚が獲れた。その事を思い出させる今回の出来事。「主だ」という声にペトロは上着を着てイエス様に挨拶するために湖に飛び込みました。イエス様は、これまでの、ペトロの辛い思い、切ない心、どうしようもないペトロの思いを全て知っていて下さったに違いないのです。
 イエス様は「シモン」と呼ばれました。イエス様に出会うまでの彼の本名です。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直った、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31-32) と、ペトロの裏切りを予告された時も、シモンという彼の本名で呼ばれました。今回も同じです。3年前の初めて出会った時も、「「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ「岩という意味」と呼ぶ事にする」と言われた。」(ヨハネ1:42)とシモンという名前を呼ばれました。かつて主が、「ケフアと呼ぶ事にする」「岩のような信仰になる」と言われた、あの時を思い出してほしい。あなたは3度私を知らないと言った。失敗した。けれども、あなたの信仰は岩だ。その事を思い出させるかのようにして、「シモン」と呼ばれたのではないでしょうか。主は、私たち一人ひとりの名を呼んで下さるのです。

 Ⅲ結論部
 イエス様は、ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と問われました。共に死ぬ覚悟ですと宣言したペトロ、けれども、逃げ出したペトロ、イエス様を3度も否定したペトロに、「他の誰よりも愛するか」と問われたのです。 ペトロは答えます。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と。リビングバイブルには、「だれよりも、あなたがご存じのはずでしょう。」とあります。 ペトロの裏切りを予告された時、ペトロはそれを否定し、「主よ、ご一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております。」(ルカ22:33)と言っても、「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」(ルカ22:34)と言われ、イエス様のお言葉どおりでした。イエス様の全てをご存知でした。だからペトロは、ペトロ自身のイエス様への愛情はご存知のはずです、と答えました。失敗を通して学んだ者の謙遜な態度だと思います。ペトロは、イエス様を否定するという失敗、弱さを通して大切なものを学びました。自分の罪の深さを知りました。どんなに頑張ってもどうしようもない自分の罪の深さを知りました。そして、その罪のためにイエス様が死んで下さったこと、死んでよみがえられたことを知りました。信じました。そして、罪ある者を赦し、新しい使命を与えて下さるイエス様の大きな愛にペトロは触れたのです。「わたしの小羊を飼いなさい」とイエス様が失敗だらけの、どうしようもない、信頼されるはずのないペトロを信頼し、大切な小羊を委ねて、新しい使命を与えて下さるイエス様の愛に再び触れることができたのです。
 聖ペトロ教会の横には、イエス様がペトロを召していて下さる銅像があります。ペトロがイエス様の前にひざまづいています。イエス様はひざまずいたペトロの頭の上に手を差し伸べておられます。
ペトロの第二の召命とも言うべき場所です。ここからある意味でのペトロの伝道者としての歩みが始まったように思えるのです。ペトロにとっては、ここが「はじめの第一歩」となったのです。
 あなたにとって「はじめの第一歩」とはどこでしょうか。今日ここからでしょうか。イエス様はあなたの全ての罪、弱さ、問題をご存知です。その全ての解決をイエス様は持っておられるのです。あなたのその汚れ、罪のために十字架にかかって死んで下さいました。罪深い、どうしようもない私たちの身代わりに、聖なる、罪無きお方が十字架にかかって私たちに代わり苦しみ死んで下さったのです。そのイエス様が私たち一人ひとりの人生に目的を持ち、私たちにもペトロと同じように、使命を、なすべきことを示して下さるのです。あなたの人生を祝福し、導かれるイエス様を受け入れて、このお方を心の王座に迎えて、このお方と共に人生を共に歩んでまいりましょう。
 そのためにも、日々、聖書の言葉、神の言葉に触れて、イエス様のお言葉に従ってまいりましょう。イエス様の言葉に従って大漁を経験したペトロのように、イエス様の言葉に従う者にイエス様は恵みと祝福を与えて下さるのです。
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4月12日 礼拝メッセージ

