いやいや、一昨年~去年撮った撮影画像HDDが正副ともに壊れたらしく復旧作業に追われております…嗚呼、ちゃんとミラーリングしてたのに。
やはりHDDでの画像保存は怖いんだが2GB弱データをDVD等のメディアで保存するのは厳しいからねえ。
嗚呼、困ったもんだ(苦笑)
そんな訳で↑は先月18日に弁天町の交通科学博物館で撮った33号機。
そのヨーロピアンな意匠が印象的なこのDD54は1966年に試作車3両が造られ、1968~1971年には量産車37両が製造されたんだが、故障・事故が多く1976年には全車廃車と言う悲しい末路であった。
そうそう、ワタクシは物心が付いた頃にはもう走っていないカマなんで本や雑誌の写真でしか見た事の無いんだが、前に貼ったDF50と共に山陰・福知山線で活躍していた箱形機関車と言う事で憧れ的な存在なんですよ♪
で、↑の33号機は特急「出雲」牽引指定機と言う事でヘッドマーク取り付け座や元空気ダメ引き通し管等の追加改造が施されておりますなあ。
この33号機は運転室に入る事が出来るので機関助士席から全景を撮ってみた…そうそう、窓ガラスのHゴム支持は新製時からのモノとの事。
そして↑は運転室の窓から撮った機関室…エンジンはマイバッハ社のライセンス生産との事で2000馬力の出力を誇るようですなあ♪
そうそう、マイバッハと聞くと6号戦車のエンジンってイメージなんですがDD54もお世話になっていたんですなあ(笑)
で、最後は1枚目の逆エンドですな…コチラ側は引きが全然無いんで10mmでもギリギリ縦位置と言う厳しい状態。
しかし、厳ついスノープロウだねえ♪
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優秀でなければ御召し列車に抜擢される筈がありませんからね。
短命に終わったのは、機関車そのものよりも当時の日本国鉄がメンテナンスを上手く出来なかったのが原因です。
その証拠にイギリスや中国で、DD54と同形のエンジンや変速機を搭載したディーゼル機関車は其なりに長期間活躍してますからね。
そうですか、DD54はお召し列車も牽いてたんですね。
ワタクシ、不勉強なモンで何とも言えないんですがWikipediaを読む限り国鉄の整備陣の技術不足もそうですが、やっぱり複雑な構造だったのが全ての原因なのかな?なんて思います。