2009-04-12 15:30:13 | Weblog
         イースター礼拝(復活日)       2009.4.12
       「イエスの言葉を思い出せ」 ルカ24:1-12

 Ⅰ導入部
 おはようございます。今日も愛する皆さんと共に礼拝をささげることができますことを感謝致します。今日はイースター礼拝です。イエス様が死に勝利されたことを記念する素晴らしい時です。全世界の教会の礼拝で、復活際、イースター礼拝が執り行われています。
 先週は、日曜日にシュロの主日で受難週が始まりました。イエス様の十字架での苦しみを連夜祈祷会の中で覚えながら祈りをささげました。また、私たちは愛する早川元広兄を天に送り、先週の日曜日は、この地上での兄弟との最後の礼拝を持たせていただきました。日曜日の夜には前夜式、月曜日には告別式を執り行い、早川兄の人となりを見させていただき信仰者としての82年の生涯を覚えながら、私たちはイエス様の復活により、信じる私たちにもよみがえりの命、永遠の命が与えられていることを葬儀を通しても確認させていただきました。イエス様は全人類の罪のために。十字架にかかって死なれました。そして、墓に葬られました。けれども、3日目に死に打ち勝ち、墓を破られ、よみがえられたのです。私たちは、そのよみがえりを聖書を通して知り、事実として信じて、私たちも復活の望みをいただいているのです。
 今日は、ルカによる福音書24章1節から12節を通して、「イエスの言葉を思い出せ」という題でお話しさせていただきたいと思います。また、今日は、4人の方々が洗礼を受け、1人の方が入会されます事を感謝致します。

 Ⅱ本論部
 ⒈イエス様は十字架で死なれた
 イエス様は、神様でありましたが私たちの罪を赦すために十字架にかかって死んで下さいました。エルサレムには、聖墳墓教会というのがあります。イエス様がゴルゴタの丘で十字架にかけられ死なれた場所を記念して建てられている教会です。ビアドロローサといって、第1のピラトの官邸から14の聖墳墓教会までのステーションがあります。イエス様が十字架につけられた場所が11ステーション、イエス様が十字架につけられている所の絵画があり、その前に祭壇がありました。12ステーションは、イエス様が十字架上で息をひきとられとされる場所です。この箇所も飾りが多くて、キラキラしていて、何か十字架の死のイメージとは違う感じもしました。13ステーションは、イエス様が十字架からおろされた時のもので、
14ステーションが、イエス様が埋葬された場所、復活された場所となっています。その他には、イエス様が母マリアと出会った場所、ベロニカという婦人とイエス様tの出会いの場所、イエス様が最初に倒れた場所というようにその場所が記念されています。今も生活道路の中にありますので、人ごみでゆっくり見ることはできませんでした。聖墳墓教会の中にはいくつかのステーションがあります。私たちは、聖墳墓教会からから逆に戻って行きました。
 聖墳墓教会の中に入ると、すぐ正面に、イエス様の体が埋葬のため準備された場所、イエス様がよこたわれた場所であると信じられており、その石板の前で祈りをささげている人もいました。自分で買ったおみあげを、その岩の上において、清めていただいているという人もいました。
 聖墳墓教会は、何か飾り物が多くて、私たちにとってはごじゃごじゃした感じと言うのが正直な感想です。ゴルゴタの聖堂北側の階段を降りた所にある畳ほどの大きさの赤い大理石版は、十字架から降ろされたイエス様に香油を塗った場所とされているようです。
 この聖墳墓教会は、ギリシャ正教、アルメニア正教、ローマ・カトリック教会が共同で管理しているので、時々いざこざがあるようです。2008年4月21日には、ギリシャ正教とアルメニア正教の信者同士が乱闘事件を起こし、11月10日には、同じくギリシャ正教とアルメニア正教の聖職者同士が乱闘事件を起こしました。イエス様の死をいたむ厳粛な教会の中での聖職者同士の争いは、世界中に配信されました。イエス様の死という全人類の贖いの業も、人間の利権や権力の道具にされて悲しい思いがします。けれども、イエス様の死は事実であり、その死によって私たちの罪が赦されていることも事実なのです。私たちは目に見えるもの、人間の何かで判断するのではなく、聖書に記された神様の業、イエス様の十字架を通しての救いにしっかりと目を留めたいと思います。イエス様は、死なれましたが、その墓にはイエス様の遺体はないのです。
 イギリス人のゴードンという人は、ゴルゴタとはしゃれこうべという意味で、骸骨を思わすその場所が、イエス様が十字架につけられた場所として公表し、現在園の墓として多くの人々が足を運んでいます。そこにある墓の場所には、「彼はここにいない。よみがえられた。」という言葉が書かれています。イエス様は、確かに死んで葬られましたがよみがえられたのです。

 ⒉神を信じて前進する
 24章1節を共に読みましょう。「そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。」 イエス様を愛し、仕えていた婦人たちは、イエス様の埋葬の時に十分なことができなかったので、安息日を終えて改めて葬りの備えとしてイエス様の体に香油を塗ろうと思いました。
 安息日には、お墓には行けませんから安息日が土曜日の夕に終り、日曜日の明け方早くにイエス様の埋葬されている墓に急ぎました。この香油を塗ることを男性たちがするとしたらどうなっていたことでしょう。男性は案外理性が先に立ってしまうように思います。当時のお墓は横穴式の穴の中に遺体を納め、入口を大きな石でふさぎます。しかも、ピラトの命令でローマの番兵たちも数人いたことでしょう。封印もされていました。ですから、これが男性たちなら、封印もされ、番兵もおり、大きな石が墓の入口にあるなら無理だ。行ってもどうしようもないので無駄だと考えてしまい、墓に行くことはなかったのかも知れません。ローマ兵に捕まってしまうと考えるかも知れません。
 女性は、理性よりも心で感じて行動すると言っていいでしょうか。お墓の入り口には大きな石、ローマの番兵、封印と知り、イエス様の体に香油を塗る事は不可能だ、と分かってもイエス様に対する思いと愛のゆえに、どんな障害があるとわかっていても、その障害を顧みずに墓に向かって行きました。そこでよみがえられたイエス様の復活の出来事を知ることができたのです。
 私たちは人生の中で、信仰生活の中で、石があるからできない。ローマの兵士がいるからとのように、あの人がいるから、どうだからできないと思ってしまうことがあるのではないでしょうか。言っても無理だ。やってみても無駄だ。私たちは、私たちの目の前に見える現実の前に、すぐにあきらめてしまうことがないでしょうか。何も行動せず何もしないで終わってしまうということがないでしょうか。イエス様は死んでよみがえられたのです。この神様が生きておられる世界に私たちは住んでいるのです。心配することはないのです。イエス様に信頼して、委ねて行動するならば、不可能が可能に、マイナスがプラスに変えられるのです。あの婦人たちのように。
 2節には、「見ると、石が墓のわきに転がしてあり」とあります。入口は空いていました。マタイによる福音書を読むと、「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」(マタイ28:2-4)とあります。
信仰をもって神様に期待する者に神様は答えて下さるのです。「何も心配することはなかった」というように導いて下さるに違いないのです。恐れず、イエス様に信頼していきましょう。
 3節から5節まで共に読みましょう。「中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。」」 婦人たちは、イエス様の遺体に香油を塗りにいきましたが、イエス様の遺体はどこにも見当たらなかったのです。輝く衣を着た二人は、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。」と言いました。ここは、死んだ者の場所。ここにはイエス様はおられないのです。これが神様のみ業なのです。

 ⒊み言葉に裏付けられた信仰
 6節から8節を読みましょう。「「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。」 二人は、イエス様が復活された、という事実を語りました。そして、事実の裏づけとして、イエス様がかつて語られた言葉を語りました。「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている」。イエス様は全人類の罪の身代わりのために、十字架にかかって死ぬけれども、事実死ぬのだけれども、三日目に復活する事になっている。そして、今日がその三日目なのです。  イエス様は、私たち一人ひとりの罪のために十字架にかかって死んで下さいました。本来ならば、私たちが罪ゆえに十字架で裁かれなければならないのに、神様は私たちを愛し、私たちの罪を赦すために、神であるお方、罪のないお方を私たちの身代わりに十字架につけられたのです。私たち罪人の身代わりに裁かれるお方は、罪なき者でなければならなかったのです。イエス様は私たちを愛するがゆえに、御自分の命を、全てを投げ出して下さったのです。
 ヨハネによる福音書には、「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」(ヨハネ10:17-18) リビングバイブルには次のように記してあります。「わたしが、再び命を得るために、いのちを投げ出すからこそ、父はわたしを愛してくださいます。だれもわたしの意に反して、わたしを殺すことはできません。自分から進んでいのちを捨てるのです。わたしには、いのちを自由に捨て、もう一度それを得る権威と力があるからです。父がこの権威を下さったのです。」イエス様は、私たちのために、自ら進んで命を捨てて下さったのです。だからこそ、またよみがえられたお方なのです。
 婦人たちは、復活の事実をかつてのイエス様の言葉に確信を持ちました。イエス様のその言葉を思い出して、イエス様のよみがえりを信じることができたのです。けれども、イエス様の弟子たちは、信じませんでした。11節を共に読みましょう。「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。」 弟子たちは思ったでしょう。「女性はすぐこれだ。願望が夢となって、そのように見えたに違いない。遺体がないからと言って復活したなんてナンセンスだ!」リビングバイブルには、「だれも、まともに信じようともしませんでした。」とあります。復活なんて、まともな事柄ではないのです。常識ではないのです。その常識を破るのが神であり、神だからこそ、人間にはあり得ないと思える事柄を実現とされるのです。弟子たちは、イエス様が語った言葉を誰も思い出しませんでした。
 けれども、イエス様を三度知らないと否定したペトロは、イエス様の復活を信じないまでも、まともに信じなかったけれども、婦人たちの驚きに感じて、お墓を見に行きました。すると、婦人たちの言った通りに、そこにはイエス様の遺体はなく、ただイエス様を包んだ亜麻布だけしかなかった光景を見て、驚きながら、もしかしたらと思いながら、帰って行ったのおです。

 Ⅲ結論部
 婦人たちと弟子たち、ペトロの違いは何かというとみ言葉です。婦人たちは、かつてのイエス様の言葉を思い出しました。み言葉により所を置きました。イエス様のお言葉、み言葉が復活の事実を受け入れさせたのです。一方、弟子たちはイエス様の復活が「たわ言」のように思われたのです。あり得ない話し。バカげたお話しだったのです。イエス様は、弟子たちに何回か、「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている」ということをお話しになっていたのです。弟子たちは、イエス様の言葉を思い出さなかったのです。
 ペトロも、婦人たちの言葉にバカげたことだと信じませんでしたが、墓には行ってはみたものの、確かに遺体はないけれども、「おかしいなあ」で留まってしまっていたのです。ペトロもイエス様の言葉を思い出さなかったのです。
 私たちはイエス様の言葉、み言葉を思い出すということが大切なことだと思います。私たちは聖書の言葉を通して、聖霊が励まして下さるのです。勇気を与えて下さるのです。私たちの信仰生活が、み言葉に裏付けられたものとしての、岩を土台とした歩みをさせていただきたいと思います。
 私たちは、この週もみ言葉にたった歩みをさせていただきたいと思います。

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4月5日 礼拝メッセージ

2009-04-05 22:28:58 | Weblog
            主日礼拝(受難週)       2009.4.5
       「十字架は誰のためなのか」 ルカ22:54-62

 Ⅰ導入部
 おはようございます。今日も愛する皆さんと共に礼拝をささげることができますことを感謝致します。3週間ぶりのお話しになります。阿部頌栄先生、水城神学生がメッセージを下さいました。感謝です。久し振りのお話しで緊張しています。新しい年度の最初の礼拝として、少しの緊張がある方がいいと思います。2009年度の最初の礼拝、今日はシュロの主日、今日から受難週に入ります。私たちが横浜に来まして丸8年が過ぎました。今日から9年目になります。この年も皆さんと共に、毎週心からの礼拝をささげていきたいと思います。
 4月3日の金曜日、午前6時18分に、愛する早川元広兄が天に召されました。今日は兄弟と共にこの地上での最後の礼拝を共に持つことができますことを感謝致します。ご家族の皆様の上に、神様の豊かな慰めと支えがありますようにお祈り下さい。
 さて、創立40周年記念の最後の行事でありましたイスラエル聖地旅行も無事終り、9名の者たちが多くの恵みをいただいて元気に帰ってまいりました。皆様のお祈りに心から感謝致します。本当に、楽しい旅でした。参加された方々からいろいろとお話しを聞いておられることでしょう。話しても、話しても時間が足りないというのが本音でしょう。イエス様の歩まれた道、その跡を辿ってまいりました。これからいろいろな形で皆さんに紹介させていただきたいと思います。
 今日は、受難週の記事でありますルカによる福音書22章54節から62節を通して、ペトロのイエス様の否定の記事を通して、「十字架は誰のためなのか」という題でお話ししたいと思います。

 Ⅱ本論部
 ⒈すでに赦されている
 2月25日㈬に灰の水曜日を向かえ、受難節となりました。イエス様の十字架の苦しみを思い、痛みを自分の罪のためであると深く考える季節、日曜日を除く40日間もあと6日間となりました。今週は受難週でイエス様がエルサレムでの苦しみ、特に金曜日は聖金曜日でイエス様が十字架につけられた日を記念して、私たちは十字架の恵みに感謝したいと思います。
 今日の日曜日から受難週ですが、この日曜日はイエス様が十字架につくためにエルサレムに入城された日を記念としています。シュロの主日とも言います。多くの人々が子ろばに乗ったイエス様を、シュロの木の枝を道に敷いて歓迎したのです。イエス様は、御自分が全人類の罪の身代わりに十字架につくことに覚悟を決めて、エルサレムに入城されました。このエルサレム入城に際して、多くの人々が「ホサナ、ホサナ」と言ってイエス様を歓迎する姿を見た弟子たちは、多くの人々がイエス様を王として歓迎していると感じた者もいたはずです。王となるイエス様の弟子たちは、鼻高々で自分たちの将来に夢見ていたに違いありません。
 そのような弟子たちに対して、特にペトロにイエス様は言われました。「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直った、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31-32) 弟子たちはイエス様を裏切るというのです。ペトロは反論します。「主よ、ご一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております。」(ルカ22:33) イエス様に全てをささげて従って来た。3年と少しの間イエス様と共に寝食を共にして来た。そのイエス様を裏切るはずがない。一緒に捕まり、イエス様と共に死ねる、というのがペトロの覚悟でした。しかし、イエス様は語るのです。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」(ルカ22:34)
 私たちは、イスラエル旅行の中で、鶏鳴教会という所に行きました。鶏が鳴く教会、つまりイエス様が言われたように、「鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言う」ペトロの3度のイエス様を否定したことを記念する教会です。大祭司カヤパの官邸の跡です。ここがイエス様が裁判を受けた場所であり、ペトロがイエス様を否定した場所なのです。教会の入口の扉には、ペトロにイエス様が裏切りを予告されている場面の鉄製の絵画がありました。イエス様が三本の指を立てて、「3度」と言い、ペトロが「私がですか」というような表情をしているのです。弟子の何人かは3本の指を立てている者もいます。 一緒に死んでも言いとまで言ったペトロに、「鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」と言われたのです。
 誰にでも弱さや失敗があります。自分で失敗しよう、裏切ろうと思ってはいなくても、やはり言われた通りに失敗することがあるし、弱さがあるのです。ペトロの失敗は聖書にも記されていますし、鶏鳴教会を訪れる人々に、その弱さを印象づけるのです。けれども、イエス様は、その失敗、裏切りをご存知でした。だからこそ、「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直った、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と最初に語られたのです。

 ⒉イエス様との関係を隠す
 ルカによる福音書22章54節~55節を読みましょう。「人々はイエスを捕らえ、引いて行き、大祭司の家に連れて入った。ペトロは遠く離れて従った。人々が屋敷の中庭の中央に火をたいて、一緒に座っていたので、ペトロも中に混じって腰を下ろした。」 ゲッセマネでイエス様が捕らえられた時、イエス様の弟子たちは一目散に逃げて行きました。しかし、ペトロは違いました。逃げたのは逃げたのだけれども、イエス様の裁判の場所となった大祭司の家、カヤパの官邸に後から行きました。ですから、他の弟子たちよりもイエス様のことを思っていたと言えるかも知れません。ペトロは、一度は逃げ出したものの、思い返して人々が裁判の場に行くずっと後から誰にも知られないようについていきました。55節をリビングバイブルでは、「家の中庭では、兵士たちがたき火を囲んで暖まっています。うまいぐあいに、ペトロもその中にまぎれて座り込んでいました。」 ペトロは、自分がイエス様の弟子、イエス様と関係ある者と悟られないように、人々の中に紛れ込んだのです。
 今まで、イエス様の弟子であるということを誇りに思ってきたペトロでした。イエス様の1番弟子であると自負していたペトロでした。イエス様のそばにいることが幸せでした。イエス様のためなら命も惜しくないと思えたペトロでしたが、今は、イエス様との一切の関係を秘密にしておきたいと思うペトロが、裁判の様子を知るために屋敷の中庭に来て、人々の中に混じって誰にも知られる事なく
様子を見たかったのです。
 56節~57節を共に読みましょう。「するとある女中が、ペトロがたき火に照らされて座っているのを目にして、じっと見つめ、「この人も一緒にいました。」と言った。しかし、ペトロはそれを打ち消して、「わたしはあの人を知らない」と言った。」 リビングバイブルには、女中が、ペトロはイエス様と一緒にいたと叫んだ、というように表現しています。ペトロはイエス様との関係があると叫ばれたのです。密かに、誰にも知られないように、バレないようにと思っていたのに、イエス様と関係があると、誰にもわかるような大きな声で言われたのです。ですから、ペトロはイエス様との関係を否定しました。知らないと。何かを隠そうとする人には恐れがあります。アダムは神様との約束を破った時、神様を恐れて隠れました。ダビデはバテシバとの関係を隠そうとした時、バテシバの夫ウリヤの態度に恐れました。罪を隠そうとする人は神をも人をも恐れるのです。
 58節には、別の人がイエス様と一緒にいたことを言うと、ペトロはそれを否定したことが記されてあります。
 59節~60節を共に読みましょう。「一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。」 ペトロはイエス様が予告した通りに、鶏が鳴く前に3度イエス様を否定したのでした。

 ⒊弱さを覆うイエス様の愛
 鶏鳴教会の上には、鶏の像が建っています。会堂の裏手には、2000年前にイエス様が実際に歩いたであろう道、階段があります。2000年前のそのままの道です。イエス様がゲッセマネで捕らえられて、この階段を降りて官邸の中に入ったのでしょう。イエス様の歩いた道を歩いてまいりました。皆さんも一緒に歩きましょうとビデオに撮ってきました。鶏鳴教会の裏の道を上がった所に、ペトロの銅像があります。やはり一番上には鶏がいます。女性や男性、ローマの兵士に囲まれたペトロが両手を開いています。「私は知らない」というようなイエス様を否定しているような感じです。そのペトロの表情は、真剣そのもの、恐い顔をしているように見えました。何としてでもイエス様との関係を知られたくないというような感じでした。
 イエス様を三度否定する言葉が終わるか終わらないかの時、鶏が鳴いたのです。イエス様の予告どおりに。 61節~62節を共に読みましょう。「主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして、外に出て、激しく泣いた。」 ペテロは、自分自身で大好きなイエス様との関係を完全に否定してしまいました。 イエス様ご自身は、裁判の席に着いていたわけですが、鶏が鳴いたということで、ペテロが御自分を三度知らないと言ったことを悟られ、後ろを振り向いてペトロを見つめられたのです。ペテロを見つめられたイエス様の眼差しは、怒りでもなく、情けないということでもなく、憎しみでもなく、イエス様を自分の肉、つまり自分を守るためにイエス様を三度も知らないと言ったペテロの弱さや失敗をやさしく包んでおられるかのような眼差しだったのだと思うのです。
ペテロはイエス様を知らない、知らない、知らないと三度も否定したわけですが、鶏が鳴くまで気がつかなかったように思います。鶏が突然鳴いた時、イエス様の言葉を思い出し、自分がイエス様を否定した事実を知り、外に出て大声を出して男泣きしたのです。自分の弱さを知るということ、自分の罪を認めるということは、辛いことです。けれども、ペトロは、自分がいかに強がっても、どうしようもないものであることを知ったのです。私たちも自分の罪や弱さを認めることが大事です。
 イエス様は、このペトロの罪のためにも十字架にかかって死んで下さいました。全人類の罪、私の罪、あなたの罪のために、イエス・キリスト様は神様であるのにもかかわらず、罪がないのにもかかわらず、私たちの罪を赦すために、私たちの身代わりに十字架にかかって死んで下さったのです。イエス様の身代わりの十字架の死によって、私たちの罪が赦され、イエス様が死んでよみがえられたように、私たち信じる者にも、永遠の命を与えて下さったのです。天に召された早川兄弟は、罪からの救いを経験し、永遠の命の恵みをいただいて天に帰られたのです。私たちも、イエス様の十字架を信じて、罪赦され、永遠の命の恵みを与えられていることの確信を持ちたいと思うのです。

 Ⅲ結論部
 「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直った、兄弟たちを力づけてやりない。」(ルカ22:31-32) シモンとは、ペテロの本名です。イエス様を知る前の名前です。肉に生きていた頃の名前とも言えます。イエス様は、シモンという名前を出して、ペトロの本来の姿、イエス様から離れた彼の姿をシモン自身の中に見られたのではないでしょうか。 イエス様は、「わたしはあなたのために試みに会わないように、苦しみに会わないように祈った。」とは言われず、「信仰がなくならないように祈った。」と言われました。私たちの人生には、試みや苦しみ、困難がなくなるということはありません。信仰があれば、困難や苦しみがなくなるというものでもありません。クリスチャンであっても、神様を信じていても辛い経験、悲しい経験をすることがあります。私たちがどのような苦しみに会おうとも、イエス様は信仰がなくならないようにペトロのために祈られたように、私たちの信仰がなくならないように祈って下さるのです。
 私たちの罪を指摘して裁くためにイエス様は来られたのではなく、私たちの罪を一身に身に受けて、身代わりに死ぬために来て下さったのです。十字架は私たち一人ひとりのためなのです。
この受難週の毎日、聖書の言葉を通して、「十字架はわがためなり」とイエス様の十字架に感謝を表そうではありませんか。

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